◇長子の娘
公爵と目が合ったヒスカリアはその場でオロオロと戸惑い、侯爵夫妻に指示を求めようと視線を向ける。
ところが、それを遮るように公爵がそれまでとは異なる圧の弱い淡々とした声で、再び彼女に話しかけた。
「そこに居たのか。探す手間が省けた。そんな格好をしているからわからなかった。こちらに来なさい」
なぜ自分だと気付かれたのかがわからず、戸惑うヒスカリア。
呼ばれてはいるものの、ヒスカリアは凄い形相で彼女を睨んでいるミリアと侯爵夫妻の様子が気になり動けない。
すると公爵は、ソファからスッと立ち上がると、ヒスカリアのそばまで歩み寄り、片膝をついて彼女の顔を覗き込んだ。
「君が長子の娘だな」
長身の公爵の存在感に圧倒されたヒスカリアは、戸惑いながらも必死にコクコクと首を動かす。
「なぜ自分だとわかったのか、不思議そうだな。バークレイ侯爵家の長子は代々、君のような珍しい紫の瞳を持って生まれてくる。その瞳が長子の証だ」
その言葉に思わず、アリストとミリアの顔を見た。
二人の瞳は、ヒスカリアとは全く異なるエメラルドのような色をしていた。
「……お父様も私と同じ色の瞳だったと聞いています」
「だろうな。君がバークレイ侯爵家の直系長子で間違いないか?」
「直系長子……私は、前バークレイ侯爵の長男クレイヴ・バークレイの娘、ヒスカリア・バークレイと申します」
カーテシーなど習った記憶のないヒスカリアは、名乗りながら、その場でできるだけ丁寧に頭を下げた。
「合っているようだな。私は現ヴァルガス公爵、ジェイン・ヴァルガスだ。さて、ヒスカリア嬢、君はどこまで知っている?」
いきなりの質問に、何のことだかさっぱりわからないヒスカリアは、目を丸くして公爵を見る。
そんなヒスカリアの様子に、思い出したように公爵は手を打った。
「ああ。そういえば、事故で記憶を失っているんだったな」
「はい……ですが、お祖父様から婚約者がいるというお話は聞いていました」
「なぜ王家の某系である我がヴァルガス公爵家と、このバークレイ侯爵家が婚姻を結ぶかは聞いているか?」
「いえ、それは……聞いてません。聞いていたのかもしれませんが、記憶が……」
「なるほど。失っているのかもしれないし、元々次期侯爵であった君の父親までしか話していない可能性もあるな。前侯爵は晩年心を病んでいたと聞くし……」
公爵から発せられたなんの気ない言葉に、ヒスカリアはショックを受けた。
祖父が晩年心を病んでいたことを今初めて知ったのだ。
記憶を失くしてからは、病床で何度か会っていたが、ヒスカリアから見て心を病んでいるようにはとても見えなかった。
いつも優しく気遣ってくれた祖父の姿を思い出す。
「お祖父様は……心を病んでいたのですか?」
「そう聞いている。まあだがそれも、こちらの現侯爵の言い分だがな」
言いながらアリストをひと睨みするけれど、アリストは俯いたまま聞こえていないフリを決め込んでいる。
ミリアが何かしら反応しようと口を開いたものの、両親によって抑え込まれ、もごもごと口を塞がれていた。
その様子に公爵は肩をすくめると、ヒスカリアにさらに一歩近づき、胸元から小さな箱を取り出した。
「ひとまず、君にはこれを渡しておこう。左手を出して」
恐る恐るヒスカリアが左手を差し出す。
すると、公爵は箱から指輪を取り出し、彼女の薬指にはめた。
その途端、指輪が光に包まれ、徐々にその光は一点に集約されていき、指輪の中央にはアメジストのようなキラキラと輝く紫の結晶が現れた。
「やはりな。私の婚約者は君で間違いない」
ヒスカリアは自分の手の中で起こった不思議な現象に目を瞬きながら、じっと指を見つめる。
「あの、今一体何が……」
「魔法だよ」
「……魔法?」
「今話しても良いが、それをすると後が面倒だから、一旦今日はここまでだ。この指輪は婚約の証だから、決して失くさないように」
「はい……わかりました」
頷くヒスカリアを確認した公爵は、何かが気になったようで再びヒスカリアの左手に触れると、微かに吐息だけ感じる位の声で呪文を唱えた。
指輪がほんのりと白い光に包まれる。
「これで大丈夫だろう」
よくわからないけれど、公爵様が大丈夫とおっしゃるなら大丈夫なんだろうと、ヒスカリアは頷いた。
自分の理解が及ばない力だけれど、きっと何か加護のようなものを与えてくれたに違いない。
ヒスカリアは、しばらくの間、指輪をじっと見つめていた。
お読みいただきありがとうございます。
ヴァルガス公爵家とバークレイ侯爵家の秘密は、もう少し先で明かす予定です。
次回もお楽しみいただけますと幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。