◇侯爵家の秘密 前編
ヒスカリアは初めて袖を通すワンピースを着て、小さなトランク一つを下げ、玄関へと向かう。
扉を開けるとそこには、先ほど一度見送ったはずのヴァルガス公爵家の紋章が入った馬車が到着していた。
「忘れ物はないか? まあ、あったとしても、いつでも取りに来れば良いが」
「全くお前は本当に……『似合っているぞ』くらい言えんのか。せっかくお前のために可愛く着飾ってきたというのに……」
「別に私のためではないだろう。遠出をする、それも嫁入りなのだから、多少身なりを整えるのは当然だ」
「はあ……お嬢ちゃん、すまんのぅ」
二人のやり取りをキョトンとした表情で見守っていたヒスカリアは、レイヴィスの謝罪に苦笑いをしながら、両手を振る。
「いえ、全然。むしろ、こんな素敵なワンピースを用意していただいて、ありがとうございます」
「急拵えの既製品で、申し訳ないが、屋敷に着いたら色々準備させよう。何か欲しいものがあれば遠慮せず言いなさい」
「ありがとうございます」
優しく気遣ってくれるレイヴィスにお礼を言い、珍しく笑顔を向ける。
実は約十年ぶりの新しい服に、ヒスカリアの心は少し浮き足立っていた。その笑顔に一瞬固まった公爵は、咳払いをしながら、ヒスカリアに何かを差し出す。
「そうだ。先にこれを渡しておこう」
ヒスカリアは、両手を器のようにして構えて、それを受け取ると、その手にズシッと重たいものが転がり落ちた。
よく見るとそれは、チェーンが通されている、大きな緑色の宝石がついたそこそこ太めの指輪だった。
「指輪……?」
「それは代々バークレイ侯爵家に伝わるものだ。首からかけておきなさい」
「はい。代々伝わるもの……」
「ああ。夫人が隠し持っていた。きっと君が子どもの頃に奪ったのだろう」
会話が終わるとヒスカリアはすぐに首にかけた。
(失くしてしまったら、大変だわ)
トランクを御者に預けて、馬車に乗り込む。
馬車の中は意外と広く、座席もふかふかしていることに驚いた。
侯爵家の馬車も先代が亡くなる少し前までは乗っていたけれど、レベルが違う。記憶の中のヒスカリアは小さく、当時の馬車も大きく見えていたけれど、それと比較しても格段に広い。
左手奥から公爵と前公爵、その向かいにヒスカリアが座る。
ふかふかの座席に座ると、ヒスカリアはようやく落ち着いた表情になった。
すると、御者の合図とともに馬車が走り出す。
「さて、ヒスカリア嬢には話しておかなければならないことがたくさんありそうだ。ひとまずは、結界を貼るので、少し待て」
そう言って、人差し指を上げると、馬車の床には大きな魔法陣が浮かび上がった。
その魔法陣に向かって、公爵とレイヴィスが手をかざす。
そして公爵は、ヒスカリアにも同じように手をかざすよう要求する。
意味がわからないまま見様見真似で手をかざし、二人の合図を待っていると、公爵がまた吐息が聞こえるかどうかの呪文を唱えた。
それと同時にヒスカリアの中から、何かがゴッソリ抜き取られたような、不思議な喪失感にみまわれた。
「よし、結界完成だな。これで何を話しても大丈夫だ」
「あの……今身体から何かがゴッソリ抜き取られたような感覚に襲われたのですが……」
「ああ、それは魔力だ」
一瞬時が止まったかのように、ヒスカリアは固まった。
この国で魔力とは、王族だけが持っているもの。
それがヒスカリアの中からゴッソリ抜き取られたのだと、目の前の公爵は言っているのだ。
頭の中で考えが一回りした頃、ようやくヒスカリアの口から答えが出る。
「……え? 私、王族じゃないんで、魔力なんて持ってないです」
「普通はそうだな。だが僅かかもしれないが、君には王家の血が流れている」
「え? ……あの、それはどういうことですか?」
(一体公爵様は何を言っているの? 私に王家の血が流れているって……)
「それがこのバークレイ侯爵家の長子にのみ継承されている秘密だ」
「侯爵家の秘密……」
公爵はヒスカリアをじっと見つめ、真剣な眼差しになると、崩していた脚を揃える。
そして、急に重い空気が室内に漂いだす。
「ここからは、王家と五大公爵家、そしてバークレイ侯爵家を含む、三つの侯爵家の話だ。よく聞いてしっかり覚えるように」
心なしか公爵の目の色が変わる。
ここから本当に大切な、結界を張って守らなければならないような重要な話をするのだと、ヒスカリアは息を飲んだ。
「はい……」
これから一体どんな話が始まってしまうのか、不安と期待とが入り混じって、ヒスカリアの心はいつになく騒いでいた――。
お読みいただきありがとうございます。
ようやく公爵家に向けて出発です。
「侯爵家の秘密」を本当は1話で終わらす予定だったのですが、あまりにも長くなってしまったので、2分しております。
次回もお楽しみいただけますと幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。