養子
その日の朝、いつもと変わらずエルはルディを起こしに寮の部屋を訪れた。
「おーいルディ、いい加減諦めて起きろ」
エルはしぶとく布団から出てこない幼馴染みに焦れて、いつ最終手段に出ようかと考えていた。
「ローレイはとっくに行っちまったぞ!ったく」
足元から布団をはげば、くるんと丸まった少年の体が冬の空気にさらされる。
「‥‥‥うー‥‥眠い‥‥」
さすがに諦めて体を起こし、ルディは目をこすって力技で起こしてくれた幼馴染みを寝ぼけた目で見た。
「おはよ、エル」
「おはようって、お前な」
さっさと着替えて飯食いに行くぞと、エルは手間かけやがってと言いつつルディを急かし、自身は世話のかかる幼馴染みの分の朝食も用意しておこうと先に食堂へ向かった。
「おっそーい」
朝食の時間ギリギリに食堂に駆け込んできたルディを、フローネが口を尖らせて迎えた。
「ごめん」
「ったく、今日は一段としぶとくてよ、コイツ」
大慌てで朝食をかき込むルディを、エルが呆れた顔で見る。
まだまだ眠そうなルディに、フローネも仕方ないなあという表情をしていた。
「今日はちゃんと授業に出るよね」
昨日、ルディは教室へ行かず、朝からブランのところに居たのだ。しかも、一昨日も昨日も寮の門限ギリギリまで帰って来なかった。
「うん、試験勉強あるし」
遅刻寸前で教室に入った三人は、慌てて席に着いた。
ところが授業が始まってしばらくすると、ルディが睡魔に襲われたようで、コックリと頭が揺れ出す。
「‥‥ったく‥‥」
エルがそれに気がついて時折目をやる。
根が真面目なルディなだけに、座学はきちんと受けているのだが、たまに我慢しきれずに居眠りをしてしまうことがあった。
ブランの指導の様子を知っている先生などは、少しくらいは大目に見てくれるが、一応注意はされる。
「今の授業はスレイン先生だったから見逃してくれたんだぞ」
放課に机に突っ伏したルディには、その分エルが説教をした。
「だって昨日の先生の戦闘訓練、厳しかったんだよ。デューア姉さんも酷いんだ。ちょっとやり過ぎただけじゃないか」
大人げなくも、あの後ルディをいつも以上に扱きまくったデューレイアだ。
目を瞑ったまま言い訳するルディに、詳しい事情は知らないものの何となく雰囲気は察したフローネが微笑う。
「サルーディとか、他にも居眠りしてたのいたけどね」
「試験前だってのにな。課外訓練で実技に備えるってより、奴ら筆記試験捨ててないか。最初から追試覚悟とは良い覚悟というよりバカだろ」
いくら戦闘科における試験で筆記と実技の占める割合が三対七でも、筆記で赤点取れば追試だ。
「聞こえてるぞエルトリード。オレ等はな、バカな分実技に賭けてんだ」
筆記が赤点で追試になっても、実技で筆記の点数不足を補える評価を取れれば、追試は受けるだけで試験はクリアできる。
「威張ること?それ」
胸を張って言うサルーディに、フローネはあきれ顔だ。
「ちょい待て、サルーディ。オレ等って言ったな」
「おう、言ったがどうした、火魔法バカのナイルカリアス」
今年になってから何故か一緒になって課外訓練をしているサルーディとナイルカリアスだ。仲が良いのか悪いのか、クラスメイト達にもイマイチはっきりしない。
コイツは今のバカは絶対、頭の悪いバカの意味で言ったと、ナイルカリアスはサルーディに拳を突きつけた。
「バカにバカと言われるほど頭にくることはねぇ。テメェはぶちのめす!」
「やってみろ。俺の雷で返り討ちだ」
勝手にじゃれ合いを始めた二人に、エルもフローネも処置なしと肩をすくめた。
「こいつらは放っておいて。ルディ、お前実技試験は免除だろ」
こいつ等みたいに、試験対策でヘトヘトになるまでやることないんじゃないかとエルが言うのに、ルディは例によって愚痴半分、賞賛半分のぼやきを口にした。
「先生が厳しいのはいつものことで、試験関係ないよ。昨日は特別キツかっただけで。でもって、僕なんか相変わらず掠ることもできないし。そりゃあ僕は先生の言うとおり未熟者だけどさ。先生が凄すぎるんだ」
ルディシアールがまるで勝てないなんて、噂に聞くアイツの師匠はどんだけ化け物かと、取っ組み合う寸前だったサルーディとナイルカリアスも動きを止めて顔を見合わせた。
「ルディお前な、そこが間違ってないか。今わかった。最近のお前のボケが酷い原因はそれだ。黒の魔法殺しだぞ。お前の先生を基準にするな」
物凄くエルは納得した。尊敬や敬愛を通り越して、ルディはブランを盲信するあまり常識を蹴飛ばしてしまったのだ。
常識外の存在を基準にしたら、そりゃあボケも酷くなるはずだ。
しかし哀しいかな、気がついても無駄であることをエルはまだわかっていない。
「スレイン先生も僕の基準が先生だって言ってたけど、それって問題?」
きょとんと机に懐いたまま首を傾げるルディに、エルは自分があえなく玉砕したことを悟った。
「今、黒の魔法殺しっつったな」
こそこそと、ナイルカリアスがサルーディに耳打ちする。
「言った。それって王国の二枚目の異名持ちで間違いないよな」
「多分、オレ黒の魔術師としか」
異名をフルで知らないと、ナイルカリアスは告白した。
「安心しろ、オレもだ」
後で調べておこうと二人して思う。
「学校にいたんだ。で、アイツの師匠と」
ちらりと、サルーディはまだ机に突っ伏しているルディに目線を流した。
「なあ、ひょっとしてルディシアールってアレか?」
自分でバカと言っているが、サルーディは案外鋭い。言われても思いつかないナイルカリアスよりは。
「アレ?」
「アレだ。ったく、だから火魔法バカは」
「なんだと、テメーやっぱりやるか!」
「そこの馬鹿者共!さっさと席に着け」
教壇の横に立ったファルニアの怒声が二人に降り注いだ。
午前中を教室で過ごしたルディは、今日の昼食を何にしようかと考えながら研究室へ向かった。
「昨日のシチューの残りがあるから、それでポテトパングラタンを作って、後何かデザートに甘いものが欲しいかな」
明日の休みは魔導具作りをするつもりだったけど、ちょっと学生街へ行って、果物と野菜を買いだめしておこうと思う。作ったばかりの収納庫に入れておけば、いつまでも新鮮だ。
「ルディ、ちょっといいかしら」
「デューア姉さん、昼食取ってあるよ」
昼食を終え、練習着に着替えて裏の荒れ地に行こうとしていたところへ、デューレイアが顔を出した。なにか、珍しく固い表情をしている。
「悪いけど、今日は急ぐからいいわ。貴方も制服に着替え直してちょうだい。今から出かけるから」
ブランに今日は授業は休みにしてもらう旨を告げる。学校には外泊届まで出してあるという。
「王宮の承認が下りたから、学校の方も今わたしが代理で手続きを終えてきたわ。それでリュレ様に、ルディをお館に連れてこいって言われたの。貴方も来る?」
「ババアのところへか。やめておこう」
できれば近寄りたくないと、ブランは言った。デューレイアも無理は言うつもりはなかったので、制服を着たルディを連れて魔窟を出た。
「厩舎に騎竜を預けてあるわ。その前に事務所に寄っていきましょう」
学校外への外出および外泊の許可証を受けとるためだ。
「外泊って遠いんですか?」
「いいえ。王都内だし、騎竜の脚ならそんなに掛からないわ。外泊許可は、念のためかしらね」
「あれ、ルディ?」
事務所の前で偶然エルトリードと顔を合わせた。
「エルも外出許可?」
「うっかりインク切らしちまってさ。ついでに練習着買い換えねぇと、ちょいきつくなってきたんだ。フローネは先週手紙で親父さんが王都に来るって知らせてきただろ。一緒に食事に行くことになってるって、昨日のうちに許可取ったって言ってたぜ」
インクだけなら校内の購買で事足りるが、どうせなら他の買い物も一緒にしておこうと思ったらしい。
ちなみに私事での外出許可は前日までに、外泊許可は三日前までに申請しておくのが原則だ。
「あっそうだったよね」
「大丈夫よ。ブランの所へ行く前にわたしが申請しておいたから、特例で認めてもらったわ」
「うわ凄っ」
エルの灰緑の目が大きく見開かれ、ルディの横に居る美女を凝視していた。ただその視線が、デューレイアの豊満な肢体、特に大きく張り出した胸に固定されているのは、やっぱり男の子ということなのだろう。
「なーに見てるのかな、君は」
男性の視線を集めるのは慣れているデューレイアだから、別に怒っているわけでもなく、ルディの友人のちょっと良い感じの男の子だから、ついイタズラ心が出ただけだ。
「いえ、あの‥‥‥綺麗ですね」
思いっきりガン見してしまって、気まずげにエルは目を伏せた。
「あら、ありがと」
男の子よねと、デューレイアは笑いながらあしらっていたが、この年頃の男の子にも、自分の魅力が通じるのに満足していた。
身体は若いくせに枯れてるんじゃないかと思う朴念仁のブランや、まだちょっとこの方面には幼いルディとは違い、露骨でも可愛い反応は女の自尊心を良い感じに満たしてくれた。
「おいルディ、お前外出許可って、こんな胸でけぇお姉さんとかよ」
「そうだけど、この人は僕に剣を教えてくれている先生だから」
「うわっ、なんつー羨ましい。お前が言ってた姉さんってこの人か。ずりぃぞお前っなんで今まで紹介してくれなかった」
友達甲斐のない奴めと、おどけながら本気で羨ましがっているエルを、ルディは呆れた目で見ていた。
デューレイアの恐さも知らずに興奮しているエルに、それなら一度教えて貰えば良いんだと言ってやりたい。
「それじゃ、今度教えてあげようか」
「ぜひっお願いしますっ!オレ、エルトリード・レイスって言います。ルディの幼馴染みで二年次の戦闘科です」
「デューレイア・イル・ヴェーアよ、よろしくね」
デューレイアの本性を知らず、躍り上がって喜ぶエルに、ルディは後悔しろと、この時は心から思った。
「うふふっ楽しみが増えたわ」
「エルは僕と違って、腕が立つから。でも本気?」
「もちろん。機会があればね」
機会がなくて落胆するのか、機会を得てデューレイアの剣を味わうのか、どちらを幼馴染みのために願ってやるべきか、非常に悩ましいところだ。
はしゃぎながら授業へと走って行ったエルの後ろ姿を、ルディは幾分かの同情混じりに見送った。
事務所の生徒窓口に行けば、デューレイアの言ったとおり、外出と外泊の許可が出ていた。だが、それだけではなかった。生徒身分証明証を新しい物と交換するというのだ。
「新しい生徒証ができていますから交付します。外出許可証、外泊許可証も書き換えてあります」
新しい生徒証ってなんのことだろうと思いつつ、ルディは今までの生徒証を窓口に出し、言われるままに手続きを取った。
左手を差し出すと、薬指の先を焼いて消毒された針で刺される。
ちくりとした痛みに、反射的に治癒魔法をかけようとして我慢した。ぷくりと丸く滲み出た血を、受付の大きな魔石と、新しいカードに埋め込まれた極小の魔石に付けて、受付の女性職員は確認の登録を済ませる。
当然、指先の小さな傷はすぐに治す。指先の傷は小さくても結構痛いのだ。
「名前が違う」
受け取った真新しい生徒証の名前が変わっていた。そこに記されている名は、『ルディシアール・クリシス・ヴェーア』となっていた。
「あのっ」
「ルディ、事情はリュレ様に聞きなさい」
受付に言おうとしたルディの肩に手を置いて止め、デューレイアはそのまま右腕を掴んで事務所から連れ出した。
「デューア姉さん、ねえっ」
事務所から厩舎の間の、人気のないところで、デューレイアは歩きながら口を開いた。
「それが今日から貴方の名前よ。貴方はリュレ様の養子になったの」
新しい名前から推測は出来ただろうが、あまりに突然のそれを受け入れられるかというのは話が別だった。
それからずっと押し黙ったままのルディを、厩舎の前まで引っ張ってきて、デューレイアは騎竜を出してきた。
ルディの前まで来ると、騎竜は緊張したように軽く喉の奥で唸った。
世の中には獣に好かれる体質の者がいる一方で、嫌われる者もいる。その要因には様々なものがあるという。
その中の一例に、魔力の高い魔術師と竜の相性というものがあった。
竜が自身に影響を与えるほどの強い魔力を持った存在を前にした時、波長が合えば好かれる方に傾き、合わなければ嫌われる。
これはもう本当に魔力の相性であり、どうしようもないといわれていた。
それでも、調教され人に馴れた竜は、ある程度は抑えられるため、相性がよほど悪くても竜に触れることができないくらいで、攻撃されるようなことは滅多にない。
ただ、ルディの場合は少し事情が違う。
人としては魔力が強すぎて、相対した場合、竜が警戒して威嚇行為をとるのだ。
自然界において強者である竜ではあるが、自身を脅かすような相手に対する本能的な反応である。
これが異名持ちくらいになると、人に使役されるような下位竜では圧倒的な格差を悟り、無条件で恭順するようになる。
さすがにまだルディではそこまでいかないが、対処法は学んでいた。
できるだけ魔力を抑え、敵意のないことを示す。それでも駄目なら、逆に全開にして威圧する。
異名持ちともなれば、滅多なことではお目にかかれない、それこそ出現が国の存亡に関わる大災害ともなりうる上位竜の古竜にさえ匹敵するといわれているのだ。
その卵であっても、現状でそこらの下位竜を容易に圧倒できる魔力はある。
ブランには、面倒だから最初から威圧しておけと言われていたが、まずは穏便な手段をとってしまうのは、やはりルディの性格からだ。結局は、同じことになってしまうが、そこは気持ちの問題だろう。
ちなみにデューレイアの騎竜とはとっくに対面済みであり、狩りに同行したこともあるため、ルディに今更こんな態度を取ることは珍しい。
自身の動揺からくる気の乱れを騎竜に感じ取られたルディは、戸惑った視線を向け、しばらく無言で睨み合うようにしていた。
それでもデューレイアが騎乗して宥めるように手綱を引けば、騎竜もなんとか落ち着いてルディを乗せる。
ルディを騎竜に引きあげて自分の前に同乗させると、デューレイアはしばらく無言で騎竜を歩かせた。
「そんなにショックだった?」
少しはショックを受けるだろうとは思ったが、こんなに動揺するとは予想外だった。
でも考えてみればまだ子供なのだ。どんな魔法を使っても、才能があっても。分かっているつもりだったが、それは大人の感覚だったのかもしれない。
「だって、いきなり‥‥‥デューア姉さんは知っていたの?」
「ええ」
「何時から?」
「養子の話は、貴方と初めて会った日からされていたわね」
淡々と、事実だけをデューレイアはルディに答えた。
「そんなに前から‥‥‥なんで僕に教えてくれなかったんですか?」
「必要なかったからでしょ。貴方に教える意味がない」
「僕のことなのに」
「そうよ。貴方が知っても、何も変わらなかった」
残酷だが、これが事実だ。
たとえルディが何を言っても、彼の意思など無視してリュレはこの話を進めただろう。彼女にはそれだけの力がある。必要だと思えば、躊躇うような人ではないのだ。
「先生も知っていた?」
「ええ」
「反対しなかった?」
「反対する理由はなかったと思うわ」
前を見たまま、デューレイアはきっぱりと言った。