ネットカフェでの過ごし方
その後、二人で別々の個室、といってもパーティションで区切られただけのスペースだが、を取って、九時間滞在出来るナイトパックを利用する事にした。
個室番号の記載された伝票を受け取ってから、二人は店の奥に足を踏み入れた。
入口正面、レジから少し離れた位置には、ロビーでパソコンを使用する為のデスクトップパソコンが三台と、それぞれの前にパイプ椅子が一つずつ置かれている。
静まり返った店内は壁一面に本棚が並び、中心部にはパーティションに区切られた個室スペースがある。パーティションの高さは1メートル後半程で、壁に掛けてある見取り図によると、個室の数は全部で二十部屋だった。
「背伸びしてジャンプすれば隣が覗けない事もないな」と沙希が言うと、成瀬が愛想笑いを浮かべて、「覗く必要は全く無いけどね」と答えた。
沙希は遠巻きにパーティションに区切られた個室を見る。
外から姿は確認出来ないが、その薄いパーティションの奥に、確かに利用客の気配が感じられた。個室の前を通る時に、個室には入口の扉が無く、厚手のカーテンと固定用のフックで閉じられているだけだと分かった。
「これ、防犯的にどうなの?」
沙希の質問に、成瀬が何の気なしに答える。
「一応監視カメラはあるみたいだよ。それに、これだけスカスカなら、逆に目が行き届くから平気なんじゃいかな。動物園で動物を盗もうとする人はいないだろ?」
「その例え、すっげー分かり辛いよ」
「そうだね。返す言葉もない」
肩をすくめて、成瀬は伝票に書かれた番号の席を探す。その後に続きつつ、沙希はちらりと店内の本棚を窺った。
少し変色したコミックが出版社毎、作者順に綺麗に陳列されており、そのコミックの一つ一つに、ビニールのカバーが掛けられている。
さらに店内を見渡すと、店の奥にひっそりとドリンクバーの機械とコップが置かれていた。
「ああ、あった。ここだ」
不意に成瀬が立ち止まり、伝票の番号と個室の入口に付いている番号付きのプレートを見比べる。番号が合っている事を確認して、成瀬はカーテンを開けた。
中は畳一畳程のスペースで、デスクトップのパソコンと、それに向き合う一人掛けのダイニングチェアが無機質に置かれている。
「後はご自由にどうぞ。僕は僕で適当にやってるから」
「ご自由にって、何かアドバイスとか無いの?」
「ネットカフェにアドバイス求められてもね。本気で分からないなら、ちょうどパソコンもあるし調べてみたら?」
「ネットカフェに来て、ネットカフェの使い方をネットで調べろって? それって、少し間抜けじゃない?」
「少しかな? かなりだと思うけど」
成瀬がそう答えると、沙希は目を細めて口をへの字にした。それを見て、成瀬が周囲の本棚を適当に指差す。
「本棚の本は店内なら持ち歩き自由だし、ドリンクバーも自由に使って大丈夫。トイレは入口入って左のところ。ネットにつなぐ時は履歴とクッキーの削除を忘れないように。お腹が空いたら、一応メニューもあるから店員に声掛ければいいよ。やる事がなければ寝ててもいい。他に聞きたい事は? ないなら、僕は隣の個室に行くよ」
矢継ぎ早に説明して、成瀬は部屋の伝票を置いてさっさと隣の個室に入ってしまった。沙希は取り敢えずカーテンを閉め、ダイニングチェアに腰かける。座ってみると、このパーティションの高さでも、 案外周りは気にならなかった。良く出来ているな、と沙希は思う。
目の前にはパソコンが一台。とは言え、別段調べたい事も、見たいページも無い。ログオフ状態のパソコンの前で腕組みし、沙希は天井を見つめた。
「さて、どうしよう」
楽しみ方が分からない。そもそも楽しみ方を求めるものなのか。
「やる事ないなら寝ろって言ったって」
沙希は自分の座っているダイニングチェアをまじまじと見つめる。リクライニング機能は付いていないようだった。
「どうやって寝るんだよ……って、やばい。私今、めちゃめちゃ独り言喋ってる」
ピンチに陥ると独り言を喋り出す人種がいるのは知っていたが、まさか自分がそれだったとは。
「だからどうしたっていう話でもないけど。って、また独り言だな」
考えていても仕方ないと沙希は立ち上がり、個室の外に出る事にした。右も左も分からないが、その辺の本棚を端から見て回る事にする。
何を読むか悩んでいると、細身で眼鏡をかけた男がふらりと現れ、本棚から10冊近いコミックを抜いて個室に入り、それからすぐに出てきたかと思うと、ドリンクバーでコーラを注いでまた個室に戻って行った。
その姿を最後まで目で追って、沙希は一度頷いた。
「なるほど。あれがスタンダードか。分かり易い」
とはいえ、と沙希はまじまじと本棚を見つめる。種類が多い上に、選ぶとっかかりがなくて、なかなか読みたい本が見つからなかった。
二十分程本棚の前をうろうろと歩いていていたが、諦めて沙希は成瀬のいる個室のカーテンを開けた。パソコンをいじっていた成瀬の手が止まり、驚いた顔で沙希の方を振り返る。
「ああ、ごめん。エロサイトでも見てた? でも、こんな所で見るなんて、少しは恥じらい持った方がいいよ」
「大丈夫。キミ程じゃないから」
「どういう意味だ。ま、いいけど。なんかお勧めの漫画ない?」
沙希の質問に対して、成瀬は唇の前で人差し指を立てる。
「一応、マナーとして静かにね。国立図書館みたいなものだから」
「そんなに高尚な場所か? って何それ?」
成瀬が操作していたパソコンの画面を見て、沙希は顔をしかめる。成瀬が見ていたのは〝自殺願望掲示板〟と表示されたページだった。
「え? ああ、違う違う。見ていたページのリンクからたまたま飛ばされたんだけど、ちょっと気になってね」
成瀬はパソコンを指差し、沙希が隣から画面を覗き込んだ。サイト内の空気は重々しく、真っ黒な背景の上に、白字や赤字で「死にたい」「もう疲れた」といったタイトルの書き込みが幾つも存在している。そして、それら一つ一つに対して、同じような反応が繰り返されていた。
「……これって」
「まあ、似たような書き込み多いよね。よくも、まあ、同じ事の繰り返しをと思うよ。同じようなのあるんだから、それ見ればいいだろうに」
「でもさ」沙希は眉をひそめ、一度唇をきつく結んだ。それから、静かな声で、ゆっくりと言う。「死にたい。死ぬな。生きていれば。悲しむ人がいる。確かに決まりきった繰り返しだよ。普通の掲示板だったら過去スレ見ろよって感じだけどね……でも、書き込む人はいつも違う人で、同じ人でも書き込む時はいつも辛いんだよ。死にたいって言われる度に、死ぬなって言ってあげることが大事なんだと思う。死ぬなって言われると、もう少しだけ頑張ろうって思えるかもしれないし。はたから見るとアホみたいな話だけど、真剣なんだよ」
言い終えた沙希の瞳は、ほんの少し、暗く沈んでいた。それから、ふと我に返ったように首を振る。成瀬が目を大きくしているのに気づいて、唇をすぼめてみせた。
「何言ってるんだ、こいつ。って思った?」
「いや。逆だよ……キミは、普段は死ぬ程がさつで無遠慮の上に無計画だけど、人の内面を汲みとろうとする姿勢には感心させられる」
「何それ? 褒めてるの?」
「もちろん」
成瀬が素直に頷くと、沙希はばつの悪そうな顔で目を逸らした。
どうも内面を褒められると反応に困る。
「何笑ってる?」
沙希が目を細めて睨むと、成瀬は急いで口を結んで話題を変えた。
「気になったって言ったのはこれだよ」
成瀬は画面をスクロールさせ、中盤辺りの書き込みをクリックした。