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魔窟の住人

 ドアが開いてルディが飛び込んでくるのに、ブランは顔を上げて目を向けた。

 「先生!」

 血相を変えた教え子の姿に、落ち着けと冷静な声をかける。

 机上に広げていた紙を手早くまとめ、バインダーにはさんで棚にしまう。

 「どうした?」

 「その、変な人が」

 ブランの顔を見て、ホッとしたルディは息を整えて事情を話す。

 「お前はそれで逃げ出してきたのか?」

 クラウディウスに逃がしてもらったという教え子に、師は少し呆れたような声を出した。

 「だって‥‥‥すごく怖かったんです」

 魔法でどうこうできるものでもなかったし、逃げるしかなかった。あれはちょっと種類が違う。

 不躾を通り越した態度に加えて、値踏みされているというか、とてつもなく気分が悪い気がした。

 ルディが訴えるのに、ブランは少し考えて聞いてみる。

 「なるほど、気色悪いというなら、デューアと比べてどうだ?」

 デューレイアが聞いたらどういうことだと抗議しそうだが、これでなかなか分かりやすいたとえではあった。

 「デューア姉さんって?‥‥‥その、時々怖い目で僕を見てるけど」

 思い出すのもアレだったが、ルディは身近な女性の怖い視線を思い浮かべた。

 「そうだな。あれと比べてだ」

 ブランがデューレイアを比較対象に出したのにはわけがある。

 なんというか、最近のデューレイアは露骨な視線をルディにも向けることがあるのだ。子供相手になに考えてるんだと言いたいが、食べ頃をはかっていると、この前真顔で言っていた。

 そこまでいくと、さすがにルディでも何か身の危険を感じるらしく、怯えた顔をすることもあった。

 成人するまでは手は出さないと言ってはいるが、将来を考えて舌舐めずりするのは止められないらしい。

 ブランも野暮を承知で、くれぐれも無理矢理は勘弁してやれと釘を刺しているが、本気の捕食者になったデューレイア相手にどこまで有効か、今から心配の種は尽きない。

 もっとも、デューレイアの捕食対象はあくまで大人の男だ。ルディの容姿を愛でながら、好みの男に育てる楽しみを味わっているものの、少年に手を出すような真似はしないだろうと、そこはブランも信用している。

 デューレイアもルディに関しては成人後に、多少の強引な手段はともかく、ちゃんと落として納得ずくで行為に及ぶつもりだと明言している。自分の魅力にそれだけの自信があるいい女の余裕であり、プライドだ。

 とはいえ、純真な少年にはいろいろと刺激の強すぎる女性であるから、変に女の恐さを植え付けられないか、師匠としては心配もするのだ。朴念仁のくせにと、デューレイアには鼻で笑いとばされているが、そこはおいておく。

 「うー‥‥姉さんのも怖いけど、もっとなんていうか、気分が悪い感じです。んー僕じゃなくて‥‥‥‥‥‥ああ、そっか、あれは空魔法を見る目だ」

 気分の悪さの原因に、ルディは気がついた。

 あまりに直裁的にぶつけられたのと、異様な雰囲気だったから余計に混乱してしまっていたが、あれは欲という感情だった。あの目は空魔法に向けられた、彼女の剥き出しにされた価値観だ。

 「なるほど」

 それは怖いだろうと、ブランは至極納得した。

 欲とはいえ、デューレイアのは良くも悪くもルディという個人に向けられた好意が根本にある。ルディという存在を空魔法という価値感のみではかる目を向けられるのとは、欲望の根本のあり方が違う。

 ただでさえそういった感情に対し、過剰に敏感になっているのだ。自身の価値が空魔法のみに置きかえられる気分は、この年頃なら余計に自己を否定される恐怖に変わるのも無理はない。

 とっさにクラウディウスが庇ったわけだ。彼は生徒という個に向き合う教師である。直感的にそれを悟ったのだろう。

 「クラウディウスがここに行けと言ったなら構わないだろう。お前は隣に行ってろ」

 隣の研究室のリリータイアはルディの料理の師匠であると同時に、研究助手の真似事をさせることで薬学や医学の教授もしてくれているのだ。座学の補講にもなるので、ブランは時間の空いたときには、ルディを良く隣に預けている。

 「はい」

 教室に戻るのも躊躇われるところだったので、ルディは素直にリリータイアの研究室を訪ねた。

 「そっちの薬には触らないでね。そうね、あちらの棚にある薬草の選り分けをしてちょうだいな」

 リリータイアの研究成果である回復薬は、魔力を含んだ薬草などから作られる。味は不評であるが、その効果は安定して初級の回復魔法の半分ほどにも及ぶものになっていた。

 治癒士でないからこそリリータイアは、薬の効果を上げる研究に携わるようになったのだと言っていた。

 治癒魔法を使える魔術師は多くはなく、王都や大きな都市でこそ魔法による治療を受けることができるが、それも安くない代価が必要である。

 治癒の魔石も高価であり、怪我や病も、人々は薬による治療に頼るのが普通だ。

 実験台になった第一師団の連中には、酷い味が散々に言われていたが、リリータイアの回復薬はまさに画期的な治療薬である。

 第一師団の献身(罰ゲーム)による臨床実験でも、副作用もほとんど認められていない。

 あの味が副作用という声もあるが、それは無視する。

 現時点で製薬方法は完成しているものの、薬草に含まれた魔力や、製作者の魔力の影響などで品質に大きな格差がでるのはある意味仕方ないとはいえ、検証は必要であった。

 水の魔術師であるリリータイアが魔力を注ぎながら作った回復薬を基準として、魔力の差異による薬の効果の検証が済めば、魔法ギルドや薬師組合などに製作方法を公開すると彼女は言っている。

 「来週には外部に依頼したものができあがってくるから、第一師団の方に協力をお願いしたいわね」

 ブランの訓練に託けた、恒例の実験台募集である。

 実のところルディもブランも臨床実験の対象外だ。なにしろほとんど無意識のレベルで自身に対して治癒魔法を行使するのだから、回復薬の効果がはかれるはずもない。

 今度のは提供した製薬方法で、リリータイア以外の魔術師が製作に携わった回復薬が、どの程度の効能を持っているのかの品質テストだ。

 薬草にもともと含まれていた魔力の損失を抑え、製造過程で加えられる魔力で薬効を引き上げ、さらに即効性を持たせるように工夫した魔法薬だ。作る人によって効果に幅が出るのは、ある程度やむを得ない。問題はそれが許容範囲に収まるかだ。

 「もともと水属性は薬作りに馴染みやすいんだけど、他の属性でもなんとかなると思うの。きちんと製作方法を習得できれば、魔術師の良い仕事にもできるんじゃないかしら」

 魔術師の薬師は多くない。多くは治癒士が、治癒魔法の補助としての薬を処方するか、戦闘に関わる魔術師が、必要に駆られて副業にするかくらいだ。

 しかし、王都魔法学校では、もともと薬学の基礎は必須科目となっている。学校の卒業生くらいの知識があれば、専門の薬師のもとで、回復薬を製作することはできない話ではなかった。

 また今回は、水属性以外の魔術師も、製薬に携わるように依頼した。

 作る人が多ければ、それだけ広く安く薬が手に入るようになるだろうと、彼女は言う。

 「お姉さんはすごいなぁ」

 何年も苦労して作った薬だというのに、その製作方法を公開するということは、リリータイアが金銭面での利益を求めないということだ。

 「初志貫徹よ。そのための回復薬ですもの。それにね、わたしは研究が楽しいの。ここでこれからも好きな事をやっていければ、それが一番よ」

 この世界で研究に打ち込める環境を得るのは大変だ。

 魔法ギルドの研究部門に入るのも、王宮の魔導士になって研究室に配属を求めるのも、どちらもエリートによる狭き門だ。商人や貴族の後援者を求めて奔走する研究者が多い中、リリータイアのように魔法学校の講師の身分をもって研究室を得られるのはかなり運が良い。

 回復薬の功績は、彼女の身分を保障するものとなるだろう。それで十分だと、リリータイアは笑った。

 ひきかえて、自分は何ができるのか、何がやりたいのかとルディは思う。

 魔術師になりたい。

 それは変わらないし、それを選んだルディが否応なく歩かなくてはならない道もある。

 いずれ魔力が人の境界を超える、異名持ちになるという未来だ。

 その未来において空魔法は自分をどこへ連れて行くのか、ルディにはまだわからない。

 一つだけ、決めている決意はあるが、至る道もその先もまだ見えていなかった。

 「悩みなさいな。それで十分よ」

 答えなど一生かけて探せば良いと、リリータイアは人生の先達者として言った。

 流されるのも人生だが、それだけでは嫌なら、せいぜい悩んで足掻けば良いのだ。そのための力を、隣の黒髪の魔術師はこの子供に与えようとしているのだから。

 特別な力を与えられたこの少年が、とても苦しんでいることも知っている。でも、自分が彼にしてあげられることなど、この場所を提供してあげるくらいだ。

 「今日のお昼は何にするつもりなの?この前ルディちゃんが作ったキノコのパイ包みシチュー、美味しかったわ」

 「寒い季節には良いですよね。今日はベーコンのスープと餡掛けの麺にして、おやつにパンプディング作ろうかと思ったんだけど」

 「あら、それならリンゴのジャムを提供するわ」

 「ありがとうございます。ホントは一昨日の休みに買い物行こうと思っていたんだけど、行けなくて。肉はたくさんあるんだけど、野菜とか果物があんまりないから、デューア姉さんに買ってきてもらおうかなとも思ったんだけど」

 「お野菜をデューレイアちゃんに頼むのは、ちょっと心配ね。目利き下手だもの」

 ずばりと言ってしまったリリータイアにルディも苦笑する。デューレイアは料理をしないから、買い物における食材の目利きがいまいちなのだ。

 「なんとかやりくりして、今度の休みに買いだめしておくつもりなんです」

 「あら。それじゃ調味料も買ってきてもらおうかしら。ルディちゃんとお料理するのが楽しくて、わたしもいろいろ考えているの」

 こちらもできの良い教え子をもってリリータイアも嬉しいらしく、精力的にいろいろな料理に挑戦するようになっていた。

 夕食の相談や料理談義を合いの手に入れて薬の製作をしていたところ、なんだか隣が賑やかになってきた。

 「‥‥‥えっと‥‥」

 ブランの研究室前で地面に転がっている王宮魔導士が一人。その後ろで固まって顔を見合わせているクラウディウスと王宮魔導士長の一行。

 こそりと、リリータイアの研究室の扉を少し開けて様子を伺ったルディの目に飛び込んできた光景に、何となく状況が掴めて言葉がない。

 「あらあら、これは回復薬の出番ね」

 後ろで喜色に満ちた声が上がった。

 「あの、お姉さん」

 転がっているのは大柄な体格の女性魔導士。例のケイテスと呼ばれた女性だ。

 ささっと、回復薬の入った瓶を持ち、パンッと扉を開けて駆け寄ったリリータイアは、飛び込んできた実験台に笑顔全開だ。

 「これは魔力を使わないで作ってみた試作品なの。工夫したおかげで匂いがちょっときつくなったけど、文句を言わないように」

 せっかく作ったものを試す機会ができて良かったと、件のウサギの雷球にやられて身動きできないケイテスの口に、リリータイアは嬉々として薬を流し込む。

 「‥‥‥う‥‥ぐおっ‥」

 まずかったのか、気管支に入り込んだのか、喉を苦しげに鳴らし苦悶するその姿を、リリータイアはじっと観察する。

 「うーん、やっぱり効き目が悪いわね。本来の回復薬なら、この位の麻痺は大体取れる効果があるはずなんだけど」

 これが他の人ならばルディもこの時点で回復魔法をかけようかと言い出すところだが、さっきのことがあるのでリリータイアの後ろで見ているだけで近づこうとはしない。

 「‥‥‥‥く‥ごの‥ばばぁ‥‥‥」

 「あら。何か譫言を口走っているわね。まさか副作用かしら」

 冷たく見下ろすリリータイアは、ブランより一歳年下の年相応の容姿をしている六十三歳の『女性』だ。

 「もう一本分、服用させて様子を見ましょう。ルディちゃん、悪いけどもう一本取ってちょうだいな」

 「あの、お姉さん。こっちの回復薬使ってあげた方が」

 自分で回復魔法をとは言わないあたり、まだ怖がっているようだが、本来の回復薬をリリータイアに差し出すあたりがルディらしい甘さだ。

 「うふふ。ダメよ」

 ニッコリ笑って、リリータイアは「これと同じものよ」と、空瓶をルディに渡す。

 「‥‥‥はい、お姉さん」

 逆らったら駄目だと、本能が警告するのに、ルディは空間を繋げて棚から薬瓶を取って、リリータイアに渡した。

 もう一本、特別不味く、しかも効果の薄い薬を口に入れられ、ケイテスは悶絶する。

 その様に、魔導士長を始めとする全員が、一歩後ろへ下がった。

 巻き添えはゴメンだという保身に走った彼等を、しかし責められないだろう。

 ブランも涼しい顔をして静観していた。こちらは最初から止める気がない。

 「しびれが少しは取れてるかしら。だめね、やっぱりこの製法じゃ魔力が全然足らないわ」

 倍量を服用してこれではとても実用にはならないと、予想通りの結果にリリータイアは、製作者の魔力抜きの製作方法は、少々の工夫ではなく、やはり根本的な見直しが必要と判断する。

 しばらく観察してから、リリータイアは本来の回復薬を投与してみた。

 さっきよりも幾分マシな、それでものたうち回りたいような不味い薬を飲み込まされたが、今度は明確な回復がみられる。

 「‥‥何を飲ませた‥」

 殺す気かと、麻痺が取れたのを自覚する前に、抗議の声を上げたケイテスだったが、間近でリリータイアの顔を捉えて、ひっと悲鳴を飲み込んだ。

 「‥リ‥‥リリータイア先生?」

 「あらあらあら、誰かと思ったらメーディレス君の生徒だったわね。名前、忘れちゃったけど」

 「彼女をご存知なのですか?」

 何しろ魔窟の住人だ。リリータイアとは既知のクラウディウスも慎重に接することを忘れない。それでなくとも、年齢云々は口には出せないが、年上は敬う主義だ。

 「ええ。薬学の先生になったお友達のメーディレス君が、昔提供してくれたお手伝い(実験台)の生徒よ。その中でも頑丈で助かったわね。思い出したわ」

 「ひょっとしてメーディレス教授の赤点補講ですか?」

 この学校における某薬学教授には、とある恐怖の伝説があった。

 その人物は、過去に手に負えない問題児を赤点の補講代わりに、リリータイアのところに送り込んだのだ。今でも生徒の間で伝説のように語られている、薬学の恐怖の補講である。

 落第すなわち退学をちらつかされ、赤点取り消しの条件で赴いた先で地獄を見た生徒は、帰ってきたときには性根を入れ替え、二度と薬学の試験で赤点を取らなかったという。

 「‥‥‥アンタ、そんなことをやっていたのか」

 その当時には学校にいなかったブランが、呆れたようにリリータイアを見たが、当の彼女はまるで悪びれない。

 「薬効を調べたりするのにお手伝いが必要だって言ったら、メーディレス君が補習を兼ねて、生徒を寄越してくれるって言ったのよ。ホント、あの時は助かったわ」

 最近はブランのおかげもあって、第一師団の人たちに臨床実験につきあってもらえて大変助かっているが、協力者の確保にはいつも苦労していると、リリータイアはしみじみと言う。

 なんだかんだ言いつつ、所詮彼女も魔窟の住人だった。

 「そのローブ(褐色)は王宮魔導士ね。それで、何のご用かしら」

 「いえ、その。実は彼女はケイテス・ノーレンと言いまして、リリータイア先生の仰るとおりここの卒業生で、現在は王宮の魔導具管理部門にいるそうです」

 ちらりと、ブランとルディを見ながら、クラウディウスは彼女の身分を紹介した。

 「ああ、ひょっとして魔法鞄の修理取り次ぎか」

 思い当たったブランが言ったそれに、ケイテスはカッと顔を赤くしてブランを睨み付けた。

 「黙れっそれを言うな」

 「‥‥‥先生?」

 リリータイアの後ろでブランを見る情けない教え子に苦笑しながら、ブランは丁寧に説明してやる。

 「王宮の魔導具管理部門は研究部門も兼ねているから、一応エリートなんだが、空魔法は百年位使い手がいなかったからな。新しく魔導具を作れるものでもなく、できることといったら魔法鞄を始めとする現存する魔導具の修理の取り次ぎくらいだということで‥‥‥それも空魔法の関わる部分は近年はユエに送るしかなく、できても数年待ち。まあ、役立たず部署だと言われていてな。問題を起こした奴なんかが配属されることになっているらしい」

 当人の前であまりに容赦のないブランの言いようだが、魔導士長が渋い顔をしながらも否定しないあたり事実であるということだ。

 実はブランは結構腹を立てていたりする。

 真っ昼間であり、主が在室している状態であるから、さすがの研究室のセキュリティもレベルが下げられているのだ。にもかかわらず、ウサギの雷球を食らって転がる羽目になったのは、相当強引に結界を破って侵入しようとしたということであり、つまるところ随分と無礼な真似をしでかしたケイテスには、ブランもかなりのところ機嫌を悪くしていた。

 教え子を怯えさせた件も含め、彼女に好意的である理由はない故の、無礼を承知の毒舌だ。

 「ケイテス君は以前は火の魔導具を扱っている部門にいたのじゃが、少々行き過ぎなところがあっての。少し前に部署を変わってもらったのだよ」

 はっきり言えば、いわゆる左遷だ。

 「それで、あの、僕が」

 空魔法の使い手であるルディが現れたことで、状況が一変した。つまりはそういうことだった。

 「そうだ。空魔法の魔導具部門の主任であるワタシが来るのが当然だろう。そうですね、魔導士長殿」

 「いや‥‥‥その、そうではあるのじゃが。なにぶんこのような事態は想定しておらなんだから、新たに人選をという話ものう」

 とりあえず魔導士長自らが出張ることで時間を稼ごうとしたのだが、こういうことになったのだと言い訳する。

 「少しばかり他の研究員と折り合いを悪くしたものの、ケイテス君も有能な魔導士ではあるのじゃが」

 「でも、本当は火魔法の研究をしていたわけですよね」

 鋭いルディの指摘に、魔導士長が否定することもできずに認める。

 「どうせ誰でも似たようなもんだろう。これからはともかく、今のところ空魔法の専門家はこぞってマルドナークとユエにいる」

 辛辣なブランの言いように、王宮魔導士達は揃って言葉もない。

 「所詮は王宮との連絡役にすぎん。王宮の空魔法の資料なら、見るところはありそうだが」

 それ以外は端から期待していないとブランは言い切った。

 「若造が。勝手なことを言って、その子を独占するつもりか」

 あまりないい草にキレたケイテスが無謀にも突っかかってくるのに、ブランはいっそ呆れた。

 「オレを若造呼ばわりするのは師匠くらいのもんだと思っていたが。ふむ、魔導士長殿、どうなのかな?」

 歳はさすがに魔導士長がブランより十幾つ上だ。身分は、宮廷魔術師は称号であり名誉職の意味合いが強く、魔導士とは別格とされているので、一概にはいえないが魔導士長とほぼ同格で異名持ちが上位にみなされている。

 ただし王宮における役職としての権限は別だ。

 王権において異名持ちは王国の魔術師の最上位に置かれているものの、王宮の魔導士の官僚組織には組み込まれておらず、通常の業務には原則関わっていない。

 役職上、魔導士長が通常においては権限で王宮魔導士のトップだ。

 加えて年上でもあるので、ブランも普段なら一応魔導士長には相応の態度を取っている。

 「貴方は見た目がのう。確かに知らぬとはいえ、ケイテス君の態度はいささか問題じゃが。ただ、女性の歳に関わることは、その、おおっぴらに言うには差し障りが‥‥のう」

 何しろ先日リュレに対する失言で、痛い目にあったばかりだ。

 とんだとばっちりに、魔導士長は及び腰になって言葉を濁す。

 しかも、それに関してはここの女性(リリータイア)の所行を、目の当たりにしたばかりでもある。

 ブランもちらりとリリータイアを見て、それ以上は口にしないことにした。

 「とにかく、こちらは王宮にある空魔法の資料を提供してもらえれば良い。その点はよろしいか?」

 互いにとってメリットとなるのだから、ブランのこの申し出は無論受諾されて当然のことだった。

 「それはもちろん構わぬが、そうなれば教授役についての人選もせねばならぬのう」

 「ここが王都魔法学校だということをお忘れかな。教師ならいくらでもいるし、空魔法については素人だろうが、教えるなら専門家ばかりだ」

 はっきり言って、下手な魔導士を派遣されるより、クラウディウスやスレインといった学校の教師が付いた方が、ルディには余程良い。

 第一、王都魔法学校も空魔法の使い手を擁して魔導具の研究や開発を進めるなら、諸手を挙げて人選を始めることだろう。

 空魔法に関する人材の持ち札を明かしてしまった以上、魔導士長も強弁はできずに考え込んだ。

 「空魔法の魔導具は王宮が管理するものだ。学校に権限はない」

 その王宮側の専門家であるケイテスは、せっかく巡ってきた好機に、自身の領分を主張して譲らなかった。

 だが、ルディを魔導具と同一視していることがあからさまな言い様は、ブランを筆頭に教師であるクラウディウス、リリータイア達の反感を更に募らせることになる。

 「ルディシアール君に魔導具の教授を行うのは、以前から約束してあることです。彼は魔法学校の二年次生徒で、まだ学ばねばならないことも多い。我々は魔法学校の教師として、そこは譲れません」

 クラウディウスが断固として主張する。

 リリータイアの後ろで、不安そうな顔をしているルディシアールを思いやる意味でも、クラウディウスは強く言う。

 ルディが望む居場所はここだけだと、彼の境遇を知るクラウディウスは理解しているのだ。

 この黒髪の魔術師のもとで魔法を学ぶことが、ルディにとっての唯一最大の望みである。

 かつてクラウディウスはブランに、教師としてできる限りのことをしたいと言った。それを忘れてはいない。

 リリータイアは意味ありげな笑みを顔に貼り付けて、ケイテスを凝視することで牽制した。

 今となってはリリータイアにとっても、ルディはいろいろな意味で弟子に等しい。

 その可愛い生徒に対するなら、それなりの覚悟をしてもらおうと、無言で語る彼女の圧力に、ケイテスはトラウマを刺激され、冷や汗をかいて後退った。

 「例えば、金の魔術師(師匠)の目がねにかなうような者なら、学校も納得せざるを得ないだろうが、魔導士長にはそのあたりの人選はどう考えておられるのかな」

 ルディの後見の存在をほのめかすとともに、言外にそれだけの駒を持っているのかと、ある意味意地の悪い言いようを、ブランは選んだ。

 「ううむ‥‥‥」

 魔導士長は、唸りつつ考え込む。王宮魔導士の空魔法への対応の真価を問われる人選だ。下手な人物の名は出せない。

 「ルディ」

 名を呼ばれ、ルディは師であるブランのもとへ歩み寄る。

 「こいつはオレの教え子だ。それを譲るつもりはない。魔導士長殿、扱いを間違えられぬことだ」

 少し頭を冷やせと言うつもりで、ブランは空気を変える。

 ルディの肩に手を置き、静かに言葉を紡ぐブランの圧力に、皆が息を飲んだ。

 扱いを間違えるな。

 それはルディシアールのみのことではないのだ。

 リュレも繰り返し周囲に言っている。カレーズ侯にもくれぐれも念を押されていたそれは、ルディシアール自身だけでなく、リュレと彼の後ろに立つこの王国の異名持ちをも含めて考えろということであると、魔導士長は悟った。

 そして、改めて空魔法という希有なる才を持って生まれた少年を見る。

 どれほど非凡な才を持っていても、まだ彼は魔法学校で学ぶ生徒であることを、魔導士長も思い出していた。

 そしてここは譲るべきだろうと、判断する。

 「わかり申した。果実の収穫をあせり、大樹の若木を枯らす愚を犯すわけにはまいらぬ。忘れぬようにいたしましょうぞ」

 それは間違いなく本音だが、妥協の根源のひとつには、やはりこの黒の魔術師の存在があった。

 この青年の姿をした男の怒りを買うことは恐怖の一言だ。黒の魔法殺し、彼はその名の通り魔術師から魔法を奪うことさえできるのだという。

 その恐れに身震いしない魔術師は存在しないだろう。

 彼のおかげで冷静さを取り戻した魔導士長は、いろいろと計算を巡らせる。

 また譲るにしても、ルディシアールの養母であり後見である金の魔術師の意向を慮ったのだといえば、外聞的にも繕えるのだ。彼女もまた、ルディシアールが魔法学校にあることを、王宮で公言していたのだから。

 なおも不服そうなケイテスには頭が痛いが、そのくらい抑えられないようでは魔導士長は勤まらない。

 それに、魔法学校内に王宮魔導士の出先機関を一つ設けると考えれば、あながち悪いことではないだろう。

 青田刈り、というには聞こえが悪いが、在学中の生徒を観察する機会もできる。

 食えない学校長との駆け引きは必要だが、そこは腕の見せ所だ。

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