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ある勇者の憂鬱 勇者の武器

シェイド・ブラックは当代の勇者である。

神の加護を受けし最強の人間、それが勇者だ。

人類最強の彼はここ数日ずっと寝込んでいた。

酷い船酔いである。

絶え間なく襲ってくる吐き気。もはや胃の中には吐くものすらない。それでも吐き気は止まらない。

船はずっと揺れてるし、寝ていても具合は一向に良くならない。

思わず心の中で己に加護を与えている闇の神と、自分を大陸を越えて呼び出した教団が崇める光の神の両者を罵る。

大体神も加護を与えてくれるならば、運がよくなるようにとか、乗り物酔いしないようにとか実用的な加護をもっと与えて欲しい。

そう思いつつ水を一口だけ飲んだ。


この船は火と水の大陸で助けた豪商の持ち物である。

最新の技術を取り入れ、かの魔法研究都市で作られた最新型の魔法船だ。

格安で乗せてもらえ、しかも帆船よりも早いとあれば言うことはない。

だが魔法船であれ帆船であれ、自分の乗り物酔いは変わらなかった。


そんな時、激しく扉が叩かれる。

なんとか返事を返すと、扉が開いた。そこに立つのはこの船の船員だ。


「大変だ!勇者さん!クラーケンが出た!」


シェイドは何とか起き上がる。

クラーケンとはあれか。巨大な海の悪魔。

噂には聞いていたが遭遇したのは初めてだ。


「とにかくでかい!船が沈んじまう!」


シェイドは興奮して叫ぶ船員に頷いた。

今ここで口を開けば吐いてしまいそうだからだ。

そして立ち上がる。防具を身につけ、剣を持つ。


「甲板か?」

「はい!」

「危ないからまきこまれないよう注意してくれ」


必要最低限の事を伝え、甲板へ向かう。

それにしてもクラーケンとは。下手すれば船が沈む。


船が沈んだら船酔いから解放されるであろうか……。

いまなら泳いで大陸渡れる気がするぞ、俺。

船に乗るより己の体力に頼る方がマシ……。


思わず浮かんだ暗い考えを首を振って頭から追い出す。

もし万が一泳ぎきれなかったら……遠泳に失敗して死んだ勇者扱いされるのは御免である。

しかも大陸を自力で渡ろうとした!なんて後世の人間から歴史上に残る馬鹿な勇者と認識されるだろう。

別に華々しく活躍しようとは思ってない。着実に義務を果たせればそれで良い。

大体、闇の神の加護と言う時点で世間からすると自分の存在感は地味なのだ。

だから尚更、不名誉な出来事は慎まねばならない。


甲板へ出る。

その瞬間船が僅かに傾いた。船員たちが悲痛な叫びを上げる。

思った以上に巨大なクラーケンの吸盤のついた足が一本甲板にのしかかっている。

だが、そんな事より何よりも。


「うっぷ……」


シェイドは口もとを思わずおさえた。

船酔いで絶不調の時に、この海の生き物特有の生臭さはもはや拷問である。

だが堪えなければ。自分は勇者なのだ。背後から助けを求める者の期待に満ちた視線を浴びている。

こんなところで無様に吐けるものか。


まずは乗せられた足を何とかした方が良いだろう。

体重をこれ以上かけられたら沈む可能性もある。

シェイドは剣を抜き、クラーケンの足に向かって駆けた。

クラーケンもその足を振るい叩きつけて攻撃しようとする。冗談じゃない、船に穴があく。そうなると遠泳が待っている。

シェイドは巨大な火の玉をその足へとぶつけた。その間にも振るわれた足の根元へと迫る。

鼻腔にクラーケンの足が焼ける匂いが飛びこむ。

シェイドは港町の屋台で売っていたオクトープスの串焼きの香りを思いだした。

これは、あれと同じである。


「うっぷ……」


こみ上げる吐き気に堪え、剣を振りかぶる。

この匂いは健康な時なら食欲をそそられるが、今の自分には拷問だ。火属性の魔法はやめよう。

全力で剣を振り下ろし、足の切断を試みる。

だが上手くいかない。そうだろう。この剣はただの鋼の剣なのだから。

しかも使い古してボロボロだ。

本当は船に乗る前に買い換えたかったが、懐が寂しかったので見送ったのだ。

今更ながらおのれの判断の甘さを呪う。

半ばまで切れかかったクラーケンの足に至近距離から風の魔法を放ち、完全に切断した。

焼かれもがいていた足が落ちてくるのを再び風の魔法で飛ばし海に落とす。

甲板から海を見下ろすとクラーケンの頭だろうか、丸い部分が見えた。しかも足の何本かは船にその吸盤でしがみついている。

丸い部分から足が生えているならば、そこを攻撃した方が良さそうである。

その時クラーケンが別の脚を振りかざした。

シェイドは風の魔法でまず反撃した。彼の魔法はクラーケンの足にいくつかの裂傷を与えたが切断する程ではない。

その魔法でつけた深い裂傷の部分へ剣を叩きつけた。


「ああっ!」


思わずシェイドは叫ぶ。

クラーケンの足を切断し、その衝撃に耐えきれず折れてしまった己の剣を見て。

動揺を押し隠し、風の魔法で切断したクラーケンの足を海へと飛ばす。


「勇者さんの剣が折れたぞ!」


背後で船員の絶望的な声が聞こえた。

だが、今一番絶望しているのは自分である。

何故こう言うときに限って、剣が折れるのだ。

神よ!俺が何をした!

確かにさっき船酔いの件で罵ったが、それ位大目に見てくれ!


「俺、船室行って剣とってきます!」


覗いていた船員の一人が踵を返し下へと消えた。

だがそれまでクラーケンは待ってくれない。

現に奴は攻撃の矛先を変えた。足の一本を船の側面に叩きつけている。船ごと沈めるつもりだ。

シェイドは周囲を見渡す。そしてそれを見つけた。

これしかないが仕方あるまい。

それを手に取り握り締める。

そして甲板のふちへと駆けた。

背後から船員の叫びが聞こえる。


「勇者さん!それ……デッキブラシ!」


そんなものは見れば分かる。

だがシェイドは思った。いや自分に言い聞かせた。


大切なのは武器の強さでも神の加護でもない!

やる気と根性!

そして心の強さである!


何もかもがアテにならないこの世でただ一人、貧乏くじとも言える役割を押し付けられた自分である。

剣が折れ、デッキブラシでクラーケンと戦う程度で心折れる人間ではないのだ。


シェイドは苦手とする補助魔法の一つである攻撃力上昇の魔法を自分にかけた。

そして甲板にひっかかっている足の一本に凍結魔法を施す。

足が凍りついたら即座にその上に飛び乗り、それが生えている本体へと駆け下りた。

凍らせれば吸盤に邪魔されることも動くこともない。

凍らせた足の付け根を足場にして本体へと攻撃を開始する。この丸い部分へ乗るのは滑って困難だからだ。

それにしてもこれは頭なのか胴体なのか。

無事港町についたら漁師に聞こう。

シェイドはそう思い、凍結魔法を本体へと浴びせデッキブラシで滅多打ちにした。



散々デッキブラシでタコ殴りにした所で、船の側面にくっついていたクラーケンの足が一本ずつ海へと落ちる。

轟音と共に高く水飛沫があがった。

巻き込まれる、と感じシェイドは上へ上がろうとしたそのとき。

船の甲板から縄梯子がおりてきた。急いでそれを掴み登る。

甲板に登りきって下のクラーケンを見る。

クラーケンは力を失い、ゆっくりと海へと沈んでいった。


「凄いですよ!勇者さん!」

「デッキブラシでクラーケン倒しちまった!」

「海の悪魔がデッキブラシで!」


何やら周囲からデッキブラシを連呼され顔が引きつる。

これは、このシチュエーションは覚えがある。

とある砂漠の国の城が賊に襲われた時だ。

同じようにボロボロだった剣が折れ、庭園で戦っていた自分は手近な所にあったシャベルで戦った。

騒動がおさまった後、城の園丁たちからそのシャベルは伝説のシャベルと名付けられ厳重に保管されている。

そしてこの自分に与えられた称号は……。


「まさにデッキブラシの英雄ですね!」


船員の一声に気が遠くなった。

シャベルの英雄にデッキブラシの英雄……また一つ望まぬ称号が増えてしまったのだ。

シェイドは後ろにゆっくりと倒れる。吐き気は絶頂でもはや限界だ。

薄れていく意識の中で、ちゃんとした武器を与えてくれない神を呪った。

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