拉致 中編
切羽詰まったルディの声が自分を呼んだ。空耳ではない微かな魔法の名残りは、ブランでなければ感じ取れなかったほどに刹那で消え去った。
「ルディ‥くそっ!」
まだルディが使えないはずの魔法で伝えられた悲鳴が、教え子の危急を一瞬でブランに悟らせた。
ブランは研究室でのゴーレム作製作業の手を止め、棚に放ってあった杖を普段使わないベルトの帯剣の反対側に付けられた杖ホルダーに突っ込むと、外に走り出る。
「あいつ、今日は学生街に行くって言っていたな」
飛翔で空に舞い上がったブランは、見当をつけた学生街の方向へと急行する。
王都上空は許可の無い個人の飛行が禁止されているため、警戒に当たっている竜騎士が、違反者を見つけ即座に戦闘態勢を取るのに構わず、そのまま学生街の上へ飛ぶ。
風魔法で気配を探るが、広範囲であり雑多な街の空気に乱されて、さすがのブランでも簡単には読み切れないのに、思わず舌打ちがでた。
「どこだ、ルディ」
特に魔法の名残りに魔力が乱れている場所を探していくのに、右手と前方から接近してきた竜騎士のうちの一人が杖を構え誰何の声をあげる。
王都上空の無断飛行は問答無用で攻撃されても仕方ないところだ。もっとも、攻撃されたところで毛ほどの傷もつかないだろうが、ブランは探索を継続したまま、面倒くさそうに杖を持って柄の方を誰何してきた竜騎士に向けて示した。
白銀の杖の柄に刻まれているのはエール=シオン王国と王の紋章だ。この二つの紋章を同時に刻むことを許された杖は、王自らの手で宮廷魔術師の叙任と叙爵の式で、その証として下賜した杖しかない。
すなわちこの杖は宮廷魔術師としてのブランの身分を証明する最も手っ取り早い代物である。
そして現在七名いる宮廷魔術師で黒髪の青年の姿をしているのは、『黒の魔法殺し』だけだった。
王都上空の警戒任務についている竜騎士は、王宮直轄の王都守備連隊に属しているため、王都の警邏隊の上位に位置している。ブランが竜騎士に身分を明かす手間をかけたのはそのためだった。
もう一人の竜騎士は、ブランを見知っていたのか接近し、姿を認めた時点で「黒の魔術師」の名を叫んでいた。
「あそこか」
学生街の一角に奇妙な魔法の痕跡を見つけ、そこにルディの剣を持つ少年と少女がいた。面識はないが、おそらく幼馴染みだという二人だろうと、ブランは彼らのもとに向かう。
「隊長」
「貴様は黒の魔術師殿に従い、何があったのか確認しろ」
二人の竜騎士のうち隊長格であった者が、部下に命じる。ブランもまた、丁度良いので無言でそれを認め、そのまま彼を従えるようにして学生街に降り立った。
「ルディはどうした?」
声をかけると二人は弾かれたように振り返り、ブランとその後ろに降り立った飛竜に乗った竜騎士を縋るような目で見詰めた。
「俺はブラン・アルダシール、ルディの師だ」
「ルディの先生!」
話を聞き出すために最初に名乗ったブランだが、フローネもエルも顔を合わせたのは初めてだが、ルディの先生である彼の顔と名を知っていた。
エルと顔を見合わせ、フローネはブランに助けを求めるべく、自分達の身に起こったことを話す。大事なのは襲ってきた者達のこと、そしてルディが狙われ大怪我を負わされたことだ。
「ここでおかしな結界のようなものに取り込まれて襲われたんです。待ち伏せしていた商人みたいな男が二人と、わたしたちを追い込んだ男が二人、皆魔術師か魔法剣士でした。後から女みたいな話し方をする派手な男が来て、その人がルディを見たこともない魔法で攻撃したんです」
理路整然と状況を説明する少女の顔は、泣きそうに歪められていた。
泣くよりも、何があったのかを知らせることが先決だと、大人でもその判断ができる者は少ないのに、彼らは必死で自身の動揺を抑えて言葉を紡いだ。
最初に襲ってきた四人の男より、後から現れた男に追い詰められたと、フローネは言った。
「あいつ等、最初からルディを狙っていたんだ」
後から来た派手な男は、はっきりと銀髪の少年が狙いであったと言ったと、エルは証言した。
「真っ黒な闇のようなものにルディが包まれて、わたしたちが剣で切りつけても魔法で斬ろうとしても、全然傷つけることも出来なくて、それでルディが」
フローネの視線の先には、まだ乾いていないおびただしい鮮血が地面に広がっていた。
「ルディ死んじゃったかも、凄い血が出ていて」
声を詰まらせたフローネに代わって、エルが言葉を継いだ。
「倒れたルディに近寄ろうとしたら、急に俺たちの目の前から見えなくなったんだ。ルディもあいつ等も」
「あの子が魔法でやられただと?」
ブランに従った竜騎士は、名をカウルスといい、公開練習試合のときルディに注意をした魔導騎士であった。
だから、彼は黒の魔術師の弟子である銀髪の少年が、魔法でやられて連れ去られたことに衝撃を隠せなかった。
公開練習試合で見せた魔法の手腕から、たとえ複数いたとしてもそこらの魔術師があの少年と真正面からやり合ってそうそう勝てるものではないと、カウルスは思っていたし、その認識は正しい。
ブランはそのようにルディを鍛えたのだ。だからルディが逃げることすら出来なかったとなれば、それは尋常な相手ではない。
ルディを捕らえた者が用済みとしたから、エル達は結界から出されたのだとブランは判断した。
この二人が見逃されたのは、相手の気まぐれであり余裕だ。そして、ルディの生存も確信する。
「わざわざ死体を持ち去りはしないだろう。ルディは生きている。それで、その派手な男のことをルディは何か言っていなかったか」
「ルディ凄くその人のこと怖がっていた。わたしたちに逃げろって、この人はダメだって。そうしたらその人、自分のことわかるなら、ルディのこと仲間だって、見逃してやれないって言ったの」
やはりそうかと、ブランは最悪の予想が当たっていたことに臍をかむ。
ルディが怯えるような存在であり、仲間だというなら、それは自分と同じモノしかあり得ない。すなわち、ルディを襲ったのは異名持ちだ。
まさかこの時点で異名持ちが直接仕掛けてくるとは想定外だったと、ブランは自分の甘さに腹を立てる。
「あと、そいつ物凄く顔の良いヤツだった」
自分達はルディを見慣れていて、美形に対して免疫があるが、その自分達の目で見ても、彼はとてつもない美人だったとエルは言い、フローネも頷く。
ルディやそして、ルディの先生だという目の前の男性と張る美貌だ。三人ともタイプは違うが、どこか似たような雰囲気を纏っているとフローネは気づいた。
「その男の髪の色は?」
「黄色のかかった薄い茶色、黄土色っぽいけどもっと派手な感じ」
そのフローネの証言で確定した。ルディを襲ったのはマルドナークの『琥珀の影絵使い』だ。
ブランは後ろの竜騎士カウルスに向かって言った。
「王都魔法学校の生徒でオレの教え子が、マルドナークの手の者に拉致された。大至急ここの門を閉じるよう手配を頼む」
本来宮廷魔術師に軍を動かす権限はない。しかし、王国の異名持ちの依頼は、国王ですら無碍にはしないのだ。
まして、王宮の膝元の王都内で、白昼堂々と魔法学校の生徒が他国の手の者に拉致されたとあっては、王国の面子は丸つぶれとなる。
「直ぐに手配いたします」
機動力に優れた竜騎士を同行させたのは正解だった。カウルスは上空で警戒しながら報告を待っていた隊長に、状況と内門を閉鎖するように依頼された旨を報告する。
ルディが連れ去られた直後に、ブランはここに駆けつけているのだ。フローネ達の証言と現場の状況から見ても、まだ学生街の外には連れ出されてはいないはずだった。
ブランは真っ先に学生街を含むこの地域から外に出入りするすべての門に対し、風魔法で探査をかけていたから、動きがあればわかったはずだ。
「黒の魔術師殿はこの後はどちらに?」
ようやく駆けつけてきた警邏の兵に、エルとフローネを保護するように頼んだブランへ時間をかけずに戻ってきたカウルスが飛竜に乗ったまま声をかけた。
手配が行われることを知らせると共に、この先の黒の魔術師の動向を伺うためにである。
「学区中央門へ行く。相手は『琥珀の影絵使い』だ。俺が行ったら中央門のみ出入りを許可する」
「了解しました」
マルドナークの異名持ちの名に、カウルスは全身を走る戦慄に息を飲みつつ、隊長に更なる報告を届けるために空へと上がった。
異名持ちに対抗出来るのは異名持ちのみだ。けれど、異名持ち同士が戦う現場に居合わせるのはできれば勘弁して欲しかったと、その後、隊長の命令でブランを補佐するためと連絡要員として中央門に向かうこととなったカウルスは、職務を全うする使命感を悲壮な覚悟で奮い立たせる。
自分は一介の魔導騎士だ。人の境界を超えた魔力で振るわれる魔法に巻き込まれでもしたらひとたまりもないだろう。
もっとも、それはまさかの事態だ。いくらなんでも自重はしてくれるだろうと思いつつも、教え子を攫われて怒りを露わにしている黒の魔術師に、とてつもない悪寒と不安がよぎった。
そのため学区中央門に向かって空を駆けるカウルスは、やはり万一の手配は必要かと、先程隊長にそれも提言して了承を受けていたが、出来れば杞憂に終わって欲しいと願わずにはいられなかった。
目的の少年を捕らえた琥珀の魔術師達は、拠点にしていた民家で急ぎ姿を変えていた。含み綿や鬘なども使い、巧みに変装した彼らの見た目はがらりと変わった。それこそエルやフローネが見ても、わからないくらいだ。
「その子、丁寧に扱いなさい。気がついてもまともには動けないでしょうけど、拘束は必要ね」
一歩間違えば致命傷というかなり手酷い怪我を負わせ、出血も相当あったから、治癒魔法で傷を治してもすぐには回復しない。
当分気づく事もないとは思うが、王都を出るまでは騒がれては面倒だと、琥珀の魔術師はグランドル将軍の手の者たちに命じる。
身体を操る影支配の魔法という手もあるが、魔法封じの首輪を付けてあるから、本人に対する魔法行使も影響を受けるのだ。
彼らは用意しておいた棺のような箱の底に革ベルトを取り付けた。
万一目が覚めても騒がれないように猿轡を噛ませてルディを入れ、革ベルトで両手首と足を縛めて蓋を閉ざす。
箱を使うのはルディ自身に魔法をかけにくいため、箱に対して隠蔽の魔法を使うためだ。
表に用意した箱馬車に、他の箱に紛らせるように乗せた上で、琥珀の魔術師も共に乗り込み、ルディの入った箱と自身を闇魔法で影に潜ませる。
他の箱の中身は王都で買い付けた薬や香辛料、衣類、アクセサリー等の雑貨である。地方の宿で使う物を買い出しに来たという名目のためだが、これらの品は琥珀の経営する『黄玉の竪琴亭』で実際に使うつもりだった。
御者台に二人が座り、残りの二人は傭兵を装い少し離れて別行動を取る。
「内門が閉鎖されています」
あまりに迅速な手配に舌打ちしつつ、手綱を握った男が一旦馬車を止めた。
もう一人の男が馬車から降りて、周囲の者に状況を尋ねて回る。
「お偉いさんの子供が攫われて、捜しているらしいって聞いたわ。真っ昼間から人攫いだなんて怖いねぇ」
商売人らしい女性は、男にそう言った。当たり前だが、まさか自分の話している相手が、その人攫いの一味だとは思ってもいない。
「子供が攫われた?」
「銀髪の男の子だって、警邏の人が言っていたわ」
一通り状況を確認し、馬車に戻った男は、何気ない振りをして通りかかった仲間である二人の傭兵を呼び止めた。
「おーい、人攫いが出て門が閉まってるってよ」
「ああ、聞いた。けど中央門は出られるらしい。あんたらも中央門へまわんなよ」
「荷物は全部調べられるだろうし、時間かかるがそれしかないだろうぜ」
手を振って先を歩いて行く二人組の傭兵に礼を言って、馬車を中央門の方へ向けた。
荷物を調べに行く振りをして、馬車に入ると影に潜んだ琥珀の魔術師に報告する。
「やはり手配されています。中央門からは出られるそうですので、そちらへ向かいます」
「仕方ないわね。まあ、見つからなければ良いんだし、急ぎましょう」
闇の中から声が返ってくるのに頷き、御者に馬車を進めるように言う。不自然にならないように、少し早足程度で馬を走らせた。
学区中央門の前は、四台の馬車が並んで門を通る順番を待っていた。子供は一人一人しっかりと調べられていたが、見るからに攫われた子供と違う年代の人間は、簡単な検査と身元証明で通されている。
馬車は荷物を全部下ろされ、中身を確認していた。馬車自体も魔法まで使って詳しく調べているようだ。
手綱を握る男は隣に座る男と顔を合わせ頷いた。これは時間がかかると思ったが、大人しく順番を待って列に並ぶことにする。とにかく王都から出ることが先決だったからだ。
琥珀の影絵使いが使うのは闇魔法だ。影に潜む魔法は、他の魔法の隠蔽とは違い存在自体が影に潜るため、目で見つけることは不可能であり、他の魔法も通さない。故に、見つかるはずがないという自信があった。
順番がきてすべての荷物を下ろされ、空になった馬車の荷台に乗り込んだ兵士が、壁を叩くなどして調べた後、何もないことを報告するのを、横で見ていた二人の男は平然とした態度を保ちつつ胸を撫で下ろしていた。
ここを出てしまえば逃走はずっと簡単になると思っていたからだ。
彼らは兵士達が馬車から降りた後、馬車に寄ってきた青年にも特に警戒を向けずに、再度馬車に載せるために荷物に手をかけていた。
怪しまれない態度を保ちつつ急いで荷物を積み込み、一刻も早く門を出たかったからだ。
しかし、それは無駄に終わる。
黒髪の青年が馬車の後ろに立つと同時に、馬車の中で気配が動いた。
詠唱も何もなく、唐突に馬車の内側と外から魔法がぶつかり合った。
迸る炎を風が打ち砕く。馬が切り離され、屋根と横の壁がほとんど吹き飛んだ馬車の上に、琥珀色の髪をした美しい男が長い箱を後ろに置いて立っていた。
「アンタ、『黒の魔法殺し』ね」
魔力そのものを消し去る魔法殺しの力で、影から引きずり出された琥珀の魔術師は、忌々しげに黒髪の魔術師を睨み付けた。
「そうだ、『琥珀の影絵使い』」
ブランは風刃を放ち、四方から攻撃しつつすべての車輪を砕いた。応じて琥珀の影絵使いは影を展開し自身を護る楯とし、更に刃に変えて放つ。だが、闇の刃はすべてブランに届く直前に消え去った。
「乱暴な挨拶ね」
思っていた以上に、自分の魔法は魔法殺しの力と相性が悪いと、琥珀は目を眇めた。
魔術師の天敵と言われる『黒の魔法殺し』の名を持つ男。
できればこの男にだけは会いたくなかったのだ。
また、いきなりの魔法のぶつかり合いに度肝を抜かれていた周囲も、蜘蛛の子を散らすように馬車も人も慌てて逃げ去っていく。
門を閉ざせという竜騎士の声に、兵士がようやく動き出した。
こいつがこんなに早く出てくるとはと、琥珀の魔術師は目をつり上げた。
ある意味、銀髪の少年を庇護する金の魔術師以上に警戒していた相手だ。
闇魔法に有利な夜を待たず、早急に王都を脱出する策を取ったのも、この男の介入を避けたかったからなのに、計算違いも甚だしい。
「俺の教え子を返して貰う」
美形が凄むと迫力がある。本気で怒っている黒の魔術師に、琥珀の影絵使いは内心の焦りを抑えつつ、目を見開いた。
「アンタの教え子ですって?」
「そうだ」
それならば この男がこれ程早く動いたのもわかる。
箱の中にいる銀髪の少年は間違いなく異名持ちに成長するだろう、自分の同類だ。それはこの黒の魔術師も同じ。
同類である自分の教え子を奪われれば、これ程の怒りをぶつけてくるのも道理だった。
「最低っ!あの老いぼれ樽腹爺、よくもアタシに言わなかったわね」
帰ったらただじゃ置かないと、琥珀の魔術師はグランドル将軍への殺意をみなぎらせた。
黒の魔法殺しの愛弟子と知っていたら、のこのこエリオンくんだりまで、人攫いの真似事をしにやってこなかった。いや、もう少しやりようを考えたというものだ。
「ルディを返せ」
「嫌だって言ったら?アタシ、この子気に入っちゃったの」
返答は鋭い風の刃だった。水平に放たれた目に見えない刃は、琥珀の魔術師が影の楯で身を護ったその余波で、背後の石造りの壁を半ば以上切り裂いていた。
「お返しよっ」
影刃を四方からブランに放つ。無効化されるのは承知の上で、その後ろを追うように飛ばした石槍牙の絨毯攻撃が本命だ。魔力を消されてもこの距離なら石槍が届くと狙った。
ブランは影刃を消しつつ後方に身を引き、上から暴竜嵐を打ち下ろす。
凄まじい轟音と共に、周囲の地面が削れ、風が引いた後には無残な穴が幾つも穿たれていた。
「アンタ少しは手加減しなさいよ」
「している」
嘘つけと、待避しているカウルスや兵は突っ込みたかったが、事実これでもブランは手加減しているのだ。ルディに被害が行かないように。逆に言えば、それ以外は構ったことではないということになるが。
しかし、少なくとも異名持ちが全開で魔法を使えば、王都自体がただでは済まないので、大規模殲滅魔法を使わないという点では、どちらもそれなりに自重はしていた。
他国の、かつ敵側として位置する者としてはイマイチ妙ではあったが、琥珀の魔術師が言ったのは、茶々に近く、あくまで街中での戦闘を前提とした手加減である。
そもそもブランが使っている風刃は、威力と速さ、精度が段違いであるが、分類としては初級魔法である。今の暴竜嵐も速度を最優先とし、範囲と威力を絞ってある。
二人の異名持ちが魔力にものを言わせた大規模魔法ではなく、技巧を極めた魔法戦闘を選択しているのは、少し見る目のある者からは明白だった。それでも破壊力は馬鹿にならないのは、よく言えば愛嬌である。
もう一度、琥珀の影絵使いは三つの魔法を同時に操った。
鳥の姿をした影の刃が何羽も舞うように鋭くブランを取り巻き、炎竜嵐が同時に撃ち込まれた。魔法殺しがすべての攻撃を無効化したとき、ブランの直ぐ右横と左後ろには剣を抜いた傭兵の姿が現れる。影に隠してブランの傍らへ彼らを送ったのが三つ目の魔法だった。
傭兵達が剣を振るうのに合わせ、影刃を放つ二段構えの攻撃だ。
ブランはわずかな動きで立ち位置をずらし、抜刀したそのままの剣で右側から斬りかかってきた傭兵の頸動脈を切り裂いた。
剣を抜いてから影刃が消えるのと、左手で放たれた投刃がもう一人の傭兵の喉を貫くまでに一息すら必要なかった。
そのまま間髪を入れずに仕掛けたのは今度はブランだった。穿孔牙を四本まとめて螺旋状に撃ち、地を蹴って琥珀の魔術師に向かう。
琥珀の魔術師が穿孔牙を防いだ楯ごと、魔法殺しを纏わせた剣で切り裂いて肉薄する。
「痛っ」
危うく腕一本持って行かれるところだった剣の一撃は掠り傷で済んだものの、避ける先に投げ込まれた投刃が右脇腹に突き刺さった。
右腕と腹の傷を治癒魔法で治しながら、琥珀の影絵使いは石礫の弾幕を張ってブランの剣の間合いから逃れた。
「痛いじゃないの! 異名持ちが剣に投刃なんて、アンタどんだけ非常識なのよ」
魔法殺しの能力だけでも厄介なのに、魔術師が使う剣のレベルではない。あれだけの腕を持つ者は剣士でも滅多にいないだろう。
やっぱりこの男、物凄く危険だと琥珀の魔術師は奥歯を噛みしめた。
魔術師の天敵の名にこれほどふさわしい男はいない。何しろ魔法殺しが知られていなかった油断があったとはいえ、この黒髪の魔術師はかつて白の幻妖精を殺しているのだ。
「お前がルディにしてくれたことを思えば、生ぬるいくらいだ」
地面に残されていた血溜まり。教え子がこいつに負わされたであろう傷に比べれば、こんなのはまだ甘いとブランは言う。
会話の最中も、間断なく繰り出される魔法の攻防は、どちらもわずかな隙をさえ許さないギリギリの均衡を保っていた。
「あの子があんまり強情だから、つい、ね。直ぐに治したわよ」
どこまでやれるか見てみたかったしと、琥珀の魔術師は悪びれなく言った。大人しく捕まってくれれば、手荒な真似はしなかったというが、どこまで本気かわかったものではない。
「止めなさいっ」
ブラン以外に向けられた琥珀の魔術師の声が飛んだ。
互い以外の微かな人の気配が感覚に引っかかったのは偶然ではない。彼ら異名持ちの研ぎ澄まされている戦闘中の意識は、全方位に及び魔法や人の気配を鋭敏に捉えるのだ。
二人の戦闘の隙を狙い、ルディの入れられている箱の蓋に手をかけた男の右手には短剣が握られていた。
蓋を開き短剣を素早く振り下ろそうとした男に向かい、間髪を入れず二条の魔法が放たれる。
風弾が男の短剣を右手ごと吹き飛ばし、影刃が首を飛ばした。首のない死体が、仰向けに後ろへ倒れていくのに、二人の異名持ちは一旦手を止めて冷たい目を向けていた。
余計な真似をしてくれた馬鹿に、なんとなく水を差された気分で、二人は互いの出方をうかがった。
「わかったわ。今回は手を引く。せっかく可愛い弟ができると思ったのに」
物凄く残念そうに、琥珀の魔術師は肩をすくめた。
ルディを気に入ったのは嘘ではないのだ。
凄く怖がっていたのに、追い詰められながら意地を張って、最後まで屈しなかった芯の強さに、呆れるほど素直な強情さを見せてくれた。はっきり言って、可愛がって構い倒したいと思うような好みだ。それこそルディには迷惑だろうが。
「それで済むと思っているのか」
「済ませた方が良いと思うわよ。これ以上、こんなとこでやり合うのはね」
中央門前の広場は、かなり悲惨なことになっていた。石壁の一部は崩れかけ、地面はぼこぼこ、人的被害が出ていないのが不思議なくらいだった。
一応これでも双方かなり自重はしていたのだから、これ以上やったらどうなるかは推して知るべしだ。
さすがに、ブランもため息をついて抜いたままだった剣を鞘に収めた。確かにこの後は王都壊滅コース一直線だ。
「あっと、忘れていたわ」
思い出したように琥珀の魔術師がポンと両手を合わせた。
ブランが視線を流した先で、男の首が一つ落ちた。残る一人の拉致の実行犯だ。
「気絶してるけど、あの子は魔法を封じてあるだけよ。じゃあね」
怪我は負わせてしまったが治してあるし、それ以上は何もしていないと言う。
そのまま琥珀の影絵使いはブランに背を向ける。
「開け」
妙に甘い声で琥珀の魔術師が唱えると、中央門がバタンと全開した。右手を軽く挙げて背を向けたまま手をひらひら振り、琥珀の影絵使いの名を持つ男は姿を闇に溶かして消えた。
一方でブランは、琥珀の魔術師が去るのに任せ、ルディの元へ足を向けた。
箱を覗き込めば、意識のないルディの服は、血塗れであちらこちらがズタズタに切り裂かれていたが、琥珀の魔術師が言ったとおり身体に傷は残っていなかった。
「やっぱり手緩かったか」
服の惨状に目を顰めたブランは、琥珀の魔術師への報復が足りなかったと呟いた。
風刃でルディの手足を拘束している革ベルトを一瞬で切り裂き、左手を背にまわして上半身を抱き起こす。猿轡を外してやり、首に嵌められている魔法封じの首輪に手を伸ばした。ぐるりと手探りで首輪のつなぎ目を探すが、どうも鍵がなければ外せないようだとわかると、壊すかという。ブランの魔力であれば、魔石ごと首輪を壊すのも難しいことではない。
「待ってください、鍵を探させます」
カウルスがブランの手を止めた。
琥珀の魔術師が最後の一人を口封じに殺していったので、犯行を証言させる者がいなくなってしまった。そのため証拠品としてなるべく残したいのだということだ。
「これだけの魔導具であれば、マルドナークに繋がる何らかの手かがりになるかもしれません」
そうそう手がかりが拾えるとも思えなかったが、一応理屈はわかるということで了承し、壊す手を止めて、ブランは取りあえずルディを起こすことにした。
首輪のせいで回復魔法はかけてやれないが、琥珀の言ったとおり気絶しているだけのようだ。
「おいルディ、起きろ」
呼びかけながらペチペチと何度か軽く頬を叩いて覚醒を促せば、淡い青の瞳が瞼の下から現れた。
まだ意識がはっきりしないのか、しばらくぼうっと定まらない視線を宙に向けていたが、数度ぱちぱちと目を瞬かせ口を開いた。
「‥‥‥先生?‥‥」
ゆっくりと戻った視界に写ったのは、黒髪の先生の顔だった。
「えっ‥‥と‥‥‥僕、生きているんだ」
てっきり殺されたと思っていたルディの第一声に、ブランは何とも言えない表情をしていた。
「お前、そのボケは笑えないぞ」
実際、殺されかけたのだから笑い事ではない。マルドナークがこうも早くルディに手を伸ばしてきたことも含め、一歩間違えればブランは教え子を失っていたのだ。
「あの、エルとフローネは」
「お前の連れなら無事だ」
警邏の兵に保護させたというのに、ルディはホッと息をつく。
「身体はおかしなところはないか?」
「はい、大丈夫です。ちょっと頭がぼうっとするのと、なんとなく怠いくらいで」
そこまで言って、自身に回復魔法をかけようとしたルディは魔法が使えないのに気がついた。魔力はあるのに、魔法が形にできないのだ。
「こいつのせいだ。今鍵を探している。立てそうか?」
首輪に軽く指をかけて示すのに、ルディも自分の手でそれをなぞってみた。鬱陶しくて嫌な感触に顔を顰める。
ブランの手を借りて、ルディはゆっくりと立ち上がった。箱から出るのに足がふらついて支えて貰ったが、何とか歩けそうだった。
「そう言えば、ここ何処ですか」
周囲の惨状に目を見張りつつ、ルディは今更のようにキョロキョロと周りを見回す。
見覚えがあるような気はするが、何しろ地面を筆頭に周りの景色がいろいろ悲惨だ。
「中央門のまえだが‥‥‥あー、ちょっと待ってろ」
琥珀の奴に直させれば良かったかと、半分は自分の仕業であるのに、ブランはなにげに責任転嫁をしつつ土魔法の整地を行使した。ついでに、自分がぶち壊しかけた石壁も直しておく。魔法による力業の修復だ。
おおざっぱだが、この位やっておけば良いだろうと自分で納得して、取りあえず門前の警邏の詰め所でルディを休ませようと歩き始めた。
「済みません、先生。服が」
まだ乾き切っていなかった自分の血がべったりと支えてくれているブランにも付いてしまったことに気づき、慌てて身体を離そうとして転びかけたルディを、なに馬鹿やっているとグイッと引き寄せた。
「今更だ。もともとさっきの騒動で汚れていたしな、お前に比べればマシだ」
「‥‥‥これ、ちょっと酷いですね」
さすがにデューレイアやブラン相手の実戦並の授業でも、これほど酷いことになったことはなかった。
「ここへ」
カウルスが詰め所の奥から持ってこさせた木の椅子にかけるように勧めた。
「悪いが誰かにこいつの着替えを買ってこさせて貰えないか」
さすがにいつまでも血塗れの服を着せておくのは可哀想だ。それに、周囲も汚してしまうからと、ブランがそこにいた兵士に頼む。
手持ちがないので金は後で届けるというと、ルディがポケットから無事だった財布を取り出した。
「済みません、これで足りますか?」
財布を丸ごと渡したルディに、後で払ってやるとブランは言った。慌てて飛び出してきたから、財布まで気が回らなかったのだ。
「でも、僕の服ですから」
「いや、今回のことは俺のミスだ。マルドナークがこうも早くお前に直接手を出してくるとは予想していなかった」
正直に言って、甘く見ていたという。
「あの、でもどうして僕が狙われたんですか」
ルディにはそれがわからなかった。
昔から変な人に絡まれたり、攫われかけたことは何度かある。大体、フローネやエルと一緒だったから、上手く切り抜けてこれたが、今回のことはそれらとは根本から違っていた。
「お前は俺の教え子で金の魔術師が後見についている。ちょっと昔の因縁で、俺もババアもマルドナークとは折り合いが良くない」
半分はそのとばっちりだろうと、ブランは言った。
「とばっちりですか」
なんか迷惑な話だけど、国がそれで自分を狙ってきたといわれてもピンとこない。
「半分はな。もう半分は、お前自身が琥珀の影絵使いを引き寄せたんだ」
「僕が?」
「わかったんだろう、あいつが何なのか」
「先生と同じだっていうのは。‥‥‥僕、手も足も出ませんでした」
完璧に負けたどころか一方的に嬲られて終わった。敵わないとは最初からわかっていたものの、やはりブランの教え子として情けなかったと、ルディは項垂れる。
「相手が悪かった。お前じゃ十年早い」
生きていただけで上出来だという。
異名持ち相手に手も足も出なかったと落ち込むのは、自惚れが過ぎないかとカウルスは思ったが、続く黒の魔術師の発言に何かが引っかかった。それが、「十年早い」であると気づき、その意味を考えてはっとする。
普通ならそれは無理だという意味にもとれるが、「今は」無理だというのがおそらく正解だ。
銀髪の少年を凝視するカウルスを視線にとめ、ブランは無言で言うなと首を横に振った。