魔法学校入学試験 前編
エール=シオン王国、王都エリオンには王立の二つの有名な学校が存在する。
一つは王都騎士養成学校。文字通り王国の騎士を輩出するためのエリート校だ。
その生徒の多くは貴族や騎士の子弟ではあるが、平民にもその門戸は開かれている。学校を卒業すれば自動的に王国軍へ騎士候補として入団でき、騎士への道が開かれるのだ。
それだけに、十二歳の入学試験では国中から志願者が押し寄せ、予備試験を含め、入学試験は国内最難関ともいわれている。
そしてもう一つは王都魔法学校。
魔術師を養成する学校は国内に大小幾つかあるが、規模と格の最高峰がここ王都魔法学校だった。
魔法はごく一般に使われている技術だ。
基本四元素のささやかな魔法、ロウソクに火を灯す、カップに水を満たす、扇ぐ程の風を呼ぶ、小さな石を造る。そのくらいの日常に使う程度の魔法は、ほとんどすべての人が使っている生活魔法とも言われるものだ。
わずかな魔力のみで使うことの出来る魔法。
普通は、その程度の魔法を一日に二、三回使うのが精一杯だ。だが、それ以上の魔法、わかりやすく言えば弱い魔物を相手に戦える威力の魔法を、訓練によって行使出来うる魔力を持つ者は十人に一人位。更に魔術師を名乗り、魔力を行使して本当の意味での魔法を術として使う職業に就けるほどの者は、百人に一人程度といって良い。
だから、魔法学校に入るには一定レベル以上の魔力があることが前提となる。
その年の受験者の魔力上位からの選抜になるのだが、こればかりは、生まれ持った才能がすべてというシビアな現実で、貴族も平民も関係ない。
ただし例外として特に基本四元素属性外で特殊な才を持つ者、特に治癒の魔法に才がある者は、治癒魔法の有用性から一定以上の魔力があることを前提に特別枠となる。
治癒の才を持つ者は最低限の基礎魔法を発現出来るレベルで魔術師の中で十分の一以下、初級以上の治癒魔法を習得できるのは更に五人に一人とも言われる非常に貴重な存在だ。
故に治癒の才を持つ者は、魔法学校でも神殿でも最優先での育成対象、取り込みの対象となる。
そういった事情により、魔法学校の入学試験では魔力の大きさと、治癒魔法の適性検査が行われる。
王都魔法学校の入学者は毎年約千人程。そして、半数が一年の基礎課程を終了した時点で退校となる。二年次からは技術系と戦闘系を選別しての授業となり、入学から三年で初等課程の修了、更に職種別の訓練となる高等課程になるのだが、この時点で半数以上が退校、二年後、つまり入学して五年の課程を修了して卒業するのは、平均して当初入学者千人の五分の一である二百人弱となるのが通例だった。
ちなみに騎士養成学校と魔法学校は隣接しており、この二校の広大な敷地と、周辺の商業地区、学校関係者の居住区と合わせ王都の学園地区と呼ばれている。
王都魔法学校の入学試験は十日間にわたって行われており、もちろんその年に一度だけだが、その間いつ受けても良いことになっている。
受験できる年齢は十二歳から十五歳までだが、受験者数が多いためと、王国中から受験者が来るため十日という期間を設けているのだった。試験の開催期間中は午前中に受付で申込をすれば、その日に試験が受けられる。
ルディシアール達は試験の八日目の朝に、王都魔法学校の門をくぐった。三人分の受験申請をした際に、リュレに渡された封書を出したら、受付の男性は怪訝そうな顔をしたものの、裏書の署名を見た途端、表情を改めた。
受付担当者は三人の保護者役であるフロアリュネの父親オルティエド・マユラに、ルディシアールの名前を再度確認してから、彼が両腕に付けていた腕輪を外して見せるように言い、それを持って少し待つように告げて席を立つ。
それから結構待たされ、その間に彼等の後ろに並んでいた十人余りの受付が終ってしまった。
「おっそいなぁ」
待たされて手持ち無沙汰だったエルことエルトリードの不満を訴える声に、ルディは新たに来た人が受付にかかるのを見て謝る。
「ごめん。多分僕のせいだよね」
他にはこんなに待たされる理由は思い当たらなかった。
「仕方ないじゃない。あの手紙、忘れないで受付にだすようにって言われたんでしょ」
言外にルディは悪くないんだからと、エルを睨むフローネこと、フロアリュネ。
彼女の翠色の瞳に剣呑な光が宿る前に、エルは弁明に走った。このあたり、過去の学習の成果だった。
「うんうん、そうだったよな。ルディが悪いわけじゃねえって、気にすんな」
家族ぐるみの近所付き合いのおかげで、同じ歳のフロアリュネ、エルトリード、ルディシアールの三人は自然と仲が良くなり、幼い時から一緒に行動するようになった、いわゆる仲のいい幼馴染みである。
フワフワした淡い金の巻き毛に、幼さを残す可愛らしい顔立ち、一見した甘い容姿に惑わされる者は多いが、実はこの少女、喧嘩慣れしているエルより強いのだ。
竜騎士志望というフロアリュネは、十二歳にして地元の道場では同年代で敵う者がいないほどの腕前だったりする。
彼等の出身地であるトゥルダスは中規模だが優良な迷宮を抱える都市であり、道場の師範の多くは引退した迷宮探索者や傭兵の腕利きであるから、実戦的な剣術を教えている。
フロアリュネの剣術はすでに駆け出しの探索者より上との師範達のお墨付きだ。そして、彼女は昔からルディに特別な好意を抱いていた。
フロアリュネもエルトリードも、頭一つ以上飛び抜けて出来の良い子供だった。
将来魔術師に成れるだろう高い魔力を発現し、道場に通い始めてからは剣術にも優れた才を見せた二人に比べ、体が弱く、魔術師の家に生まれながら魔力がほとんど無いというルディシアールは、他からみれば余計に低く見えたのだろう。
虐められるというほどにはならなかったが、魔法や腕力という子供に分かりやすい面でフロアリュネ達二人に敵わない子供達のやっかみが、ルディシアールに向けられた。
ルディシアールが決して他者に劣るわけではないのだが、常に他の二人に比べ劣っている、足手まといと言った声にさらされ続けた。
それを憤ったフロアリュネは、ルディシアールに向けられる悪意に、非常に敏感に対処するようになったのだった。
それは時にエルトリードにさえ向けられる。普段は気を許した関係である、軽いじゃれ合いの範囲ではあるが、一度だけフロアリュネの逆鱗に触れ、道場の試合で本気で叩きのめされて以来、エルトリードはルディシアールの件で彼女を怒らせないことを心に決めていた。
「あーーほら、手紙書いた人、なんか凄い偉い魔術師だっていってたっけ。ルディが受験出来るようになったのその人のおかげだし」
ルディシアールに魔力を戻してくれたリュレ・クリシス・ヴェーアは、『黄金の天秤操者』という異名で知られる偉い魔術師だと教えられた。
第一位の宮廷魔術師であり、魔法ギルドの有力者でもある彼女が、何故かルディシアールを気に掛けてくれて、魔力の暴発を防ぐ治療用の腕輪を与えてくれたり、王都魔法学校の受験を勧めてくれたのだ。
経済的な理由で魔法学校へのルディシアールの進学を渋った両親を説得してくれたのもリュレだった。
お前が受験出来るのは彼女のおかげだと、ルディは父親に言われていた。
それから更に待つこと数分、新たに来た二人が申請の手続きを終えてから、ようやく三人の受験票が交付された。
「ルディシアール・シエロ君。これは治療具として特別に試験会場への持ち込みを許可する。会場の試験官にその都度申し出るように」
どうやら問題となったのは、ルディシアールが魔力の暴発防止の治療具としてリュレに渡され装着していた腕輪らしい。
不正防止のため一切の魔道具の持ち込みは禁止されているということで、ルディシアールの腕輪も厳重なチェックを受けた上で、特例として持ち込みを許可された。リュレの封書はそれについて触れられていたようだ。
筆記試験は簡単な書き取りと算術だけだった。
ルディシアール達のようにある程度大きな街に住み、初等教育として一般知識、基礎の読み書き、算術、生活魔法、魔物についてなどを教える学校に通った者は当たり前のように読み書きができるが、文字の読み書きができない者も実は決して少なくない。
魔法を学ぶにあたって、最低限の読み書きができるか調べるための筆記試験である。だから、この後の実技試験、正確には魔力の測定試験が本番だった。
まずは、一人一人試験官に渡された文章を読み上げる試験。これは呪文の詠唱ができるか、発声の確認のために行われる。
その後、大部屋を衝立などで区切ったブースで治癒魔法の適性検査と場所を移動して魔力測定試験になる。別室で個人別ではないのは、不正の監視と滅多にないことだが事故が起きた時の対処要員を、全体が把握できる所に配置しておくためだ。
「今年は治癒能力者が少なそうね」
事故対応要員兼治癒魔法の指導者として適性検査の責任者の立場にある、藤色のローブを着たクリスエルザが、残念そうに呟いた。
もともと治癒魔法の適性者は十人に一人いるかいないかであり、初級の治癒魔法を習得出来る者はその半数、中級の治癒魔術師は魔術師全体でみても百人に一人といわれている。
需要に対し絶対的に人員が不足しているため、魔法学校の入学試験でその貴重な素養を持つ者の取りこぼしがないように、適性検査は必ず全員に対して行われている。
「去年は合格者千十四人中五十ニ人でしたか」
昨年もクリスエルザと共に入学試験を担当したスレインが手元の書類を見ながら、小声で話しかけた。
栗色の明るい長髪を後ろで緩く一つに束ねた壮年の男性教員、スレインは中級の水魔法の指導を主に受け持っているベテランだ。
「治癒科二年次に進級出来るのが今のところ三十名、その中で中級に進めそうなのは九人といったところね」
肩より少し長い赤茶の巻き毛をかきあげながら、クリスエルザはここ数年で平均的な成績だと告げる。まあその中で、魔力を伸ばし上級へ上がれそうな有望株もいることを思えば悪くない。
「確かに今年は不作かもしれませんね。今の時点で三十人いないのでは、下手すると今年の治癒科一年は四十を割り込む可能性もありますか」
少し離れたところに座っている制服である魔法ギルドの灰色のローブを纏った派遣者たちも、同じように思っているのか、心無しか渋い顔をしている気がする。
試験待ちの受験生が待機する会場の反対側、対処要員として駆り出された学校の先生二名と魔法ギルドの派遣者二名が試験の様子を見ながら、今年の受験生の出来を小声で評価し合っていると、とある人物がふらりと現れた。
「おや珍しい。貴方が入学試験を見にくるとは」
スレインがわりと本気で驚いたように立ち上がって声をかけた。
なにしろ、魔法学校の講師待遇で研究室を与えられているこの人物が、こんなところに出てくることは滅多にない。
普段は研究室か訓練場と称される学校の裏に広がる荒野のどちらかに居ると言われている、ある意味有名人だ。
「ババアに言われたんだよ」
めんどくさいと、モロに態度に出ていた。
「また貴方は。あの方をそんな」
「事実だろう。まあ正面切っては言ってねえ、殺される」
多分本気でこの男がそう思っている数少ない、というか恐らく唯一ではないかというババアと呼んだ彼女は、彼ブラン・アルダシールの師匠である。
短いが不揃いに切られた黒髪は、寝癖なのか跳ねまくり、魔術師でありながらローブを着ず、茶色の上着と黒いズボンという普段着で試験会場に現れた見た目二十代前半の優男を、魔法ギルドの派遣者たちなどは露骨に胡散臭そうな目で見ていた。
ここしばらく、ブランが魔法ギルドにも学園の公式行事にも顔を出していないおかげで、彼らの脳内関係者リストに載っていなかったためだ。
ローブも纏わず、杖も持たないブランは、一見して魔術師には見えないが、魔法学校の入学試験会場で担当職員と親しく話している以上、関係者であることは間違いないのだろうと、彼等は推測した。
学校の教師の中で、ブランとの付き合いがそこそこあるスレインは、賢明に彼の暴言をスルーした。それ以外に選択肢はなかった。
「あの方の判定があるなら、私なら無試験でも構わないと思ったのですが、形式上そうもいかなくてね」
「で、そいつが試験受けに来たっていうから、俺は呼び出されたんだよな」
授業が始まれば顔を合わせることになるっていうのに面倒なと、本音を漏らすブランに、スレインは無言で手に持った受験者名簿を示した。
「事情は聞いていますか?」
「多分あんた等より知らされてるだろ」
「そうですか」
しらっと肯定するブランにスレインは力なく応える。
こちらとしても珍しい彼女の上からの割り込みの、事情を説明して貰えると嬉しかったりするのだが、やはり無理そうな感触に肩を落とす。もともと彼にその辺りの期待をする方が間違いなのだ。
一方でブランの側にしても、断ることが難しい、というか断れないを押し出した彼女の要請に、いやいや重い腰を上げてでてきたのだから、面倒がわかっている説明なんぞする気もなかった。
「まあ俺でも‥‥‥何してるっ」
暴発に近い、治癒能力の適性検査程度ではありえない魔力の弾ける気配に、ブランは身を翻した。