◇母親
ミリアとアリストを放置したまま、公爵と前公爵のレイヴィス、それにヒスカリアの三人は、応接室のソファーで今後についての話し合いを行っていた。
このソファーはつい先ほどまでヒスカリアとミリアが取っ組み合いをしていたせいで、配置がいつもよりテーブルからズレている。
最初座ろうとした時、公爵が気にしたものの、レイヴィスが「そんなことを気にするとは、器が小さいのぉ」と言ったことで、そのままの状態である。
「さて、どうする? このまま公爵邸へ来るか、最初の話通り一週間後に来るか。好きな方を選ぶと良い」
公爵の意外な言葉にヒスカリアは目を見開く。
まさか公爵が自分のことを気遣ってくれるとは思わなかった。
「ありがとうございます。できれば、このまま公爵邸に行かせていただきたいです……さすがに居づらいので」
チラチラとミリアたちの方を伺いながら答えるヒスカリアに、公爵は不思議そうな顔になる。
「居づらいも何も、出ていくのはあちらの方だ。先ほども話したが、もうこのバークレイ侯爵位は君次第だからな」
「そうだとしても、お嬢ちゃんがここに残る場合、使用人たちはそのままになる。それはさすがに居づらいじゃろう」
「使用人をなぜ気にするのだ?」
生まれも育ちも貴族の最高位に位置する公爵様の言葉に、ヒスカリアは唖然とする。
(この方の妻になるのね……これから先、感覚の違いを埋めるのが大変そうだわ……)
そんなヒスカリアにとって、レイヴィスの存在は非常に心強く感じた。
◇
公爵邸へ行くことが決まり、荷物をまとめるため部屋を出ようと立ち上がったところに、侯爵夫人が扉を開いた。
ヒスカリアと目が合うなり、彼女を睨みつける。
公爵の存在に気づくと、慌てて取り繕う。
「ま、まあ、まだこちらにいらしたのですね。てっきりお帰りになったとばかり――」
そう言いながら公爵に頭を下げたその時、ちょうどソファーの陰になって隠れていた、ミリアとアリストの姿が夫人の視界に入る。
きっとミリアを探していたのだろう。ミリアの姿を確認するなり、一目散に駆け寄った。
「ミリア! どうしてこんなことに!? 一体何があったの!?」
アリストからそっと奪い取ると、ミリアの言葉を聞くため、身体を屈める。
小さな声で「いたい」「たすけて」と呟くミリアに、事情を知らない夫人は、公爵に向かって訴えた。
「一体誰がこんなことを!? 教えてください! うちのミリアに何があったのですか!?」
公爵は黙ったまま、何も答えない。
すると、夫人はそっとミリアの身体をクッションで支えると、ヒスカリアの元へと詰め寄る。
「お前がやったのね!? いくら虐げたと言ってもここまでやる必要がある!? 育ててやった恩も忘れて……恩を仇で返すだなんて!」
顔を真っ赤にさせ、勢いよく手を上げようとする夫人。
ヒスカリアは目を瞑って身構えた。けれど、いつまで経っても夫人の手が当たらない。
恐る恐る開いた視界には、ヒスカリアの前に庇うようにして立ち、夫人の手首をしっかりと掴む公爵の姿があった。
「そこまでだ。ヒスカリア嬢のせいではない。その娘の自業自得だ」
「そんなっ、まさか……。いいえ、ミリアがそんなことするはずありませんわ!」
そう言いながら、夫人は再びヒスカリアをキッと睨みつける。
「その娘は、ヒスカリア嬢から婚約の指輪を奪い取ろうとした。そして、防護魔法が発動しただけだ。その傷はヒスカリア嬢への憎悪の証」
「そ、そんなはずっ……」
公爵の言葉に、ミリアとのやり取りの中で何か思い当たるふしがあったのだろう。
ハッと目を見開いた後、夫人はミリアを見つめると、公爵に懇願した。
「自業自得なことはわかりました。けれど、どうか傷を治してはいただけないでしょうか?」
「先ほどそこの侯爵にも言われたが、傷痕が残って嫁に行けなくなるというのであれば、却下だ。それこそ、ヒスカリア嬢を虐げた報いだ」
一瞬悔しそうに歯を食いしばった夫人は、呻くミリアを見て、今度は公爵に頭を下げた。
「傷痕が残るのは構いません。娘のこんなに苦しむ姿を見ていられないのです。どうか爛れた傷口だけでもなんとかしていただけないでしょうか?」
夫人の意外な言葉に、公爵は赦しても良いかを尋ねるようにヒスカリアを見た。
複雑な表情を浮かべるヒスカリア。けれど痛々しいミリアの姿は確かに見るに耐えない。
「表面を塞ぐだけの手当てなら」
そう言って公爵は、ミリアに向かって魔法を放った。
爛れた傷口は塞がり痛々しさは軽減されたものの、そこにはアザのようなものがしっかりと残っている。
それまで苦しみ続けていたミリアは、力尽きたように気を失った。
「ありがとうございます!」
涙ながらに頭を下げた夫人は、再びミリアに駆け寄ると、侍従たちを呼び、ミリアを連れて部屋を去っていった。
お読みいただきありがとうございます。
前回で侯爵家ざまぁ回終わりと言っていたんですが、まだ一人残っていました。
これでひとまずざまぁは終わりです。
次回もお楽しみいただけますと幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。