◇ジェインの優しさ
(温かい……誰かが私を抱きしめてる?)
優しく抱きしめられる温もりに、ヒスカリアは少しずつ意識を浮上させていた。
大きな手にしっかりと抱きしめられている。
そう感じながら、その温もりになぜかホッとして身を委ねる。
(なぜかしら? とても心地いい……)
そう思って目をゆっくり開ける。
「……ん」
目の前には、心配そうにこちらを見つめるジェインの顔があった。
「ヒスカリア! 目が覚めたか!?」
「じぇ、ジェイン様……?」
状況が読み込めないヒスカリアは、目をゆっくりと瞬かせながら、周りを確認するように視線を動かす。
そして、自身がジェインの膝に抱きかかえられていることに気づき、慌てて降りようとするものの、ジェインの腕はビクともしない。
それどころか、ヒスカリアを落とさないよう、さらにその腕に力が込められ、安定感を増してしまう。
「ど、どうした? 危ないじゃないか」
「あ、いえ、その、ジェイン様……これは一体……」
ヒスカリアが目覚めて少しホッとしたのか、ジェインは優しく微笑むと、言葉を探るように尋ねた。
「君は……その、誘拐されたことは覚えているか?」
慎重に尋ねるジェインにつられるように、ヒスカリアがゆっくりと頷く。
その様子に、ジェインは彼の知る限りの顛末を話し始めた。
「君が誘拐されたことに気づいてすぐに魔法で犯人を突き止め、そこから犯人の思考を読んでラーカスのところへ駆けつけた。君の魔力を感じて咄嗟に壁を破壊して君を見つけたんだが、私の姿を見た途端、気絶してしまったんだ……」
ところが、最初は普通に話を聞いていたヒスカリアだったが、ジェインの話し終えた途端、その様子が一変する。
「あ……ああ、わ、私……王子様を……どうしよう!? ジェイン様、私とんでもないことを……!」
取り乱しながらヒスカリアは思わずジェインのシャツを引っ張る。
一瞬驚きつつも、ジェインは支えていない方の手でヒスカリアの手を取ると、その大きな手で優しく包み込んだ。
「君は何も悪くないし、全くもって問題ない。ヒスカリア、君は被害者だ。何があったかは王子にまとわりついていた黒い靄を見れば一目瞭然だ。私が仕掛けていた防御魔法が上手く働いたようだな」
「やはりあれは、指輪の……ジェイン様がかけてくださっていた魔法だったのですね」
「ああ……まあ、発動のきっかけはヒスカリアの魔力だがな」
「私の魔力?」
「危機を感じて、無意識に魔力が出たんだろう。それで指輪の防御魔法が発動したんだ」
「あ……」
(咄嗟にジェイン様の名前を呼んだ時……!)
あの時心の底からジェインに助けを求めたことを思い出し、ふと自分の中での彼の存在の大きさに気づく。
これまで辛いことや苦しいことがあると、ヒスカリアが助けを求めて祈ったのは、祖父や記憶にはない両親だった。
けれど、その祈りはいつも届かなかった。
いつの間にか誰かに頼ること自体、無駄なことだと諦めるようになってしまっていた。
そんなヒスカリアが無意識に、ジェインに助けを求めた。
それに気づいた途端、それまで普通に見ていたジェインが急に特別な存在に思えて、なぜか直視できなくて、視線を逸らす。
(な、なんだか急にジェイン様を見てると胸の辺りがぎゅってする……)
ざわつく心に戸惑いを隠せない。
そんな挙動不審になっているヒスカリアに、ジェインは不思議そうな顔をすると、何を思ったのか、心配そうに問いかけた。
「ヒスカリア、奴に何か変なことをされたりはしていないか? 外傷については治っていると思うのだが……」
「あ、えっと……」
急な問いの答えに窮していると、なぜかジェインの表情が悩ましいものになる。
「やはり私には言いにくいだろうか……。一応屋敷にサマリア夫人に来てもらうようお願いしている。夫人になら話せるだろう?」
「いえ、そういうわけではなくて……その……」
内容も確かに言いにくいことではあるけれど、それよりもヒスカリアにとっては、まさに今、ジェインの膝に抱えられている状態が何よりも落ち着かない。
ジェインの優しさなのだとわかっているので、誰にも見られない馬車内ならば、と自分に言い聞かせはするものの、なぜかドキドキしてしまって、まともに彼の顔が見ることができない。
(王子殿下に組み敷かれた時はあんなに嫌だったのに、胸がギュッとなるけれど、ジェイン様の腕の中はなんだか満たされるような不思議な気持ちになる……なぜかしら……)
ヒスカリアはチラチラとジェインを見ながら思考に耽っていた。
それをどう受け取ったのか、ジェインはどんどん険しい表情になっていく。
「……やはり継承権の剥奪と幽閉だけでは足りないな……」
不穏な言葉に、ヒスカリアが思わずジェインを見る。
その表情が不安そうに見えたのか、ジェインはそっとヒスカリアの頭を撫でた。
それによってまたヒスカリアが落ち着かない様子になる。
こうしてジェインが妙な勘違いをしたまま、馬車はヴァルガス公爵邸へと向かっていった。
◇
屋敷に到着すると、ジェインはヒスカリアを抱えたまま馬車を降り、帰りを待ち構えていたレイヴィスたちを驚かせた。
二人の間に何があったのか知らない屋敷の面々は、一体何を見せられているのかと、唖然としている。
「ジェイン様、おろしてください! は、恥ずかしいです……」
「そんな挙動不審な状態で何を言う。はっ! もしやラーカスのせいで、男が怖かったりするのか……? だから馬車の中でもあんなに私に怯えて……」
「え!?」
実際、ラーカスには怖い思いをさせられたけれど、自分の気持ちに気づいて、それどころではなくなっていたヒスカリアは、ジェインの言葉に驚きの声をあげる。
「すまない。だとしたら、今も辛いはず……だが、もう少しの辛抱だ。せめて部屋まで運ばせてくれ」
そのまま勘違いを続けるジェインは、真剣な表情で謝罪しながら真摯に努めようとする。
「……あの、いえ、その……恥ずかしいだけで、嫌ではないです。ジェイン様は怖くないので……」
精一杯の勇気を振り絞り、ジェインにだけかろうじて聞こえるくらいの音量でそう告げると、目の前のサファイアの瞳が一気に光を取り戻す。
「そ、そうか……!」
満面の笑みになったジェインは、嬉しそうにヒスカリアを抱え直し、意気揚々と屋敷の中へ入っていく。
「とんでもない事件があって帰ってきたはずなんじゃが……あれはどういうことじゃ?」
家令に尋ねながら、ニヤニヤが止まらないレイヴィスだった。
ジェインはヒスカリアを抱きかかえたまま部屋へ行くと、待機していたエマが二人を出迎えた。
よほど心配していたのか、エマは今にも泣きそうな表情になっている。
「ヒスカリア様……!」
「エマ……心配をかけてしまってごめんなさい」
「いえ! ヒスカリア様が謝られる必要はありません!」
ブンブンと必死に首を振るエマに、微笑むヒスカリア。
ジェインはヒスカリアをソファに降ろすと、一瞬目を見開き、それからすぐに部屋を出ていってしまった。
出ていったジェインの背中がなぜか少し申し訳なさそうに見え、ヒスカリアは再び不安になる。
(勘違いは解けたのよね……?)
考え込みそうになったところへ、エマに着替えを促されたヒスカリアは、自分の姿を改めて見た。
そこで初めて、ドレスがあちこち破れていたり、ほつれていることに気づく。
仕立ててもらったばかりのあの美しかったドレスは見るも無惨な状態になっていた。
「あ……だからジェイン様は……」
きっとヒスカリアのドレスの状態を改めて見て、申し訳なさが募ったのだろう。
(エマが出迎えるなり泣きそうな顔をしたのも、きっとこの姿のせいね……)
「エマ……手伝ってもらえる?」
「はい!」
ヒスカリアの言葉に表情を引き締めたエマに手伝ってもらい、パステルブルーの軽やかなワンピースに着替える。
すると、着替え終わったタイミングで、屋敷に到着したばかりのサマリア夫人が様子を見に部屋を訪れた。
扉が開き、ヒスカリアの姿を確認した夫人はすぐさまそばへ駆けてくると、夫人らしからぬ大きな声を上げる。
「ヒスカリア様、大丈夫ですか!? お話を伺って飛んで参りましたわ!」
よほど慌てて駆けつけたのか、いつもはピシッと決めているシニヨンの髪ではなく、緩く結い上げバレッタで留めただけになっていた。
「だ、大丈夫です。ご心配をおかけして申し訳ありません」
夫人の様子に驚きながらもヒスカリアが無事を告げると、夫人はホッとした表情になった。
そうしてヒスカリアの右手を両手で包み込むと、懇願するように告げる。
「謝ってはいけませんわ。ヒスカリア様は何も悪くないのですから。マナリア妃に攫われたと伺いましたが……何か妙なことなどされていませんか?」
夫人は少し言葉に詰まりながらも、ヒスカリアの様子を伺う。
「妙なこと……」
「できればラーカス殿下との間に何があったのかお伺いしたいのですが、難しければ今は大丈夫です。ですが、ジェイン様に言いづらいことでも、何でも、構いません。わたくしが相談に乗りますわ」
心配そうにヒスカリアの瞳を見つめて話す夫人の姿に、思わずラーカスに襲われた光景を思い出して、ギュッと強く目を瞑る。
不自然に力の入って震えるヒスカリアの手を、再び夫人の手が優しく包み込んだ。
その夫人の手の温もりと祖母のような優しい眼差しに、気づくとヒスカリアの目には涙が溢れ出す。
それを皮切りに、ヒスカリアはラーカスと何があったのか、包み隠さずサマリア夫人に話し始めた。
お読みいただきありがとうございます。
公爵邸に戻ってきました。
二人で話すのがまさかの馬車内に…。ようやく意識し始めたヒスカリアでした。
次回もお楽しみいただけますと幸いです。
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