◇夫人たちの来訪
ドレスや宝飾品を選んでどっと疲れたヒスカリアは、ひと息つく暇もなく、侍女たちにめかしこまれた状態でジェインに呼ばれ応接室に居た。
隣には取り繕った愛想笑いを顔に貼り付けているジェインが並んで立っている。
向かいには、ドレスを優雅に着こなすいかにも気位の高そうな婦人たちが互いに牽制し合うようにピリピリとした空気を纏わせ並んでいた。
ヒスカリアの親世代と思しき二人と、さらに年嵩の祖父世代と思しき女性が一人。
三人の視線は揃ってヒスカリアに注がれていた。
「やはりこうなったか……」
大きくため息をつきながら、ジェインは眉間に皺を寄せる。
「高位の者から声をかけるのが礼儀だが、今日は私から進めよう。彼女が私の婚約者であるヒスカリア・バークレイ侯爵令嬢だ」
慌てたヒスカリアが、先ほどのマダムを真似るようなお辞儀をしてみせる。
「ヒスカリア・バークレイです。よろしくお願いいたします」
ヒスカリアのお辞儀に、夫人たちは怪訝そうに眉を顰める。
その反応にさらに眉間の皺を深めながらも、ジェインは年嵩の女性の方を見ると、淡々と紹介を続けた。
「ヒスカリア、こちらはサマリア・ヴァリエ前公爵夫人。今朝話したバークレイ侯爵家所縁の方だ。夫人のお婆様がバークレイ侯爵家の出身で、夫人は三代前の侯爵の姪にあたる」
「はじめまして。サマリア・ヴァリエです。ヴァリエ夫人だと今の公爵夫人とややこしいから、サマリア夫人と呼んでちょうだい。身内は皆そう呼んでいます」
青紫の瞳とシニヨンに纏められた銀髪がキリッと印象的なサマリア夫人は、ヒスカリアに爽やかな笑顔を向けた。
「承知しました……サマリア夫人」
「サマリア夫人には、急ぎ謁見に必要なマナーの講師をお願いしている。君の祖父とも交流があったそうだから、色々伺うといい」
「これからよろしくお願いしますね」
「はい。よろしくお願いいたします」
再び頭を下げるヒスカリアに、夫人たちの視線が刺さる。
サマリア夫人は少しそれを気にしつつも、ジェインに礼を取ると、そのまま用意されたソファーのほうへと移動していった。
そんな彼女たちの視線を気にすることなく、ジェインは次の夫人の元へとヒスカリアを促す。
彼については行くものの、ヒスカリアは夫人たちから向けられる視線が気になって仕方がない。
(あの視線は一体なんなの? やっぱりマダムに教わったお辞儀では失礼だったのかしら……)
「ヒスカリア? どうした?」
「……あ、いえ、私何か無作法をしてしまっているんじゃないかと……」
ごにょごにょと不安を吐露すると、ジェインは「今は気にしなくていい」と小さく告げ、次の夫人の前へとヒスカリアを押し出した。
「こちらはセドナ・ファーレン公爵夫人だ。私の叔母にあたる方で、父の妹で王妹でもあられる」
(王妹!? ということはレイヴィス様は王弟ということに……。私は王の甥に嫁ぐことになるのね……)
「はじめまして。セドナ・ファーレンよ。わたくしの兄が前ヴァルガス公爵ということもあって、ヴァルガス公爵家とファーレン公爵家は比較的繋がりが強いの。これからどうぞよろしくね」
ワインレッドのドレスに、華やかなブロンドの髪を靡かせながら優雅に挨拶をするセドナは、さすが元王女という風格を漂わせている。
満面の笑みを浮かべるセドナに対し、なぜか寒気を覚えたヒスカリアは思わず身震いをした。
にっこり不敵に微笑むセドナにタジタジになるヒスカリアを見ながら、ジェインはため息をつく。
「……叔母上には、社交について教えていただく予定だ。ファーレン公爵家とは家族ぐるみで親しくしているので、今後も会う機会が多いだろう」
「ええ。ヴァルガス公爵家は長らく女主人が不在でしたからね。わたくしで力になれることがあれば、協力は惜しみませんわ」
意味深な笑みを浮かべながらヒスカリアの手を取ると、セドナはギュッと力を込めてその手を握り、詰め寄った。
「ヒスカリア様には、ヴァルガス家に相応しい振る舞いをしていただかないとね」
張り付いた笑顔と思いの外力強く握りしめられた手の痛みにヒスカリアは思わず手を引きそうになる。
けれど、ここで手を放せば失礼に当たってしまうとわかって、痛みに耐えながらセドナが満足するのを待った。
ようやく放してもらえた手には、じんじんと痺れのような痛みが走っていた。
そんな手をさすりながら、ヒスカリアはできる限りの笑顔を装う。
「よ、よろしくお願いいたします」
ヒスカリアの笑顔にほんの一瞬表情を歪めながらも、すぐに平静を装い、セドナは笑顔を返した。
するとそこへ、待機していたはずのもう一人の夫人が口元を扇子で隠しながら、なぜかこちらに向かって歩み寄ってくる。
「ふふふ。相変わらず、夫人のヴァルガス家への想いは熱烈ですわねぇ〜」
セドナとは対極のブルーのタイトなドレスを着こなしながら、目元だけで一瞬ちらりとヒスカリアに微笑んだ。
「あら、フィオルグ公爵夫人。当然ですわ。レイヴィスお兄様の家門ですもの」
『フィオルグ公爵夫人』と呼ばれたその人は、口元から扇子を外すと、少し目を細めながらも笑みを浮かべ、セドナの方へさらに歩み寄る。
「本当はジェイン様をファーレン家に取り込みたかったのでしょう? 八つ当たりはよくありませんわ〜」
「まあ、急に何をおっしゃるのかしら? 陛下がお決めになったことですもの。仕方がありませんわ。それにヒスカリア様に八つ当たりなどしておりませんわ! ねぇ?」
いかにも不服そうに答えると、セドナは先ほどの満面の笑みを浮かべながらヒスカリアに視線を向ける。
その表情が無意識なのか、徐々に強張っていく。
「叔母上……」
ジェインの制止にハッとしたセドナは、慌てて視線を逸らし、夫人のほうへ一歩踏み出すと、微笑みながらも苛立ちをぶつけるように語気を強めた。
「フィオルグ家の方はどうにもせっかちなようですわね!」
「せっかちなのは認めますけどぉ……そんなに感情をむき出しにしなくてもよろしくなくて?」
「大事なお兄様と甥の家門ですもの、感情的にもなりますわ!」
「大事な家門ねぇ〜。本当はそれだけではありませんでしょう〜?」
独特なねっとりとした口調で問われたセドナは、思わず夫人を睨みつける。
「……それはフィオルグ家も同じでしょう?」
「ふふふ……そうですわねぇ〜」
何かを含んだようなフィオルグ夫人の様子に痺れを切らしたのか、苛立ちを露わにセドナはハッキリと突きつける。
「そちらだって、ヒスカリア様をフィオルグ家に取り込みたいのでしょ?」
「あらまあ。そんなにハッキリおっしゃられたら、わたくしも困ってしまいますわねぇ〜」
夫人は一向に動じた様子を見せないどころか、わざと困ってるように演じてセドナを煽っている。
そんな中、睨みながらも笑顔で牽制し合う二人の会話に、自分の名前が出てくると思っていなかったヒスカリアは戸惑いを隠せず、その場で二人を交互に見た。
(私を取り込みたいってどういうことなのでしょう……?)
驚くヒスカリアの隣で、ジェインは平然と見守っていたが、さすがにマズイと感じたのか、深いため息をつくと二人に声をかけた。
「……叔母上もフィオルグ夫人も、それくらいにしていただけますか。それとこの縁談は王命で、すでに決定事項です。覆ることはありません」
セドナは気まずそうにジェインを見ると、不服そうにソファーへと移動していった。
その様子を見たフィオルグ夫人も、なぜかそそくさと元の位置に戻っていく。
「まったく……こうなるから会わせたくなかったんだ……」
ジェインは小声でそう呟きながら頭を掻くと、さも面倒そうにヒスカリアをフィオルグ夫人の元へと急がせた。
「ヒスカリア。もう先ほどの会話でわかったとは思うが……こちらはフィオルグ公爵夫人だ」
「リリーナ・フィオルグよ。これからよろしくお願いしますわ〜」
「夫人には芸術分野について教えていただく。貴族にとって芸術は必要不可欠な教養だ。しっかり教わりなさい」
「どうぞよろしくお願いいたします」
頭を下げたヒスカリアに、再び全員の視線が集まる。
けれど、気にすることなく、ジェインがヒスカリアをソファーへと移動させようとした途端、フィオルグ夫人がそれを呼び止めた。
「ヒスカリア様。ずーっと、気になってるのだけどぉ……そのお辞儀どこで教わったのかしら〜?」
「!?」
(やっぱりマナー違反だったのね……!)
その呼び掛けに、ヒスカリアは身体をビクつかせる。
それと同時に、なぜか隣にいたジェインが大きくため息をつきながら手で目を覆った。
きっとこれでさらに長引いてしまうことが面倒なのだろう。
「……あの、その……礼儀作法を習ったのが七歳の短い期間だけだったのであまりよく覚えていなくて……」
「それは伺っておりますわ〜。誰に教わったのかと聞いておりますのぉ」
ヒスカリアの言葉を遮り、詰め寄るリリーナ。
チラチラとジェインを見るものの、目を覆ったままこちらのことなど気にしていない様子に、ヒスカリアは言葉に詰まりながらもゆっくりと答えた。
「……今日午前中にお会いしたマダム・グレイスのお辞儀がとても綺麗だったので、少しその真似をしました。やっぱり変ですよね……申し訳ありません」
「なるほど。それで……」
尋ねたリリーナはもちろん、ヒスカリア以外の全員が頷き、納得したようだった。
「その礼は貴族がする礼ではございませんの。今後はしてはなりませんわ」
そう告げたリリーナは、なぜか不思議そうに首を傾げる。
すると、座っていたはずのサマリア夫人がゆっくりとヒスカリアに歩み寄ってきた。
「フィオルグ夫人。ヒスカリア様はこれから学ぼうとされているのです。そのように責めるのはマナー違反ですよ」
強く言われたリリーナは、バツが悪そうに扇子を広げながら引き下がる。
そこへソファーに座ったままのセドナが、よく通る声で無邪気そうに言葉を発した。
「貴族としては間違っていましたが、あまりに綺麗な礼でしたので、わたくしはてっきり侯爵家の継母たちに嫌がらせで仕込まれたのかと思いましたわ」
「セドナ様!」
声を上げて制止すると、サマリア夫人は心配そうにヒスカリアへ振り返った。
「ヒスカリア様、ごめんなさいね。セドナ様は昔から少々無邪気過ぎるきらいがありまして……わたくしの教育不足ですわ」
「いえ、大丈夫です。気になさらないでください」
「……それにしても、ヒスカリア様は一度見ただけで、その礼をそこまで美しくマスターされたのですね。わたくし驚きましたわ〜」
リリーナは感心したようにそう告げる。
その発言に、サマリア夫人もホッとした様子を見せた。
「あ、ありがとうございます」
ぎこちなくヒスカリアがお礼を言うと、リリーナは何かを含みつつも優しく微笑んだ。
静かに様子をそばで見守っていたジェインは、「ひとまず落ち着こうか」と三人をソファーへと促したのだった。
お読みいただきありがとうございます。
ようやく教育係の夫人たちと会えました。
ソファーに座ったということは、ここからさらにジェインの眉間に皺がよっていくことになります。
次回もお楽しみいただけますと幸いです。
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