第二話「香る茨には棘がある」
湖に浮かぶ村、龍ヶ島の中央に一際大きな屋敷がある。
風花商店。
この店先に並ぶのは漁師が獲った魚や猟師が獲った獣の肉、山菜、木材、それに限らない。決してこの一帯で手に入らない貴重な香辛料や装飾品、銃弾までも取り扱っている。
何故そんなものが売っているのか。答えは店主が握っている。
夜になれば店は閉まる、はずだった。しかし今、片腕のない男と小さな女の子の二人組が船着き場を降りて橋を渡り、風花商店へと吸い込まれていった。
店の扉を開いたのは年老いた使用人であった。そいつは男の顔を見るなり屋敷に上がらせる。あらかじめ打ち合わせていたようだ。
使用人は奥へ奥へ進む。その後を二人は何も言わずに付いていく。男は緊張しているようだった。やがて三人は大広間へと出た。
すると待ち受けていた店主がよく通る声で話しかけてきた。
「よく来てくださいましたお客様。良い夜でございますこと」
女の子はぎょっと目を見開いて口も開こうとしたが、男がその口を手で塞いだ。
何も店主が些か若く美しすぎる女であったことに驚いたのではない。顔の若々しさに比べ白髪であったことでもなければ、見慣れぬ洋服で着飾っていることでもない。驚き戦慄くべくは、この女店主の側頭部に一本ずつ、角が生えていることにあった。
「これはこれは風花殿もお麗しゅうことお変わりなく……」
「御託はいいでしょう。商談に入りましょうや。欲しいものを何なりと申すがよい」
男は平伏する。自然と首を垂れていた。店主、風花イバラがだんだんと威圧感のある物言いをしたためか、言葉のみならず角の存在がそうさせるのか。
「米俵を一俵……」
「二俵でいい、遠慮することはなかろうて。ただし……」
イバラの瞳が狼のようにギラリと光る。威圧感を増す。
「売るのか。本当に売ってよろしいか」
男は顔を上げ、ちらりと怯える女の子を見る。
「……売ります。娘を売ります」
「よし買った!」
イバラが微笑みながら指を鳴らすと、使用人は女の子を羽交い絞めにして持ち上げた。老人だというのになんたる腕力か。小さな娘は喚く。
「助けて、お父さん、お父さん!」
しかし父親は顔を背けた。この男は元々猟師であったが利き腕を鬼に千切られ仕事ができなくなり、一家は貧乏のどん底にあった。せめて長男は育てたいという思いから苦渋の決断を下した。鬼に腕のみならず娘を差し出すという屈辱に耐えながらも。
「うう、マリコ、許してくれ……許してくれ……」
「お父さん!」
「おっと離してやりなさいな」
使用人の顔のすぐ横に、刃煌めく。小太刀を向けて闇より現れたのはブロンドの髪、紅白の巫女装束。吉備津マキナだ。
「おやおやこれは、噂の鬼狩り様ではございませんか」
「その子を離せと言っているが」
「うちの使用人は人間よ。それでも斬るのかい?」
マキナは揺るがず、小太刀を使用人に近づけたまま。イバラはクククと笑ってから言った。
「いいでしょう。離せ」
老使用人は娘を手放した。少女は父親に駆け寄ろうとする。だがその時だった。
娘の上半身がポトリと落ちた。
父親が絶叫する。マキナの瞳孔が開く。
「マリコぉ!」
「私が買ったモノだ、どうしようったって文句は言えまいな」
「風花、イバラ……!」
瞬く間に、マキナは距離を詰めた。そして小太刀を振るう。刃が鬼の角を捉える。が、しかしそれ以上進まず止まる。
イバラが刀身を手で握っていた。
「そう易々と切り落とせると思うなかれ」
そして折った。いとも容易く。凄まじい腕力。流石のマキナも気圧され、次の一撃を警戒して飛び退こうとする。
だがイバラの方が早かった。マキナの胸ぐらを掴み、放り投げる。マキナの身体は宙を舞い、庭に着地した。
風花邸の中庭は見事な石庭になっていた。巨大な岩がぽつんと置かれている。マキナはただならぬ気配を感じ、跳躍した。すると岩に無数の切込みが入って砕けた。
そのまま屋敷の屋根に飛び乗るマキナ。イバラは庭に出てきて、残念そうに岩の残骸に手を触れる。
「ああなんと惜しい。この岩とて見つけるのに苦労したものを」
「攻撃が見えなかった……鬼道か」
マキナは呟く。距離があったのにもかかわらず女の子や岩は裂けた。凶器らしい凶器をイバラは見せていない。
ふとびゅうびゅう風が吹いていることをマキナは肌で感じ取る。美しいブロンドの髪が揺れる。風は庭の方から、いやイバラを中心として吹いていた。
「本日の営業は終了でございます。お引き取りいただきたい」
「断る。お前を生かしておけないよ」
「わからぬ御仁だな吉備津マキナ。見逃してやると言っている」
屋根上のマキナに顔を向けるイバラ。マキナも睨み返す。するとイバラは溜息をついた。
「何を戦う必要がある? 鬼同士」
マキナの頬を汗が伝った。イバラは続ける。
「その人並外れた身のこなし、完璧すぎる美貌。わざとらしい。角隠して尻隠さず、それで擬態しているつもりなら笑止千万、と言わざるをえませんなぁ」
白髪の鬼は嘲笑う。が途中で真剣そのものの顔向きに変貌した。
「鬼が何故人に紛い鬼を狩る。おかしな話だとは思わないかい? なぁ吉備津の」
「私は……」
マキナは呼吸を整える。風に逆らうようにブロンドの髪を掻き上げて言う。
「私は人でありたいのよ」
「痴れ者め」
突風が吹いた。それに斬撃を含ませていた。マキナの右腕が斬り飛ばされる。流れていく、鮮血も。
「鬼道・鎌鼬。最終通告よ。もし引かぬのであれば次は首を飛ばそう。十秒待つ。十、九、八」
だがマキナは決して動かない。その間にもイバラは指を一つずつ折っていく。カウントダウンは一に達する。そして。
イバラは拳を握り締め、鋭い風を屋根へと送り込んだ。マキナは走る。屋根の上を猛烈なスピードで。
飛んだ。風のない方へ。だが追いかける。イバラの鬼道・鎌鼬が。鬼道とは鬼の使う摩訶不思議な術である。核の高い鬼ほどその威力たるや、凄まじい。吹き飛ばされる屋根瓦に無数の傷跡が付く。
「鬼道・剣製」
そう呟くとマキナの右肩の傷口から刀剣の刃が生えだしてきた。その小太刀を掴む手は後から生えてくる。失われた右腕はあっという間に再生し、得物を煌めかせた。そしてイバラへと飛び掛かる。
「蛮勇な」
それをイバラは動じることなく鬼道・鎌鼬のつむじ風で切り刻む。だが血の臭いが全くしないことを瞬時に悟った。幻影だ。イバラは視線を変える。
その時には屋敷から飛び出したマキナの本体が斬りかからんと迫っていた。
「鬼道・空蝉。獲った!」
振るわれる小太刀。しかし、イバラには届かなかった。その前に生脚がマキナの腹を突いていた。
イバラは思いっきり蹴り飛ばす。
「私に横道は通じない」
マキナの身体は風に乗って、彼方の水路まで飛ばされた。ざぶん、沈む。夜の紺色の水面に真っ赤な血が滲む。
やがて紅白の肢体が浮かび上がった。
「一筋縄ではいかないな……」
マキナはこぼす。湖に揺蕩いながら。