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相羽総合サービス業務日誌4・外伝  作者: 笠平
本部長・伊上勇 篇
1/3

Ⅰ・東京都豊島区長崎の鯵刺し

 ――伊上勇。35歳独身。

 ――10年前、豊島区池袋を拠点とする、とある中小企業の立ち上げメンバーとして活躍し、

  現在はその会社において営業本部・本部長の肩書きを持つ才気溢れる男である。

 ――彼の生き甲斐は飲み歩き。今日も人知れず新たな穴場の発掘に精を出していた。



 今日の商談は意外なほど早く終わった。

 我が営業本部の売上目標は順調に推移している。


 俺は本来面倒くさがり屋だ。

 しかし、何故か周囲の期待や責任が集まり誰も理解してくれない。


 時刻は18時。

 そうだな、今日は直帰にしよう。


「あぁ、もしもし俺だ」

『本部長?! お疲れ様です!』

「別に大して疲れてない。商談終わったんで今日は直帰にするな」

『分かりました、……はい、スケジューラー更新しましたので。どうもお疲れ様でした』


 だから大して疲れてないと言っているだろうに。

 いかんいかん、もうどうでも良い。


 はぁ、酒が飲みたい。ここで『店を探そう』……とか言い出したら井之頭何某さんのパクリだ。

 よし、ならば俺は――


「よし。店が俺を呼んでいる」


 パクリではない、オマージュだ。



◇◆◆◆◆◆



 西武池袋線 椎名町駅。

 俺の会社からも隣駅である、小さなホームから見えるのは古い町並みを残す歴史と新しい開発地が織り交ざっている不思議な光景だ。


 大学も近くにあり、通行人には学生が目立つが、居酒屋には意外なほどその姿が見られない。

 きっと若い連中は皆池袋にでも出かけるんだろう。


 俺は分かり難く入り組んでいる商店街を抜ける。


 目に飛び込む赤い提灯が気になった。

 よし、俺をさっきから呼んでいるのはこの店だな。


 手動式のドアを開く。


 店には客の姿が一人もなく、唯一いる店主の老人は俺に反応もせずテレビを見続けている。


 小虫がカウンターを這い回る。まぁ虫くらいいるだろう。

 椅子の高さとカウンターの高さが合っていない。我慢しよう。

 清掃はきちんと行き届いている。まぁ要は中身だ、中身。

 

 俺は席に座り、壁にかけられたメニュー表を眺めた。


 先ず、スタンダードに焼き鳥が並んでいる。

 だが俺は焼き鳥っていうヤツが苦手だ。

 あの串に刺さった肉の塊は焼き立てが美味だ。

 だけどちびちび酒を飲む俺は、途中で味が激変するヤツらがどうしても好かん。

 一口目は酒に良く合う。

 しかし四口目の最後の肉は冷え切ったゴムの塊りだ。

 

 会社の宴会で定番の串盛りだが、俺は絶対に手を付けない。

 特に、一本ずつバラして、肉の冷えを加速化させるバカな女子社員には文句をつけてやりたいといつも思っている。


 まぁ、冷めても美味い上質な肉や、保温の熱石やプレートを用意してある店なんかも中にはあるが、そんな店は俺の性に合わない。


 さて、メニューを決めるか。


「大将っ」

「はい、お決まりでしょうか」


 さっきまでテレビに夢中だったじいさんが伝票を手に取り近づいてくる。


「焼酎はないのかい」

「はぁ、チューハイ用のならありますが」


 つまり甲類だけか。

 甲類……大五郎やジンロなど、連続式蒸留による大量生産の焼酎。香りも少なく、つまりはチューハイなどの混ぜ物向きの酒だ。

 基本、俺たち酒飲みが飲む焼酎は乙類……単式蒸留の風味ある酒が一般的だ。


「そうか……ならば日本酒を」

「飲み方は?」

「常温で」

「わかりやした」


「それと、つまみだが……銀杏揚げとタコの唐揚げ、お新香と……そうだな、この鯵刺しをお願いする」

「はい、少々お待ちください」


 細長のグラスに並々と注がれる日本酒。

 これで一杯300円とは安いし嬉しい。

 やっぱり繁華街のチェーン店よりも住宅街の個人店の方がコストパフォーマンスは良いよな。


 お新香はシンプルに胡瓜と茄子だ。

 この二大巨頭の共演に心が躍る。


 日本酒の鼻をくすぐる強烈な香り。

 安酒だろうと酔えれば関係ない。


 胡瓜のしゃきしゃきとした歯ごたえも心地よい。


 大将が何かを取り出しているのが目に付いた。

 あれは……厚底のフライパンか。

 何をするつもりなのだろうか。

 大将はフライパンに油を注ぎこみ点火する。

 なるほど、揚げ油か。

 今どきフライヤーが無い居酒屋も珍しいな。

 だが、新しい油の揚げ物だ。期待できる。


 ジュワジュワー、と気持ちの良い音をしばらく楽しみながら本日二杯目の日本酒を飲みきる。


「お待ち」


 良いタイミングで出てきた二皿。


 銀杏揚げ。てんこ盛りだ……一体何十粒あるだろう。普通の焼き鳥屋では考えられない。

 不揃いの銀杏、皮の処理は甘いがこのボリュームの前ではどうでも良い。


 ふわっとしたタコ唐も大粒なのがギッシリだ。

 大手チェーン店の小粒な唐揚げなど物ともしない。


 銀杏のほろ苦さと濃厚な味わい、適度な塩気が酒を進ませる。


「大将、おかわり」

「はいよ、兄ちゃんよく飲むねー」


 兄ちゃんと呼ばれる歳でもないのだが……ちょっと嬉しい。

 酒が進む。もう5杯目の酒だ。


 続いてタコ。

 うんサクサクの衣にホクホクのタコ。

 

 揚げ物は蒸し料理という。

 高温の油の中で衣の中の素材が適度に蒸される。

 素人には見極めが難しい世界だ。

 この唐揚げは安酒にぴったりの家庭的な揚げ具合が良い感じだ。

 コストパフォーマンスとボリュームの前に味の評価など無粋だが、それでも一言だけ。美味い。


「はい、おまち」


 お……そういえば刺身を頼んだんだった。


「大将……これ……」

「ん?」

「でかいねー」

「はは、そーだろそーだろ」


 唖然とする大きさだ。

 想像したのは小鉢に4、5切れの薄い刺身。

 出てきたのは大きな鯵を丸々削り取った芸術品だ。豪快である。

 分厚い刺身が8切れはある。


「大将、おかわり」

「あいよー」


 最後の一杯。そのお相手はどデカイ顔のコイツだ。

 鮮度は……まぁ並といったところ。

 だが肉厚で悪くない。

 ワサビの香りが食欲をそそる。

 酒とワサビと刺身、良いトリオだ。しっかりとした歯応えのコイツをもくもくと食切る。

 やはり日本酒には刺身が合う。



「ご馳走様っ」

「兄ちゃん、言い食いっぷり飲みっぷりだったね」

「ええ、大満足ですよ」



 会計は3,000円ちょっと。

 信じられない安さだ。

 ふぅ、酔い覚ましに池袋まで歩こうか。


 俺を呼び止めたこの店……良い個性を持っていた。

 覚えておこう。


 俺は開発されたばかりのまだ開通して新しい西池袋通りをまっすぐ歩き、池袋駅へと向かって行った。

あとがき)

あくまでこのお話はフィクションです。

モデルとなったお店に対しては無許可ですので、もし心当たりがある方はひっそりと耳打ち願います。

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