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◇仕立て屋のマダム

 食事の後しばらくすると、屋敷にはヴァルガス公爵家御用達という仕立て屋のマダムが若い助手たちを引き連れてやってきた。


 知らせを聞いたエマに連れられ、ヒスカリアは広間へと向かった。


 ノックをして、部屋に入ると、広々とした部屋の一角にあるソファーに、どっしり座って足を組むジェインと、その向かいに座り家令から説明を受ける初老のマダムの姿があった。


 ヒスカリアに気づいたマダムたちが一斉に立ち上がり、扉に向かって歩み寄るとマダムは柔らかな笑顔を浮かべ、ゆっくりと挨拶を述べる。


「お初にお目にかかります、デザイナーのグレイスと申します。以後お見知りおきを」


 背の低い初老のマダムがゆっくりと優雅にお辞儀をしてみせた。


「ジェイン様の婚約者のヒスカリアです。これからどうぞよろしくお願いします……ね」


 つられてお辞儀をしそうになり、慌てて態勢を整える。


(いけない。またうっかり頭を下げてしまうところだったわ……)


「まあまあ、お可愛らしい。腕が鳴りますわ」


 グレイスはまるで孫を見るかのように、嬉しそうにふんわり微笑むと、今度はジトッとした視線をジェインに向けた。


「坊ちゃまもお人が悪い。こんな可愛らしい方がいらっしゃるなら、もっと早くお知らせくださればよろしいのに。突然のお召しで、今日はあまりお持ちできませんでしたわ」


「……マダム。もう坊ちゃまはやめてくれないか」


「どうやらまだまだ女心をご理解できていらっしゃらないようですので。まだ当分は坊ちゃまですわね」

「相変わらず手厳しいな」


 そう言いながら、マダムに向かって優しく微笑むジェイン。

 そんなやり取りをする二人にヒスカリアは驚き、その場に呆然としばし固まってしまう。


(こんな屈託のない笑顔の公爵様は初めて見るわ……これがこの方の素なのかしら?)


「何をそんなところに突っ立っている。早くこちらに来て座りなさい」


 ジェインに促され、慌ててソファーへと駆け寄ると、マダムがスッと手を伸ばす。


「坊ちゃま。そういうところですよ。ご令嬢を急かしてはなりません」


「……ここに居たら、ずっと小言を言われそうだな。私はさっさと退散するとしよう。ヒスカリア、マダムには一通り説明が済んでいる。気に入ったものがあれば、何でも好きに注文するといい」


 そう言い残すと、家令を残し、そそくさと部屋を出ていってしまった。

 ジェインの行動に唖然としながらも、ヒスカリアは自分が一人取り残されたことに気づく。


(ええ……どういう場面で何を着たら良いのかもわからないのに、一体どうすれば……)


 そんな思いで閉まった扉を見つめるヒスカリアをよそに、マダムは助手たちに指示を出し、部屋の中に衝立てを作らせると、男性陣を扉の前に押しやっていく。


「あなた方は呼ぶまで扉の外でお待ちなさい」


 にっこり笑顔でそう言うと、彼らを外へ追い出し、その笑顔のままマダムはゆっくりとヒスカリアに振り返った。


「さあ、では、ヒスカリア様。サクサク始めて参りましょうね」

「え? は、はい」


 マダムの気迫に押され気味になりながら、ヒスカリアはおとなしく頷くしかなかった。


(一体これから何を……?? 採寸? でも、なぜ男性陣を追い出した上に、さらに衝立が必要なのかしら?)


「さあ、これからまず、採寸をいたします。高位の貴族女性がそう易々と肌を晒してはいけませんからね。それは同性であってもですわ」


 まるでヒスカリアの心を読んだかのように、マダムはそう言うと「お気をつけくださいませ」と付け足し、衝立ての中へとヒスカリアをいざなう。


 狭い衝立ての中では、マダムと助手の連携プレイにより、物凄いスピードで採寸が行われ、あっという間に終わってしまった。


(言われるがままに手足を動かしていたら、あっという間に終わってしまったわ……)


 そうして、衝立から出されたヒスカリアは、呆けた状態でソファーに座り直す。

 けれど、マダムはそんなヒスカリアの後ろで、衝立を片付け次の準備に駆け回っている。


「さあ、では、次はデザインですわ!」


 そう言うと、テーブルの上にカタログやデザイン画、生地見本などを次々に並べていく。


「陛下との謁見用のドレスからですわね。お好きなデザインや色味はございますか? ドレスにあまり慣れていらっしゃらないとのことですので、もたつかないデザインがよろしいかしら?」


「はい……その、もう十年くらいドレスを着ていないので、よくわからなくて……当時もお母様やお祖父様が用意してくださったので、自分で選んだりしたことがなくて……」


 うつむき恥じらいながら、言いづらそうに告げたヒスカリアに、マダムは一瞬切なそうに眉を寄せる。

 それから、包み込むような優しい笑みを浮かべると、ヒスカリアの手を取り、力強く握りしめた。


「……さようでしたか。承知いたしました。わたくしにお任せくださいませ」

 

 マダムの手の温もりに、ヒスカリアはゆっくりと顔を上げる。

 向かい合ったマダムの優しい眼差しに心がじんわりと温かくなるのを感じたヒスカリアは、今度は嬉しそうに頷いた。


「……はい」

「さあ、では、サクサク参りますわよ。まずは謁見用のドレスですわね。こちらは格式ばったものですし、基本のお色や形は坊ちゃまの礼服と合わせて……それと、公爵家の紋様も入れなくてはいけませんので、お袖をレース素材にして入れてしまいましょう」


「公爵家の紋様……そんなものがあるのですね」

「はい。五大公爵家それぞれに紋様がございます。ヴァルガス公爵家の紋様はこちらです」


 そう言って、マダムは真ん中に円形の何かが描かれた一枚の紙を差し出した。


 円の中には特徴的な花の紋様が描かれている。

 薔薇のような、椿のような、気品の漂う花の紋様。


「この紋様を見えるところに刺繍いたします」

「とても目立ちそうですね……」

「ええ。この紋様は公爵家の権威の象徴でございますから」


 これを縫えることはきっと仕立て屋にとってとても誇るべきことなのだろう。

 マダムの口調からはそんな思いが滲み出ていた。


「謁見用のドレスは、こちらか、こちらのデザインが坊ちゃまのお衣装とも合うと思いますが、どちらになさいますか?」

「そうですね……」


(どっちも似たようなデザインで違いがよくわからないわ……)


 頭を抱えるヒスカリアの様子に、マダムが右側のデザイン画を手にコソッと囁く。


「……より動き易いのはこちらのデザインですわ」


 そう言ってお茶目にウィンクをするマダム。

 味方を得たようで嬉しくなったヒスカリアは、マダムに満面の笑みを向ける。


「では、こちらでお願いします!」

「承知いたしました」



 こんな調子でマダムのアドバイスの元、次々にドレスやワンピースなど、一通り必要といわれた衣装のデザインが決まっていったのだった。


 衣装決めが一段落したところで、扉がノックされ、聞き覚えのある声が聞こえた。


「お嬢ちゃん、ドレス選びは順調かのぉ。今大丈夫か?」

「レイヴィス様!? どうぞ、お入りください」


 開いた扉から、ビシッと決めた正装姿の前公爵、レイヴィスが姿を現す。

 ヒスカリアとマダムはすぐに立ち上がり、レイヴィスに礼をとった。


「昨夜はよく眠れたかのぉ?」

「はい」


 親子揃って同じことを聞いて気遣ってくださる。

 その上、ジェインには無い更なる気遣いがレイヴィスにはあった。


「何か不足があればすぐに言うんじゃぞ。ドレスも好きなだけ作れば良い。ある意味、我らの罪滅ぼしじゃから、遠慮なく受け取ってくれ」


 朗らかな笑顔から、申し訳なさそうにそう告げる。


「それにしても……ジェインのやつはどうした?」

「最初はいらっしゃったのですが……」


 困った顔で返すヒスカリアに、マダムが続ける。


「坊ちゃまは、わたくしがついいつもの調子で続いてしまったものですから、慌てて退散なさいましたわ」


 マダムの言葉にレイヴィスは声を上げて笑い出した。


「わははは。さすがはグレイス。彼奴もタジタジじゃろうな。グレイスにはわしでも敵わんのじゃから、ジェインが敵うはずがなかろう」


「まあ旦那様。いつわたくしが旦那様を負かしました?」

「ほれほれ、そういうところじゃ」


「わたくしは何も言ってないじゃありませんか」

「常からグレイスは圧が強い上に細かいところにうるさいんじゃよ」


「まあ……! それはわたくしの老婆心でございますよ」

「そう、そういうとこじゃ」


「ふふ、ふ……あははははは」


 気さくにやり取りをする二人を見て、ヒスカリアも思わず笑ってしまう。

 その笑い声に、レイヴィスは嬉しそうにヒスカリアを見た。


「お嬢ちゃんはそうやって笑うんじゃな」


 ふと呟かれたその言葉に、ヒスカリアはハタと笑うのを止める。


「昨日侯爵家で出会ってからずっと、笑顔がなかったから、少し心配しておったんじゃ。普通に笑えるようじゃな……良かった」


 そう言いながらふんわり微笑むレイヴィスに、ヒスカリアは胸がぽかぽかするのを感じた。


「……ありがとうございます」

「辛い目に遭ってきた分、これからは楽しい時間をたくさん過ごして幸せにならんとな。きっとお嬢ちゃんならジェインも……」


「……レイヴィス様?」

「あ、いや、何でもない」


 何を言おうとしたのかが気になるヒスカリアを制するように、告げると、レイヴィスは黙って聞いていたマダムの方を見た。


「そういえば、グレイス。今日は宝石商は伴ってはおらんのか?」


「本日はドレスに時間がかかると踏んでおりましたので、宝石商には時間をズラしてくるよう伝えておりました。そろそろ到着するかと」


「そうか。では、とびきりの物を選ぶんじゃよ」


 嬉しそうにヒスカリアの頭を撫でると、レイヴィスは満足そうに頷きながら、呼びにきたであろう侍従と共に部屋を去っていった。



 その後、やってきた宝石商が机に並べる宝石に、ヒスカリアは軽く目眩を起こしながら、マダムの意見を取り入れながら、無駄遣いと言われない範囲の宝石を選んだ。


 小さなダイヤモンドが散りばめられ、中央にひとつ大きなサファイアが鎮座するペンダント。


 気位が高く、意志の強いジェインの瞳と同じ濃い青が光り輝いていた。

お読みいただきありがとうございます。

仕立て屋のマダムでした。

教育までなかなか行きつかなくて申し訳ありません。

次は、家庭教師たちとの挨拶回になる予定です。

次回もお楽しみいただけますと幸いです。

どうぞよろしくお願いいたします。


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