第2話 夢はあるか
古いスーツケースの取っ手は擦り切れ、表面には無数の引っかき傷がついている。中身は少ないが、それでも重い。人生の重さが、この小さなケースに詰め込まれているようだ。
俺は旅に出た。決して借金取りから逃げたわけじゃない、気分転換だ。そして『みさき』という名の岬にたどり着いた。俺の魂が『そこへ行け』と囁いたからだ。
夜の岬は静寂に包まれ、波音だけが規則正しく響いている。満天の星の下、岬の先端には灯台の光が遠くで点滅している。空と海が一体となったような、どこまでも広がる闇がそこにある。
そこに、一人の少女がいた。黒い髪を海風になびかせ俺を誘っている。それでは声を掛けねば失礼であろう。
「こんな所にいたのか。さあ、俺と帰ろう」
その少女は振り向き、俺を睨みつける。よく見ても見なくても少女の着ているTシャツにでっかく『希望』と書いてある、間違いない。
「やだもん」
良い返事が返ってきた。だが再度、確認しなければならないだろう。何事にも『つい勢いで』ということがあるではないか。
「どうしてもか?」
「やだもん」
同じ返事が返ってきた。……壊れたか?
空が徐々に明るみ始め、夜明けの光が海面に反射している。オレンジとピンクが混ざり合った美しい朝焼けが、岬全体を優しく照らし出している。水平線の向こうから太陽が顔を出そうとしている。——だが今は陽の沈む時刻である。こんな幻覚を見せてくるとは、まだ希望を捨て去っていない、と言いたいのだろう。
俺は考えた。ここで、こいつを突き飛ばして保険金でも戴くか。ダメだ。今思い付いたから、保険を掛けていない。俺はズボンのポケットに手を突っ込み、悩み、少女の事を考えた。
俺は渾身の思いを込めて叫んだ。
「I Have a Dream!」
俺は渾身の思いを少女にぶつけた。だが、反応が無い。聞こえなかったのか? 俺は、ありったけの声で叫ぶ。
「I Have a Dream!」
空と海の間に、まるで虹のように色とりどりの光が広がる。青、紫、赤、オレンジ、黄色——すべての色が混ざり合い、二人を包み込むように立ち上がっている。それは現実離れした美しさだ。
二人の間に、時が止まったかのような静寂が訪れた。それはビッグバン直前、宇宙創生の瞬間に似ているだろう。
「おじさん、なに言ってるの?」
静寂が訪れたのだ。はっきりと俺の声・本心は伝わっているはずだ。しかし、この素っ頓狂な言い草はなんだ。
ああ、そうか。恥ずかしくて素直になれないんだな。すまん、分かってやれなくて。俺も素直になれなかったようだ。
仕方あるまい。無理を押し通したくない俺は少女に背を向け、別れの言葉を贈る。
「いつでも好きな時に戻って来い。俺の部屋の鍵は壊れている」
そう言い残して俺は、岬を後にした。




