肝試し
今となっては、言い出しっぺが誰だったか思い出すことも出来ない。
大学の仲良しグループで、町の郊外にある廃病院に肝試しに行こうと言う流れになり、夏休みのある日、リーダーのアサミと、アサミの親友のミカ、そして私……カナコの三人が、SUVで件の廃病院のある山道に入り込んだ頃には、既に周囲は暗くなり始めていた。
ここまでSUVを運転してくれたのは、アサミの彼氏……と言うか、彼女に一方的に入れあげているフトシって人で、その気が全く無いアサミには、まるで下僕みたいに良いように使われている。
確かに彼は、小太りでオタクっぽくて、正直言って私でも彼氏にしたいかと言えば……でも親が資産家で金回りが良いらしいので、彼女も完全に邪険にはせずに、“雑用もこなすATM”として扱っているのだ。この真新しいSUVも、今回の肝試しの為に彼が親にポンと買って貰った物らしい。
そんな彼は、薄暗い森に覆われた山道を運転しながら、不安げにモゴモゴと呟いた。
「だ、大丈夫ですかね? この辺は野犬が多いって言いますし、もう大分暗くなってきましたし……」
「うっさいわね! 暗くなったのは、アンタが道を間違えて遅くなったからじゃないの! いいから黙って運転してなさい!」
「は、はい! すみません! 出しゃばって申し訳ありませんでした!」
助手席のアサミに怒鳴り付けられ、完全に萎縮して卑屈に謝るフトシを、後部座席越しに見ていると、隣に座ってるミカが、笑いながら小声で私に耳打ちしてきた。
「キモいよね、アイツ」
「う、うん」
どう返して良いかわからずに、とりあえず曖昧に相槌を打つ。SUVは、かつては舗装されてた悪路を通りつつ、完全に陽が落ちる直前に廃病院へと辿り着いた。
廃病院は思ったよりも大きく、建物自体はまなり古びてたけど、こうした廃墟に付き物の落書きの類いも無く、窓ガラスも殆どが割れてなくて、思ったよりも小綺麗な印象を受けた。
その代わり、入り口には不法投棄の粗大ゴミやガラクタが積み重なっていて、一種のバリケードみたいになっていた。そして、その前には立ち入り禁止と書かれたボロボロの立て札が傾いて立っていて、“いかにも”な雰囲気を醸し出していた。
SUVから必要な荷物を運び出したフトシが、またモゴモゴと不安げにしゃべる。
「ゴミが多くて入れそうにないですけど……」
「アンタがどかせばいいんでしょ! 何のために連れてきたと思ってるのよ! ホンッとに使えないわね。クズ!」
「すみません! 頑張ります! 見てて下さいアサミさん!」
「見てカナコ。ゴミがゴミ片付けてるよ。ウケルー」
必死にガラクタをどかすフトシを見て、ミカが愉快そうに笑う。流石に相槌は打たずに、聞こえないフリをして、建物を眺める。建物は四階建てで、看板は流石に半分程壊れていて文字が読み取れない。窓は全てボロボロのブラインドかカーテンが下りていて、ここからでは中が見えない……
……え?
今、四階の端の窓のカーテンから、チラッと人の顔……それも女の子が覗いてたような……でも、顔の位置が高すぎる。殆ど窓枠の上の方だった。窓枠に立って顔だけだした? じゃないと、彼女の身長は二メートル以上有ることになってしまう。それじゃまるで……
「ちょっとカナコ、なにやってんの。行くわよ」
もっとよく見ようとしたとき、アサミの声で我に帰った。どうやらフトシが入り口を確保したらしかった。早速皆で建物の中に入る。玄関をくぐる前に、私はもう一度さっきの窓を見上げてみたけど、もう何も見えなかった。きっと気のせいだろう。
玄関は、自動ドアのガラス扉が外れていたので、思ったよりも簡単に中に入れた。時間柄、もう暗くなっていたので、フトシが持ってきた電池式のカンテラで周囲を照らす。ここは外来受付のロビーになっていて、受付のカウンターと数脚の長椅子が並んでいるのが見えた。内部もほとんど荒れて無くて、廃墟とは思えないくらいだ。
「ほら、さっさと録画する!」
「は、はい!」
フトシは、アサミに命じられるままにハンディカムを構える。彼はハンディカムの他に大きなレンズを付けたデジカメを首から下げていて、ここが廃病院で無ければ、アイドルの盗撮に来た不審者みたいに見える。彼は撮影に専念しなければならないので、カンテラは自然に私が持つことになり、フトシの後から行く手を照らす形になった。
そして、その後を懐中電灯を持ったミカと、完全に手ぶらのアサミがお喋りしながら暢気に付いてくる。いつもと同じこのグループの序列。その縮図が自然に形成された。同じゼミに所属する数少ない女子同士で纏まった友人グループ……でも、私は本当に彼女達と友人なんだろうか? どっちかと言えばフトシさんと同じ様な……
「ひぃっ!」
不意に少し前を歩いていたフトシが、情けない悲鳴を上げて尻餅をついた。つられて驚いた私たちは、流石にひっくり返ってしまった彼を起こしにかかる。
「何、変な悲鳴上げてんのよ。脅かしたつもり?」
不機嫌に言うアサミにフトシはハンディカムを差し出して、震えた声で捲し立てる。
「ち、ちちちちちがうっす。今、そこの階段の影に女の子の顔が。いやホントっす! ホントにそこにチラっと顔が見えたんですよ!」
彼はそう言いながら、ハンディカムの側面の小さな液晶画面で、録画を再生する。そして、今の廊下の隅を映した所で一時停止した。
「ホラ! ここ! 間違いないでしょ! ここに顔が!」
彼が指差した廊下の曲がり角には、白くぼやけた影みたいなモノしか写ってなくて、アサミ達は野良猫か何かでしょ、と全く取り合わなかった。でも、私には確かに女の子の顔にも見えて……そこで私は、二つの事柄に気が付いたために、悲鳴すら上げられずに凍りついてしまった。
……なぜならその顔は、さっきこの病院に入る前に四階の窓から見えた顔にそっくりで、その顔は、今度は床スレスレに近い位置にあったからだ。