裏切り、混乱と焦り
長い呼び出し音の後、ようやく、受話された。
声が聞こえる。
ーーーもしもーし。
田原崎の声。
文道はまず、その声が聞けたことに安心した。
痛みが再開した後、もとの苦しみに悶え、ふさぎ込んでいたり、もしかしたら病院に搬送されたかもしれない、とも考えていたからだ。
最初、問診票にあった田原崎の自宅の電話にかけても応対はなかった。
同時に携帯電話の記入もあったため、そちらの番号にかけ直したところ、ようやく田原崎とつながった。
金曜の最後の患者の施術を終え、閉院の午後7時になろうとしているところで、文道もようやく手が空き、こちらから田原崎に電話することにした。
文道は本日はずっと田原崎のことを気にかけていたが、田原崎は結局最後まで来院することはなかった。
先週、本日の来院の予約にあたって、田原崎は朝一番の予約を希望した。
津軽整体院の開院時間は午前10時からだった。
もちろん、午前0時から痛みが再開すると予告されているのだから、田原崎も、できるだけ早くに来院して、対処してほしいと考えたのだろう。
文道としては、痛みは苦痛ではあろうが、実は完全にもとの状態に戻るわけではなかったため、金曜日中に来院するなら、診療時間内ならいつでもよいとは思っていた。
しかし同時に、再びこれまでの痛みが戻ってくることの恐怖に怯える、田原崎の気持ちもわかった。
ただ、金曜の開院時間すぐの時間は、すでに先約が入っていた。空きの時間は、午後1時過ぎのみ、診療を受け付けられる状況だった。
文道はその旨を田原崎に説明したが、田原崎はなんとか朝一番に診察を、と懇願したため、文道は開院時間を30分早め、午前9時半で予約を受け付けることにした。
午前9時半からの診療だと、開院最初の予約患者の時間まで30分しかなかったが、文道にとっては、それだけの時間があれば充分だった。
本日、文道は、通常より1時間前の9時から整体院を開けて、田原崎の来院を待った。
しかし、田原崎が来院することはなかった。
田原崎に教えなかったが、実のところ、金曜の午前0時に痛みが再開するというのは、その時間に効果がなくなる、という意味ではなかった。
療術というものは、実は、一度かけると、それを解く手順を踏まないと、決してその効果が消えることはない。
これは療術の源流となる、咒術すべての大原則である。
ここが、巷で行われる通常の催眠と咒術が根本的に異なる点である。
あなたはだんだん眠くな〜る。
といったような、今日の一般的に知られる催眠術というのは、術師がそれを解くことをしなくとも、被術者は時間の経過とともに、自然と催眠状態から覚めていく。
これは催眠術師の腕が足りない、というより、潜在意識に働きかける上での物理的な制約が大きい。
催眠術師と被術者が関係する時間が、短すぎるのだ。
そんな短時間での関係性では、いくら潜在意識に語りかけていたとしても、その刷り込みは浅くならざるを得ない。
そこに、潜在意識に語りかけられた言葉は、ただでさえ、時間とともにその効果は自然に失われやすいので、通常の催眠状態に持続性がないのは当然である。
潜在意識については、特に睡眠を経れば、交感神経と副交感神経の頻繁な活動の交換が起こる。
そうなれば、潜在意識へ働きかけられた短期的な暗示はなおさら消失することとなり、被術者はほぼ100パーセント催眠状態から自力で覚醒する。
その意味で、通常の催眠では、その術師がいくら優れていようが、被術者を催眠状態に維持できるのは、長くて翌朝までが限界である。
その点では、療術は、催眠というよりは洗脳に近いものがあるともいえる。
いわゆる催眠の効果が薄いのは、時間の制約による潜在意識への働き方の浅さのためといえるが、逆に言えば、時間の制約がなく、刷り込みも深ければ、その効果はなかなか消えない。
その条件を満たす現代の誘導作用で、うってつけの例は洗脳であると言える。
ただ、洗脳の場合は、潜在意識ではなく、脳に働きかけるものであり、そこには、水をオレンジジュースのように感じさせたり、腕が上がらなくしたりする催眠のような効果はない。
そもそも洗脳は、ほとんどがある種の悪意をもって、思想や価値観を塗り替えることが目的であり、催眠のように心身を一時的に錯誤させるつもりなどはなからない。
その意味で、催眠と洗脳はまったくの別物で、療術はやはり催眠の系統となる。
ただ、その刷り込みの深さは、催眠よりも洗脳のそれに似ているともいえよう。
ただ、療術は、洗脳と異なり、その要する時間に膨大な時間を必要としない。
いや、通常の催眠術の時間すら、療術と比べれば、はるかに長い時間をかけている。
療術が、被術師に術を与えるのに必要とする時間は、数秒、どれだけ複雑な内容でも10秒もかからない。
そんな短時間で、洗脳よりもはるかに深い刷り込み効果を与えつつ、その内容は催眠的な心身への感覚の書き換えを行うというような術は、現代に知られるいかなる技にも類例はない。
がゆえに、療術は秘術と呼ばれてきたのである。
そんな療術は、被術者だけで、効果が自然に解けることはない。
療術師が意識的にそれを解くことが必須で、それをしないかぎり、生涯に亘りその効果は消滅しない。
だから、たとえ文道であっても、金曜の午前0時になったとたん、田原崎にかけていた療術をタイマーのように自然に消すことはできないのだ。
つまり、田原崎は金曜の午前0時になっても、療術の効果は、まったく色褪せず残っているのである。
では、なぜ、文道は金曜の午前0時に痛みが再開すると田原崎に伝えられたのか。
それは、文道は療術を田原崎にかけるにあたり、その効果が金曜午前0時に変化するよう、あらかじめ仕込んでいたからである。
文道は療術において、田原崎の潜在意識のなかに、痛みを完全に感じなくなる暗示を与えると同時に、金曜午前0時になったとたん、その田原崎の感覚が、ほぼもとの痛みを感じる感覚に移る、という指示を与えた。
痛みを再び感じるという点では、療術をかける前の状況と同じだ。
だから、田原崎には効果が切れているように感じる。
しかし、効果は切れておらず、形を変えて継続しているのである。
先週の木曜に痛みが消えた暗示が、金曜午前0時から、ほぼもとの痛みを感じるという暗示に変化したのが、現在の田原崎の状況のはずである。
つまり、文道と再び会うまでは、田原崎に痛みが再発しても、実は療術にかかり続けている、ということだ。
文道が金曜の来院を田原崎に求めたのは、再度の整体施術の必要性というより、まずは、このかかったままの療術を解かねばならなかったからだ。
療術はまさに麻酔のようなもので、病状を改善できるものが、麻酔にかかり続けているというのは、危険である。
ゆえに、文道はできるだけ早く、田原崎にかけた療術を解く必要があった。
療術を解くためにかかる時間は、かける時間よりさらに短い。その時間はもはや1秒以下である。
しかも、田原崎の痛みのある状況は、療術を解く前も解く後もほとんど変化はない。
すでに痛みを感じる状況に変化している療術が解かれ、もとの痛みを感じる状況に戻る、ということなので当然である。
ただ、厳密に言えば文道が療術を解いたとき、その痛みは、解く前よりは少し増すことになる。
これは、文道のちょっとした気遣いだった。
金曜午前0時に、ほぼもとの痛みを感じる体に変化する、ということは、完全には戻らない、という状況を意味する。
このわずかな違いで、ほんの少しであっても、田原崎がこちらに来院するまでの負担を軽減してあげる措置をした。
しかし、それでも、今の田原崎は、先週あった痛みのほぼ9割以上を感じるようになっているはずだった。
1週間の無痛で忘れていた痛みからの再開ともなれば、それでももとの痛みに匹敵する苦痛を覚えることにはなるだろう、と思う。
とにかく本日中に田原崎の療術はいったん解く必要があり、その後の痛みを田原崎は真摯に受け止め、今後の治療に向き合う必要があることに間違いはない、と文道は確信していた。
「田原崎さん、本日はどうなさったんですか」
ーーーああ、先生かあ……。
電話口の田原崎はなんだか、気まずそうな口ぶりだった。しかし、その口調に苦しそうな雰囲気は伝わってこなかった。
「痛みはどうです? 今日は、なにかあったんですか」
ーーー痛みは……、まあ、大丈夫です。今日はすみません。ちょっと用事あって予定がつかなくて。
(大丈夫? いったい……どういうことだ?)
文道は、田原崎が平然と話していることに混乱した。
たしかに、文道は本日の日が変わった瞬間に、もとの感覚に戻しきることはしなかった。しかし、そこにかけたフィルターはほんのわずかなものであり、大丈夫、と言えるようなレベルの保護はかけていない。
「大丈夫というのは、痛みが我慢できるということですか」
ーーーいや……我慢というか。先生、実は俺の病気治しちゃったんじゃないの?
「そんなわけないでしょう」
ーーーまたまたあ
電話口の向こうで、田原崎が冷やかすような声で言う。
文道はいらっとした。
「田原崎さん、あなたの疾患はそうたやすく完治するようなものではないですよ。とにかく、状態を見る必要があります。明日、こちらに来ることは可能ですか」
ーーー明日かあ……。いきなり明日っつっても、予定あるんですよね。ちょっとスケジュール確認して、また連絡します。
「田原崎さん、いまどちらにいるんです?」
文道は田原崎と話していて、ずっと気になることがあった。
電話口の先が、どうも騒がしいのだ。
ーーーいや、仕事ひと段落できたんで、打ち上げっつうかーー
「まさか、飲みに行ってるんですか」
ーーーや、や、俺はそんな飲まないよ。まだまだ病み上がりだしね。
文道は深くため息をつく……。
「田原崎さん……、病み上がりも何も、田原崎さんの症状はなんら変わっていませんよ」
ーーー先生さあ……あのとき、言ったよなあ。
田原崎がだんだん苛ついているような口調になった。
ーーーもし、俺の痛みが消えたとしたら、それは、俺の自立した治癒力だってさ。言ったよな!
この男は、人の話を汲み取ると言うことができないのか……。それとも、わざとなのか。
「それ本気で言ってるのか」
文道は、自分の言い回しにも棘が出てきているのがわかった。
ーーーや、や、先生、冷静に冷静に。クールダウンだぜ。まあ、半分本気だけど、半分は冗談だよ。先生は、やっぱすげえ。ブラックジャックより上だわ。
「痛みは?」
ーーーないでーす。
ありえない。
どういうことだ?
療術の効果変化は、療術においては基本中の基本。
後退ができず、前進しかできない自動車というのはない。あるとすれば欠陥品だ。
療術においても、それは同じである。
今日になっても、無痛状態が続く。
絶対にありえない!
田原崎にかけた状態変化の療術は、なんら複雑なものではなく、これを誤ることなどありえない。
文道の療術は、これよりはるかに複雑な内容である時も含め、これまで自身の意図を超え、違った効果を発揮したことなど、一度たりともなかった。
文道は混乱した。
なんだか嫌な胸騒ぎがした。
「とにかく田原崎さん、できるだけ早くうちに来院しないとだめだ」
ーーーまた悪くなったら、必ず行くよ。そのときは、またたのみますよ。
電話口の向こうから、「社長、何話してるんすかー。早く、乾杯、乾杯!」と、若い男のはしゃいだ声が聞こえた。
「ふざけるな!」
文道は思わず声を荒げた。
その時、ドアが開いた。
制服姿の閔莝だった。
学生鞄を肩掛けする閔莝と目があった。
閔莝が学校から帰宅したのだった。
普段なら、津軽整体院のドアから入り、そのまま受付を抜けて住居の方へ進む閔莝だが、文道の声を聞いて、立ち尽くしていた。
文道は閔莝を追い払うように、手払いする。
閔莝は落ち着かない素振りで、文道を横目で見ながらゆっくり歩き出す。
文道は日頃取り乱すところなど、これまで息子に見せたことはない。閔莝も不安がってるのかもしれない。
電話口の田原崎が続ける。
ーーーとにかく先生、俺は平気なんだよ。奇跡はやっぱりありました、てね。先生がどう思おうと、俺は乗り越えた。克服したんだよ。キラキラのヒーローはやってみせました。だから、今日の宴は、ぶっちゃけ、快気祝いでもあるかなあ。
田原崎の軽口に電話の向こうから、歓声と拍手が湧き上がる。
会社の連中と居酒屋にでもいるのだと、文道はようやく理解した。
ーーー若い連中、待たせてるんですわ。またかけるからさ。
「おい、待て!」
文道の声を待たずに、田原崎は電話を切った。
文道の耳下には、ツーツー、と電子音だけが残された。