◇悔い
サマリア夫人を見送った後、二人で夕食をとり、ジェインのテーブルマナーを目に焼き付けたヒスカリアは、談話室で彼と向き合いながら座っていた。
ジェインから、授業の前に廊下で言っていた話をしたいと言われ、今に至る。
食後のお茶を用意した後、なぜか使用人たちは次々に部屋から下がっていった。
(人払いをしてまでの話って……やっぱり魔力重視嫌いについての話かしら……)
ヒスカリアがそう思いあぐねていると、お茶を一口飲んだジェインが、重い口を開いた。
「さて……昼に言っていたことについて、きちんと説明しておきたい。少し長くなるが構わないか?」
「はい」
ヒスカリアの目を真剣な眼差しで見つめたジェインは、『構わないか?』と自身で尋ねながら、辛そうな表情になる。
それから、ゆっくりと大きく息を吐き、話を始めた。
「……昼間は、『知らなくても良い』なんて言ってすまなかった。魔力量が多い君に一番影響があることだというのに、つい勢いのままに言ってしまった。申し訳ない」
「いえ。何かご事情があることはわかっていますから……」
「……私は感情が乱れると魔力の制御が甘くなって、魔力圧を発生させてしまうんだ」
なるほど……と、納得しながらもあの時のことを思い出し、ヒスカリアには引っかかることがあった。
「あの時、他の方が苦しんでいらっしゃらなかったのはどうしてなのでしょうか……?」
「さっき魔力量が多い君に一番影響があると話したが、魔力が少ない者にはあまり影響しないんだ」
「あ……」
レイヴィスから説明された各家の事情を思い出す。
確かにあそこにいたヒスカリアとレイヴィス以外は、魔力量が少ないと言っていた。
そして、あの時の会話を考えると、感情の乱れの原因はやはり……。
「あの……原因はやはりセドナ様のお話だったのでしょうか?」
「ああ。叔母上はどうも魔力重視思想が強くて……苦手なんだ。というより、そもそも魔力重視の考え方を私は嫌っている。その理由についても、君には話しておく必要があるな」
サマリア夫人との会話に出てきて、気になってはいたものの、聞くことができなかった、ジェインの「魔力重視嫌い」の理由。
そんな核心の部分を話してもらえると思っていなかったヒスカリアは、思わず息を呑む。
すると、ジェインの口からは予想以上の重い話が始まった。
「私は生まれる際に、母親の魔力を全て奪って生まれてきたんだ」
「それはどういう……」
「そのままだ。母はヴァルガス公爵家の一人娘で、元々五大公爵家の中では魔力量がまだ多めな人だったらしい。……私はその母親の胎内で少しずつ魔力を奪い、産まれる際に完全に彼女の魔力を吸収してしまったそうだ」
侯爵家で平民に近い扱いを受けて育ったヒスカリアは魔力持ちである子供がどのようにして生まれてくるかを知らない。
けれど、ジェインの話し方から、それがいかに異質なことなのかが伝わってくる。
ジェインの魔力は、始祖の魔導士に匹敵すると言われている。
まさかそんな彼の出生にそんな秘密があったとは思いもよらず、ヒスカリアは思ったままに口を開いた。
「だからジェイン様は始祖の大魔法士に匹敵する程魔力量が多いのですね……!」
納得するようにヒスカリアが告げると、ジェインは首を大きく横に振った。
「いや。そこはあまり関係ない。私は元から魔力量が多かったくせに、更に母親の魔力まで奪ったらしい……。そのせいで母上は、魔力量が絶対である五大公爵家の者たちに『無能』と罵られた。元より自身の魔力を誇っていた母上は自分の無能に耐えられなかったのだろう。心を病んだ彼女は建物から転落し、その大怪我が元で亡くなった……」
「怪我なら魔法で治せるのでは?」
「大怪我だからな……身体に魔力がない者の深い傷に、治癒魔法は効かない」
「あ……」
「私が七歳の時だった。懸命に治癒魔法をほどこしても、何の役にも立てなかった。いざという時に役に立たない魔力など、あっても意味がない……」
そう言って、ジェインは唇を噛み締めながら、俯く。
どう声をかければいいかわからないヒスカリアは、ただその言葉を聞いているしかない。
黙って様子を伺うヒスカリアをよそに、さらにジェインは苦しげに、言葉を絞り出すように話を続けた。
「私は自分の魔力が疎ましいし、母上を追い込んだこの国の魔力重視の考え方が大嫌いだ。だからこそ、君とのこの、魔力重視な婚姻も、正直まったく乗り気ではなかった……」
すまない……と付け足し、ジェインは力無く項垂れる。
「ジェイン様は、お母様がお好きだったのですね……」
ヒスカリアの言葉に思わず顔を上げたジェインは、困ったような顔になる。
「……母上は、自分から魔力を奪った私が憎いはずなのに、私に罪は無いと微笑み、それどころか、魔力制御に苦しむ私を支えてくれた」
「……素晴らしいお母様だったのですね」
ジェインの母親を思い浮かべ、そうこぼしてしまったヒスカリアに、ジェインは一瞬驚いた顔をして、ゆっくりと頷いた。
「ああ……できた人だったと思う。だが、そのせいで母の心はどんどん壊れてしまった。壊れてからは母上は父上の判断で別棟に移され、普通には会えなくなった」
「レイヴィス様は、きっとジェイン様のお心を守ろうとなさったのですね」
思いもよらぬ言葉に、ジェインは即座に反論する。
「それは違う!」
そしてそのまま、棘のある言い方で父親について話し始めた。
「当時の父上にとって、私は膨大な魔力を持っている自慢の息子だったらしい。大事なのは、王族の魔力継承だった。幼馴染だった母上を大切にしてはいたが、別棟に隔離したのは、他の王族から隠すためだったんだ。そもそも父上は王弟で、魔力重視の考えが染み付いていたからな。母上が亡くなるまでは……」
「亡くなって、変わられたのですか?」
「……ああ。心が壊れるほど悩んだ母上に寄り添うどころか追い詰めてしまったことを悔やんでいた。失ってから気づいても遅いがな……。以来、特に公言してはいないが、私同様に魔力重視の考え方を嫌っている」
「あの……では、なぜ私を婚約者に……?」
魔力重視を嫌うヴァルガス公爵家に、なぜ魔力量が多いと言われるバークレイ侯爵家の長子を迎えたのか。
しかも、レイヴィスは公爵以前に王弟でもある。
不思議に思ったヒスカリアは、思わず言葉にしていた。
「父上の意思ではない。君との婚約は王命だ。たとえ王弟であっても拒否権などない。それは君も同じ……いや、それどころか君は全く何も知らされていなかったのだから、完全に私の八つ当たりだな。本当に申し訳ない」
事情を話した上で、さらに謝るジェインに、ヒスカリアは申し訳ない気持ちになり、慌てて手を振る。
「いえ、そんな、謝らないでください。私があの家であんな状態だったのは、別にジェイン様だけのせいではありませんし、それに助けてくださいましたから。私こそ、きちんとお礼をお伝えせず、申し訳ありません!」
そう言うと、ヒスカリアはソファーから立ち上がり、ジェインに向かって丁寧に感謝のお辞儀をした。
「あの家から救っていただき、本当にありがとうございました!」
ジェインはその優雅なお辞儀に驚きながらゆっくりと頷いた。
それから頭の片隅で、「もうマナーの実技は必要なさそうだ」と思ったのだった。
◇
そして翌日。
昼過ぎにサマリア夫人が屋敷を訪れ、昨日の約束通り、実技の最終確認が行われた。
「き、緊張します……」
「ヒスカリア様なら大丈夫ですわ。昨日も問題ありませんでしたもの。本日は念のための確認のようなものです」
ニコニコと楽しそうに微笑み、用意されたテーブルで優雅にお茶を飲むサマリア夫人。
同じテーブルから、予定を空け駆けつけてきたジェインもヒスカリアをじっと見守っている。
「ヒスカリア様、わたくしを陛下だと想定して、一連のご挨拶をしてください。では、お願いいたします」
この合図を皮切りに、ヒスカリアは一度部屋を出て、扉を開けてもらってから挨拶して、退場するまでの一連の動きを全く間違えることなく行った。
それも、昨日サマリア夫人が確認したよりもさらに優雅に、そして、昨日と明らかに違う堂々とした姿を見せた。
サマリア夫人はその様子に、驚き以上の何かを感じ、ヒスカリアが退場するとすぐにジェインをジーっと見る。
「また何かございましたわね?」
それまでヒスカリアの所作に見入っていたジェインは、気まずそうに目を逸らしてから、バレたかと言わんばかりに口を開いた。
「昨夜ヒスカリアに魔力重視嫌いのことと、母のことを伝えたのだ」
一瞬驚いた表情になったサマリア夫人は、ジェインの表情を見て微笑むと、ゆっくりと頷く。
「そうですか……では、これからは大丈夫そうですね」
「ああ。夫人には感謝している」
「いえ。オリビア様のためですわ」
思わぬところから母の名前が出たことに、ジェインは目を見開く。
「母を知って?」
「ええ、彼女もわたくしの教え子でしたから……」
懐かしそうにサマリア夫人がそう告げたところで、再び扉が開き、様子を伺いながらヒスカリアが戻ってきた。
「いかがでしたでしょうか……?」
体を強張らせながら、二人の様子を伺うヒスカリア。
夫人とジェインは顔を見合わせ、椅子から立ち上がると、ヒスカリアに向かって柔らかく微笑んだ。
「全くもって問題ありません。問題点だった自信も昨日とは雲泥の差でしたわ。このまま、少しずつ自信をつけて参りましょう」
「あ、ありがとうございます!!」
嬉しさのあまり、思わずその場で頭を下げてしまいそうになり、慌てて貴族の礼をするヒスカリア。
そんな姿に吹き出しそうになりながら、ジェインは彼女に優しく声をかけた。
「ああ。素晴らしかった。まさか本当に一日でマスターしてしまうとは。約束の日まであと五日か……」
「でしたら……その間に、ドレスを着ての更なるブラッシュアップと、王宮で使用する簡単な魔法についての授業を行いましょう」
「魔法!?」
これまでジェインの魔法陣や魔法に巻き込まれることはあっても、自分から使ったことのないヒスカリアは、嬉しさに思わず声を上げる。
(まさか王族しか使えないと言われる魔法を、私が使えるようになる日が来るなんて……!)
それから五日後――。
最低限の王族の部屋に入るための魔法と、地下の扉を開くための魔法を学んだヒスカリアは、出来上がったドレスを纏い、ジェインと共に王宮へと向かった。
お読みいただきありがとうございます。
やっとジェインの肩の荷がおりました。
次はやっと謁見です!
延ばし延ばしで申し訳ありません。
次回もお楽しみいただけますと幸いです。
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土日にはなるべく更新するよう進めて参りますので、
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