◇セドナの癇癪
全員がソファーに腰掛けたところで、控えていた使用人たちがお茶とお菓子を運んでくる。
けれど、皆の視線はそちらにはなく、ヒスカリアに注がれていた。
ある意味睨み合いにも似た、緊張感のある視線。
特にセドナとリリーナは互いにどう出るか、牽制するように様子を伺っている。
ヒスカリアは不安げにジェインを見るけれど、見た途端に視線を逸らされてしまう。
すると、そんなやり取りに困ったような顔をしたサマリア夫人が口を開いた。
「ところで……先ほど急ぎとおっしゃっていましたが、わたくしはいつから来ればよろしいのですか?」
「早速で申し訳ないが、サマリア夫人、今日この後から授業をお願いすることは可能だろうか?」
このやり取りにヒスカリアに集中していた視線が一旦おさまった。
急いでいることは聞いていたけれど、まさか今日始まると思っていなかったヒスカリアは、目を見開く。
ジェインの回答とヒスカリアの反応におやおやと少し目を細めたサマリア夫人は、孫の我儘を諭すように優しい笑顔になった。
「承知いたしました。ですが、教材を用意してきておりませんので、一度戻らせていただいても?」
「もちろん構わない」
「ありがとうございます。では、わたくしはこれにて失礼させていただきます」
「ああ」
サマリア夫人は、すっと席を立つと、ジェインとヒスカリアに向けて優雅にお辞儀をする。
その動きにヒスカリアは釘付けになった。
(これが貴族のお辞儀……!)
そしてそこで、夫人たちが挨拶中にあえてお辞儀をしなかったことに気づく。
(確かに私がやったお辞儀とは全くの別物だわ)
ヒスカリアは慌てて立ち上がり、今度は夫人を見習ったお辞儀で見送る。
すると、全員の視線がまたヒスカリアに集中した。
今度の視線は、先ほどまでとは異なるものだったのだけれど、そんなことに全く気づかないヒスカリアは、サマリア夫人を見送りながら、祖父のことが聞けるかもしれないと、早速始まろうとしている授業に胸を弾ませていた。
(サマリア夫人にはお祖父様のことや家のこと、聞きたいことがたくさんあるし、色々お話ししてみたいわ)
そう考えることで、恐れていた授業が不思議ととても楽しみなことに思えていた。
そのせいか、ヒスカリアは無意識に口角を上げてしまっていた。
「まあ、一応は侯爵家ですものね。基礎はあるのかしら? それくらいで得意げにされても困りますわ」
ヒスカリアの笑みを違う意味で受け取ったセドナは、ティーカップを手に見下すような視線を向ける。
思いもよらない言葉にヒスカリアは慌てて振り返ると、たどたどしくもハッキリと言葉を発した。
「……あ、あの、得意げにしていたわけではありません。お祖父様のことを伺えるかもしれないと思ったら、つい、その、嬉しくなってしまって……」
まさか言い返されると思っていなかったセドナは、ヒスカリアの言葉に耳を貸さず、自分の思いを押し付けるように追及する。
「本当かしら? 早く陛下に謁見できることが待ち遠しいのではなくて?」
「ええ!? そんなっ……。むしろ陛下への謁見は、考えるだけで緊張してしまって……」
「ふん。そんなこと言って、どうせ陛下に取り入って、ヴァルガス家の地位を上げるつもりなのでしょう?」
必死に否定するヒスカリアを無視して、捲し立てる。
「叔母上!」
「少しくらい魔力が多いからって、いい気にならないことね! 所詮は格下の侯爵家。それも貴族の作法もおぼつかない侯爵令嬢だなんて。陛下が婚約を命じたのも魔力保存のためで、あなたの価値など魔力以外何もないのよ!」
ジェインの制止も気にせず、ついには最後まで言い切ってしまった。
言うだけ言ってスッキリしたセドナは、スッと立ち上がるとヒスカリアを睨みつけたまま、優雅にお辞儀をすると部屋を出ようと歩き出した。
そんな中、唖然とするヒスカリアの耳に、聞き覚えのある優しい声が聞こえた。
「いくらセドナでも、そこまで言うのはいただけないのぉ……」
ジェイン以外の全員が一斉に声の聞こえた扉のほうを見る。
「お、お兄様……」
「ちょうどサマリア夫人が退出されるのが見えて様子を見に来たら、セドナがお嬢ちゃんに食ってかかっておって、驚いた」
「いえ、その、わたくしはその……」
扉から現れたレイヴィスを見た途端、セドナは急に言葉を詰まらせる。
わなわなと唇を振るわせ、ドレスのスカート部分をギュッと握りしめたまま、次の言葉が出てこない。
二人が様子を伺い合う重たい空気の中、傍観を決め込んでいたリリーナが静かに立ち上がると、レイヴィスに向かって礼を取った。
「ご無沙汰しておりますわ〜。レイヴィス様」
「おお、フィオルグ公爵夫人か。久しいのぉ」
レイヴィスの意識が夫人に向かった隙に、セドナは身を屈めるとドレスの裾を掴み、扉に向かって一目散に走り出す。
「あ、セドナ! 待ちなさい!」
まるで少女のような身軽さで、レイヴィスをすり抜けると、そのまま部屋から出ていってしまった。
(ええ……!? 嘘でしょ!? これからの授業はどうなってしまうのかしら……)
レイヴィスは呆れ返った表情で肩をすくめると、改めてリリーナに向き合った。
「失礼。まったく……あれが教育係など務まるのかどうか。じゃが、ああいったところも含めて、社交界で人気があるのは確かじゃからなぁ」
「そうですわね〜」
「……ヒスカリア嬢のこと、よろしく頼む」
「はぁい。承知いたしました〜」
セドナの退出に呆気にとられていたヒスカリアは、二人の緩い空気に、少しだけ胸を撫で下ろしていたのだけれど……。
どうにも隣に座るジェインの様子がどこかおかしい。
理由はわからないものの、下を向いたまま黙り込み、重苦しい空気を纏っている。
ヒスカリアは恐る恐るジェインに声をかけようと、彼のほうを向いた。
すると次の瞬間、急に何かに阻まれるように、言葉を発することはおろか、体を動かすことすらできなくなってしまった。
「ジェイン! 気持ちはわかるが、その魔力の圧を今すぐやめるんじゃ! お嬢ちゃんが魔力に影響されて、固まってしまっておる!」
レイヴィスが呼びかけるがまったく応じない。
隣で苦しそうにしているヒスカリアを気にする様子もない。
それどころか、ジェインまでが苦しそうに手を握り込んでいる。
そして、なぜかレイヴィスの告げる魔力の圧の影響を受けているのは、ヒスカリアだけのようだ。
(魔力の圧……? なぜ私だけが苦しんでいるの!?)
ヒスカリアの苦しそうな表情に、入り口近くにいたレイヴィスは慌ててジェインに駆け寄ると、今度は「ジェイン!」と肩を掴みながら呼びかけた。
「……っ!」
レイヴィスの勢いに引っ張られるように頭を上げたジェインは、まるで呼吸を忘れていたかのように、慌てて息を吸う。
その顔色は真っ青で、ちょうど隣を向いたまま固まっていたヒスカリアと目が合った。
(……あ、圧が消えた……!)
「……ヒスカリア、すまない」
苦しそうにそう言うとジェインは背もたれにどっしりと体を預け、大きく息を吐いた。
「落ち着かれたようで何よりですわ〜。少し休まれたほうが良さそうですし、わたくしも今日はこれで失礼いたしますわね〜」
ずっと心配そうに見守っていたリリーナは、三人に向かってお辞儀をすると、部屋を後にした。
何が起きたのかわからないヒスカリアは、すがるような視線をレイヴィスに向ける。
レイヴィスは大きなため息をつきながら、ゆっくりとソファーに近づき、先ほどまでセドナとリリーナが座っていた向かいの席に腰掛けた。
お読みいただきありがとうございます。
種明かしまで入れると膨大になってしまったため、ひとまずはここまで。
次はそれぞれの家の事情などを明かしていく予定です。
次回もお楽しみいただけますと幸いです。
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