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拉致 後編

 警邏の詰め所に保護されたエルとフローネは、事情聴取が終わっても学校へ帰るのを断り、部屋の隅の長椅子にじっと座っていた。

 犯人の顔を知っているからとブランに協力を願ったが断られた。

 琥珀の魔術師とやり合う現場にいられては邪魔だというのと、彼ら自身の疲労を慮ったからだった。今は気が張り詰めているが、命の危険に遭遇したのだから、心身ともに相当なダメージを負っているはずだからだ。

 フローネはルディの愛剣を自分の上着に包んで抱き締めて、ずっと泣くのを堪えている。泣いたら悪い想像が本当になってしまいそうだった。

 そんなフローネに大丈夫だと、自分に言い聞かせるように繰り返すエルも、両手を固く握りしめたまま、それ以外は口にできずにいた。

 拉致された友人の無事を祈るようにじっと堪えている子供達に、詰め所を預かる警邏の騎士も兵達も何も言えずに、時折目を向けるだけだった。

 日差しはまだ傾いておらず、夕刻まではまだ大分時間はある。

 こういう事件は時間との勝負であると、経験から警邏の兵達は知っていた。

 今回の目的が拉致された子供自身である以上、生きている可能性は高いが、学校区を囲む内門の外側に連れ出されたら身柄を取り戻すことは難しくなる。更に王都の外に逃げられたら奪還はまず不可能だ。

 だが、そんなことをあの子供達に言えるはずもないと、幼い子供の親でもある詰め所の責任者である騎士は、暗澹たる気持ちを抱えていた。

 「何か騒がしくないか?」

 それ程離れていないと思える距離での、爆音や破壊音といった物騒な響きが聞こえてきた。

 人のざわめきや、行き交う足取りなど、外の様子が急に慌ただしいものになっているのに、騎士は様子を見に行かせることを部下に命じようと立ち上がった。

 「報告します。学区中央門前広場において大規模な魔法による戦闘が行われております」

 騒ぎの原因を知らせる兵が詰め所に飛び込んできたのはその直後だった。

 「街中(こんなところ)で何処の馬鹿共だっ」

 息を切らせてまず一報を口にした兵に、騎士は思わず叫んだ。だが、続けて成された報告には耳を疑う。

 「こっ琥珀と黒です。マルドナークの『琥珀の影絵使い』と我が国の『黒の魔法殺し』であります」

 まさしく戦慄が走った。そこにいた全員が絶句して色を失った。

 今更だが、その可能性はあったのだと騎士は気づく。子供を拉致したのはマルドナークの『琥珀の影絵使い』だと言ったのは、他でもない『黒の魔法殺し』だったのだ。

 「‥‥‥異名持ち同士の戦闘だと」

 下手をすれば王都が壊滅すると誰もが最悪の想像を浮かべた。

 「周辺の避難は?」

 「竜騎士殿が万一に備え、学区中央門の周辺は密かに人払いを手配されておりましたので、巻き込まれたのは門の出待ちをしていた者のみです。今のところ死者は出ておりません」

 今のところというのが、なにげに本音だった。

 「『黒の魔法殺し』の生徒だったか、拉致されたのは」

 さすがに竜騎士は万一を警戒していたと言うことだが、まさか本当に異名持ち同士がやりあう事態にはならないと思っていたはずだ。

 自重して欲しかったと、騎士は心の底から思った。

 慌てふためく警邏の兵達の中、その会話から中央門で起こった戦闘の原因を悟ったエルとフローネは、顔を上げ目を見合わせて同時に立ち上がった。

 「エル、行こう」

 「ああ」

 先に立って走り出したフローネの後を、直ぐにエルが追う。危険だと引き留める声など、二人には聞こえなかった。




 「ルディ!」

 幼馴染みの声に入り口に顔を向ければ、泣き笑いのような表情の二人がいた。

 「フローネ!エル!」

 「ルディ!良かった」

 駆け寄ってくるフローネに、反射的に立ち上がろうとしたルディの右肩を、横に立ったブランが左手で抑えて立ち上がるのを止めた。急に立ち上がったら倒れていただろう。

 「ちょっと待ってフローネ、血が付いちゃうから。でもホント良かった、二人とも無事で」

 ルディは手を前に伸ばし、飛びついてきかねない勢いのフローネを慌てて制止した。大分乾いてきてはいるが、触れば汚れてしまう。

 しかし、ブランに大丈夫だと言われていても、二人の無事はやはり気になっていたのだ。ルディもまた安堵した思いで二人を見つめた。

 「お前、それ‥‥‥大丈夫か?」

 フローネの横で、エルがルディの姿に目を顰め、身体の傷を探すように視線を巡らせる。一見したところは大丈夫そうでも、全身血塗れの幼馴染みを目の当たりにすれば、まだあまり良くない顔色もあってハッと息が詰まった。

 エルの視線をたどり、血に塗れた己の服に目をやったルディはやっぱり色々な意味でコレは酷いよなあと、しみじみ思う。

 「うん、大丈夫だよ。着替えは買ってきてってお願いしてあるから」

 いや、そういう答えを聞きたかったわけじゃないと、プチンと張り詰めていた反動でエルの中の何かが切れた。

 全力でボケてくれたルディに、エルの怒りのツッコミが炸裂する。

 「てめえっっボケてんじゃねぇっ!怪我を聞いてんだっ」

 心配していた気持ちの反動もあって、つい本気で怒鳴ってしまったエルだが、周りの大人達もまた、うんうんと無言で頷いている。

 「怪我‥って‥‥あ‥大丈夫。あの、傷は全部治ってるから。ちょっと血が足りないくらい。ごめん、心配かけて」

 エルの怒鳴り声に、ルディは首をすくめ、己の勘違いに赤面しつつ、素直に謝った。思いっきり外した返答に、二人ともルディらしいと思いつつ、なんとなくほっとして笑みがこぼれた。

 「もう、やだ、ルディってば」

 「ほんとだぜ、お前なぁ」

 「だからごめんって」

 先生の服を汚してしまったし、気になっていたからついそっちに考えがいってしまったと、ルディは言い訳をする。

 「そうだ、ルディこれ」

 ずっと手に持っていた上着に包んだルディのスモールソードを取り出し、フローネは柄をルディに向けて差し出した。

 「僕の剣。ありがとう、フローネ」

 「お前、友達には感謝しておけ。彼らが知らせてくれたおかげで、門の閉鎖が間に合ったんだ」

 外に連れ出されていたらやばかったとブランに言われ、ルディは改めて幼馴染み達に礼を言った。

 互いの無事を喜び合う子供達の姿を皆温かい眼差しで見ていたが、カウルスはふと、教え子を見る黒の魔術師の表情に混じった影に目を奪われた。何故か痛ましいものを見ているような、そんな感じがしたのだ。

 首輪を外す鍵がなかなか見つからない中、警邏の兵士に連れられて詰め所に来たのは、近所の女性魔導具職人だった。

 「ちょっと見せてごらん」

 背の高いちょっとだけふくよかな体つきをした近所でも評判の面倒見の良い彼女は、ルディの首に嵌められた魔法封じの魔導具を見るなり、怒りを露わにして目をつり上げた。

 「子供にこんな物つけるなんて、どこの人非人なんだい」

 あまりの剣幕に、ルディの方がびっくりして身体を竦めてしまったくらいだ。

 彼女は慎重に首輪を見てから横に置いた道具箱を開けた。

 「直ぐにはずしてやるからね。もうちょっとだけ辛抱するんだよ」

 これはつなぎ目の部分を切断するしかないかと言う彼女を、カウルスが慌てて止めた。証拠品になるので、できれば壊さずにおきたいという竜騎士を、彼女はとんでもないと怒鳴りつけた。

 「冗談じゃないよ。この子を殺す気かい」

 「そんな大げさな」

 後ろにいた兵士がぼそりと突っ込んだのに、魔導具職人は彼を睨み付けた。

 「アンタ、後で外したこいつをつけてやろうか。いいかい、この手の罪人用の魔法封じの首輪は治療用と違って、確実に魔法を抑えるために常に付けられている者の魔力を、少しずつ吸い上げているんだよ。しかもこいつは普通なら一個で十分な魔石を五個もつけた凶悪な代物さ。大の大人だって三日と持ちゃしないよ」

 魔力が吸い尽くされて枯渇すれば、次は生命力だ。次第に衰弱して死に至るような恐ろしい物だと言われて、聞いていたエルが顔色を変えて早く外してくれと頼み込む。

 「ルディ、ほんとに大丈夫なの?我慢してない」

 フローネも心配してルディに聞くが、当の本人は平然としていた。まだ頭がくらつくし少し身体は怠いが我慢できないほどではなかった。

 「平気。ちょっと怠いけど、魔法使えないだけで別に苦しいとかないよ」

 眩暈がしてふらついたり、怠いのは死にかけた怪我で出血が多かったせいだ。さすがに治癒魔法でも直ぐには体調が戻らないほどの傷ではあったのだ。

 魔法封じの首輪は、回復の遅れという意味では多少は影響しているが、ルディの生命を脅かすものではない。そうでなければ、カウルスに止められてもブランが力尽くで壊していた。

 こいつの魔力を抑えるにはこの位でないと無理だろうなと、ブランは思っていたが口には出さなかった。後半年もすれば、これでもルディには効かなくなるだろうとも。

 実際、ルディがあまりに平然としているので、周りの者もまさか首輪がそこまで危険な物だとは思ってもいなかったのだ。

 「鍵が見つかりました」

 死んだ犯人の一人が服の隠しに持っていたという鍵を、兵士から引ったくるように取り上げ、魔導具職人の女性は慎重な手つきでルディに嵌められた首輪を外した。

 「ありがとうございます」

 すっきりしたというルディに、ブランが無言で回復魔法をかける。限界まで魔力を振り絞って戦った後でもあり、自分でかけるよりも効果が高いためだ。

 「済みません、先生」

 「着替えたら帰るぞ」

 事情聴取もルディについては終わっていた。それもずっと意識を失っていたため、エルやフローネの証言を補完するものでしかない。何しろ自分を拉致しようとしたのがマルドナーク皇国の異名持ち『琥珀の影絵使い』だと教えられて、逆に驚いたくらいだ。

 「お待ち下さい、黒の魔術師殿」

 貴方にはいろいろとお聞きしたいこともありますと、カウルスはブランを引き留める。

 言いたいことは物凄くある。訴えたいことも山ほどある。

 ここの惨状一つをとっても、後始末の大変さを思えば、実行犯の片割れを逃がすことは出来ないと、いささか剣呑な雰囲気を纏った竜騎士に、ブランは面倒なとため息を吐いて頭をかいたのだった。





 翌日、ルディは一日寮の自室で寝ていた。傷などは治っていたため、医務室より部屋の方が落ち着いて休めると判断されたためだ。

 「起こしたか」

 「先生」

 起き上がろうとしたルディの額を軽く右手で押さえそれを制止する。

 「寝てろ。お前が思っているより、堪えているはずだ」

 額に置かれたブランの少し冷たい手のひらの感触が心地よく、ひどく安心できた。

 「助けてくれてありがとうございます」

 「お前が俺を呼んだから間に合った」

 ルディが呼ばなかったら、ブランはきっと間に合わなかった。そうしたら今頃ルディは琥珀の魔術師の手の中だ。

 「僕が?」

 「覚えてないのか」

 「はい」

 追い詰められて無意識に使った力だ。自覚がなかったのはある意味予想通りだった。

 ブランはこのことを外では一切口に出していない。何処に人の耳があるか知れないからだ。これはルディの固有魔法に関わるもので、リュレもブランも慎重になっていた。

 「ルディ?」

 張りのある落ち着いた声が自分の名を呼ぶのに、ルディは泣きたいくらいの安堵を覚える。同時に、心の奥に押し殺した恐怖が今になって甦ってきた。

 緩んだ心に湧き上がってきた甘えが、ルディの抑えていた思いを表に引き出した。

 「怖かった。ここに帰れなくなると思ったら、すごく怖かった」

 この人の元に帰れなくなるのが何より怖かったと、ルディは素直に想いを吐きだした。

 あの艶やかな男に殺されかけたとき、ルディは確かにこの人を呼んだのだ。ルディは彼にだけはさらけ出せる。エルにもフローネにも、他の誰にも言えなかった想いを。自分の弱さも。

 「お前は生きてここにいる。よく頑張った」

 恐怖の記憶に震える教え子の銀の髪を軽くかき上げるようにして頭に手を置いたブランの心に、今更ながら琥珀の髪をした男への殺意が甦ってくる。

 まったく、初めての実戦が、よりにもよって異名持ちとの命懸けのものだったというのは、不運だとしか言えなかった。

 それでも、身体と心は傷ついたが、教え子の心が折れていなかったことに、ブランは少しだけ安堵していた。恐怖を自覚して、自分でそれを吐露できた。乗り越える術は与えてやれる。

 「怖くて‥‥‥悔しかったです。力のない自分が。わかっていたけど、それでも」

 敵わないのはわかっていた。絶対的な力の差があるのは承知している。それでもただ殺されるだけだった自分が情けなくて悔しい。

 「まあ、あんな奴とやり合うことは滅多にあるもんじゃない。普通はな」

 しばらくして少し落ち着いたのを見計らい、ブランは回復魔法をかけてやる。

 全部の想いを吐き出させてから、ゆっくりと染み渡るように。ルディに負担をかけない繊細な魔法。初級の回復魔法でも、こういった使い方はまだまだルディでは及ばない経験のなせる技だ。

 「‥‥‥気持ちいい」

 穏やかに癒される心地良さに、うっとりと目を閉じる。

 「昔はこれで食ってたからな」

 「治癒士だったんですか?」

 「ああ。ろくな話でもないが、聞きたければそのうち話してやる」

 それからブランは今回の事件について、ルディの知っておくべきことを語った。

 力は力を呼ぶ。琥珀の影絵使いとの繋がりが出来てしまった以上、再会は必然となるだろう。どんな形になるかはともかく、それは覚悟しておかなくてはならない。

 「魔力が境界を超えた異名持ちは皆、四元素属性すべてと治癒を使える。そのせいで世間じゃそれが異名持ちとなる者の条件だと思われている。実際はそういうもんじゃないが、見分ける手段としてはそう間違ってもいない。お前はそれに加えてババアや俺が側にいるから、可能性の高さでは相当なものだと思われているだろう。事実、お前はいずれ俺と同じ存在(もの)になる」

 「‥‥‥はい」

 はっきりと宣告されて、ルディはそれを受け入れる。

 琥珀の影絵使いと呼ばれるあの人と相対したとき、彼は先生と同じだとわかった。自分が同じものになると言われれば、認めるしかなかった。

 彼に殺されかけて悔しいとルディが思ったのは、どこかでそれを自覚していたからだろう。自分がまだまるで届かないことが悔しかったのだ。

 「今はまだお前は十三の子供だ。だから、マルドナークは今のうちにお前を拉致して手中に収めようとした。いずれ成長したとき、国の傀儡としての異名持ちを手に入れるために」

 「でも、いくらなんでもそんなこと、大国と言われるような国がすることとは思いたくありません」

 「そうだな。お前が拉致されかけた理由はその通りだが、普通はさすがにありえん。四元素属性持ちは珍しいが、お前だけというわけでもないしな。その中でいくら可能性が高くても、他国の、しかも国の魔法学校に在籍している子供を無理矢理奪おうなどという暴挙に走るもんじゃない」

 何処の国でも異名持ちは欲しいが、表立って奪い合いはしない。これは各国が牽制し合った結果の暗黙の取り決めのようなものだ。

 過去、ブランが生国でないエール=シオンに帰属することになったのも、成人であり異名持ちとなったときに、自身がその意思を示し、王国がそれを受け入れたためだ。他にも現在ユルマルヌ公国の四元素属性持ちの子爵令嬢が、王都魔法学校に留学してきているように、建前であろうと個人の意思と自由は尊重されている。

 「だから、今回は本当に俺とババアのとばっちりに近い。これはババアも同意見だ。さすがに一国が他国の異名持ちに喧嘩を売るような真似を、容認するとも思えんからな。おそらく何処かの馬鹿の独断による暴走だ。おかげで、今回は後手に回っちまったわけだが、 あっち(マルドナーク)もこんなことは表沙汰にはできないから、ババアがうまいこと牽制をかけるだろう。琥珀の奴も当分は手を出してこないはずだが‥‥‥」

 「先生?」

 そこで苦虫を潰したような顔をして言葉を切ったブランに、ルディは訝しい目を向けた。何か嫌な予感がする。

 「あの野郎、お前のことを気に入ったとか抜かしていやがったからな」

 「そんな、迷惑です」

 即行で正直な反応を返した教え子に、ブランはそんなことはわかっているという。

 「俺だってそうだ。あの変態には俺も借りが出来た。次は利息付けて返してやる」

 他の者が聞いたらやめてくれと悲鳴を上げるようなことを、ブランは教え子に向かって宣告する。凍るような綺麗な笑みが、かなり本気だった。

 「あの、先生‥‥‥」

 自分に向けられたものでなかったから、恐怖は感じなかったが、これはちょっとコワイのではないかと思った。異名持ち同士の本気の戦いの恐さは、さすがにルディでもまずいと思うのだ。

 「そういうわけだ。ここ(王都)でまともにやり合うのがまずいのは奴も同じだ。自重はせざるを得ない。今回だって、俺さえ出てこなければ琥珀が直接出張ってきたのもバレずに済むと踏んでいただろう」

 そこは安心しろと、ブランは気配を柔らかなものに変えた。

 ルディに万一のことがあれば、ブランは本気で相手を殺しに行く。それがわかったから、琥珀の影絵使いもあそこで引いたのだ。同類であるだけに、そのあたりは互いに嫌でも理解ができる。

 「過剰になることはないが、注意だけは怠るな。相手が異名持ちでもなければ、今のお前でもそうそう無様なことにはならんだろう。危ないと思ったら、全力で逃げろ」

 「そうします」

 無駄な戦いをするような思考は、そもそもルディにはなかった。今回は逃げることが不可能であっただけで、逃げることに忌避感は全くない。

 ブランは柔らかな眼差しで教え子を見つめた。

 「今のところはそれで十分のはずだ。わかったら、ゆっくり休め。良くなったら鍛え直してやる」

 お前が生きていくために必要なものは与えてやる。

 この先、お前が失うものの代わりにはならないが、堪えられるように。自分にはそれしかしてやれないのだからと、ブランは唯一人の教え子が眠りにつくのをしばらく無言で見守っていた。




 エルとフローネは午前中の授業は休んだが、午後からの実習授業には参加するというタフさを見せた。

 夕方、授業が終わったその足でエルはルディの部屋へ行った。

 「エル」

 「具合どうだ?」

 エルは自分が部屋に入ってきたことで目を覚ましたルディを心配そうに覗き込む。

 「大分良いよ。でも、まだ眠い」

 声はしっかりしているが、事実大分眠そうだ。まだ身体が回復しきってはいないのだろう。

 「昼は食べたか?」

 「うん。ごめんね、エルとフローネには迷惑ばかりかけちゃって」

 本当に幼いときから二人には世話になりっぱなしだ。

 「別に迷惑じゃねーよ、馬鹿。それにしてもお前が寝込むのは久しぶりだな」

 「ほんとだね。魔力戻ってからは、丈夫になったから」

 「お前が具合悪いとフローネが機嫌悪くて困る。だから早く良くなってくれよ」

 それはエルの心からの願いだ。

 「先生にも回復魔法かけてもらったし、大丈夫、直ぐ良くなるよ」

 「なあルディ、お前将来魔術師になって何やりたい?」

 唐突にどうしたのかと思ったが、ルディはちょっと考えて答えた。

 「何って、あんまり考えてないけど、やっぱり魔石とか魔導具作ったりしたいかな」

 「結構器用だもんな、お前」

 「エルは迷宮探索者で、フローネは竜騎士だよね」

 トゥルダスは迷宮都市で、迷宮探索者は危険だが男の子の憧れる仕事でもあった。エルも兄と一緒のパーティを組んで、凄腕の迷宮探索者になるとよく言っていた。

 「ああ、それなんだけど、俺が魔法剣士目指してんの知ってるよな。で、それならいっそ魔導騎士を目標にしようかなって」

 せっかく王都魔法学校に入学したんだし、二年後に騎士学校の編入試験に挑戦してみるつもりだとエルは言った。

 強くなりたいと、エルは思う。

 守れなかったルディの、血に染まって倒れた姿を思い出す度に、悔しくて胸が痛む。あんな思いは、もうしたくなかった。

 「そっか、エルもフローネも騎士学校受けるんだ」

 「お前もって言いたいとこだけど、ちょっと無理だよな」

 剣の腕もだが、性格的にルディが騎士に向いているとは思えなかった。

 「そうだね。無理かな」

 「でさ、お前いっそ王都で魔導具の店やるとか。そうしたら俺たちお得意さんになるし」

 無理にトゥルダスに帰らなくても良いとエルは思う。

 「それいいかも」

 「だろ」

 わりと本気でそれも良いとルディは思った。

 選ぶ道は違うけれど、それでもずっと友達だと思う。大事な幼馴染みで親友、それはこれからも変わらないと、この時はルディもエルもフローネもそう思い、願っていたのだ。




 拉致事件は国の外交問題上、事実の大部分が伏せられた。兵士にはマルドナークの関与、異名持ち同士の戦闘については箝口令が敷かれ、表向きは容色の良い子供を狙った誘拐事件として処理されることになった。

 関係者へは、過去にブランがマルドナークの白の幻妖精を殺し、そのブランをリュレが王国へ引き抜いたことで不利益を被った輩による報復の標的に、ルディがなったのだと説明が成された。

 四十数年も前のことだが、その者が老い先が短くなったか引退することになった時に、たまたまブランの初めての弟子で、リュレが可愛がっているというルディの存在を知り、昔日の恨みに火が付いたのだろうと、理由は強引にこじつけた。

 実際半分は事実であった。

 隠されたのは、ルディが将来異名持ちになる存在であることだけだ。

 学区中央門の周囲も、あの後カウルスに請われてブランが改めて細部までほとんど魔法で修復したため、戦闘の痕跡は新しくなった石壁や石畳といったものに変わった。

 ゴーレムの製作で手慣れているなど、土魔法の技術は十二分にあるブランであるから、面倒なだけでその気になればこのくらいは、ごく短時間でやってのけられるのである。

 もっとも、大人げなくも琥珀の魔術師への悪口雑言を呟きながらの、魔力のごり押しによる修復作業には、依頼したカウルスも目を丸くして見ているしかなく、終わったときには、何とか礼の言葉を絞り出すことしかできなかった。

 なお、言うまでもないが修復は無償で行われた。一部で傷んでいた石畳がタダで新しくなったと喜んだ者がいたというのは余談である。

 拉致事件自体はこのようにして収まりを見せた。

 ただ人の口に戸はたてられないため、被害者がルディであったことは魔法学校の生徒にも知れ渡り、中には聞くに耐えないような噂が流れてエル達の眉をひそめさせた。

 「ルディはどうだった?」

 食堂でルディを見舞ってから来ると言っていたエルに、待ちかねていたフローネがルディの様子を尋ねる。

 「大分良いって言ってたけど、まだちょっと顔色が良くねぇ感じだな。ブラン先生も回復魔法かけに来てくれたらしいけど、まだ眠いって言ってた」

 「そっか、明日も無理かな」

 「オレが行ったら目を覚ましたけどな。アイツ、朝もだけどこの頃はオレが行くとちゃんと目は覚ますんだよ。そっからまた寝汚く粘るんだけどさ。明日は朝の様子見てからだけど、もう一日くらい休んだ方が良いかもな」

 「酷い出血だったもんね。いくら治療したのが異名持ちでも、直ぐには良くならないよ」

 つぎ込む魔力が桁違いの異名持ちの魔法で直ぐに治療されたから、ルディは助かったようなものだ。致命傷ではなかったというのは即死ではなかったからで、普通なら死んでいてもおかしくない傷であった。

 「しっかし、ルディの先生がまさか異名持ちだったとは、びっくりだぜ。アイツの先生自慢は相当なもんだけど、納得だよな」

 ルディのブラン先生への傾倒振りは傍から見ていても凄いものだった。それこそフローネが筋違いのヤキモチ焼きをするのではないかとエルが案じるほどだ。

 「そうだね。でもなんでだろ?」

 話しながらも旺盛な食欲で夕食を次々に片付けていっているエルだったが、フローネの疑問に首を傾げる。

 「それはルディが金の魔術師様が頼んでくれたんだって言ってたじゃないか。ブラン先生は金の魔術師様のお弟子さんだって」

 「そうだけど、あのね、エル。昨日襲われたときのこと、思い出して。わたしたち何もできなかったよね」

 「一年次じゃトップクラスって言われても、手も足も出なかった。そりゃあ相手は異名持ちだし、どうしようもないって」

 「違うよ、その前。最初に炎刃を撃ち込まれたとき、わたし風楯を張る暇もなかった。エルだってそうだよね」

 「ああ」

 「でも、無事だった。風楯が防いでくれたから。多分琥珀の影絵使いに防がれたんだと思うけど、あいつ等に雷の攻撃魔法が撃ち込まれたの、わたし見たんだ。誰がやったの?」

 「‥‥‥誰って」

 エルはようやくフローネが言いたいことがわかった。わかって、声をなくした。

 「わたしじゃない。エルでもない。エルは風魔法使えないしね。だったら、風楯張ったのも、雷魔法撃ったのも、ルディしかいないよ」

 消去法だ。あの場にいたのは自分達三人と、敵だけ。

 「そう、なるよな」

 食事をするエルの手は止まったままだ。

 それがどんなに凄いことか、魔法を学び、自ら使う彼らにはわかる。

 「わたしには出来ない。あれだけの時間であんな強固な風楯とあんな威力のある雷魔法を複数、それもほとんど同時に使うなんて無理」

 「オレたち、考えてみたらルディが魔法使うの見たことなかったっけ。アイツ、今どんだけ魔力あるんだろうな。お前、ちょっとびっくりしたんだろ」

 「そうだね。ちょっと考えすぎたのかな。ルディは凄い先生に教えられたおかげで、魔法の腕がわたしたちを追い抜くくらい上達したってことだよね」

 このとき、フローネは最初に心に浮かびかけたもう一つのことから目を反らした。

 何故、金の魔術師が異名持ちであるブランにルディを託したのか。彼女らしくないが、考えたくないと、無意識が拒絶したのだ。

 それに、ちょうど聞こえてしまった心ない言葉の方に、一気に二人の意識が持って行かれた。

 「あいつ等ちょっとばかり顔が良くって目立ってたもんだから、自業自得じゃねーの」

 「だよな、良い薬だっての。攫われちまったアイツなんか特にだよな」

 彼らがこれ見よがしに人を集めて、ひそひそ話にしては大きな声で会話をしているのは、周囲にわざと聞かせるためだった。

 「女じゃなくて良かったよな」

 「わっかんねーぜ、男でもイタズラとか、人に言えないことされちまってたりしてさ」

 「そんなことされちまったら人前にはでられねーよな。恥ずかしくってさ」

 嫌らしい笑い声が混じったのに、エルの堪忍袋がブチッと切れた。

 立ち上がり、つかつかと彼らのところへ行くと、勢いよく机を叩くように両手をついた。

 「てめえらいい加減にしろよ!ルディは死にかけたんだぞ、それを根も葉もないこと言いやがって、無神経にも程があるってんだ」

 「エル、こんな人たち相手にしない方がいいよ」

 後ろでフローネが冷たい目を彼らに向けつつ、おざなりにエルを止めた。

 「何言ってんだフローネ。お前だって頭にきてたじゃねぇかよ」

 「それはね、わたしもいい加減腹が立っているけど、こんな恥ずかしい人たち相手にするのは馬鹿らしくって。だってそうでしょ、下品な噂話して喜んでるなんて、自分がそういう人間だと公言してるようなものだって、気づきもしない馬鹿なんだから」

 痛烈な皮肉がフローネの怒り具合を表していた。

 美少女に汚らわしいものを見るような蔑んだ視線を向けられ、小馬鹿にした口調で言われれば思わずカッとなるのも無理はない。何をと、彼らがいきり立って怒鳴りつけようとした先を制し、冷たい声が食堂を覆った。

 「同感だね。僕も耳障りで仕方がなかったところだよ」

 声の主を通すために人が横に寄り、自然に開けた間を悠然と歩いて近づいてきたのは彼らのよく知る人物だった。

 「仮にも王都魔法学校の生徒であるなら、自らの品格を貶めるような行為は慎んでもらいたいものだ。同じ生徒として僕まで、災禍にあった友人を辱めて愉悦を覚えるような下劣な品性の持ち主だと、他人から見られたくはないからね」

 その気になれば学年首席にしてカレーズ侯爵の子息である彼、ローレイ・キース・カレーズの存在感は半端ではない。その彼に、冷厳ともいえる態度で対峙されれば逆らえる者などそうはいなかった。

 フローネの辛辣さも相当だったが、更にエルでさえ容赦ないと思った内容の正論を言い放ったローレイの声は、何故か静まりかえった食堂に響き渡った。

 「ローレイ君」

 「彼は君達の友人だが、僕のルームメイトでもある。あらぬ噂を立てられては僕も迷惑だ」

 優等生であり、王国きっての軍閥の子息である彼のこの一言は効くだろう。いくら魔法学校に学ぶ生徒は、実家の身分に関係なく平等だということになっていても、実力があり学校からも一目置かれているローレイに、ひいてはカレーズ家に喧嘩を売るような真似を好んでする者はまずいないからだ。

 「お前キツイぞ。けど、助かる」

 「当然のことを言ったまでだ。だが、王都魔法学校の生徒なら分別はつけられるはずだからね、僕も少し言いすぎたかな」

 これはあからさまに周囲に対するローレイの皮肉であり、脅しだ。

 「ううん。すっきりした。ありがとう」

 悪びれなくフローネは笑顔で礼を言う。

 「役に立ててなによりだ。君達も大変だったようだが、無事で良かったよ」

 「俺たちはな」

 「ルディ君は随分酷い怪我を負ったそうだね。さっきも言ったが、僕は彼のルームメイトだから気遣ってあげるように、先生方からも頼まれている。だからこれも当然のことだし、魔法学校の品位を落とすような言動は許せないからね」

 すっかり静まりかえった周囲に、駄目押しをするローレイに、コワイ奴だとエルはしみじみと思った。


ルディの固有魔法の属性はタイトルで丸分かりですね。

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