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赤と青と緑  作者: まるうさぎ
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成美先輩1

 正月も終わり、新年を祝うようなムードもなくなって、いつもの日常が戻ってきたのにも慣れた一月の終わり頃。

 三年生は受験シーズンの真っ只中に居り、諸々の準備のため滅多に学校には来ない。

 そんな中、成美先輩は決まって「暇だから」と言って、私のいる放課後の調理実習室に顔を出す。


「受験勉強、いいんですか?」

「私はもう先に受けた私立大に行くことにしたから、いいの」

「なら他の先輩たちの勉強に付き合ってあげればいいのに……」


 調理研究部は私以外の部員はみんな三年生で、留年する予定のない生徒ばかり。先輩たちが卒業してしまえば、調理研究部は私一人だけの同好会になる。

 私の通う鴨羽女学園の部活動においての決まりは、部員が五人以上でなければ部として認められず、運動部なら三年、文化部なら五年の実績がなければ部費すら出してもらえない。

 しかし、土地と教室だけは豊富にあるせいか、顧問になる先生がいれば生徒一人でも同好会申請は出来る上に、必ず活動場所は提供してくれるという、ケチなのか太っ腹なのかよくわからない体制をとっている。

 念の為顧問の先生に自分一人だけになっても調理実習室を使っていいのかと確認すると、先生は呆れた顔で「来年度も部として活動できるようにがんばりなさいよ」と言った。

 とりあえず同好会に降格しても部費が出ないだけで今までのように調理実習室は使用できるのだということがわかったので、そこは安心できた。

 そのことを成美先輩に話すと、顧問の先生同様に同じ表情で同じことを言った。


「はるちゃん、私だっていつも来れるわけじゃないんだよ?」

「でも、私は誰かを誘ったりするの出来ないんで」

「こら!」

 成美先輩は私の頬を右手で鷲掴んで叱責する。

 何を言っているのかはよくわからなかったが、先輩の右手はとても柔らかくて、いい匂いがして、なんだか大人の女の雰囲気があった。

 そして、こんなにも近く、触れ合える距離なのに、とても遠くにいるように思えた。



 成美先輩は去年の春、部活勧誘の異様な空気に気圧され、自分の靴が仕舞われている下駄箱へすら近づけないでいた私を見つけ、まるで餌を見つけた蛇のように音もなく背後に忍び寄ってきた。

 長く細く、柔らかな手が蛇の舌のように伸びてきて、私の両肩をぽんと優しく叩き、ビクリと震えた私にかまうことなく耳元で「どうしたの?」と囁いた。

 戸惑う私の手を握り、たった一言「おいで」とだけ言って、問答無用で引っ張って連れてこられたのが、調理実習室だった。

 十台の調理台が並び、そのうち一台は教諭用で、天井に大きな鏡が設置されていて、手元の作業が後ろの生徒にも見える様になっている。

 その中の一つ、真ん中の調理台で何かを作っている様子の生徒たちが、入ってきた私達に気づくと、やんややんやと言いながら成美先輩と私を手招きして呼ぶ。


「成美さん新しい部員連れてきてくれたんだ! その子名前は?」


 最初に話しかけてきた人の制服のリボンタイを見ると、赤い。ということはこの人は先輩で、三年生なのだということがわかる。チラッと見渡すと、みんなリボンタイの色は赤かった。

 鴨羽女学園は入学年で色分けされていて、私の世代は深い緑色、一つ上はだいぶ明るめの青だった。そして二つ上、成美先輩たちの世代は独特の、深くも明るい赤だった。

 あとから全校集会で校長先生が新入生に向けての話で、私達の色は青漆(せいしつ)色というらしく、深く渋い緑には、思慮深く穏やかで優しい女性に育ってほしいという思いが込められているとかなんとか。正直に言うと、私はこの色があまり好きじゃなかった。

 成美先輩たちの色は正真正銘の「赤」なのだそうだ。

 これも後から全校集会にて校長先生からの話で聞いたのだが、創立時期が戦後間もない暗い時代だったことから、明るく華やかな女性に育ってほしいということで、鴨羽女学園創立時に最初に入学してきた生徒に赤色のリボンタイを配ったことから、制服にリボンタイを採用したのだという。一つ上の代の色は浅葱(あさぎ)色というらしいが、そんなことはどうでも良かったので、由来やらなんやらは詳しくは憶えていない。


 とにかくあの日初めて成美先輩に連れて行かれた調理実習室に居た先輩たちの赤いリボンタイが、とても鮮やかで綺麗で、心底素敵で、羨ましかった。

 あのあと私はしどろもどろになりながらも自己紹介をし、特に入部したかったわけでもないが、先輩たちの様子を見ていて、私もその中にどうしても入りたくなってしまった。

 クッキーの焼き上がりを待ちながら他愛のないおしゃべりに花を咲かせる様子や、安価でどこにでも売っているようなティーバッグのお茶を妙にこだわって淹れている姿、焼き上がったクッキーの形の歪さを楽しむ顔に、私は強く憧れた。

 

 入部してからすぐに、私は先輩たちから「はるちゃん」と呼ばれるようになった。

 確かに名前は春奈なのでその呼び名は至極真当なのだが、いままでそういうふうに呼ばれたことがなかったので、とても新鮮でうれしくもあり、ちょっとむず痒くもあった。

 私と成美先輩を含め、調理研究部の部員は六人。そのなかでも成美先輩はスープを作らせたら右に出るものは居なかった。

 成美先輩の得意なスープはかぼちゃのポタージュで、濃厚なかぼちゃの甘味を強く感じられて、どんな高級なレストランのかぼちゃのポタージュよりも美味しいと思った。


「こんなの材料をミキサーに入れるだけなんだから簡単だよ」


 そんなことを言いながらレシピを教えてもらい、実際に手ほどきを受けながら作ってみても、先輩のかぼちゃのポタージュの味には遠く及ばなかった。

 他の先輩のレシピも同様だった。

 お菓子作りの得意な夏子先輩は、私が調理実習室に初めて行ったときに、他の先輩たちは簡単なクッキーを焼いていたのに、一人だけ随分と手の込んだ形のクッキーと、なにかよくわからないチョコの焼き菓子を作っていた。

「ブラウニーはミルクと一緒に食べてみて」なんてことを言っていたので、多分あれがブラウニーというものなのだろう。確かにお菓子と一緒に出してくれたホットミルクとの相性は抜群だった。

 夏子先輩にも勿論手ほどきを受けながら色々作ってみたものの、やはりどうにも彼女のように上手くいかなかったが、おかげで部内では二番目にお菓子作りが上手くなった自負はある。


 そういえば夏子先輩からバレンタインに向けてチョコ菓子を作ろうとかなんとか言われていた気がするが、最近、というか今年に入ってからは二回ぐらいしか会っていない。受験勉強が忙しいのだろう。

 確か夏子先輩はバレンタイン用にガトーショコラとホットチョコレートと、本命チョコを作ると言っていた。本命を渡す相手がいるというのには驚いた。


 女子校であるにも関わらず友チョコではなく本命とは、どういうことなのだろうか。


 鴨羽女学園の近辺に男子のいるような場所はない。そもそも鴨羽女学園のある場所というのが、郊外の住宅地から更に外れた山間の場所で、周囲にある施設というと、小さな博物館と駐車場の大きなコンビニエンスストアだけである。

 鴨羽女学園の生徒は必ずその博物館経由のバスを利用しなくてはならず、そのバスが出ているのは最寄り駅と言うには距離のある鴨羽駅。

 鴨羽駅から鴨羽女学園までの距離はおよそ三キロメートルで、その殆どが坂道だ。なのでバス以外にタクシーを何人かと折半で利用する生徒も多い。


 昔は学校に隣接する寮もあったらしいが、今は取り壊されて、その敷地には部室棟と呼ばれている運動部用の部室やロッカールーム、更にはプール設備のある建物がある。

 私のように運動部に所属していない生徒は専ら水泳の授業ぐらいでしか利用しないが、そこは他にも道場や機械トレーニング用のジム設備、運動部用に設けられた宿泊用の部屋、更にはなんと大浴場までもある。

 文化部の私から見ると、この学校は運動部にとってなんていたれりつくせりの場所なのだろうか。

 しかしそれだけ設備が整えられるほど、運動部の人たちは頑張ってきたのだろう。思い返せば運動系の同好会は存在していなかった。

 そんな頑張っている運動部の人たちとひきかえ、私は一人の先輩の本命チョコの行き先ばかり気になっていた。

 男子の居ないこの学校で、女生徒が本命のチョコを渡すとなると、考えられるのは教師。

 そう思ったが、この学校にいる男性教諭は御年六十歳の世界史の竹野内先生と、同い年で実は出身も同じだという現国の百瀬先生だけである。

 この二人は鴨羽女学園では非常に人気の高い先生だが、誰も恋愛対象としての異性とは思っていない。マスコット的な存在、もしくは少々腐った妄想の対象としての人気だ。

 となると、本命はこの学校の人間ではないのかもしれない。

 時折電車が一緒になる幼馴染か、それともナンパ目的で声をかけてきた知らない男か、それともそれともと考えているうちに、最終的に出た結論は、同じ部内にいる胡桃先輩かもしれないというものだった。

 胡桃先輩は名前の可愛さからは想像もできないような男勝りな女性だった。調理研究部に入ったのも、部費を使って好きな料理をお腹いっぱい食べられるかもと思ってのことだったらしい。


 例に漏れず、胡桃先輩にも得意料理がある。肉料理だ。

 彼女の肉に対する執着心とこだわりは、本当はプロの料理人なんじゃないかと思わせるほどのもので、私が焼き時間を少し長くしてしまっただけで怒りを顕にし、涙ながらに「もっと美味しく焼いてやれたのに……」と口にしながらポークソテーを頬張っていた。


 こんな胡桃先輩だが、別に気難しい人というわけではない。肉以外では何を口にしても美味しいと言ってくれるし、肉料理についても上手く調理できたときは、まるで初孫が初めて立って歩く姿を見て喜ぶが如く褒めてくれる。

 そんな先輩の影響もあってか、我が家では私が鍋奉行であり、焼肉奉行である。


 夏子先輩は胡桃先輩のそういう姿をとても嬉しそうに見ていた。そしてその視線は、友人に向けるものとは違ったものに私には思えた。

 思い返せば夏子先輩の立ち位置や座る場所は、必ず胡桃先輩の隣だった気がする。五月の終わり頃にみんなで行った映画、夏の合宿、秋にやった文化祭でのほとんどの場面。

 もし夏子先輩の本命が本当に胡桃先輩だった場合、私はいったいどうすべきなのだろうか。

 何をどう理解すべきなのだろうか。

 そのようなことを考えながら、私はまた成美先輩に教えてもらいながら、かぼちゃのポタージュを作っていた。


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