ある勇者の憂鬱 風邪の治し方
寒い。
とにかく寒すぎる。
震えながら勇者シェイドは布団と毛布に潜り込んだ。
毛布は二枚も重ねている。
身体はだるく、激しい頭痛が襲う。
熱はまだ下がらぬようだ。
どうやら闇の神の加護も、体調にまでは及ばぬらしい。
シェイドはここ数年ひいたこともないようなひどい風邪に苦しめられていた。
高熱に意識は朦朧とする。
申し訳程度に額の上にのせられた冷水で冷やした布は、とっくにぬるくなっていた。
ノックもなく、突然扉が開く。
ハーフエルフの魔法剣士グレンと光の神の教団の大司祭でもあり僧兵でもあるルクスが入ってきた。
普段から節約のためと、宿をとるときは仲間のうち誰かと相部屋である。
彼ら二人は隣の部屋に泊まっていた。
どうやらなかなか回復しないリーダーとも言える勇者の様子を見にきたらしい。
ちなみに病人であるシェイドの同室は、魔族とエルフの混血である魔法使いフィアレインである。
男女同室はどうかと言われそうだが、彼女はまだ六歳の子どもであるので問題はなかろう。
なにより本人曰く、人間の病気になど自分はかからないと。
生命そのものの構造が違うとか言っていたが、詳しいところはシェイドには分からない。
「あれぇ?フィアは?」
グレンが部屋を見渡す。そこにいるはずの幼い魔法使いの姿がなかった。
自らの坊主頭を撫でていたルクスがグレンに答える。
「フィアならば買い出しに行くといって出かけたはずだが。
薬でも買いに行ったのではないか?
良き薬でも飲めば、治りも早くなろう」
「そう?でもお金、僕のところに取りに来なかったけど?」
パーティーの収入は必要経費にあてる共通の財布に入る。
それぞれの性格を鑑みて、共通の財布の管理はグレンである。
各自が自由に使える小遣いはまた別に支給され、それは自己管理だ。
シェイドの薬を買うならば、まずグレンの元へ金を貰いに来るだろう。
立て替えて支払い、後で貰うと言う手もあるが、いつも彼女はまず何を買うか告げて金を貰って出かける。
シェイド本人は首まで布団と毛布にしっかり潜り、熱で顔を赤くして目を閉じている。
少なくとも相部屋である魔法使いの行方を答えられるような状態ではない。
グレンとルクスは勝手に椅子に腰掛け、何やら話し始める。
ここに居座るなら、額の布を交換してくれ。
頼む。気づいてくれ。
今日に入って何度目か分らぬが、己に加護を与えてくれている闇の神に祈る。
シェイドの枕元には木の桶が置かれている。
その中は氷結魔法で作り出した氷水に満たされていた。
だが彼の祈りも虚しく、二人は気付かない。
すると、再び部屋の扉が開いた。
入って来たのは同室のフィアレインである。
どうやら買い物を済ませて戻って来たらしい。
「おかえりー。
何か凄い大荷物だね。両手に抱えちゃって。
それに何か美味しそうな匂いするけど」
確かに何やら食べ物の匂いが漂ってくる。
健康ならば食欲をそそられる香りだ。
今の自分は食欲と無縁だが。
「屋台行って買って来たの」
「ほう。確かに何やら旨そうな物を売っている屋台が立ち並んでおったな」
「あ、これ肉饅頭じゃない?僕も一個もらっていい?」
「どうぞ」
「私ももらって良いのか?ありがたい。
それにしても屋台とは予想が外れたな」
「ん?」
「いやいやー。君がいないからさ。
シェイドの薬でも買いに行ったのかなって話してたんだ。
まあこんな田舎街じゃ、ロクな薬も置いてないだろうけど」
「薬って何?」
「そこからか!」
ルクスは病になったら人間は薬を飲むのだと説明する。
それは症状を和らげたり、治したりするのだと。
もっとも薬は高価でなかなか一般人が買うことはない。
人の病を治す魔法はない。
新しい魔法を生み出すのは大抵エルフであるが、その肝心のエルフは病になどならないのだから。
「それにしてもシェイドも長患いだね。
彼って神の加護あるんじゃないのかい?」
「確かにそうだが……。
そうか。神への日々の祈りが足りぬのかも知れぬ!
こう言ったことは、日々の積み重ね……苦境に陥ってから、祈っても都合が良すぎるのだ」
「はぁ?アンタこないだ、『祈る者は救われぬのだ』とか言ってたよね、生臭坊主!
……って、フィア!大人しいと思ったら、もう全部食べちゃったの!?」
「だってフィアのだもん。一個あげたじゃない」
「ううむ……私も屋台で買ってくるか」
「ちょっと待って!僕も行く」
あまりの騒々しさにシェイドは頭痛が増す。
部屋から出て行こうとしている二人にフィアレインは声をかけた。
「いいこと、思いついた」
二人は足を止めて振り返る。
フィアレインはシェイドの枕元に歩み寄り、額の布を取った。
「上手くいけば多分一瞬で治ると思う」
「え?ああ、シェイドの風邪のことか?」
男二人はどうやら肉饅頭に気を取られ、すっかりシェイドのことを忘れてたらしい。
シェイドはフィアレインの優しさに感動した。
それに比べて、祈りが足りないだの、肉饅頭で頭が一杯だの、この男二人は一体なんなのだ。
少しはこの子を見習うが良い。
などと考えるも束の間のこと。
「このまま止めを刺しちゃって、蘇生魔法で生き返らせる」
感動したことを激しく後悔した。
彼女の提案を聞いた二人は押し黙った。それはそうだろう。荒唐無稽な発案だ。
こんなことに賛成する訳がない。
いやいや賛成してもらっては困るのだ。
仲間に止めを刺される勇者など笑えない。
しかし、現実は無情である。
「成る程。寿命や病死は蘇生出来ぬが、我らが止めを刺せばまた話は別」
「そうだよね。一度死ねば病気もそこで終わるだろうし。
ま、試した人間がいないから何とも言えないけど」
「死に至る病ではないからな。
一度肉体が死に、復活した後まで風邪が引き継がれるとは思えぬ」
蘇生魔法は肉体と言う肉の器を完全に補修し、離れて行こうとする魂と肉体を再度繋ぐ魔法と言われる。
それ故に、肉の器を持たぬ純血のエルフや高位魔族には効かない。
ちなみに魂と肉体を繋ぐ鎖が崩壊していくのが寿命である。
フィアレインに言わせればこうだ。
病死も新しい蘇生魔法を作れば蘇生可能である。
今の蘇生魔法は病による肉体と生命の鎖の崩壊に対応する構造ではない。
ただ寿命による死はまた別で、創造主たる主神から人間に与えられた枷があるため不可能だと。
人は寿命で死に、その魂は転生して、また生まれる。
主神の与えし定めに逆らえぬように創造されているそうだ。
定められた時が来たら死から逃れられぬのが人間。
その時が早いか遅いかの違いがあるだけだ。
「もしダメだったとしても、生き返らせること自体は出来るし、平気」
いやいや。
まったくもって平気じゃないぞ。やられる本人は。
と言うか、子どもの発言を真に受けるな。止めてくれ。
ハーフエルフで金にがめつく、変に歪んで育ったせいか妙に現実的すぎる割に所々常識が欠落してるグレン。
敬虔な聖職者に見えるし本人もそう振る舞うが、実際のところ神など信じてなさげなルクス。
とても歯止めとしては役にたたなかった。
「じゃあ早速」
「待っておれ。すぐに楽にしてやるぞ」
剣の柄にグレンが手を伸ばしたその瞬間。
シェイドはカッと目を見開いた。
そして全身の力を振り絞り起き上がる。
信じるべきものは神ではない。
己の力だ。
そう、よく言うではないか。
病は気から、と。
自分を凝視してくる三人を見渡した。
「もう、大丈夫だ」
驚き、寝ている様に促す三人に高らかに宣言する。
「問題ない。
病は気から、だからな」
そうだ。風邪など何の問題もない。
このまま寝ていて、病気を治す為と寝首を掻かれ蘇生魔法などかけられるのに比べれば。
勇者たるもの、常に心を強く持たねばならない。
病になど負けてはならぬのだ。
仲間達は身をもってそれを教えようとしてくれたのだ。
そうとでも思わないとやってられない。
***
次の朝出発することになった。
朝食を食べに食堂へおりる。
起きたとき既に同室のフィアレインの姿はなかった。
目覚めの悪い彼女には珍しいことである。
食堂では既にグレンとルクスが食事をしていた。
パンや焼いた卵、スープと言った普通のメニューである。
卵はベーコンとチーズを混ぜて焼いているらしい。
普段なら食欲をそそられる香りだ。
しかし熱で身体もだるく、喉も痛いシェイドは食欲すらわかない。
だが何か食べなければ。
病気な上に空腹で魔物などとは戦えない。
「フィアは?」
「そろそろ来ると思うよ」
「お、噂をすれば来たようだ」
何か器を載せた盆を手に、食堂に入ってくる。
あの先は厨房ではないだろうか。
一体何故あのような場所から現れるのだ。
彼女は真っ直ぐシェイド達の元へやって来た。
ミルクのよい香りが湯気と共に漂う。
フィアレインは盆をシェイドの目の前に置く。
深い器の中にはミルク粥が入ってた。
「フィアが作ったの。食べて」
「病人は普通の食事など受け付けないだろうと言ってな、厨房を借りておったのだ」
「昨日のうちにパシパエのミルク買いに行ってたんだよ。
栄養たっぷりだからさ」
パシパエの乳は栄養豊かだが高価である。
なかなか平民の食卓にのるものでない。
近くの村ではパシパエの酪農が盛んだとは聞いていたが、その大半は貴族や金のある商家などへ売られる。
病人食としてはこれ以上のものはないだろう。
柔らかく煮込まれたパンも喉越しが良いに違いない。
シェイドは木の匙を取り、ミルク粥を口へ運ぶ。
ミルクの甘い香りを小麦の香ばしい香りが引き立てる。
ミルクがたっぷりと染み込んだパンはとろけるようで、優しい味であった。
温かい粥は身体を暖める。
シェイドは粥を飲み込むと、ほうっと息を吐いた。
「はい。これは僕たちから」
グレンから何か入った袋を渡された。
琥珀色の玉が詰められている。
一つ摘み出して、それが何か知った。
蜂蜜飴だ。
「喉の痛みに良いと聞いてな」
シェイドは三人の優しさに感動する。
昨日はあまりの仕打ちに『人でなし』と心の中で罵ったが……。
己を恥じる。
もっともこのメンバーにおいてはグレンとフィアレインは人間でない。
よって、人でなしと言う言葉はもはや罵倒にもならぬのだが。
感動してミルク粥を食べるシェイドの耳に三人の会話が飛び込む。
「いやー、シェイドが散々寝込むから余計な宿代かかっちゃったからねぇ」
「うむ。パシパエのミルク代と蜂蜜飴の金額も想定外の出費であったしな」
「討伐行かないとお金も貰えないもん」
三人は声を揃える。
「寝込んだ分もしっかり働いてもらわないとね」
シェイドは匙を置く。
確かに、確かに彼らの言う通りである。
間違いなく正論だ。
闇の神の教団はパトロンとしての機能を果たせない。
だからこそ、稼がねばならないし、入ってきた金は無駄に出来ない。
だが何もそれを自分の前で言う必要はないのでないか。
自己管理がなっていないと、勇者としての自覚が足りぬと諭してくれているのかも知れないが……。
すっかり風邪で弱りきった彼にはいつもの忍耐力がなかった。
今もし闇の神が己の前に現れたら、心のままに罵るだろう。
思い切り息を吸い込んだ。
そして叫ぶ。
「このっ……人でなし共が!」
しかし心からの叫びも虚しく、人迷惑だから静かにしろと三人から懇々と説教されるはめとなったのである。