訪問者
デューレイアに案内された魔法ギルド長カレル・グラン・トウール、トゥルダス支局長代理のオルティエド・マユラがリュレの館を訪れたのは、それからしばらく経ってからのことだった。
「本来ならわたしが魔法ギルド本部に赴くべきなのだが、あまり人目をひきたくなかったのでな。足労をかけてもらった。済まないな」
加えて今は、無警戒で深い眠りについているルディシアールの安全をはかるためにも、リュレは館を離れるわけにはいかなくなった。
こちらはデューレイアに彼等を迎えに行かせた後で、リュレ自身によって引き起こしたことではあったが、実はある程度計算し狙ってやった面もある。
あの後、支障なく回復するようにと、リュレは眠るルディに上位の治癒魔法を施したため、明朝には完全に復調するはずだ。
ただしその分、眠りは深く、他人の手で着替えさせても、目覚める気配すらなかった。
当然、館に来客があっても、知る手段はない。
「いえ、リュレ殿のご用であればいつなりと」
「そうか。今日来てもらったのは、昨年来世話をかけていた件についてだ。まずは本日付で王宮の認可が下り、ルディシアールを正式にわたしの養子に迎えたことを知らせておく」
「なるほど。これでロワンも肩の荷を下ろせますな」
ルディシアールを養子に迎えるにあたり、トゥルダスのシエロ家との交渉役を務めたロワン支局長も、やっとその役から解放されほっとすることだろう。
ロワンの補佐をしていたオルティエドは、シエロ家との付き合いや娘のこともあり、露骨に表情には出したりしなかったが複雑な思いだった。
「カレル殿にも骨を折ってもらった。済まなかったな」
「いいえ、さほどのことは。ですが、本日はお話しいただけなかった事情を、教えていただけるものと思って参りました」
「ふむ、察しが早くて助かる。この後は、魔法ギルドにも手を打ってもらわねばならぬ事も多い」
軽く手の指を胸の前で組んで緩い笑みを浮かべる金の魔術師に、カレルは更なるやっかいごとの気配を感じた。
この女性が黄金の瞳をこのように煌めかせているときに聞く話は、今までの経験ではろくな事がなかったからだ。
しかし、同時にこの時点であれば魔法ギルドが有利に裁量を振るうことを許されるということでもある。つまりは魔法ギルド長としては、リュレの話を聞かないという選択肢がないということだ。
カレルが軽く頷くことで心得ていることを示すと、リュレは笑みを深くした。
「さて、カレル殿にはどこまでご存知かな」
「リュレ殿が養子に迎えられた少年のことであれば、しかるべき筋が掴んでいるであろうことは見当がついております」
視線で促され、カレルは言葉を続けた。
「彼はいずれ、我が国三人目の異名持ちとなるということでよろしいでしょうか」
琥珀の魔術師が絡んだ拉致事件については箝口令が敷かれたが、それはマルドナーク皇国との外交問題上の措置であり、異名持ちの関わりを世間一般から形として隠す効果しか無いのは王宮も承知の上であった。
琥珀と黒の魔術師が相対した時点で、被害者となった少年の情報は各国首脳部に知られたと判断されるべきである。当然、魔法ギルドのトップであるカレルも知ることとなった。
「そうでなくば、わたしはあれを養子にまではしなかっただろう」
それは肯定である。
同時にリュレにとってのルディシアールの立ち位置を、カレルは知ることになった。
リュレはルディシアールを、公私において庇護する位置に置いたと告げているのだ。
異名持ちの同類に対する執着ともいえる感情の存在を知る者は、実は少ない。異名持ちの存在自体が稀であるからだ。
その上で、国家間の思惑が絡むため、異名持ち同士の接触は皆無に等しい。
魔法ギルドの長であるカレルも、二人の異名持ちを擁するエール=シオンで、長年にわたるリュレとの付き合いがなければ、知ることはなかっただろう。
リュレはカレルに、それを踏まえて動けと言っているのだ。
そしてもう一つ、忘れてはならないのが滅多に表に出てこないエール=シオンの二人目の異名持ちの存在である。
カレルも面識はある。黒の魔法殺しは彼の少年の師だ。
「その上で教えておく、ルディシアールの固有魔法の属性は空だ」
「‥‥‥空と、おっしゃいましたか」
「あれはいずれ空魔法の異名持ちとなる」
あまりのことに、カレルは言葉を失った。
魔法ギルドの長だ。空魔法の有用性も希少性も十分すぎるほど知っている。
カレルは汗もかいていないのに、震える手でとりだしたハンカチで額を何度も拭った。
「どうやらわかってもらえたようだな」
「‥‥は‥はい。リュレ殿のなさりようがどうにも不可解ではありましたが、確かにこれは疎かには公にできませぬ」
異名持ちと空魔法、どちらか片方だけでも大事なのだ。それが二つ揃って一人の少年の裡にある。
とんでもないと、カレルは思った。
空の属性を持つ異名持ちの存在は、過去に知られていない。
いや、伝説としてそれに等しいといえる存在はある。遺跡にのみ痕跡を残し、異世界へ去ったと伝わる種族、エルフだ。
だが、そんなものは過去と伝説の中にのみ存在するのであるから良いのだ。
「落ち着け。要は扱いを間違えねば良いのだ。‥‥‥あの男なら、そう言うだろうな」
リュレのいうあの男の名が、カレルの脳裏に浮かぶ。
この国の軍を王の下で掌握する王宮の重臣だ。
つまりはそう言わせるように魔法ギルドは動けと言っているのだと、カレルは思い至った。
「リュレ殿、王宮はこのことを?」
「明日の午後、わたしの息子を陛下に謁見させるよう申し入れてある」
つまりまだ知らせていないということであり、リュレは魔法ギルドに一日のアドバンテージを与えたということだ。
リュレの心遣いに、カレルは頭を下げた。
「カレル殿、これは忠告として聞いてもらいたい。魔法ギルドは王宮と折衝しつつ、民間に対する空魔法の魔導具を管理するようになるだろう。だが、その利益を我が国の内のみに留めることはせぬことだ」
「それは他国にも利益を分配せよということでしょうか」
「いかにも。なにしろ我が国にはわたしとブラン、すでに二人の異名持ちがいる。加えて空魔法の三人目だ。いらぬ懸念を抱く輩も多かろう」
「なるほど、空魔法の魔導具を独占しないことで、他国の危機感を和らげようとおっしゃいますか」
「今のルディシアールの魔力であっても、周りを黙らせるくらいの魔導具は十分作れよう。主導権は王宮が譲らぬだろうが、それで構わぬ。言うまでもないだろうが、巧く立ち回られよ」
譲るべき所は譲り、ただし侮られぬように立ち回ることが肝要であると、カレルはもとより心得ている。
王宮と民間、さらには他国との間にあって調整を図るのは、魔法ギルドの本来の役割の一つでもあった。
「そちらはご懸念には及びませぬ。しかし、ご子息には相当な負担を負っていただくことになりましょうな」
「かまわぬ。それがルディシアールの身を護ることにも繋がる。扱いさえ間違えねば良い」
リュレとカレルの会談をひたすら黙って聞いていたオルティエドは、自分が何故ここに呼ばれたのかを考えていた。
このような重要な案件を話し合う場に居て良いものかとさえ思う。
トゥルダス支局長の代理として呼ばれたものの、これは一地方の支局長が口を出せるような話ではないのだ。
同時にオルティエドはルディを個人的に知るだけに心が痛い。
愛娘が心を寄せる幼馴染みの少年は、あまりに立場が変わってしまった。
魔術師の家の中でただ一人魔力を持たず、焦がれる目で魔法を見て、じっと何かを我慢をしていた少年を、オルティエドは思い浮かべる。
その子が異名持ちの卵であったと、金の魔術師が見抜いた時に、すべては変わっていったのだ。
リュレに名を呼ばれ、オルティエドははっと顔を上げる。
「オルティエド殿にはロワン殿の代理という形で来てもらった。その方が都合が良いのでな」
そしてリュレはオルティエドの疑問の答えとなる言葉を紡いだ。
その日、かなり夜も更けてから最後の一人がリュレの館を訪れた。
彼は玄関からでなく、リュレのいる部屋に案内を頼まずに直接姿を見せた。
「お前がここに来たのは、何年振りかな」
普段リュレが何とはなく好んで使っている庭園に面した私的な部屋、そこに現れたブランは、部屋の扉を開けたまま、入ることなく足を留めた。
室内は幾多の魔道具の明かりが灯され、書物を読めるほどであった。余り機嫌が良いとは言えなさそうな弟子の顔を見て、黄金を髪と瞳に持つ女性は面白そうに微笑んだ。
「師匠がルディを苛めていないか気になりましてね」
デューレイアに外泊許可まで取らせたというから、何と無く成り行きが読めていたがやはりということだろう。
「ルディシアールなら部屋で寝ている。朝まで目が覚めないだろう」
予想通りの答えに、ブランはルディに同情する。あれはキツイのだと、すでに何十年と昔のことだが、自分もやられた経験があるからわかる。
「そこまでする必要があったのですか?」
「少し頭を冷やさせただけだ。しばらく使っていなかったから、腕が鈍っていないか試させてもらったというのはあるな。手加減はしたぞ」
いけしゃあしゃあというリュレに、手加減は殺さなかったってことだろうがと、ブランは心の中でクソババアと罵った。朝まで寝込むということは、かろうじて意識が残っている程度までやられたということだ。
「子供相手に何やってるんですか。人の教え子で試さないでください」
自分のことを棚に上げているのは、さすが師弟だけのことはある。
普段の授業でしょっちゅうルディを気絶に追い込んでいるブランが言えたものではないが、ようは自分の教え子に手を出されたのが気に食わないのだった。
「‥‥まあそう目くじらを立てるでない。それにしても、原石をお前に預け、どのように磨くかと楽しみにしていたが、あそこまで歪まず育つとは、正直予想外だ。それに、随分と慕われているようだしな。悪い気はするまい」
生粋の魔術師であるがゆえに貪欲に魔法を吸収し、真っ直ぐに生来の才能を伸ばしている。ブランもまた、惜しげも無く自分の持つ技術も知識も教え子に注いだ。
正直、自分がこれほど慕われるとは思っていなかったし、同時にルディの存在がかけがえが無いほど重くなるとは、当初ブランは想像もしていなかった。
「そのせいか、随分入れ込んでいるようだが、少し甘やかし過ぎではないか。お前の教え子にしては、いささかわきが甘い」
入り口から、中に踏み入れようとしない弟子の用心深さに、リュレは口元を引き上げた。
自分のあの魔法の最大有効範囲内に入ることを嫌ったのだろう。扉を閉めないのも、部屋を閉ざすことで閉鎖空間、魔法の支配領域をつくることを避けるためだ。
もっとも、ブランも自身の魔法の射程を図っているのだからお互い様だ。
どちらの魔法も本来この程度の距離で威力に妨げがでるものではないのだが、なにしろ異名持ち同士である。用心に過ぎることはない。
このくらいの用心深さを、教え子にも仕込んで欲しいものだ。
「心外ですね。あれのボケは先天的なものです。確かに、あいつは人の悪意というものを、考えないようにしている癖があるようですがね」
「わかっているならなんとかしろ。素直すぎる」
「気にかけてはいますよ。ですが、貴女からすればオレでも未熟者に過ぎませんからね。あまり一緒にしないでやってください」
これで結構自分の性格の悪さには、自覚があるブランである。ついでに言えば、リュレも同類だと言っている。それをルディに求めるのは限度があるだろう。
特に非情さという面では、ルディに自分と比するそれを求めるのは、もとの性格上無理だと言っていい。
「それが甘いというのだ」
「周囲が知れば、変わらざるを得ませんよ」
今はまだルディのことは、不当な先入観の先行と、それを知る者達の複雑な思惑もあって、規格外の魔力も天才的な魔法の才もまだ公然となっていない。
だが、空魔法の存在を含め、いずれ異名持ちとなるルディの力が明らかになれば、周りの目が変わる。そうなれば、嫌でも今のままではいられないだろう。
それは何も学校内のことだけではなく、もっと馬鹿で愚かしい連中を含んでいる。
そしてその中には、国というものを動かす者すらいるのだ。
「お前にしては随分と楽観的ではないか」
「潰させる気がないだけです」
「なるほど、わざわざ此処に来るくらいには、やる気になったということか」
呆れたような物言いだが、食えない師匠が実はそこまで読んでいたのは、腹立たしいが明らかだ。
「過保護にならない程度にとは思いますが、タチの悪すぎるのもいますしね」
「筆頭はユエの情報屋だな。琥珀の件ではお前の周囲を執拗に探っていたようだ」
「みたいですね。本人ですら自覚の無かったものを、探そうと躍起になっていたようです。オレが怖いらしくて、直接には手を出してきませんでしたが」
空魔法を使われようと、それが微かな痕跡であっても見逃すほどブランは甘くはない。
「鬱陶しいしな。とりあえず手を潰すことだ」
「良いのですか。逆恨みで仕掛けてきますよ。それにルディを巻き込みます」
「不服か?」
「自分の身は護れと言いたいところでしょうが、手に余るところをオレが補うにしても限度があります」
大本を直接潰すことが憚れる以上、面倒だが向こうから手を出させておいて、手先を排除するついでにその触手をすべて叩きつぶす。
あるいは逆にルートを乗っ取ってやってもいいだろう。ルディとブランがいれば、どちらの選択も可能だ。
リュレの狙いはわかるが、ルディシアールに相当な危険が及ぶことは避けられない。
「どのみちルディシアールの魔法が表に出た以上、おとなしく傍観する奴でもあるまい。最終的にルディシアールの身が護られれば構わぬ」
ブランもそれは最初から承知の上だ。ルディの安全を口にしたのは、自分が護るべき者が彼一人につきることを改めて表明したに過ぎない。
そのための損失をリュレがどこまで容認するつもりなのか、ブランは確認したのだ。しょせんすべてを護りきれるものではないのは、わかりきっている。
「多少、ルディに恨まれるのはやむを得ないとは思っていますがね」
できれば避けたいとは思うが、ルディの大切な者を犠牲にすることも、必要であればブランは躊躇わない。リュレもだ。
その結果、ルディが泣いても、甘んじて責められるつもりだった。
また、そのためにリュレがルディの周囲から弱味となり得る者を引き離すよう動いていることも承知の上だ。
「それこそ気にせずとも良かろう。心配せずともルディシアールはお前から離れぬし、お前を裏切ることはない」
「知っているつもりです」
ルディは彼の者とは違う。ブランを裏切って死を選んだ、かつての親友ではない。
ブランの負った傷を癒やせる唯一の存在となることを期待して、リュレはルディシアールを彼に与えたのだ。
それをブランの心が認めるのを、リュレはみていた。
理屈と感情のどちらでもとっくに攻略済みだ。自分でもとうに自覚しているくせに、まだ怖がっているのを、しようのない奴だと苦笑する。まったく、手のかかる弟子だ。
「直接攻撃に及んでくる者の処分は任せる。あぶり出すのもいっそ派手にやれ」
言外にリュレは手段を問わない承認を与えた。自分の養子、そしてブランの教え子と承知で手を出す輩など、見せしめ以外に価値はない。
「人使いの荒い人だ」
いろいろ面倒になって、研究の面白さを口実に、世間から引きこもった自分を、引き摺り出すための丁度良い機会だという、怖い女の思惑に嵌るのは気に食わないが仕方ない。
そのくらい、あの存在は失えないものとして懐に入ってきてしまっているのだ。
「サボリもそろそろ飽きた頃だろう」
「オレは別に治に乱を求めようとは思ってもいない、むしろ怠惰な人間なんですけどね」
「暇が続くとロクなことを考えないものだ。腕は錆びてはおるまいな」
直接仕掛けてくる者の排除を任せる以上、対処できないでは洒落にならない。もちろんこれは軽口の類だ。
「多少なまっているかもしれませんね。評価はハルドレッドにでも聞いてください」
苦笑した空気を残し、立ち去ると同時にブランの気配は消えた。
入れ代わりに現れた微かな血の匂いに、リュレはそちらに注意を移す。
「申し訳ありません」
「よい」
それだけで、負った傷が癒える。ハルドレッドは、その場で一礼をした。
「済まぬな」
「いいえ、仕掛けたのはこちらでございますから」
わざと侵入者を装ったブランの当て付けに乗せられ、否、半ばは自ら乗った手合わせの結果だ。怖い方だと、格段の腕の差にハルドレッドは身震いを禁じ得ない。
「こうもあっさりと、館の守りを無効化されるとは、さすがに自信を失います」
「子供じみた真似を」
呆れた微笑を浮かべ、リュレはルディが眠っている部屋の方に視線を向けた。久し振りに訪れたこの館の守備を、ブランは試したということだろう。
まったく、どの口で過保護でないと言うかと、リュレはヒネた弟子に向けて呟いた。




