校外授業
ルディが二年次戦闘科一組の皆と、十九対一の模擬戦をやらされた直後、デューレイアが言った。
「狩りに行くわよ」
「行きましょう」ではなく「行く」だ。
「でも授業が」
「校外学習って便利な名目があるでしょ。ブランが一緒なら実習で片付くわ」
学校にはすでに申請済みだという周到さに、隣で同行決定されている講師が、諦め半分呆れ半分の顔をして聞いた。
「何処へ行くつもりだ?」
「ロンデール大森林と言いたいとこだけど、マリエラ森林かクロウレン森林なら日帰りも可能だし、手頃よね」
デューレイアのあげたのは王都近郊のメジャーな狩り場だ。ただし、初心者向きではなく、大物狙いの玄人向きの森林である。
「明後日から二日のお休みを取ったの。一泊二日で用意してね」
こっちの予定は無視だ。いや、一応大まかな予定はデューレイアにも連絡しているので、ある程度は把握した上で言っているのだろう。強引なのは否定できないが。
「お前、もうちょっと早く言え」
それでも、さすがにブランも一応の文句は言っておく。
「だって、休みが取れるか微妙なとこだったのよ」
察するに、休みを無理矢理もぎ取ったのだろう。
「俺は良いが、コイツの支度があるだろう」
「そう言うと思って、ちゃんと用意してきたわ。ほらルディ、着てみなさい」
秋から冬に向けた狩り用の衣服一式と、厚手のマントをポンと置いた。何か荷物を持っていると思ったら、ルディの装備一式だったらしい。
「防水と耐熱耐寒の術式は、ブランに付与してもらえばいいわよね」
できるかどうか聞かないあたりは、ブランだからというデューレイアの偏見に基づいた認識ゆえだ。もちろんできるが。
「‥‥‥ルディ、教えてやるからお前自分でやってみろ」
「はい」
やっぱりそうなるかという顔で、こちらも諦めた表情の教え子が素直に返事をした。
用意してもらったのはありがたいが、それでもいろいろと言いたいことはある。
その最たるものは、ぴったり合った服のサイズだ。いまだに差し入れしてくれる練習着もだが、成長期でどんどん変わっていく自分の身体のサイズを、どうしてこの女性は知っているのだろうということにつきる。
「あらそんなの、男を見る女の観察眼を舐めるんじゃないわよ」
気になってつい聞いてみたら、怖い答えが返ってきた。
「それ以上追及するな」
頭を抱えながらブランがルディに忠告する。
獲物を見る女の観察眼だけでもないだろうが、とにかくデューレイアは純真な青少年には刺激が強すぎる女性だ。冗談でなく狙われているのだと、教え子にはとても言えない。
夜明け前に学校を出た三人は、日が昇りきる前に目的のクロウレン森林に着いた。
こんな時間に出かけるなんてと、ぶつぶつ言いながら通用門を開けてくれた係の男性は、門の前で待ち合わせていたデューレイアに魅惑的な微笑み付きの挨拶をされ、あっという間に機嫌を良くしていた。冬の狩り服を着ていても十分存在を主張する胸など、肉惑的な美女は、男にはさすがの威力である。
「‥‥‥こいつ等、絶対おかしいわ」
それが通じない師弟に、常々デューレイアは憤懣やるかたない思いをしていた。
ルディも十三歳であり、その歳の男の子なら性への興味が芽生えてくる年頃だ。とはいえそこは個人差もあるし、ルディはその辺まだまだ幼いといえるからともかく、本命のブランに対しては女としての矜持がズタボロだ。
黒髪と銀髪の師弟は例によって自作のゴーレム馬で、デューレイアは騎竜だ。どちらも並の馬では及ばない脚で走ることができるため、ペースはかなり速い。
先頭はブランで、ルディを間において後ろがデューレイアだ。
「考えてみれば異名持ちで妻帯者って聞いたことないわね」
騎乗しながらデューレイアは独りごちた。
知る限りの異名持ちは全員独身だ。その寿命の長さや、デューレイアが知る同類以外に執着しない性質を考えれば納得出来なくもないが、そこはそれだ。
デューレイアも別に結婚したいとか思っているわけではないのだ。すでにブランに対する気持ちは意地になっているものがあると、自分でもわかっている。
女のプライドをかけた意地だ。馬鹿だと、自分でも嗤ってしまうくらいだ。
人として壊れていると、ブランは自身を含め異名持ちのことをそう言っている。ルディを見ていても、否定出来ないとデューレイアも思う。
そして彼等はそれを受け入れているのだ。
どこまでも女でしかない自分は、そこが気に入らないのかもしれない。
「まあいいか。付き合っていて暇しないしね」
結局の所、それが現在の本音である。多少刺激が強すぎるところもあるが、面白いで済ます自分が、かなり物好きな質であると自覚しているデューレイアには問題なかった。
何しろブランもルディも中身が壊れているにせよ、見た目は極上なのだ。面食いで強い男が大好物のデューレイアにとっては、見逃せない獲物である。
クロウレン森林に着いて早々に大物と遭遇した。最初から大物狙いで奥に踏みいったということはあるが、いきなりである。
「ねぇ、前のワイバーンといい、この鎧熊といい、ルディ、アンタ大物呼び寄せる癖があるんじゃない」
「僕ですか?」
「お前しかいないだろう」
ブランにも肯定されてしまったルディは、しみじみと死体になったばかりの馬鹿でかい鎧熊を見下ろす。
狩りの獲物は傷が少ないほど良いので、地面に落とし込むなど地縛で動きを封じて喉を風弾で狙い撃ち、そのまま絶命を待った。
「しっかし大きいわね。ここまでの大物は滅多にでないわよ」
「専門の解体屋に任せた方が良いだろう」
要するに面倒なのだろう、ブランがそう提案すると、デューレイアも異議なしと言う。
「それにしても、魔法鞄がないのは不便ね」
あれがあれば、この位の獲物でも持ち運ぶのが簡単なのにと、デューレイアがぼやく。
「魔法鞄ですか」
「そうよ。ブランも一個持っているんだけど、今は人に貸してるのよ。ウチの親戚、っていうかわたしの従兄の息子なんだけど、バルダール迷宮に潜っているんで、ブランの魔法鞄借りてるの。ほら、ブランは引きこもってるから当面使わないし、丁度良いからって。そろそろ一年半になるわね。確か二年の約束だったかしら」
こんなことならリュレ様のを借りてきても良かったというデューレイアに構わず、ブランは目の前の処理を優先する。
「とりあえず血抜きだな。それから土魔法で台車作って運ぶか。デューア、先に解体屋に話付けておいてくれ」
「わかったわ。頑張ってね、ルディ」
つまり僕がやるのかと、ルディがブランを見れば無言で頷かれた。
森を出た所にある集落にある解体屋に獲物の鎧熊を持ち込むと、すぐに人集りができた。
「間違いねぇ。あの殺し屋大鎧熊だ」
「すげえな、噂以上のでかさだ」
どうもクロウレン森林で、何人もの狩人が犠牲になっている有名な鎧熊だったようだ。
運び込まれた鎧熊を前に、解体屋のオヤジは首を捻った。
「しかし、どうやって殺ったんだ。鎧熊の皮は普通の刃物なんか弾いちまうし、よっぽど威力のある魔法でもなけりゃ‥‥‥って、傷がこれだけ‥‥‥嘘だろ」
血抜きのためのものを除外すれば、首を貫通している小さな傷が一つだけだ。
「地縛と風弾一発だったわ」
「ねーちゃん、嘘はなしだぜ。風弾なんかがこの鎧熊に通じるわけねぇだろ」
信じられないと解体屋のオヤジさんがデューレイアに苦笑いして言ったが、それも無理はないと思った。
自分だって、ルディがあんまりあっさりと倒してしまったので拍子抜けしたくらいだ。
「どうしたデューア、手が足りないようならルディに手伝わせるが」
ブランが自分でやるとは言わず、何事も経験だと、できることはルディに振っているのはいつものことだ。ルディも文句を言わない。
「黒のブラン!」
誰だったかなと、ブランは自分の名を知っている解体屋のオヤジを見るが、どこかで会っている気もするが思い出せなかった。
「ロンデール大森林で狩人をやっていたカリフードだ。引退して生まれ故郷に戻ってきたんで、解体屋をやってんだ」
「ああ、ロンデールで案内を頼んだ狩人か」
初めて訪れるところや、その他にも森によって必要な場合は、案内役として狩人を雇う。地元の狩人との関係もルールもあるからだ。
また、ブランは自分ではやらない解体を任せるため、足手まといにならないようなら、狩人を同行させることが多かった。
ちなみに最後にブランがロンデールへ行ったのは六年くらい前になる。
エール=シオンでも最大級の森林であるロンデール大森林は王都から片道六日かかるため、そう簡単には行けないのだ。とはいえ、引きこもっているわりには、結構あちこちへ狩りに出かけていたりするブランだった。
ブランの方で覚えていなくても、なんと言っても異名持ちであるしこの美貌だ。相手の方はまず忘れることはない。
「黒のブランなら殺し屋鎧熊を風弾一発で仕留めても当然だなぁ。初級魔法でも魔力と使い方一つだということを、つくづく思い知らされたしよ」
「言っておくが、コイツを仕留めたのは俺じゃない。俺の教え子だ」
「このねーちゃんか?」
「いや、こっちだ」
銀髪の美少年を目にしたカリフードは、思わず目をごしごしと擦った。
「黒のブランの弟子か。コイツも見た目通りのガキじゃねぇんだろうな」
細い、荒事なんてまるで関係なさそうな美少年だが、師匠だってアレだ。つまりは中身は化け物級だということだろうと、元狩人として幾多の魔獣とも渡り合ってきたカリフードは疑いもなく納得したのだった。
「それでコイツの処理はどうすれば良い?」
「魔晶石と肉以外はすべて売却する。肉もこれだけでかいからな。全部はいらん」
交渉の結果、解体料は売却部位との精算の結果タダになったばかりか、かなりの収入になったのは、モノが大鎧熊であるだけにむしろ当然だった。
「鎧熊って美味しいのよね。ま、ワイバーン程じゃないけど楽しみだわ」
解体してもらったら早速焼いて食べましょうと、すっかりデューレイアは食う気満々だ。熟成させた方が美味いのは当然だが、それは後日の楽しみである。
あまりの大きさに、屋外に土魔法で臨時の台を作って解体をすることになった。台の製作も鎧熊の移動も、やったのはもちろんルディだ。
「ルディ最近魔力の制御すごく巧くなってきたわね」
「俺の指導の賜物だ」
自分で言うかな、この男はと思いつつ、事実ではあるのでデューレイアもあえて反論はしない。
実は成長期はじめの急激な上昇がようやくおさまってきて一時的な安定期に入り、魔力の上がり具合が比較的緩やかになってきたためでもある。
正直ブランはホッとしている。最悪でも成長期は越えられる見通しができたからだ。
「で、どうする?」
「うーん、鎧熊以上の大物ってないわよね。でも、猪とか鹿とか」
舌なめずりするデューレイアに、やれやれと思う。まあ、料理するのはルディだし、美味いものは大歓迎だ。
なんだかんだ言いつつ、ルディの料理はブランの舌にも合っていて、この頃では昼食だけでなく夕食もルディと隣のリリータイアが作っているくらいだった。
もっとも、それはルディがリサーチを重ねている結果だ。食べてもらう人の好みにそって作っているのだから、ブランの嗜好に合って当然といえる。
「いらんものは売れば良いか」
「そうよね」
欲望に忠実に合意する大人二人に、カリフードは今までの流れからして扱き使われるであろう美少年に同情しつつ、釘を刺す。
「頼むから一人一頭程度に抑えてくれ。狩りにきているのはあんたらだけじゃねぇんだぞ」
大鎧熊をあっさり仕留めるような連中だ。根こそぎ狩られてはたまらない。
わかっているわというデューレイアの返事に、それでも不安を覚えるカリフードだった。
入学から四ヶ月。この頃になると一応効果の認められる回復魔法を発現できる者が出てくる。
治療院での実習で、クラスで三人目に回復魔法を使えるようになったのは、サルーディの妹のリンテーラだった。
「きゃーやった!」
先生に成功だと言われ、思わず歓声を上げてしまう。
「やったじゃない、リンティ」
「あーあ、先越されちゃったか」
友人達も、なんだかんだ言いつつ喜んでくれるのに、リンテーラは満面の笑顔を浮かべた。
「こら、嬉しいのはわかるが静かにしろ。治療中だぞ」
先生に注意され神妙に謝るが、嬉しさに頬が緩むのは止められない。
「詠唱は正確にか。お兄ちゃんの言ったとおりだったね」
友人に言われ、リンテーラはうんうんと頷いた。
初心者は特に正確な詠唱が魔法成功の秘訣だと、兄のサルーディに言われたことが正しいことだと実感できた。
「よろしいアリアルーナ君、二度目の成功だ。おめでとう」
向こうで、昨日クラスで二番目に成功したアリアルーナが、今日も回復魔法を発現できたようで、先生に褒められていた。
魔力の高さもあって、アリアルーナはクラスで一、二を争う成績優秀者だ。
「アリアルーナは二度目か。あたしもマグレにならないように頑張らなくっちゃ」
むんっと気合いを入れるリンテーラの近くで、先生達が指導の合間に小声で会話をしていた。
「彼女は『優秀』で何より。いや、『彼』の妹ということで最初はどんなものか心配しましたからね」
「ですよね。あんなことが二年続いてはたまりませんからねぇ」
「まったく、普通に優秀なのが何よりですよ」
なんとも意味深な会話だと、聞くつもりもなかったが耳に入ってしまったリンテーラ達は揃って顔を見合わせた。
「ね、今のってお兄ちゃんの言ってた、金の魔術師様のお気に入りって人のことだよね」
こそこそっと、小声で内緒話をする。
「そうそう、アリアルーナの兄貴のこと。わたしこっそり先生に聞いちゃったんだ。例の入学試験での回復魔法って、その人だったんだって」
秘密だって言われたけど、カマかけて聞き出しちゃったと、イタズラっぽく笑う。だからアンタ達も内緒にしてねと。
「やっぱり。リンティのお兄さんの話で、わたしもなんとなくそんな気がしてたんだ」
「ねぇ、あたし思ったけど、今の先生達のお話も、知ってるのと知らないのとじゃ全然違って聞こえるよね」
「リンティってば鋭い」
女の子が三人寄れば、ついつい姦しく話が弾んでしまうものだ。小声の会話もそのうち先生の耳に入ることになる。
「こらっリンテーラ君、一度成功したからと言ってサボってちゃダメだぞ。君達も」
「はいっ、済みませーん」
怒られちゃったねと言いながら、三人は気合いを入れながら授業に集中しようと努めた。
火から降ろしたばかりの鍋からよそった熱いシチューを、ふうふう言いながら食べる。
「冬はやっぱりシチューよね」
最近では昼食をちゃっかりブランの研究室で食べさせてもらっているデューレイアが、望み通りの美味しい料理を堪能している。
今日のシチューは猪肉にハーブを効かせ、一晩じっくりと煮込んだ一品だ。
「やっぱり煮込み料理はお姉さんのが一番美味しいです」
シチューを作ったのは隣の研究室の主リリータイアだ。ブランより一つ年下の彼女は、ルディの煮込み料理の師匠でもある。
「ルディちゃんも上手になったわよ。でもスープは手間暇をかけてじっくりと煮込むのが一番なのよ」
さすがに生徒として学ぶ立場にあるルディが、料理にかかりきりになるのは無理だ。その点、リリータイアなら研究の傍で、火にかけた鍋の管理もできるということだった。
材料の肉は魔法で冷凍保存してあるもの、干し肉に加工したものなど、狩りの獲物が山程貯蔵されていたりする。
これから本格的な冬を迎えるにあたり、肉は買わなくても大丈夫なくらいたっぷり蓄えられていた。
外は寒くなってきたが、この研究室は暖かい。原因は部屋を暖める魔導具があるからだ。貴族の館でも普通は暖炉の類であり、魔石に魔力の補充が頻繁に必要となる暖房の魔導具など、王宮の一部かよほどの大貴族の館にしかない。
ここにあるのは、もちろん魔力の無駄使いを何とも思っていない研究室の主である異名持ちのせいだ。その教え子の方は、寮の自室へ暖房の魔導具を持ち込むことを、かなり真剣に考えていたりする。
「そういえば定期試験なんですけど」
「気が早いわね。まだ一月あるわよ」
デューレイアが試験勉強を始めるのかと聞く。
一年次の最初の定期試験は入学から半年後に行われる半年時試験だが、二年次以降の定期試験はそれより一月早く実施されるのだ。
「筆記試験の方は復習とかしないといけないですけど、実技試験は免除だって今日クラウディウス先生に言われました」
「あら、ま。あの堅物が。でもそーよねぇ、戦闘科の実技試験って基本、模擬戦だものね。アンタの相手なんかいないか」
この学校でルディの相手をできるのは、師匠であるブランだけだ。無論異名持ち相手の模擬戦など、評価の対象にできるものではない。
頭の堅いクラウディウスといえど、早々に試験免除を告げざるを得なかったのだろう。その心中は察して余りある。
「あ、そうだわ忘れてた。リュレ様からブランに渡すようにって預かってきたものがあるのよ。それと伝言、『王宮の認可が二三日中に下りてくるから、今日中にやらせろ』ですって」
それを聞いたブランから表情が消えた。
「‥‥‥クソババア‥‥」
ダンっとスプーンを握ったまま両手を机に叩きつける。
「な‥何よ急に」
リュレとブランの連絡役を務めることも多いデューレイアだが、今回の預かり物の中身は知らない。また伝言の内容も一部は見当がつくが、後半は意味不明だ。
ブランの剣幕の原因はそこにあると思いつつ、デューレイアはそれを聞けなかった。
無表情で宙を睨みつけたブランが、とてつもなく怖かったからだ。