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 食堂での出来事があったからか、一組の教室は朝から険悪な雰囲気に包まれていた。

 「ようルディシアール、テメエさっきの言いぐさはなんだよ」

 典型的な短気で直情型であるナイルカリアスは、ルディの顔を見るなり絡んできた。

 「なんのこと?」

 「オレらが弱っちいってバカにしやがっただろう!」

 そのことかと、ルディはこの際売られた喧嘩を買うことにした。落ち込んでいるところに突っかかってこられたから、珍しく荒んだ気分に駆られたのかもしれない。

 それに、いっそ皆から嫌われた方がむしろ楽だとも思う。

 「僕は手応えなくてつまらなかったって言ったんだ。おんなじことだけどね」

 嘲るようにルディは言った。頭に血の上りやすい質であるナイルカリアスを煽ることなど簡単だ。

 「この野郎!自惚れんのも大概にしやがれ」

 「事実だろ。二年次のトップクラスだなんて粋がったところで、僕一人に勝てやしないじゃないか」

 「てめえっっ」

 本当のことほど堪えるものはない。あっという間に沸騰したナイルカリアスの拳が、ルディに襲いかかる。

 だが、軽い嘲笑を浮かべたルディの前で、ナイルカリアスは自らの拳に殴られて尻餅をついた。

 「‥‥‥なっ‥‥‥なにが‥‥」

 座り込んだまま、殴った感触が残る右手を見て呆然となるナイルカリアスの耳に、くすくすと愉しそうなルディの笑い声が届いた。

 「これって正当防衛、でもないか。殴ったのも殴られたのも自分だからね」

 「また君は器用なことを」

 呆れ半分、賞賛半分で、ローレイは興味深げな視線を投げた。

 「このっ」

 立ち上がって、懲りずに拳を繰り出したナイルカリアスだったが、自分の眼前に突如として現れた拳に再び殴り倒された。

 「‥‥‥バカ?」

 カウンターとして見事に決まったそれに、呆れたようにルディが呟く。

 「馬鹿だな」

 同じことを繰り返したクラスメイトを見下ろして、無情にローレイが肯定する。

 「てめえローレイ!なにそいつの肩もってんだ。てめえだって馬鹿にされたんだぞ」

 鼻血を出しながらナイルカリアスが、ローレイにも食ってかかる。

 「本当のことを言われて文句を言うのもみっともないだろう。それに、僕は最初から、魔法でルディ君に勝とうとは思っていない」

 「戦わずに無力化する、だったかな」

 ルディがローレイを怖いと思ったのも、彼のこういう考え方だ。

 「そうだ。二度も同じ手でやられた君と、一緒にして欲しくはないな」

 「うるせえ!大体魔法使うなんてきたねぇぞ。男なら素手の殴り合いをしてみろ」

 手段はわからないが、ローレイが「魔法」と言っていることからも、何らかの魔法を使われたのだと、ナイルカリアスは理解した。

 「冗談。僕が君と素手でやりあって勝てるわけないよ。それに攻撃魔法使ったわけじゃないし、いきなり殴りかかってきて文句言われても」

 基本争いごとが好きじゃないルディだ。無理に悪ぶっても長続きせず、少しずつ素が滲み出る。

 「この火魔法馬鹿。弱いって言われて喧嘩売って、また負けて恥の上塗りすんなよ。ちったあ学習しろ。そもそもオレ等がルディシアールに魔法で、ローレイに(アタマ)で勝てるわけねーだろ」

 同じようなタイプだが、サルーディは勘が良いだけナイルカリアスより大分立ち回りが巧い。

 ルディシアールに逆襲してやると息巻いたあげく、ファルニア先生に扱かれ、さらに大敗したのを忘れたかと、トリ頭のナイルカリアスに呆れもする。

 自虐的でなくとも、かなりヒドイことを言っているのだが、ナイルカリアスに反論できるものではなかった。何しろこればかりは、彼でも認める事実だ。

 魔法、特に火魔法では同年次の誰にも負けられない意地があるが、人外となることが確実視されている化け物は対象外だ。同様に、アタマに関しては自慢できない自覚がある。学年首席と張り合うなど、論外だった。

 サルーディの手を借りて立ち上がったナイルカリアスは、今度はゆっくりと拳をルディに突きつけた。

 さすがのローレイは最初に見破ったようだが、ルディは特別に種明かしをしてやる。

 ナイルカリアスの右腕が途中で切断されたように消えて、拳が眼前にぬっと出てきた。

 「うわっ」

 慌てて右手を引き戻せば、目の前から拳も消える。

 「空魔法の空間連結だな」

 「正解。一応狙ってみたけど、こう上手くいくとは思ってなかった」

 「丁度良い実験だったということかい?」

 「今度はつなげてる途中で接続を切ってみようかな」

 「それは、腕が切れると思うが」

 「多分ね」

 淡々と物騒な会話をしているルディとローレイに、ナイルカリアスは右腕を左手でぎゅっとおさえ、顔色を青く変えていた。

 「そのくらいにしておいてくれ。この馬鹿も懲りただろう」

 聞いていて自分もちょっと怖くなったとはサルーディは言わない。

 「だと良いけど。今回は殺気もなかったし、余裕があったからこのくらいで済ませたけど、命が惜しければ僕に攻撃しない方がいい。とっさに手加減できなくてもしらないよ」

 身を守るのが第一だが、仕掛けてきた敵は倒すように、ルディは教えられてきたのだ。

 「それが本音か」

 本当に勘の良さは大したものだと、ローレイはサルーディを少し見直した。

 わざと物騒な言い方をしたが、本当は無闇に傷つけたくないと、ルディが思ってした忠告だと、サルーディは見抜いたのだ。

 「‥‥‥おまえさ」

 「おはようございます。朝から喧嘩ですか?」

 スレインがナイルカリアスの鼻血で汚れている顔面を見て、顔を顰めた。

 「オレが自爆しました」

 自分で自分を殴りましたと言うのも馬鹿みたいだと、ナイルカリアスは自爆の一言で済ませる。馬鹿なりに潔いのは彼らしい。

 ここで放っておけばいいものの、黙って治癒魔法をかけてやるのがルディの人のいいところで、どうにも非情になりきれないのだ。

 「ナイルカリアス君は顔を洗ってきなさい。他の人は席に着いて。授業を始めますよ」

 打撲の痛みが消え、鼻血が止まったのに首を傾げながら、ナイルカリアスは慌てて教室を出て行った。




 氷雪の嵐が手綱を失い、崩れて霧散する。

 「馬鹿っ死にたいのか!」

 「済みません」

 不意打ちで撃たれた風弾をまともに右肩に食らって、地に伏した教え子に、ブランの叱責が飛ぶ。

 何かに気を取られていて、魔法も身体の反応もいつもと違って酷く鈍い。しかも、自覚が無いときている。

 気づいていたブランが風弾を手加減していなければ、重傷を負っていただろう。

 「何があった」

 「何でもありません」

 治癒をかけて起き上がったルディの頬を、平手で軽く叩く。

 「ルディ」

 ブランの視線に促されて、ルディは口を開いた。

 今までずっと側にいてくれた幼馴染み。二人がいたから、辛いことも堪えられたし、その存在がどんなに支えになったことか。

 それがもうない。

 自分で捨ててしまった。

 二人を護りたいのに、どんなに考えても他の方法がみつからなかった。巻き添えにしたくないからと、普通に離れて欲しいと頼んでも、絶対二人とも承知しないのはわかりきっていた。

 だから、嫌われるように仕向けて、自分から離れた。

 なのに独りが寂しいなんて思うのは、身勝手な我が儘だ。

 「昨日、国王様に謁見しました。それで、僕の魔法がどんな風に見られるか、すごくよくわかって。今朝、エル達に空魔法のこと聞かれて、僕は‥‥‥絶交しちゃいました」

 「それでお前は後悔しているのか?」

 後悔と言われて首を横に振る。

 「僕に力がないから、エル達の側にいられるだけの強さがないから、我慢しなくちゃいけないんです。これしか選べなかったから、仕方ないって‥‥‥」

 淡々と言葉にするルディに、ブランはわずかな沈黙の後に、違うと言う。

 幼馴染みを傷つけ失くした痛みを理由にするのを、師は許さなかった。

 その事実は間違いないが、根っこの部分を明らかにせずには済ませられない。

 「違うだろう。お前は逃げたんだ。彼等より魔法を選ぶ怖さから、目を瞑り、捨てた辛さだけをみて、その罪悪感から目を背けている」

 容赦ない師の指摘に、ルディは息を飲んだ。

 そんなことないと、自分の心から目を背けようとした弱さを突きつけられて、認めたくないと悲鳴を上げる。

 「お前は魔法のために彼等を捨られる、自分が許せないんだ」

 「やめてください。‥‥違う‥‥僕は、エルもフローネもなくしたくなかった。知らないから、先生は、僕にとってエルやフローネがどんなに‥‥‥」

 ブランの言葉が胸に突き刺さる。

 綺麗事に逃げるなとブランは言う。

 なくしたくないのは本当だろう。

 ルディにとって幼馴染みの二人はかけがえのない存在なのだと、それを承知でブランは教え子の心を暴く。

 「お前は二人を切り離した。魔法を裏切らないためだ」

 本来選べないものだ。その選択から逃げたことを、ブランは責めているのではない。

 魔法が捨てられない自分の心を、認めろと言っているのだ。

 たとえ二人と引き替えにしても、ルディは魔法を裏切れない。

 その自分の心に、ルディは怯えているのだ。

 傷つかないわけではない。

 もし本当に二人を亡くしでもしたら、堪え難い痛みに苛まれるだろう。

 泣いて苦しんで、一生引きずる傷を負うことになる。

 なのに、選べるのは一つだけだ。

 「お前は魔法を捨てられるのか?」

 わかりきったことだと、一つしかない答えを教え子に求める。

 「ひどい‥‥‥どうしてそんなこと‥‥‥先生」

 「認めろ。認めて、魔法がなくては生きていけない自分を許してやれ。‥‥‥お前は魔法を決して裏切れないのだから」

 幼馴染みを捨てられる自分の心のあり方が許せなくて、そんな自分を認めたくなくて、見えない傷から血が流れているのに目を塞ぐ。

 友人を切り捨てた痛みの大きさが、本当の傷の原因を覆い隠している。

 何よりも大事な存在(もの)でさえ、魔法と引き替えに捨ててしまえた自分を、ルディは責めていた。

 直視しなければならないのだ。ルディがこれから生きていくためには。

 魔力が人の境界を超えることは、ルディの避けられない宿命だ。

 本来人が持ち得ないほどの魔力に、そのままでは身体が堪えられないから、器が変化する。

 魔法に生き、魔法に殉じる。そんな魔法が無くては生きていけない歪んだ生き物として、生を受けてしまった以上、自覚させなくてはあまりに危うい。

 真正面からルディの両肩を掴んで、顔を上げさせる。真っ直ぐに見据えるブランの紫の瞳が、容赦なく心の奥底に入ってくる。

 「辛いならそう言えばいい。独りが寂しいのは当たり前だ。泣いて済むならここで気が済むまで泣いていけ」

 我慢するから傷が深くなるのだと、ブランは言う。

 だからルディは素直に言葉にすることができた。

 「二人を護りたくて、なくして、苦しいです」

 前もそうだった。この人にだけは心の中を隠さなくていい。全部さらけ出していいのだと、ルディの心が知っていた。

 自分でも知らなかったそれは、ブランの前で心の奥底から引き上げられた。

 「だからそれを言い訳にして、だって‥‥‥僕は‥‥‥僕は魔法を選んだ。エルよりフローネより、魔法を選んでいたんだ」

 空魔法がなければ、二人をなくさないで済んだ。

 それなのに、自分は空魔法を、自身の魔法を厭うことはない。

 魔法は捨てられない。

 結局、自分は魔法と引き替えに大事な幼馴染みを捨てたのだと、ルディは理解し、それで良いと納得できる自分を嫌悪した。

 どんなに言い訳しても、それが事実だ。

 自分が傷つきたくないから、魔法を捨てられないから、大事な幼馴染みでさえ傷つけてなくした。

 「異名持ちなんてそんなものだ」

 魔法無しでは生きられない、人として壊れた欠陥品だと、ブランは思っていた。

 偉そうなことを言っているが、所詮自分も同じものだ。

 過去に傷を負って、未だにその疵痕が痛む。

 だから、教え子の辛さも、残酷な心のあり方も、痛いほどわかる。

 「泣き言はいくらでも聞いてやるが、もう逃げられないぞ」

 ルディは空魔法を目覚めさせた。彼の固有魔法の由来となる属性だ。後はもうそのままこの道を進むしかない。

 異名持ちの魔法は、持ち主を幸せにはせず、強大な力はそれ自体が枷だ。

 それがわかっていて、ブランはルディにその道を歩かせている。もとより他には選べる道のない断崖絶壁の一本道だ。

 ようやく真実を吐きだしたルディから手を放せば、力のない身体はそのまま地面にへたり込んだ。

 片膝をつき、もう一度軽く頬を叩いてから、ブランは立ち上がり背を向けた。

 「今日はもうやめだ」

 頭を冷やしておけと、ブランはルディを置いて研究室へ戻っていった。

 呆然と、地面に座り込んだままブランの背を見つめていたルディは、彼が壁の向こうに消え、しばらくしてから立ち上がり、視線を彼方へ向けた。

 大地の壁へと続く荒野、遥か遠くの地平線を見る。

 その場からルディの姿が消え、さっきまで見ていた荒野の空に立つ。

 飛翔の魔法で宙に佇み、目の前の空間に魔力を叩き付ける。

 空間が裂け、宙を走った断裂が地上を引き裂いた。もう一度、今度は水平に力を振るうと、近づいてきた魔物の群れが一瞬で切り裂かれて消えた。

 ただ魔力を振るうつもりでも、ルディの無意識が空魔法に変換して空間を切り裂いた。

 八つ当たりだと、自覚してやっているから嗤うしかない。

 風の固まりを地面に叩き付け、炎を巻き上げて地を焼き払う。

 氷雪が舞い狂い、視界を凍らせる。

 地を動かして、隆起させた壁を作っては砕く。

 無茶苦茶な魔力の行使をしたおかげで、頭の芯が痛み呼吸が荒れた。そのまま地面に降りると、仰向けに転がって、空を見る。

 荒い呼吸が少しずつおさまってくるのにつれ、激情に起因した破壊衝動も鎮まって、頭の中が空っぽになった。

 そうしてどのくらいただ呆然と、空を見ていただろうか。

 ようやく、ぐちゃぐちゃだった思考がいくらかマシになった。

 「先生の言うとおりだ」

 自分は魔法を捨てられない。魔法が無くては生きていくことさえできない。

 リュレにもブランにも、何度も言われていたのに、まだわかっていなかったのだ。

 一番大事な幼馴染み達をなくして初めて、自分がどんなに狂った存在か、ようやく向き合えた。

 なくす辛さと、引き替えにして。

 「‥‥‥ごめんね‥‥エル‥フローネ‥‥‥謝る資格なんか僕にはないけど‥‥‥でも‥‥」

 大好きだという言葉を飲み込んで、ルディはポロポロと涙を流す。

 泣いていいのだと、ブランが言ってくれたから。

 一方的な事情で、エル達の気持ちを無視して傷つけた。だから哀しんだりしたらダメだと思っていた。

 ずっと、平気だと思い込もうとしていたのに、苦しいならそう言えと言われた。

 彼だけは、こんな自分を認めてくれると、信じられる。

 無様で、無力で、身勝手だ。

 生きるために魔法を捨てられない。だけどそんな自分を許してやれと言ってくれた。

 独りでも良い、わかってくれる人がいるから。

 だからきっと大丈夫。

 もう少ししたら、立ち上がれる。

 ルディは思う。

 負けずにいられたらいい。

 魔法を捨てられないのなら、大事なものをなくさずに済む力が欲しい。

 奪われるだけなのが嫌なら、せめて諦めないでいようと思う。




 研究室の扉をくぐり、気怠げにお茶を啜りながら腰掛けているブランに頭を下げた。

 「済みませんでした」

 今日の醜態を謝るルディに、手に持ったカップを机に置いて、ブランはやれやれといった表情を浮かべた。

 「気が済んだか」

 さっきまでルディが荒地で八つ当たり気味に、魔法とも言えないようなぶちかましを連発していたことなど、当たり前だがブランにはお見通しだった。

 少しは発散できたのだろう。ルディの散々泣いて赤くなった目元にほっとする。

 泣けないようなら無理にでも泣かせようと思っていたからだ。

 「はい」

 「明日も今日の様な無様な真似したらぶちのめすぞ」

 愛の鞭の脅しに、若干顔を引きつらせながら、もう一度頭を下げる。

 「割り切れ」

 部屋を出て行こうとするルディの背に、ブランは言葉を投げた。

 「人の手で掴めるものなどしれている。それでなくても、生きるために捨てざるを得ないものもある。‥‥‥いずれお前の魔力は人の境界を超える。覚悟をしろと言ったはずだ」

 避けられない未来を受け入れる自覚をするなら、引き換えに失うものがあることも認めなくてはならない。

 魔術師となる未来、ルディにとっては生きることを選んだのだ。

 「言っておくが、お前はとんでもなく恵まれているぞ。ババアに拾われるまで、空魔法の存在を知られなかった。それから魔法も身を守る術も与えられ、この国で望み得る最高の庇護者を得ている。これ以上何を望む」

 言われてみればその通りなのだ。

 リュレという後ろ盾に護られ、魔法を学ぶ最高の環境に置かれている。これ以上を望むのは、贅沢を通り越すというものだ。

 「何より先生に教えてもらえてます。僕は先生に魔法を貰いました。だから、生きていられます」

 リュレはブランという指導者を与えてくれたのだ。魔力を戻してくれたのはリュレだが、ブランこそが自分に魔法を与え、教えてくれた師だと、ルディは思っている。

 魔法学校の入学試験で、初めて魔法を使ったあの時から、この手に導かれてきた。

 「ガキが‥‥臆面もなく」

 左手で顔を覆い、ブランは口の中で呟いた。

 「いいから、帰って自習してろ」

 恥じらいもなく言ってのける子供の素直さが、これほど凶悪なものだとは知らなかった。

 覚えてろよこの野郎、明日はぶちのめしてやると、かなり八つ当たり気味にブランは決めつける。

 十三でコレか、よくグレもせず育ったものだと、ルディがキョトンとしているのに、ブランは今になってリュレが言った「素直すぎる」の威力を思い知っていた。




 派手に魔法を撃ち合っている音もなく、研究室でブランが一人茶を飲んでいるのに、デューレイアは目を瞬かせた。

 「ルディはどうしたの?」

 「帰した」

 「あら?」

 ドアを閉め、椅子に座る。

 「あんまり酷くて、授業にならん」

 「なんかあったってことね。想像はつくけど」

 「クソババアがやらかしやがった」

 こちらも低気圧だ。

 「あーリュレ様?」

 一昨日、ルディをリュレの屋敷に連れて行って以来、デューレイアはルディにもリュレにも会っていない。あの後、魔法ギルド長達を案内してきて、そのまま玄関をくぐらずに帰ったのだ。

 昨日は一日中荒れ地に出向いてファンを始めとしたひよっこを訓練でしごき、今日の午前中は買い物巡りをしていたのだ。

 ルディの新しい練習着も買ってきたし、鍛冶屋で剣のメンテナンスも済ませてきた。

 「昨日ルディを城に連れて行って、国王に謁見させたらしい」

 「また思い切ったことを。つまり」

 「空魔法の使い手だと盛大にばらしやがった」

 一瞬の沈黙の後、デューレイアは天井を見上げた。

 「いつかはやるとは思っていたわ」

 ただ、養子縁組が正式に成立して直ぐ、しかもやることが派手なのは、さすがだ。

 「おそらくババアの手配りだろうが、どうやらアイツの周りでもバレたらしい。幼馴染みと絶交したそうだ」

 「早いわね。でも、それで納得。‥‥‥友達、なくしちゃったか」

 空魔法のことが知られれば、必然的にそうなることはわかっていた。

 ルディの周囲から、つけ入れられる要素を排除するのは、こちらにとっては当然の処置だ。

 ただ、ルディは家族と上手くいっていなかった分、幼馴染み達が支えになっていたようだから、これは精神的にボロボロになるのも無理はない。

 そしてデューレイア以上に心を砕いていたブランも、教え子の気持ちが痛いほどわかる。自分もまたその辛さを、あるいはルディ以上に知っているからだ。

 そして、知っていてなおリュレが自ら幼馴染み達から離れるよう仕向けたのを追認した。

 さらにこの先、必要なら自分は彼等を犠牲にすることすらためらわないし、それを詫びるつもりもない。

 身勝手だろうが手放せないのだから、すべては今更だ。

 王国の守護者、力の象徴として祭り上げられようと、異名持ちなど身内にとっては災厄をもたらすものでしかない。

 自分もまた親友を亡くした。リュレも弟を喪っている。

 魔法と引き換えに大切な者を失う。

 ルディはなまじ固有魔法の属性が空であったがために、それが早まっただけだ。

 魔法を捨てられない歪んだ生き物は、人でありながら力も意識も異質な存在だった。

 同じ位置に立てるのは、等しく力を持ち、価値感を同じくする生き物だけだ。

 そして、なくしたものや手を伸ばせないものを越えて唯一、位置を等しくする存在がいれば、目を反らすことはできない。

 それが執着となり、自らと同じ場所にいることを認めるか否かを選択するのだ。

 異名持ち同士が出会えば、惹かれて受け入れるか、敵となり排除するかの二者択一となるのはそのためだとブランは思う。

 リュレは自分を懐に入れ、ルディを護ることを選んだ。

 親友を手にかけた『白の幻妖精』を、自分は殺した。

 誰かが傍らに立つことを拒絶していたのに、自分がルディにそれを許したのは、彼が絶対に自分(ブラン)を裏切れないからだ。

 ようやく手に入れた存在を失うことなど、許せるはずもなかった。

 「それでルディは大丈夫なの?」

 「明日もだめならぶちのめす」

 「そっちは任せるわ。わたしは王宮に行って、怖いオジサンに会ってくる」

 「お前がか?」

 デューレイアがとても苦手な相手だが、仕方ない。

 「不本意だけど、わたしが間に入った方が良いと思うの。貴方、ルディのことだと、最悪喧嘩を売りかねないからね」

 否定できない。

 王国の軍事を担う者同士だが、ブランとカレーズ侯爵はあまり相性が良いとは言えないのだ。あれは同族嫌悪であると、リュレがデューレイアに言ったことがある。

 有事でない限りブランが表立って動くことはなく、互いの性質を見極め、役割を果たすことに撤しているため、深刻な対立には至らないが、今回は不味い。

 王国とルディシアール、互いの最優先での守護対象だ。どちらも、そのためならすべてを切り捨てられる男である。

 それこそ対立すれば血を見かねない。

 「学校の警備については、わたしが交渉してくるわ。少しこちらが引くことになるでしょうけど、そこは我慢してちょうだい」

 学校の警備というが、事実はルディの護衛と監視だ。

 ルディの日常生活に踏み込ませるのを、許さざるを得ないくらいになるだろう。

 王宮の目が付いて回り、行動の自由が制限されるのは、ブランには不本意で、ルディにも不自由な思いをさせて負担をかけるだろうが、そのくらいが落とし所なのだ。

 「わかった。あいつの安全が第一ということは認める」

 言外に、目に余れば実力交渉も辞さないことを匂わせるブランだが、デューレイアはそれで十分だと思う。

 彼女を交渉窓口に置く行為で、主導権を半ば譲るまで引く。ただしそれは、万一の時には、ブランへの掣肘を外すことを前提としてだ。

 「過剰な干渉はさせないように努力するわ」

 デューレイアはリュレの口添えも得て、王国の軍権を統轄する軍務卿に面会を申し込むべく動き出した。

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