二年次最初の授業 中編
開始の合図があった直後、ウェリンの柱が根元からスッパリ断ち切られた。
「‥‥‥えっ?‥‥」
ドキドキしながらルディの対戦を見ていたフローネは、宙を滑るように走った風の刃を感知して、目を瞬かせた。
驚きの彩を瞳に映しながらも、ローレイは納得したように口元に小さく笑みを掃く。
額を押さえて瞑目したクラウディウスと、空を仰いだスレイン、ファルニアは目を細めて口の端を緩く引き上げるなど、教師陣は予想できた結果にそれぞれの反応を示す。
唯一、昨年度は三年次を指導していたギュレイノスのみ、実際にルディの魔法を見たことがなかったために、無言で目を瞠っている。
鋭い風の刃が宙を走ったのを感知すらできなかった者もいた。
詠唱に集中していたウェリンは、自らが守るべき土の柱がむしろゆっくりと倒れるのに気づかず、制止の声がかかる前に風槍の呪文を唱え終わり、魔法を発動させていた。
完全に自陣の柱が倒れてから、相手側の土柱に襲いかかった風槍は、届く前に風楯によって弾かれ消滅する。
午後、戦闘科一組の実技授業は学校内にある大小様々な訓練場のうちで、最も広い第一訓練場に次ぐ広さの第三訓練場で行われることになった。
魔法学校東側にあり、荒れ地と学校を隔てる外壁の直ぐ内側に位置していて、競技場とほぼ同じ大きさの第一訓練場には及ばないものの、それよりもわずかに狭い程度の広さがある。
初日であるため一年次と二年次戦闘科すべてが同時刻に実技授業が行われる中で、クラウディウスが無理をして広い第三訓練場を確保したのは、無論最大の問題児が参加するからである。
一組の実技指導者は、水属性のスレイン、火と土のファルニア、風はギュレイノスだ。二年次を統轄する立場のクラウディウスがここにいる理由は推して知るべしである。
本日最初の授業内容は模擬戦だ。ただし直接対決ではなく、魔法の攻撃および防御対象は、互いの土で作られた柱となる。自陣の柱を護り、相手の柱を撃ち倒すのだ。
組み合わせは属性および力量を考慮し、教師側で決めるというのに、ウェリンはルディシアールとの対戦を望んだ。組み合わせが言い渡される前に希望としてなされたそれは、ファルニアによって受け入れられた。
「ただし、順番は最後だ。ルディシアール、君は模擬戦は初めてだろう。やり方を見ておくことだ」
必要ないとは思うが、という一言は口には出さなかった。
普段ブランと実戦形式で戦闘訓練を重ねているルディシアールには、生温いものでしかないだろうそれをやらせるのは、こちらの一方的な都合であると彼女は思っていた。
魔術師としても未熟な雛の群れに、竜の仔を放り込むような真似をしてどうするつもりだと、むしろ彼女は問いたい。人が竜を育てることなどできないと、彼女はクラウディウスに言っていた。
だから彼女としては、ルディシアールには悪いが、自らを竜の仔だと思いたがっている生徒達の自惚れを叩きつぶすのに利用させてもらおうと考えている。
クラウディウスやスレインは黒の魔術師を気にしているようだが、おそらく彼は怒るまいと、ファルニアは思う。スレインから聞いた話でも、彼は非常にルディシアールを可愛がっているが決して甘やかせてはいない。
悪意でもって対すればともかく、格が違うものを違うと言ったところで問題にするとは思わなかった。
結果は最初から明らかではあった。
ルディは魔法の行使において、手は一切抜かない。そんな真似をしたら、厳しい師匠にぶっとばされるだろう。
完敗どころか勝負にすらならなかった結果を前に、ウェリンはただ呆然と立ち尽くしていた。
何が起こったのか、直ぐには理解できなかったのだ。
「いつまで呆けている、ウェリン・アスギ。とっくに勝負はついているぞ」
「‥‥‥何が、起こりましたの?」
我に返ったウェリンは、根元から断ち切られ、倒れた自陣の柱と、傷一つないルディシアールの陣の柱を見比べ、大きく首を横に振った。
「おかしいですわ。だって彼は杖も抜いていないのに」
勝ち誇るでもなく指定位置からクラスメイト達のもとへ淡々と戻ろうとするルディシアールの腰には、魔導具でもある愛用のスモールソードが帯剣されていたが、それは授業が始まってから一度も抜かれてはいなかった。それどころか、彼は柄に触れてさえいないのを皆が見ている。
模擬戦の開始の合図があってさえも、杖を兼ねた剣を抜こうともしなかった彼に、ウェリンはまともに勝負する気がないのかと腹立ちさえ覚えたのだ。
「ウェリン、君は負けた腹いせに言い掛かりをつけたいのか」
ファルニアはウェリンの抗議を厳しい言葉で一蹴した。
「いいえ。‥‥‥ですけど、わたくしが納得出来るような説明を求めますわ」
どうしても彼女にはルディが何らかの作為、ルール違反あるいはインチキの類をしたとしか思えなかったのだ。
「その目で見ても納得出来ないか。どうも、皆してルディシアールの実力を間違って認識しているようだな」
クラスメイトの中にも、ウェリンの言い分を支持するような空気があるのに、ファルニアはクラウディウスに一つの提案をした。
「ルディシアールは今まで実技授業に参加していなかったため、どうもその実力を誤解されているようだ。どうでしょう、ここで彼に魔法の実力を示してもらっては」
「いや、それは無理だろう」
こんなところで彼の実力相応の魔法を撃つなど不可能だと、クラウディウスは即座に首を横に振った。
「ファルニア先生の言うことはわかりますが、ここでは無理です」
スレインもクラウディウスに同意するが、ファルニアは軽く笑みを浮かべる。
「何も全力でとは言いません。ここでできる程度の魔法で十分でしょう」
競技場には及ばないが、第三訓練場もかなり広い。上級魔法の行使にも十分だろう。
「なるほど、そういうことなら。ルディシアール君、君の魔法制御の程度を我々も把握したい。場所を作るからファルニア先生の言うように魔法を撃ってみてくれ」
制御が甘いとブランには言われているようだが、進級試験の時のルディシアールの様子なら、ここでも危険はないとクラウディウスは了解した。
ルディを呼び、クラウディウスはくれぐれも安全第一で頼むと付け加え、魔法の実演を指示した。
「はい。ここで危険のない範囲の魔法ということですね」
スレインとギュレイノスがこの訓練場に人が不用意に入って来ないよう手配したうえで、全員が隅に固まった。
「リクエストをしても良いか?わたしはクラウディウス先生やスレイン先生が、君の個人授業を見に行ったときに、用事で同行できなかった。ここでは普通にしか無理だろうが、雷竜嵐、炎竜嵐、水竜嵐で頼む。念のため自分達の防御は我々でやるが、終わった後の整地も任せるぞ」
上級魔法の代表格であるそれらは、術者の腕の差が最も良く出るといわれている魔法だ。だからこそ、ブランも制御の練習には、ルディにそれらを撃たせている。
「わかっていると思うけれど、順番に一本ずつだよ。良いかい、確実に安全である範囲で頼むよ」
ファルニアのリクエストに、スレインは冷や汗をかきつつ、ルディに再度念押しする。
ブランに制御が下手だ下手だと言われているが、そこまでスレインにも信用がないかなぁといささかガックリくるが、自身の訓練中の所行から仕方ないかと思い直し、ルディは前を見据えた。
「それじゃ、いきます」
まずは雷竜嵐を立ち上げる。ここに収まる程度の大きさで、普通に一本立ちだ。普段四本立ちをやっているルディには造作もない。それこそ軽々と撃ってみせた。
「この位でいいでしょうか?」
気を付けるのは大きさだけだ。安全と思える距離に展開させた、くっきりとそびえ立ち、揺るぎもしない見事な雷の竜をもって、ルディは教師達に確認を取った。
「も‥もう少し抑えてくれないかい」
ルディの実力としては小規模とはいえ、わりと訓練場ギリギリ近くまで影響範囲に置いた雷竜嵐に、スレインは規模の縮小を要求する。
「はい。じゃあ、この程度で」
少しだけ小さくなった雷の竜に、ギュレイノスが絶句する。スレインの大きさを変えろという要求にも呆れたが、言われたままにいとも簡単に発動している魔法の規模を変更してのけた、ルディシアールの非常識さにだ。
頃合いを見て、雷竜嵐を消し去り、炎竜嵐に切り替える。
崩れることなくあっという間に立ち消えた雷竜嵐と、瞬時に姿を入れ替えて立ち上がった炎竜嵐。その見事な切り替えと、ルディから放たれる魔力の高さに、教師も生徒も息を飲むだけだった。
そして、水竜嵐が炎の熱波を駆逐して巻き上がった。
今までルディが杖も使わず、詠唱もしていないことに、何人の生徒が気がついているだろう。目の前の信じられない魔法に、意識の一切を奪われていた。
「土だけ仲間はずれは良くないよね。一つオマケ」
水の竜の後に、珍しい砂竜嵐を追加する。土属性は地を作用の対象にするかゴーレムなど創造系の魔法に流れやすいため、使い手が余りいない竜嵐だ。一つだけ仲間はずれにされやすい砂竜嵐が加わって、文句なしの四属性のラインナップとなった。
うなりを上げる砂の竜が姿を消し、荒れ果てた訓練場の地面が、今までの魔法が夢であったかのように土魔法の整地でならされてしまう。
パンパンパンと、静まりかえった訓練場にファルニアの拍手が鳴り響いた。
「いや、良いものを見せてもらった」
彼女の剛胆さには、過去の経験と予備知識があるだけルディの魔法にある程度の耐性があるクラウディウスとスレインも感嘆するしかない。
「さて、ウェリン・アスギ、納得はできたか?」
生徒の最前列で蒼白になっているウェリンをファルニアが指名すれば、表情のない面のまま唇が動くが、声はそこから発せられなかった。
そしてそれは他の生徒達も大差はない。怯えにも似た畏怖の感情を隠すことなく、魔法の使い手であるルディシアールに向けていた。
今まで劣等生であると信じ込み侮っていた相手であるだけに、受けた衝撃はより大きかった。
そして、薄々ルディの実力を感じ取っていたエルやフローネでさえ、目の当たりにした魔法の凄まじさに声をなくしていた。
こうなることがわかっていて、ファルニアはルディに魔法を使わせたのだ。
クラウディウスが望んだ、ルディに普通の魔法を教えるということは、彼の魔法を同級生達の目に晒すということでもある。埋められない境界を明らかにすることだ。
ルディに他者と比較した自身の実力を自覚させると言うことは、そういうことである。
「‥‥‥非常識ですわ‥‥」
乾いた声がウェリンの喉から発せられた。
「わたくしたちは無詠唱での魔法行使は不可能だと教えられてまいりましたわ。それは間違いでしたの?」
ウェリンの矛先は魔法教育への不信感という形をとって、教師達へも向けられた。
「間違いではない。『我々には』無詠唱での魔法行使は不可能だ」
冷静なファルニアの対応は、ウェリンの激昂を誘う。
「では彼の魔法は何だというのです!?それが事実であるならば、今わたくしたちが見た彼の魔法は幻覚であったとでもおっしゃりたいのですか」
「おちつきなさい。ファルニア先生は『我々には』と言ったのです。無詠唱で魔法を使える者がいないと言ったわけではありません」
穏やかに理論をもって諭すのは、スレインの得意とするところである。ファルニアも自分ではウェリンを落ち着かせるのは無理だと思ったのか、おとなしくスレインに主導権を譲った。
「詭弁ですわ。無詠唱が事実というのでしたら、貴方、誰に魔法を習ったのか教えなさい」
ルディを睨み付けて、ウェリンは迫る。彼女は、無詠唱を習得する手段をその人物が持っているのだろうと言っているのだ。
そこで穏やかに彼女とルディの間に入ったのはスレインだった。
「ルディ君に魔法を教えた人は、確かに特別だが、あえて言わせてもらうならば、彼の教え方は教師としてはとうてい真っ当とは言えないと、わたしは思う」
「スレイン先生」
間違っても擁護とは言えない、教師としてのブランの評価に、師を盲信している弟子から抗議の視線が向けられたのを、スレインはこればかりは自身の主張を曲げる気はないと、敢然と言い切った。
「彼に付いていける生徒は、君以外にはいないよ。そもそも君は、最初から杖も使わずに回復魔法を使ったね。気がついていたかい?」
そういえばと、試験会場でのトラブルをルディは思い出した。
「‥‥‥使っていませんでしたね。今、気がつきました」
今更ながらにそのことに気がついたというルディに、エルは反射的に「あのボケ」と、心の中で突っ込んでいた。
「杖は身体の延長としての魔力誘導体であり魔法を集束し、方向を定め発動するための補助具であると考えれば、必ずしも必要不可欠なものではない。効率や威力を犠牲にすることを考えなければね。しかし、魔法の教育で杖を使わない指導などないんだよ、ルディ君」
最初から杖を使わず、無詠唱の指導をするなど、それこそ問題外だというスレインに思わずルディは反論する。自分のことならともかく、スレインの批判対象はブランであるのだ。
「でも先生は無理は言うけど、本当にできないことは要求しないです。杖は使わずにできるなら要らないです。無詠唱だって先生がやれって言うから、最初は呪文を唱えた時の魔法をそのままなぞってやったら直ぐできるようになったし、今は無詠唱の方がいろいろ楽でやりやすいです」
ルディとしてはブランを擁護したつもりなのだが、あまりな証言に、教師陣が軒並み頭を押さえて沈没した。
やれと言う方も大概だが、それでできてしまう生徒もあんまりだ。普通じゃないという以外、どうしろというのだ。
「話は聞いちゃいたがな。実際に聞くと凶悪だわ」
できれば巻き込まれたくないとばかりに、ひたすら黙りを決め込んでいたギュレイノスだが、堪らず心情を吐露する。
「理解していただけたようで幸いです。では、ちょうど良いので詠唱についての講義をしましょう」
スレインは特にルディにむかい、よく聞きなさいと幾分据わった目で言った。
「呪文を唱えることで、魔力は引き出され魔法として構成されます。杖に集束された魔法はこの時点で形が完成されています。後は術者の意思で方向を確定させ発動させる」
魔法の基礎であるこれは生徒にとっても今更の説明である。
「杖に集束された時点で魔法を待機させることができますが、詠唱が終了しているか否かで違っていることがあります。ウェリン君、それはなんだかわかりますか?」
「魔法が完成しているかどうかですわ」
「その通りです。そして詠唱が終了し成立された魔法は、発動させる以外の選択肢を持ちません」
「待ってください、スレイン先生。消すこともできるのではないでしょうか」
魔法を撃たずに消滅させることもあると、手を上げてネルフィルが指摘したのを、スレインはとらえ方の違いだと言った。
「正確には消すではなく、自壊させることになるので、発動を否定することにはなりません。逆に詠唱が終了していず、完成されていない魔法は消せます。その扱いの違いは何に起因されているかわかりますか」
それに答えたのはローレイだった。
「魔力の供給です。魔法は詠唱の終了をもって完成され、術者の外に存在を完全に移行します」
「正解です。多くの魔法はこの形です。他に例えば水鞭のように継続して発動し術者の意思で振るうことのできる魔法は、終息の構成が魔法に組み込まれず発現し、魔力を供給することで維持されます。終息の言葉を唱えるまでは術者と魔力で繋がっているのです。魔力の高い熟練した魔術師であれば、この状態で別の魔法を詠唱して発動させることもできますが、魔力の枯渇については十分な注意が必要です」
そこでスレインは生徒達を一度見回した。
「我々は魔力を引き出し、自身の外へ展開させるために詠唱を必要とします。皆さんが使っている様々な呪文は魔法の歴史によって導き出された、効率よく魔力を引き出し構成し魔法を作るための技術の結晶なのです。ここでもう一度はっきりと言っておきます。我々は詠唱という手段無くして魔力を自身の外に出すことはできません」
これは人という存在が魔法を得たときから変わらない基本だ。だが、中には詠唱無しで魔法を使える生まれつきの特別な能力を持つ者もいる。
それを生徒達に納得させるために、スレインは生活魔法を一つ使う。
「我は願う。我が魔力を使い天の火を集めて灯さん<火>」
スレインが人差し指を一本立てて右手を前にだし、灯火の呪文を唱えると指の先、宙に小さな火が灯った。文字通り蝋燭の灯火程度の火であり、火種の魔法とも呼ばれる点火に使われる生活魔法だ。
「このように水属性のわたしでも、生活魔法においては火を灯せます。これは魔力で周囲に偏在する火の元素を集める程度で済むからです。ですが、それ以上の魔法においては属性の適性がなければ元素を喚び出すことができず、魔法は成り立ちません。属性の才は生まれつきのもので、習得して得ることはかないません。無詠唱の才もそれと同じです」
「つまりルディのようにできる奴はできるけど、できないのが普通だから考えるだけ無駄ってことか」
身も蓋もないエルの言い方だが、事実はそれにつきる。
「先生、無音詠唱は練習次第でできるようになると聞きましたが」
再度ネルフィルが手を上げた。彼女は伯爵令嬢ではあるが将来は魔法の教職へ進みたいと望んでいるため、知識の習得にはとても熱心であった。
「良く混同されますが、無音詠唱は声に出さずに詠唱するという技術です。難しいですが魔法を使う場面によっては非常に強い武器となりますが、声に出さないだけで、詠唱という魔法を使う手順は変わりません。また魔導具は詠唱を変換して装置とし魔石に組み込んであるものです。これは詠唱が形を変えた物として考えてください。あくまで無詠唱は詠唱という魔力の使用手順を踏まずに、直接魔力を外に出すことを定義としています。それにより魔力の扱い方自体が違ってくるのは当然と言えます。そうですね、先程ルディシアール君は発動している雷竜嵐の規模を変えましたが、それは術の構成そのものを書き換えたということでいいですか?」
「はい。そういうことになるのかな。構成を丸ごと上書きして置き換えることもあるし、大きさの部分を弄って規模を変えたり、その辺はやりやすい方で適当なので」
聞かなければ良かったものをと、ギュレイノスは恨めしげな目でスレインを睨んだ。彼はまだ常識を壊されるのに慣れてはいなかった。
「無茶苦茶にもほどがあるでしょう。そんなことができるなんて聞いたこともありませんわ」
ウェリンの悲鳴のようなそれは、教師という立場上、生徒の前で口に出せないことを、代わって言ってくれたようなものだった。ギュレイノスは思わず大きく頷きそうになった。
「わたしもそのような呪文は過分にして聞きません。故に詠唱によっては不可能と言っていいでしょう。また、ルディシアール君の魔法は詠唱という過程を必要としないからこそ、あの速度で発動させることができるのです。無詠唱とはそういうことです」
スレインの後で、ファルニアが補足をいれる。
「省略詠唱という技術がある。一般的な習得方法は反復訓練で、構成の部分を条件反射的に書けるように習熟する。極めれば最低限の詠唱で魔法を発動させることが可能だ。ルディシアールの魔法発動はそれの究極版と言っていいだろう。そうだな?」
「はい。僕は魔力を出しながら構成を編んでそのまま撃ちます。だからファルニア先生の言うとおりで良いと思います」
さりげなく物凄いことを言っているのに気づいた者は、顔を引きつらせた。あの短時間で撃つということは、詠唱の補助無しでほとんど瞬間的に構成を書いているということだ。
「ええ、スレイン先生。生徒もどうやら納得したみたいですし、こんなとこで講義は切り上げませんかね」
もう限界だと、ギュレイノスは言外に訴えた。これ以上怖いことを聞かされるのはごめんだ。
「そうしましょう。ファルニア先生、実技訓練の指導をお任せします。ルディシアール君、君は少し見学していてもらえるかい」
なんとなくホッとした顔の生徒達の中に、きつく唇を噛み締め蒼白な顔色のウェリンと、厳しいなかに何処か楽しそうな彩を瞳に宿しているローレイ、そして複雑な感情を浮かべ何か言いたげな表情をしたエルとフローネがいた。
「少し嫌な思いをさせてしまったかもしれないね」
同級生達のなんとも複雑な感情にさらされたルディに、スレインは少しばかり罪悪感を抱きながら、いたわるような声をかけた。
「いいえ。だって、あの‥‥‥僕、休み中にブラン先生に狩りに連れて行ってもらったんです。そこで、去年のクラスメイトを怖がらせちゃいました」
ブチ切れていた自覚はあるし、かなり荒っぽい魔法行使をした。けれど、彼が怯えた目を向けたのはルディ自身へ、だ。
「ちょっと先生に手伝ってもらったけど、岩蛇竜がちょうど三十匹とワイバーンを虐殺したんだから当然だって、先生にも言われて」
「‥‥‥驚いたんだろうね、その子も」
何やらせてるんだ、あの人は!と、スレインはとっさに言葉が出なかった。
しかし、気にするなとは言えない。誠実に対応しようと思えば、それは気休めにしかならないからだ。
また、怯えたという生徒の気持ちもわかる。馬鹿にしていた相手に、目の前でそんな魔法を使われれば、自責感が恐怖にすり替わるだろう。
「やっぱりそうですよね。僕は気がつかなかったんです。僕、ワームって大嫌いで、それですごく荒れた魔法使って、その時はそのせいかなって。でも、仕方ないから。僕の魔法が怖いって言われても、それで僕が怖いって思われても、やっぱり仕方ないかなって」
淡々と話すルディの告白に、スレインはルディの中ではすでに決着がついてしまっているのだと気がついた。
「君はそれでいいのかい?」
「仕方ないです。さっき先生がいろいろ説明してくれたけど、僕の魔法ってそういうものだから。だから、スレイン先生やデューア姉さんに、僕の魔法がどれだけ皆と違っているか知らなきゃいけないって言われても、それでどうすればいいかわからないです」
スレインはようやく自分達の間違いに気がついた。
ルディは違うのだ。
規格外に大きい魔力だけではない。彼等は魔法に関する根本的な感覚が違う。ブラン、そしてルディシアールも。
人の境界を超える魔力だけではなく、生まれながらの才能、先天的に人とは違う魔法の才を持って生まれてきた。彼等は、異名持ちとはそういう存在なのだ。
だから、彼等の魔法がどれだけ常識から外れていても、ルディの言う通り「仕方ない」のだ。
彼等にとってはそれが当たり前で、普通の枠にはめようとすること自体が間違いだった。
自分達の彼等の魔法を畏怖する気持ちが、ルディシアールに普通であることを強要しようとした。けれど、違うものを型に押し込めようとしても、それは不可能だ。
ルディが自身の違いを受け入れているように、自分達も彼等が異質であることを認めなくてはならなかったのだ。
その上で、互いの立ち位置を見直すべきだろうと、スレインは思い直す。
スレインはルディに謝らなくてはならないと思った。そして、ブランにもだ。
「ルディシアール。せっかくだ、手伝え」
ファルニアが授業の手伝いをしろと言う。参加しろではないのは、教えられないのだからということらしい。
自分より彼女の方がずっと良くわかっていたのだと、スレインは気がついた。
「今からこいつらに最大の攻撃魔法を撃たせるから、それを受けてくれ」
二年次初回授業における恒例だというそれは、いつもなら教師が受けるのだが、ちょうど良いからルディにやらせようというのだ。
「相変わらず容赦ねえ奴」
ファルニアを評して、ギュレイノスが頭の藍のヘアバンドを巻き直しながら零した。
「厳しいですね」
ギュレイノスの横に並んだスレインも同意する。
戦闘科一組というトップクラスに名を連ねた生徒達である。実力もプライドも相当高い。だからこそ、正面から撃った攻撃魔法が通じないという現実を思い知らせて、増長させないようにするのである。
しかも今年はその前に、ルディシアールの魔法を見せつけられているのだ。その上で、クラスメイトでもある彼に防御でも歯が立たないとなったら、かなりショックなのではないかとスレインなどは逆に心配する。
「あんたが甘いからちょうどいいさ。あの坊主の実力なら、それこそ小手先で弾かれるんじゃねえか」
「それはそうだろう。去年の公開練習試合で、出場者の防御を彼一人でこなしているからね」
クラウディウスが保証がわりに暴露した舞台裏事情に、ギュレイノスは喉から奇妙な声を発した。
「げっ!てーと、まさか馬鹿みたいな風楯で、ハゼた雷竜嵐始末しやがったのアイツかよ」
何がって、ギュレイノスだけではないだろうが、去年の公開練習試合で一番印象に残っているのがそれだ。
「そのまさかだ」
何しろ自分はその場にいたのだ。あの時は取り乱した魔導騎士に、しみじみと同情したと、クラウディウスは思い返した。
今も、的を使うのも面倒だから、直接撃ってきて構わないと言ったルディの自信も相当なものだとファルニアは思ったが、実はまだまだ甘かった。
「えっと、一人ずつ?」
クラウディウスがそれを認めたため、要望通り直接対面でということになったのだが、距離を置いた向かい側の攻撃位置に立ったのがウェリンだけであったので、ルディは確認のため聞いてしまった。
悪気はなかったのだ、本当に。
「貴方、わたくしを馬鹿にしていますの!」
「ち‥違う‥‥‥その、馬鹿にしたとかじゃなくて、魔法の訓練で先生以外で相手が一人だったことないから」
ああああああ‥‥‥と、スレインが頭を抱えながらフォローに走る。
「ルディシアール君、参考までに聞かせてくれ。いや、聞きたくない。じゃなくて、聞くのが怖いだけで、その‥‥‥君の先生以外で誰と何処で練習したとか」
「第一師団の魔導騎士の皆さんに、何回か集団相手の実戦訓練の相手をしてもらっています」
再度思う、何やらせてるんだ、あの人は、である。
「デューレイアかい?」
ルディの剣の師匠で第一師団の魔導騎士であるデューレイアの関係かと、スレインが聞くのに、わずかにルディは目を泳がせた。
「‥‥えっと、最初は‥‥‥」
間違いではないが、まさか回復薬の実験台を確保しに行ったのが、そもそもだったとは言い難い。
それはもう、すごく楽しそうに「ひっかけに行くわよ」と言うデューレイアに先導されて、第一師団の駐屯地に乗り込んだのは半年くらい前だっただろうか。
「でも、その、第一師団の人達も、先生と槍や剣の訓練するのがすごく楽しそうで」
つい、いらないことまで口走ってしまったのは、良心の呵責のせいだろう。
だが、その件でルディの責任を問う者は第一師団にも流石にいない。悪いとカケラも思っていない大人達がいるだけだ。
ブランが剣の達人であることを知った騎士達は、魔導騎士でない者も含めてこぞって対戦を申し出た。もちろん例の条件は有りだ。
それでも挑戦者が絶えないのは、魔術師に剣で負けたのが悔しかったのと、やはり武技に優れた者と立ち会いたいのは騎士の性分でもあるからだろう。
またブランも丁度良い鍛錬になると、適当に相手になっているのだ。
しかし、槍は剣ほど得意ではないと言いつつ、第一師団の剣術士や槍術師のトップクラスと対等以上にやりあっているのだから、やはりブランはこちらでも普通ではない。
「槍や剣と言ったかい?魔法ではなくて」
聞き返したスレインは悪くない。彼の認識の中でルディの先生は、あくまで魔術師なのだから。
「デューア姉さんが言うには、先生相手に魔法勝負は常識知らずだそうです」
真顔で言うルディは、以前デューレイアに異名持ち相手に魔法で挑む魔導士はいないと言われたのが、尾を引いていた。
「どっちも常識外だろう」
もはや頭痛を堪えているクラウディウスが、唸るように突っ込んだ。かなりヤケになっている気配がする。
異名持ちが剣や槍の訓練を、王国軍の精鋭である第一師団を相手にやっているなど、言ったのがその愛弟子であるルディシアールでなければ、到底信じられなかっただろう。
「しかしお前も第一師団の魔導騎士を訓練の相手にしているとは」
ルディの実力ならありだと思うファルニアの脳裏には、代表生徒が彼らに軽くあしらわれた公開練習試合の光景が浮かんだ。
「最初は渋々でしたけど、今はちゃんと相手をしてくれます。実戦はこんなもんじゃないと、先生に言われてますけど」
そうかと言ったファルニアはあえて聞かなかった。何人を相手に集団相手の実戦訓練をしているのかは。
そしてそれは、しびれを切らせたウェリンが、放って置かれた無礼に憤り、訓練の再開を要求したことで、結局誰も口にはしなかった。
ウェリンが放ったのは、進級試験でも使った炎穿牙だ。ウェリンの使う魔法でも、破壊力が最大の魔法である。
対人相手には過剰殺傷となる魔法を、彼女は躊躇なく撃ってきた。いろいろとキレていたのだ。
灼熱の炎が渦を巻きながら一本の猛る槍となって、立ち塞がる尽くを貫くそれは、けれど強固な風の楯を破ることはできなかった。
襲い来る炎の牙を恐れることなく、ルディは無防備な姿で立っていた。指一本動かさずに瞬時に前方に展開された風楯一つで、彼は炎穿牙を受け切った。
風の楯を突き破ることがかなわなかった炎が、灼熱の残滓をわずかに残して消滅するのを、ウェリンは硬い表情で見つめる。
「もう一度やらせていただきます」
「いいよ」
教師側から静止が入る前に、ルディが了承したため、ウェリンは再度詠唱を開始した。
今度は溶岩槍、火と土の合成中級魔法であり名の通り灼熱の溶岩の槍だ。触れたものをその身で灼いて貫く重い槍を、ウェリンは額に汗を浮かべ長く集中した詠唱の末に生み出した。
岩を溶かす熱を纏い飛来する槍は、それでもルディの風楯を貫くことはできなかった。まといつく風が灼熱を包むように受け止め、槍はボロボロと黒い砂に変わり磨り潰されるようにして粉砕された。
「もう一度」
肩で息をしながらウェリンは追い詰められた目をして、次の詠唱を始める。
唸りながら襲い掛かる雷を帯びた氷の礫は、尽くが風の楯を前にして砕けて消えた。
「まだですわ」
「いい加減にしろ、ウェリン・アスギ」
三度挑んでなお諦めきれない顔をしているウェリンを、さすがにファルニアが制止する。このままでは倒れるまで挑み続けるだろう。
「まだできます。まだ使える魔法はあります」
「同じだ。仮に今の三つの魔法を束にしても、ルディシアールの風楯は破れん。それすらわからないのか」
「初級の風楯を、どうして中級魔法で破れないと仰るのですか」
もともと防御の魔法はそれほど多くない。多くは基本の楯のバリエーションや多重展開である。強固さと展開速度を計りにかければ、どうしてもそうなるのだ。
そこでスレインが間に入る。理論面での補完は彼の役割になっていた。
「初級魔法はすべての魔法の基本です。使い方次第では、上級魔法すら破壊できます。現にルディシアール君の師は、わたしの目の前で風刃一つで炎竜嵐を崩してみせました」
「‥‥‥そりゃまた極端な例というか、そんなことできるのか」
マジかと、ギュレイノスは自分には絶対無理だから、やれなんて言うなよとスレインを睨む。
「楯の魔法もそれと同じです。用い方や注ぎ込まれる魔力で、強度は別物といっていいほど変わります。難易度と標準的な威力によって分類されているだけで、必ずしも中級魔法が初級魔法に勝るわけではないのです」
まだ諦めきれないようなウェリンだったが、ファルニアは構わず二番手のローレイを呼び出した。
「ルディシアール、次だ。構わないな」
できれば全員とやらせたいと思っているが、さすがに無理だと思ったら申し出るように、ファルニアはルディに言う。
ローレイの落ち着いた詠唱が終わり、集束された雷の刃が螺旋を描いて錐のように一点へと撃ち込まれた。
「うわっ」
放たれた魔法の鋭さに、思わずルディは声をあげたものの、正確で容赦のない一撃を、風楯は包み込んで抱くようにいなして受け止める。
「残念、抜けなかったか」
半ば以上は予想できた結果だが、少しは期待したローレイが心持ち肩を落としたのに、エルが憤慨した。
「抜けなかったかじゃねーよ。抜けてたらルディに当たってただろ!」
真正面に全力で雷穿牙を撃ったローレイに、エルが抗議する。
「大丈夫、そう簡単には抜かせないよ」
「お前‥‥‥珍しいな。お前がそんな言い方するのって」
フローネなんかは自信たっぷりに、堂々とそういった台詞を口にするが、ルディがこんなことを言ったのは、初めてではないかとエルは思う。
「うーん、そうかなぁ」
アンタは黒の魔術師の弟子なのよと言ったのはデューレイアだ。
実のところルディもブランも、わりと他人の評価はどうでも良いといった傾向がある。
ブランの方は立場上、自身に対する他者の目が及ぼす影響を考えざるを得ないところがあるため、黒の魔法殺しとしての名と力の意味は弁えてはいる。
もっとも、細かいところで身近なところへの配慮、例えば自身の魔法に対する周囲の感情などはスッパリ無視していると言っても良い。
畏怖されているのは今更なので、いちいち構っていられるかということらしく、必要な魔法を行使することを躊躇わない。
それは教え子たるルディも同じであり、魔法の力を周囲にひけらかすことをしないし、結果として極端な低評価という噂に拍車をかけることになったのも気にしていなかった。
また逆に、本当の実力を知った周囲の感情にも頓着しないため、教師陣が頭を抱えることになったりした。
彼等にとっての魔法は自身の裡での価値観に帰着するため、魔法に対する矜持に他者の評価を必要としないのだ。
だがそれも良し悪しである。黒の魔法殺しとしての立場を確立しているブランはともかく、ルディシアールの場合他の生徒に及ぼす影響は、そのまま彼自身に返ってくる。
はっきりいって実力に見合う自覚を持ってもらわなくては、周囲が迷惑するとデューレイアを筆頭に考えたのも当然だった。
何しろルディの基準はどこまでもブランなのだ。
「先生には全然手が届かないし、デューア姉さんにはボコボコにされているし、第一師団の人たちだって模擬戦で何とかまともに戦えるだけだし、実戦ではあの人に手も足も出なかった」
自分の力はまだその程度だというルディシアールの自己評価に、デューレイアはどうしてくれようかと思った。この子供は本気でそう思っているからタチが悪い。
「異名持ちに勝てるわけないでしょ。アンタの場合は気が早すぎ。ちゃんと仲間入りしてから言いなさい。わたし相手は剣で魔法じゃないでしょ。第一師団の魔導騎士複数相手に対等にやりあえてるって意味、もっとしっかり考えなさい。皆が聞いたら泣くわよ」
大体、模擬戦で何とか戦えているというのも、ルディが加減の仕方がイマイチわかってなくて迷ってもたついたり、焦ってうっかり過剰攻撃をやらかしてブランの介入で止められたりしている上でである。
まともな殺し合いなら、おそらくルディに勝てないだろうとデューレイアは思っていた。何しろ無詠唱のあの速度と威力である。
ルディに先攻されたら、その時点で終わりだし、先制攻撃をかけれたとしても、最初の剣による直接攻撃を防がれたら、後は殲滅級魔法を連発されてやはり終わりだ。
先制攻撃もデューレイアでさえ、不意打ちでもない限り、剣でルディの楯を斬れる自信はなかった。
「とにかくアンタのは謙遜の域じゃないわ。もっと実力に相応しい自信をもって、表に出しなさい。でなきゃ、周囲の生徒が可哀想よ」
なんでそういうことになるのかわからず、首を傾げるルディにデューレイアはもう少しわかりやすく言い直す。
「魔術師が手の内を隠すのはむしろ当然だけど、ここは学校よ。でもって、アンタは生徒。できることはできると言いなさい。アンタの場合はそのくらいで丁度良いわ」
多少不安はあるが、デューレイアはそこで妥協した。これ以上をルディに要求しても無理だと思ったのだ。
もともとルディは実力を隠していたつもりはない。できないと思い込んでいた周囲が、ルディに聞こうとしなかったから言わなかっただけなのだ。
今回のことも、何回か繰り返しデューレイアに言われた結果というより、環境が変わったため、周囲がルディの実力を見る機会ができただけともいう。
それでも、事実をそのまま口に出したのは、デューレイアの努力の影響かもしれなかった。
「僕ではどう考えてもルディ君には敵わないからね。挑む側が全力を出すのは当然だろう」
「でもローレイ君はすごいよ。構成に無駄がないから、魔力を最大限の割で威力にかけれているんだ。びっくりした」
「少しでも君を焦らせることができたら良かったんだが」
結構本気で言っているローレイにルディが何か言う前に、ファルニアが割り込んだ。
「ルディシアール、正直に答えろ。ウェリンとローレイのどちらの魔法が上だ?」
突然のファルニアの発問に、ルディは反射的に答えた。
「ローレイ君です。さっきも言ったけど、構成に無駄がない分、魔力を威力に乗せられるから、最大限に力を発揮できています。ウェリンさんのは、後の二つはなんとか形にできているレベルで、本来の魔法の威力は発揮できてないから大したことないです。炎穿牙もローレイ君の雷穿牙に比べると、大分構成が甘いと思うし」
「ルディ‥‥‥‥お前、容赦ないよな」
エルがしみじみと言う。この幼馴染みは、時たまボケたついでに無意識に事実を述べることで抉る発言をすることがある。本人無自覚で悪気がないからタチが悪い。
「え、だって僕、先生にいつも言われてるし、構成が甘いとか力押しで使ってるとか‥‥‥」
言っていて思い当たって、ずーんと落ち込むあたりルディらしい。
「‥‥そうだよね、見れば分かるんだ。でも、もうちょっと言い方が‥‥‥うわ、ごめん、反省してる」
人の振り見て我が振り直せである。
しかしファルニアは謝ることはないと言う。
「事実だ。はっきり指摘してもらった方が、本人のためにもなる。ウェリンは練度不足ということだ」
以前からファルニアはウェリンが四属性に拘り、魔法の手を広げすぎているのが気に掛かっていた。
複数の属性に適性を持つ者は、合成魔法などを含め習得できる魔法の選択肢が多い。それだけに多くの魔法を習得しようとして、結果としていずれも中途半端になってしまうということは、実は良くあることだ。
「手札が多いのは悪いことではない。だが、もう少し足元をみることだ」
唇を噛みしめ、なお悔しそうにルディを凝視しているウェリンに、ファルニアはそのプライドの高さを案じた。四属性ゆえにかけられた期待が、頑なに彼女を縛っている。
今までは才能が期待に応えることを許してきたが、周囲、特に彼女の祖国がかける過剰な期待は、彼女を押しつぶしかねない。
ファルニアは自分の生徒をくだらない事情で、壊されるのはごめんだった。
ウェリンが異名持ちになることはないのだと、ファルニアはルディシアールを見て確信した。彼女の魔法の才は、あくまで人の域に留まるものであると。
ユルマルヌ公国やウェリンが留学先として、ユエ共和国のミルド学院ではなく、エール=シオンの王都魔法学校を選択したのも、この国には二人の異名持ちがいるからだ。四属性の子爵令嬢が彼等の目にとまり、指導を得られる可能性を考えたのではないかと思うのは自然なことだった。
あるいは、機会をみて、公国の名で異名持ちの可能性を判定してもらうこともあるだろう。国としての依頼なら、金の魔術師ならそのくらいは了承する。
そして彼女ならば見れば分かるだろう。ルディシアールを見い出したように。
四属性や魔力の高さは、異名持ちの持つ要素の一部分でしかない。彼等は魔力の使い方も、魔法に対する感性も、根元の部分で違っているのだ。
それをウェリンはまだ認められない。
「それにしても、ルディシアールには構成がそこまで視えているのか」
ファルニアの言に首を傾げるルディは、やはりわかっていない。
「僕は結構目が良い方だと自負しているが、君が言うほどはっきりと人の構成は視えない。なにより、発動するまでのわずかな時間で構成を読み解くなど不可能だよ」
ローレイがファルニアに代わってルディに教える。はっきり言わなければ、いろいろと自覚のない問題児はいつまでもわからないままだとローレイは理解しているからだ。
「そうなんだ‥‥‥」
「お前やお前の師匠と一緒に考えるな」
ファルニアはそう言って、次の生徒を呼んだ。
結局一組の生徒十九人の攻撃魔法を、ルディは一人で受けきった。
「ふむ。予想以上に我々が楽をできたからな。いつもなら明日にするところだが、防御もやらせるか」
全部ルディにやらせたため、教師が消耗していない。ならばと、ファルニアは防御、教師の攻撃魔法を生徒に受けさせることもやってしまおうと考えた。
「いや、ファルニア先生、治癒士の手配が」
「そこにいるだろう、元治癒科が」
万一の時の治癒士がいないというスレインに、ニヤリと笑ってファルニアは治癒科から転科してきたルディシアールを指す。
「僕、ですか?」
「お前しかいないだろう。見たところ大して疲れてもいないようだ。治癒魔法は中級を使いこなすと聞いているぞ」
「はい。治癒と回復、解毒は大丈夫です」
「ならいけるな。なに、あくまで万一だ」
ファルニアの宣告に悲鳴を上げたのは生徒達だ。攻撃魔法に続く連続はキツイ。精神的に。
もちろんそんなことは承知の上であるファルニアの宣告が翻ることはなかった。
生徒の発現した防御魔法、楯に教師が攻撃魔法を叩き込む。
楯が壊れるギリギリの強さで攻撃するのだが、さすがにそれは心情的なものを考慮し、教師が担当した。これまでルディにやらせては、生徒がルディに一方的な反感を抱きかねないことを危惧したためだ。
攻撃はファルニアとスレインが担当し、防御のカバーはギュレイノスとクラウディウスが受け持った。
当たれば良くて重傷を負う魔法を、真正面から受け止めるのだ。自らの楯が破壊される恐怖に、誰もが蒼白となる。
ローレイでさえわずかに手を震わせていたのだ、ほとんどの生徒は呆然となって地面に座り込んだ。
ファルニアの炎鞭に、風楯を破壊されたフローネは身を震わせながらも気丈に睨み付けていた。エルもまた悔しそうに両手を握りしめ歯を食いしばる。
魔法の恐さも、自分の無力さも二人は知っていた。忘れられない血に塗れた幼馴染みの姿とともに。
二人の様子に、ファルニアは実戦の経験を見て取った。実際に命のやり取りをする体験をした者の違いは大きい。
「よし、少し休憩しよう」
十九人の楯を打ち破り終えたファルニアが、へたり込む生徒達を前に休憩を告げる。
「あの、僕は?」
仲間はずれにされてしまったルディが聞くのに、ファルニアは苦笑する。
「必要ない。さっき皆の攻撃を受けきっただろう。第一やってもわたしではお前の楯を破れん。ルディシアール・シエロ、君に授業での魔法の実技指導は必要ないことがこれではっきりしたと思う。わたしには、君に魔法を指導することはできない。済まないな」
「あの、それは僕が戦闘科の実技授業を受けられないということですか?」
「君の魔法指導は今まで通りアルダシール先生にすべてお任せするべきだと、わたしは思う」
「いや、しかしそれは」
無理を言ってルディを戦闘科に引っ張ってきた手前、新年度早々指導放棄はまずいだろうとクラウディウスは言葉を濁した。何よりブランが怖い。
「クラウディウス先生、魔法の実技指導自体は最初からアルダシール先生にお願いすることになっていました。その上で、我々のできる指導をと思っていたのですが、どうやらそれも無理があるようです」
スレインが言うのに、実のところ自分でもすでにそれは理解できていたクラウディウスはそうだなと、認める言葉を口にした。
「‥‥‥君の言うとおりだ。責任はわたしがとろう」
ブランへの申し開きは自分が責任をもって行うべきだろうと、クラウディウスが言うのに、スレインが自分も一緒に行くという。結局の所二人とも真面目で責任感が強い者同士なのだ。
ちょっと説明調になってしまいました。
魔法については、かなりこじつけです。