プロローグ
そこに居る者達を軽く睨め付け、黄金の美女は皮肉げに口元を歪めてみせた。
「この子に魔力がないと?冗談を言うではない」
随分と見る目がない者がそろったものだと、リュレは呆れたように呟いた。
ロンギアナ大陸は、中央を南北に端を発する険しい山脈と巨大な地割れによって、大きく東西に分断されていた。
山脈は万年雪に閉ざされた連峰が人の踏破を拒み、底が見えない地割れの幅は大河よりも広く架橋は不可能、そして、何れも強大な魔物の巣窟となっているため、人の足では越えられない大地の壁といわれている。
大地の壁を越える方法は、海路をもって迂回するか、大地の壁の中央よりやや北寄りにあって東西を貫く唯一の地下通路である、発見者の名が付けられたゴンドレーク大鍾乳洞を抜けるしかなかった。
大地の壁の西側、大陸西方諸国において、三大国といわれているのが、マルドナーク皇国、ユエ共和国、エール=シオン王国である。
軍事国家であるマルドナーク皇国は北方に位置し、北海の魔物に対峙しつつ、南下の野心を抱く北の大国として存在している。
商業中心のユエ共和国は南にあって、複数の大きな港を有し、更に中央を貫く大河ルノーリアと幾つもの街道をもって、交易の拠点として栄えていた。
肥沃な平地を有する一大穀倉地であるエール=シオン王国は、中央やや南寄り、東は大地の壁に接する位置にあり、歴史ある魔法と騎士の強国でもある。
ユエ共和国とエール=シオン王国は国境の一部が接しているが、マルドナーク皇国は三大国の何れとも直接国境線を共有していない。
百二十年前の大戦によって確立されたこの三大国の勢力バランスにより、西方諸国は地方でこそ小さな戦火は絶えないものの、近年では大きな戦争はなく、表面的には一応の平和を保っていた。
ことの起こりは、第四遺跡を訪れた帰り道、二人が迷宮都市トゥルダスに立ち寄った時のことだった。
それぞれ馬よりも丈夫で脚が速い竜に騎乗した、黄金の髪と瞳をした麗しい魔術師のリュレと、朱金の髪と琥珀の瞳の魅惑的な女戦士デューレイアは、タイプが違うがどちらもすこぶる付きの見た目妙齢の美女だった。
幾ら街道とはいえ女二人、しかも希有という言葉がこれ以上ないほど相応しい繊細な美貌を有する絶世なる美女リュレに、付き従うのはやはり女の魅力に満ちた女戦士のデューレイアである。
このような女性の旅は、魔物だけではなく悪意を持つ人間など物騒な連中も出没するため、安全とはほど遠いものだ。
しかし、この二人に限っては女性の旅特有の危険は皆無に等しい。
なぜなら、このエール=シオン王国のみならず世界でも有数の強大な魔術師であるリュレと、王国第一師団に所属する腕利きの魔導騎士であるデューレイアの二人がおくれを取るような相手など、滅多に居るものではなかったからだ。
その正体を知らずに手を出した愚か者たちの屍を幾つかつくりつつ、旅の目的であった第四遺跡の視察を終え、二人は王都への帰途についていた。
「結局無駄足でしたね」
第四遺跡は、かつて存在したというエルフの残した転移門であるといわれていた。それが二十年ぶりに、遺跡を中心とした断続的な地揺れという胎動を示したのだ。
調査のため、国からの依頼でリュレが足を運んだのであるが、なんの収穫もなく地揺れは六日前に突如としておさまった。
「エルフが旅立ったという、異世界に至る天空の城への門か。おとぎ話だな」
「おとぎ話、ですか」
「なんだ。デューアはおとぎ話では気にいらんか?」
リュレの護衛として付き添ったデューレイアだが、子供のおとぎ話といわれようが、結構期待し、それなりに楽しみにしていたのが正直なところだ。
「伝説のエルフの遺跡です。夢物語といわれても、もう少し面白いものかと」
現実は、石と金属で出来た門の形をした廃墟のような代物が、ぽつんと荒れ地に建っているだけで、何一つ調査の成果が得られなかった。肩すかしも良いところだ。
「なに、そんなものだ。過去、何度も繰り返したのと同じ調査をしたところで、意味はないと、一応は言ったぞ」
王都の学者や調査隊の連中にはと、リュレはあっさりと言った。
そもそも彼女自身は最初から、こんな調査で何か得られるとは思っていなかったという。つまり、これは彼女には暇つぶしのための、途中の寄り道を楽しみにした旅行でしかなかったのだ。
第四遺跡の管理は王宮の管轄下にあるため、誰を派遣しようか悩んでいた王宮魔導士長に、暇を持て余していたリュレが、旅行がてら見てきてやろうと請け負ったのが真相だったりする。
大体そうでなければ遺跡の調査などに、リュレが出張るなどあり得ないことだ。
「十年ほど前に、隣国カリエナ王国のエルフの門の遺跡に、動きがあったときには、近隣で十人規模の行方不明者が出たとか聞きました」
「らしいな。だが、それとて結局何もわかっておらん。いっそ空魔法の使い手でもなければ、誰が調べようとあまり変わらんだろうな」
稀少な魔法の名をあげられ、デューレイアはそういうものかと思った。
リュレはおとぎ話と言ったが、伝説のようなそれ自体は否定していない。ただ、調べるには手段があり、難しいと言っているだけだ。
「リュレ様?」
ふと、前方に険しい目を向けたリュレの気配に、デューレイアはたちまち戦士の気配を纏う。
「せっかくトゥルダスに来たのだ。迷宮に寄っていこうかと思ったが、なにやらイヤな気配がする」
「行きますか?」
「そうだな。なかなかに大物のようだ。デューアの良い気晴らしになるだろう」
街を囲う壁の西南に向かって、二人は騎竜の脚を速めた。
行く手から、砂蛇竜だとの叫びが響いた。
長虫と混同されるが、蛇竜は魔物としてはかなり格上である。荒れ地に生息し五頭ほどで群れをなすが、はぐれた単独の蛇竜であっても、街にでも現れれば、被害は甚大なものになりかねない。
「壁が壊されたぞ」
以前壊れて応急修理してあった箇所が、砂蛇竜に壊された。それを聞き、二人は逃げてくる人に注意しながら急ぎ騎竜を進める。
「いかんっ」
建物がきれ突如開けた眼前に、大きな砂蛇竜の姿が現れた。壁を崩し頭をもたげた砂蛇竜の前に、少年の姿がある。
「行きます!」
騎竜の背を蹴って、デューレイアが腰に穿いたロングソードを抜き去り、詠唱しつつ剣を振りかぶった。
「ふむ、間に合うか」
そうであれば、デューレイアに任せておこうと、リュレは手出しを控えることにする。
ただ、リュレは念のために少年の身を水の楯で包み込もうとし、そこに感じた魔力の気配に、微かに黄金の瞳を揺らせた。
「我魔力を捧げ世界の理に請願す。
猛き炎の槍よ我が敵を撃て〈炎槍〉」
デューレイアが一閃した剣から紅の炎が、激しく燃えさかる業火の槍となって、砂蛇竜に襲いかかる。
炎の槍が砂蛇竜に直撃したのと、それはほぼ同時だった。
ゆらりと、大きな砂蛇竜の姿が揺らめき、巨大な影がぶれたように後方にずれ、壁を崩し音を立てて地に倒れた。
何が起こったのか考えるより、デューレイアはとどめの一撃を優先する。
「我が魔力を捧げ世界の理に請願す。
火の元素を喚起するものなり。
招請に応じ火精よ、
鋭き炎の刃となりて我が敵を断て〈炎刃〉」
走り込み、詠唱を終え前方へ水平に振り抜いた剣が、再度裂帛の炎を放つ。
首をもたげようとした砂蛇竜の図体を、紅蓮の刃が真っ二つに切断した。
地に倒れ、断末魔の痙攣にのたうつ砂蛇竜が動かなくなるのを見届け、デューレイアはロングソードを鞘に収める。
リュレが後ろにいると思えばこそ、デューレイアは心置きなく全力を魔法に込められた。
「子供は?」
荒い息を抑えつつ、デューレイアは倒れている少年に駆け寄り助け起こすが、意識がなかった。
子供は怪我はしていないようだが、顔色が真っ青で身体が冷たい。
「ふむ、なるほど」
リュレは騎竜から降り、デューレイアの抱く少年の傍らに膝を付くと、右手を意識のない額に置いた。
「リュレ様、この子は」
ぐったりとした少年に、リュレは回復魔法を施した。
「心配ない。消耗しすぎただけだ。だが、これは思わぬ拾いものをしたかもしれぬぞ」
先程よりは顔色が良くなってるが、デューレイアに身体を預け意識を失ったままの銀の髪をした少年を、リュレは金色に光る目を細め、じっと見つめていた。
助けた少年を、家に送り届けたリュレ達は、出迎えた家族の反応に首を傾げる。
少年の名はルディシアール・シエロ、十二歳。トゥルダスで有名な魔石職人一家の次男だという。
「この子には魔力はありません」
リュレが、怪我はなく倒れた原因が魔力の枯渇にあると言うと、父親であるルトワーノンはルディシアールは魔力をほとんど持たない子だと答えた。
魔術師の家に生まれながら、ただ一人まともに魔力を持たない出来損ない。それがルディシアールの評価だった。
「おかしなことを言う」
鼻で笑ったリュレに、馬鹿にされた気がしたのか、彼は一瞬むっとした表情を浮かべるが、リュレはそれを無視した。
リュレ・クリシス・ヴェーアと名乗った彼女は、この国きっての実力者だ。
その本名は知らずとも、異名であるところの「黄金の天秤操者」の称号を所以とする、「金の魔術師」の別名は、この国で知らぬ者は居ない程に鳴り響いている。
その彼女に一介の魔術師が何を言えるはずもなく、ルトワーノンは押し黙り、意識を失ったままデューレイアによって運びこまれ、とりあえず店の客用の長椅子に寝かされた息子を見やった。
それから直ぐに気がついたルディシアールは、身を起こし長椅子に腰掛けた状態で、リュレに魔物に襲われたとき自分が何をしたか覚えているかと問われて首を横に振る。
「来るなって、どっかへ行けって思ったけど、それしか」
そのまま気を失ってしまったらしいとしか、覚えていないという。
彼女達に助けられたと聞き、素直に礼を言うルディシアールに、リュレはほんのわずかにその美貌の面を和らげた。
「そうか。手を貸しなさい」
リュレはルディシアールの両手を握り、金色の瞳で少年の淡い青の瞳を見つめた。
しばらく目を合わせ集中していたが、やがて視線を周囲に巡らせ、一点を見つめるとあれかと呟いた。
一旦手を放し、リュレは視線を向けた先、家の作業場の方向へと歩いて行く。
「こちらの部屋の中心に、大きな魔石がある。この家に張られた結界の元になる魔石の中心だな」
ドアを開けることなく、壁の向こうの作業場にある魔石の存在を言い当てたリュレは、その魔石がルディシアールの魔力を吸い取っているのだと言う。
「そんな馬鹿なことが」
「では聞くが、結界石に力を注ぐその魔石に、魔力を足したことはあるのか?」
「それは、ここ十年は一度も。ですが、これだけの魔石です。そうそう魔力がなくなることなど」
父親、ルトワーノンが言うのに、この家の主であるその父アルハーも頷いた。
結界はアルハーの父、この魔石屋の創業者が晩年に作り上げたものだという。中心に配置されたその魔石は、当時トゥルダスの迷宮の魔物から採取されたものでも最大級の逸品だった。
魔石は魔晶石ともいうが、魔力を内包した石である。
迷宮や魔物の化石が発掘される地層などから採掘されることもあるが、主として魔物の体内から採れる。
大きさはもちろんだが、透明で内包物や傷が少なく、色の濃い鮮やかな真紅に近い物ほど、高品質であり、強力な魔物ほど大きく魔力の強い魔石を抱えている。
特に迷宮の魔物からは質の高い魔石が採れると言われていた。
魔石はそのまま魔力の供給源として使う他に、魔力を溜めることもできるため、魔導具には欠かせないものである。
また魔法をその裡に封じることで、封じられた魔法を誰でも使える、それ自体が貴重な魔導具にもなるものだ。
「この規模の結界を維持するのであれば、状態が良ければ一杯に魔力を注入して五年くらいは持つだろうが、コレは随分劣化しておる。この状態では魔力の補給無しには、結界は十日とは持つまいよ」
魔石の急速な劣化は、許容量以上の魔力を吸収し続け、劣化を加速したためでもある。
それについては余計なことと口に出さず、結界の維持という役割で家の魔力の流れと隔絶された外にあり、しかも長い間当たり前に存在していたから、誰も注意を払わず、気がつかなかったのだろうとリュレは言った。
なおも疑わしそうな目を向ける者達にはそれ以上何も言わず、リュレはルディシアールの元に戻り、もう一度両手を強く握った。
「少し辛いかもしれぬが、我慢せよ」
握られたリュレの手から異質な魔力が身体に注がれ、全身が熱く言葉に出来ない苦痛がルディシアールの裡を駆け巡る。
「‥‥‥‥や‥‥だっ‥‥‥」
あまりの苦しさに手を振りほどこうとするのを許さず、静かにリュレは言葉を綴る。
「自身で意識し、魔力を掴み、巡らせよ」
そんなこと出来ない、痛い、苦しいと、まともに声も出せない拷問のような責め苦の中、ルディシアールの裡で、少しずつ今までになかった感覚が繋がっていく。
意識が遠くなる苦痛がどのくらい続いたのか、ふっと、唐突にそれが消え去った。
強張った全身から力が抜け、がくりと傾いだ細い身体を、横でデューレイアが支える。その子の耳元で、リュレはある言葉を囁くと、繋いだ手を放し、治療の終わりを告げた。
かなりの荒療治ではあったが、子供は堪えきった。
もう一言、リュレはルディシアールに言葉を与え、デューレイアにその子の身を託した。
「これで良い。デューア、休ませてやりなさい。こちらは少し話がある」
デューレイアに支えられはしたが、ルディシアールは何とか自分の足で歩いて自室に移動する。
「大丈夫よ。心配せずに眠りなさい」
デューレイアに言われてベッドに横になると、ルディシアールの意識は瞬く間に安眠の園へと落ちて行く。
向こうでリュレがこの子の家族とどんな話をしているかは気になったものの、穏やかな寝息を立て始めたルディシアールに、デューレイアはホッと安堵の息をついた。
彼女が見た家族全員、皆端麗な容姿をしているが、その中でもこの子は飛び抜けて綺麗な顔立ちをしていると、寝顔を見ながらデューレイアはしみじみ思う。
滅多にはいない、こんな美少年の命の恩人になったのは儲けたと、口には出さなかったが、この時デューレイアは笑みをこぼした。
しばらくそのまま見守っていたが、ルディシアールの眠りが深くなったことで、そっとデューレイアは部屋を出て行く。
「魔力はお前のものだ」
治療の最後に与えられたリュレの言葉が、深く眠るルディシアールの裡に染み通っていった。
改稿しました。