美波先輩1
私は美波先輩以上に優雅で清楚で、気品に満ち溢れた女性を見たことがなかった。
美波先輩の淹れる紅茶は、たとえその茶葉が黄色いラベルのどこでも買えるような安いものであっても、最上級に美味しい。
入部当初、何か微妙に勘違いをしていた私は、先輩たちのお茶は私が淹れなくちゃと、率先してお茶くみ係になろうとした。
それを美波先輩は「大丈夫、それは私がやるわね」と言い、続けて「それとも、私より美味しくお茶を淹れる自信があるのかしら?」なんて、茶目っ気たっぷりの笑顔で言い放った。
目は大きく、まつげは長く、鼻も高くて唇もつややか。どこぞのどえらいお嬢様なのかなと出会った当初は思ったが、実は私の家の近所の純喫茶の娘さんだった。
実は会ったことがあるらしいが、憶えているのは美波先輩だけで、私は全く記憶になかった。
「お姉さん悲しいなあ。昔は一緒に遊んでた仲なのに……」
「あ、ご、ごめんなさい」
「でもまた会えて嬉しいわ、はるちゃん」
そう、私が先輩たちから「はるちゃん」と呼ばれるようになったのは、美波先輩が切っ掛けだった。
詳しく聞くと、私がまだ小学生になる前、すでに小学生になっていた美波先輩は、私と数人の友達を交えておままごとやお人形遊びをして遊んでくれていたらしい。
しかし小学校に上がり、段々と同級生の友達と遊ぶようになった私は、次第に美波先輩とは疎遠になってしまい、実は中学校も同じなはずなのに、全く言葉を交わさずに過ごしていたのだという。
そしてその間、何も憶えておらずのほほんと過ごしていた私のことを、美波先輩は見ていたそうだ。
「中学校の卒業式で一年生が卒業生にコサージュを胸につけてくれるでしょ。あのとき、はるちゃんが来てくれないかなって思ったりもしたんだよ?」
そう言われて、なんとも申し訳なく、同時に照れくさかった。
美波先輩が実は幼い頃からの知り合いだったことを母に話すと、今の今まで忘れていたことを呆れなれながら叱責された。
それから美波先輩のお人形を私が壊しちゃった話や洋服のお下がりをもらったりした話、新品の自転車を跨がらせてもらってすぐコケた話あたりから、段々と関係ない昔話も挟まれていき、身に覚えがないはずなのにくらってもしょうがない説教から、普通の思い出話になるまで、そう時間はかからなかった。
本当に全然憶えておらず、ろくに思い出しも出来ていなかったが、それも含めて美波先輩に謝ると、そんなことはどうでもいいという顔でほうじ茶を差し出された。
「別にそんなことで私の思い出までなかったことになるわけじゃないし、またはるちゃんとの思い出が出来るのは嬉しいわ」
そう言われ、私は泣きそうになったが、夏子先輩お手製の蒸しパンを頬張ったらなんか涙も申し訳ない気持ちも引っ込んでしまった。
きっと美波先輩も、同じ気持ちなんだろう。
美味しいお茶。
美味しいお菓子。
ガッツリ肉料理。
本格中華。
成美先輩のスープ。
こんないっぱいの美味しいモノたちの前では、些細な悩みや辛いことなど、どうでもいいことなんだという気持ちを、私は先輩たちと勝手に共有した気でいた。
美波先輩も成美先輩同様、暇だからとちょくちょく調理実習室に顔を出してくれる。
来てはいつも呪文のように「大丈夫?」とか「ちゃんとやれそう?」とか聞いてくる。
心配してくれるのはちょっと嬉しいが、あまり頼りないと思われているのは、些か気分の良いものではなかった。
しかし、事実として私は頼りない。
いや、先輩たちに心配させないためにもどうにかしっかりやれるというところを見せなければとは思う。
でも、どうすればいいのかもわからないし、そもそもしっかりやれる自分が全く想像できない。
「私も、美波先輩みたいになれるかな……」
不意に口走ってしまい、しかも本人に聞かれてしまったことがあった。
そのとき美波先輩は私の頭を優しく撫でながら、
「はるちゃんは、はるちゃんのままがいいな」
そう言って少し憂いを帯びた目で私を見つめていた。
あのとき、彼女は私に何を思っていたのだろうかと、そんなことを思いながら、今日も今日とて調理実習室で目的もなく一人で何もしないでいた。