◇傷痕
ヒスカリアが見惚れるように指輪を見つめ続けていると、不躾な視線を感じた。
「さて、次は……その頬の傷だな」
ヒスカリアの頬をジッと見つめて、公爵はそっとその傷痕に触れる。
「……え?」
急に触れられて思わず後ずさろうとしたヒスカリアの肩を、公爵が反対側の手で掴むと、そのまま傷に触れている方の手から温かい光が流れ出す。
「温かい……」
「少し黙っていなさい。傷に意識を集中して」
「は、はいっ……」
思わず返事をしてしまったヒスカリアをひと睨みすると、公爵はまたさきほどのように、微かに聞き取れる位の声で呪文を唱えた。
すると、頬の辺りが光り出し、みるみるうちに傷痕が消えていく。
それを見た侯爵家の三人は、思わず息を呑む。
じっとその様子から目が離せなくなってしまっている。
「これで傷は消えたな。それにしても、先代はなぜすぐに公爵家を頼って来なかったのか……。まあ、この傷がなければ、すぐに無断で他所に嫁がされていた可能性があるか……」
言いながらアリストを再び睨みつける。
「傷が……消えたの、ですか……?」
ヒスカリアは驚きつつ、恐る恐る傷痕に指を沿わせる。
そこにはすでに凹凸はなく、指先には滑らかな肌の感触だけがあった。
「……な、無い。……傷痕が…無くなって、ます……」
触れながら、ヒスカリアの目元には涙がじわじわと溢れ出す。
彼女の中でこれまでの様々な思いが巡っているのだろう。
溢れた涙はとめどなく、傷痕が消えたばかりの頬を伝っていく。
すると、公爵の側で控えていた初老の男性が、そっとヒスカリアにハンカチを差し出す。
公爵は一瞬眉間に皺を寄せたものの、ヒスカリアにそれを受け取るように促した。
受け取ると同時に、堪えきれなくなった声と涙が溢れ出す。
声を上げて泣くヒスカリアを尻目に、すっと立ち上った公爵は、用が終わったと言わんばかりに淡々と次の話を切り出した。
「今後についてだが、こちらも君を迎える準備をする必要がある。一週間後に迎えに来るので、それまでに準備をしておくように」
ハンカチで顔を覆いながら、ヒスカリアはコクコクと必死に頷く。
まさか、この家から、この虐げられる日々から脱する日が来るとは思っていなかったのだろう。
まるで夢を見ているかのように、ハンカチで目をこすりながら不思議そうに公爵を見つめる。
「詳しい説明は君が屋敷に来てからするとしよう。侯爵家の爵位についても、ひとまずは現状維持だ。君が嫁いだ後、国王陛下と協議することになるだろう」
「現状維持」という言葉に一瞬アリストがヒスカリアを睨みつけるが、夢見心地な彼女は、以前のように過敏に反応することはなく、公爵の言葉に頷いている。
公爵もアリストには全く興味がないようで、気にせず説明を続けていく。
「本来はすぐにでも結婚をと思っていたが、その状態では難しそうだな。まずは近日中に婚約を発表するとしよう。正式に結婚するまでに、君には公爵夫人として必要な教養を身につけてもらわねばならない」
「……承知いたしました」
貴族令嬢としての教育は祖父が亡くなった段階で打ち切られ、およそ十年受けていない。
さすがにそんな教養のない娘が突然公爵夫人になるのは難しい話だろう。
急に現実に引き戻されたヒスカリアは、公爵への返事と同時にギュッと拳を握り締めた。
お読みいただきありがとうございます。
タイトルの「傷持ち」を早々に治してしまったのですが、これにもちゃんと訳があります。
種明かしを楽しみにしていただけますと幸いです。
次回もどうぞよろしくお願いいたします。