逃走~入院
「ほら、しょーもない事言ってないで、さっさと進む!」
結局、アサミ達は今の映像を一蹴して、先を促した。またしばらく歩くと、階段があって、その隣に病院の見取り図があった。それによると、一階と二階が病院施設で、三階と四階が病室になっていた。
こうした病院の肝試しにお約束とも言える、手術室と霊安室はこの階段の先にあるらしかったが、廊下の先には防火シャッターが降りていて進めなくなっていた。
「どうする? 一番怖い所に入れないんじゃ意味無くない? 帰る?」
ミカの提案にアサミは少し考えたが、せっかく来たのだから一応四階の病室まで見て帰ろうと言う事になった。二階に上がり、診察室やら何やらを順繰りに見て歩く。そこからは少女の顔も何も見えず、私もあれは気のせいだったと思い込むようになって、少しは周囲を見渡す余裕が出来た。
驚くのはロッカーや机はともかく、何かの機械やカルテとおぼしきファイル等、結構な設備や備品がそのままに打ち捨てられている事だった。アサミも同じ事を考えたらしく、私に同じ疑問をぶつけて来た。
「ほとんど、そのまんま残ってるじゃない。ねえカナコ、この病院って何があったんだっけ?」
私は、ここに来る前にアサミに“お願い”されて、この病院の来歴をネットでザッと調べていた。それによると、ここは元々結核患者のサナトリウムとして作られたらしい。それが三代目の院長が、方針を転換して総合病院に立て替えた。しかし、儲け主義とも言える強引でズサンな病院経営は、財政の悪化と多くの医療事故を引き起こし、結局経営は破綻して院長はこの先にある院長室でメスで自らの全身を切り刻むと言う、壮絶な自殺を遂げたと言う。
そのまま病院は潰れて、スタッフも散り散り。悪い評判が立ったことと立地の悪さから、再利用される事もなく、そのままの形で打ち捨てられて、廃墟になって今に至る……と言う事らしい。
「うえー、キモい! それってすぐに死んじゃったのかな?」
「え、えっと。確かすぐに病院のスタッフに見つかって治療はされたんだけど、結局助からなかったんだって。でも、中々死ねなかったみたいで、数日間も苦しみながら、医療事故で死んだ患者達に詫びながら死んで行ったって……」
「こ……ここが、その院長室です」
フトシの言葉に、皆がハッとなって足を止めた。廊下の突き当たりに一際立派な木製の扉があって、その上に院長室と書かれた傾いたプレートがあった。だが、施錠されてるのか立て付けが悪くなったのか、全員で力を合わせてもドアはビクとも動かず、バールの様な工具も持って来なかった為に、結局このドアを開けて院長室を見る事は出来なかった。
「あーもう! 怖そうな所には全然入れて無いじゃん! せっかく一部始終を動画サイトに上げようと思ってたのに、これじゃ無駄足だよ!」
「ま、まあまあ。一応予定通り病室まで見て行こうよ。何かあるかもしれないし」
いい加減、疲労が貯まってグズりだしたアサミ達をなだめながら、三階、四階を見て回る。……しかし、空のベッドが並ぶ病室とナースセンターばかりのこの階層は、下に輪をかけて単調で、あっという間に四階の最後の病室まで来てしまった。
「あーあ、結局、何にも無いまま最後の部屋か。まあ、所詮怪談スポットなんてこんなモンよね」
アサミは愚痴りながら、フトシに最後の病室の扉を開けさせた。その瞬間、私はここが女の子の顔が見えた例の病室だと気が付いた。私は、嫌な予感に駆られて皆を引き留めようとしたけど、それよりも先に扉が開けられてしまった。
この部屋は個室になっていて、ベッドは窓際に一つあるだけだった。そして、これまでのベッドは全て剥き出しで放置されていたけど、このベッドだけはカーテンが掛かっていて、その向こうで……何かが動く気配がした。
「……え? な、何かいるの?」
「ちょ、ちょっとフトシ、何がいるのか見て来なさいよ。男でしょ?」
「え? で、でも……いえ、が……ががが頑張ります。見ていて下さいアサミさん!」
フトシは恐る恐るカーテンに近付き、明かりが必要なので、自然に私もその後をカンテラを掲げて付いていく。アサミとミカは、戸口で顔だけ出して私たち二人を窺っている。そんな二人に一瞬だけ殺意が芽生えたけど、今は目の前のカーテンの中身だ。
カーテンの向こうの気配は、こっちの存在に気が付いたらしく、ベッドのシーツの上で身じろぎする様なかすかな音が聞こえて来た。こんな廃墟のベッドで寝ている存在がマトモなモノである訳がない。今にして思えば、ここで逃げ出してしまうのが“最後のチャンス”だったのだと思う。
でも、私が何かを言う前にフトシが意を決して、カーテンを勢いよく開けてしまった為に、ベッドの上にいたモノが、私の持つカンテラの明かりに照らし出されてしまった。
それは、ベッドの上でとぐろを巻く、ヘビともムカデともナメクジとも判らないバケモノで、身体を一杯に伸ばせば三メートルか、もっと長いだろう。その長い身体の両脇には、ムカデみたいな殻に覆われた脚がビッシリと生えていたが、その先端は白い人間の掌で出来ていた。
私たちに驚いたらしいそれは、ヘビみたいに鎌首を天井近くまでもたげて見せたが、その先端には例の少女の頭が乗っていた。私はそれで、少女の顔が天井近くまであったり、床スレスレにあったりした謎が解けたのだが、そんな真相は知りたくも無かった。
私たちは、お互いの姿を見つめあった次の瞬間に、
「「「「「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」」」」」
あらん限りの絶叫を上げた。
最初に動き出したのはアサミとミカで、私たちを置いて来た道を全力で走る音が聞こえた。次に、ベッドの上のバケモノが、頭を枕元まで下ろすと、一番上の右手でベッドサイドにあった何かのスイッチを押した。あれって……
「「キャアアアアアアアアアア!!」」
病室の外から、アサミとミカの悲鳴が聞こえたので、私とフトシは後を見ずに病室を飛び出した。すると、下に降りる階段前のナースセンターから、看護婦の輪郭を持った影法師みたいな何かが数体、アサミ達に襲いかかっているのが見えた。
やっぱりさっきのスイッチはナースコールだったのか。でも、一体どうすれば……
「ぶふぉおおおおおおおおおおおおおっ!!」
私が考えるよりも早く、アサミの危機を察したフトシが雄叫びを上げてナースの影の群れに突っ込んだ。巨体の突進と言う不意打ちを受けたナース達は、アサミ達から遠くに撥ね飛ばされて、そのスキを逃さずに私達は下に降りる階段に殺到した。
あとは、どこをどう逃げたやら。気がつくと、私達は月明かりが照らす病院の玄関口まで逃げ延びていた。背後からは、看護婦達が追いかけて来る気配がする。慌てて私達は、駐車場にとめてあるSUVに殺到した。女子三人は後部座席に全員が乗り込んで、フトシが運転席に転がり込んでドアを閉める。
「早く! 早く車を出して!」
「で、でも、まだシートベルトが」
「いいから早く出しなさいよ! このブタ! 役立たず!」
「は、はい! すみません! 今出します!」
ようやくSUVは病院の敷地を勢いよく脱出して、街灯の無い山道を闇雲に疾走する。私達は、シートベルトをしていないので、車体が急カーブを曲がる度に、左右に纏まって転げてしまう。
もう病院からも離れたし、そろそろ落ち着いて運転してもらおうと、助手席の背もたれに手を掛けてフトシにそう言おうとした時、全面のヘッドライトの光の中に、不意に野犬が入って来るのが見えた。
「うわぁっ!」
野犬を避けようと急にハンドルを切ったSUVは、カーブを曲がりそこねてガードレールを突き破り、そのまま山の斜面を転落した。私達は悲鳴を上げる間もなく車の天井に叩きつけられ、シェイクされて、車体が斜面の下に叩きつけられたらしい大きな振動を感じながら、意識を失った。