顔無い男と迷子の少女
どこかの国の暗い森。
人も寄り付かないこの森には化け物が住むと恐れられていた。
昼だと言うのに光ひとつささず夜のよう、何処からか狼の遠吠え。草木の影から怪しく輝く獣の瞳。
その森の奥深くさらに深く。大きな泉がひとつ。
唯一光が差し込むその場所におんぼろ小屋がひとつ。
割れそうな窓、あちらこちらに蜘蛛の巣。
側には切り株に突き立てられた斧、小屋の壁に垂れ下がる干し野菜。
そんなオンボロ小屋の扉が大きな音と共に開かれた。
「…ああ。今日もいい天気だな、」
そんな言葉と共に、小屋から出てきたのは、一人の男。
年の頃はおそらく20程。細型の体格だが、しっかりと程よく付いた筋肉。ゴツゴツした指と手。優しげな声からして、一目見た限りでは好青年と呼べよう。
ただ、その顔が、口も、鼻も、目さえも何も無いのっぺりとした顔でなければ──
彼はのっぺらぼう。
この森に住むと恐れられる化け物だ。
のっぺらぼうは大きく光の中で背伸びをする。
彼に視界は無い。目がないのだから、いつも真っ暗闇だ。
それでも温もりや痛覚等はある。こうやって温かな太陽の光の下で体を伸ばすのが彼の朝一番の仕事。
朝などと言っても、実は既に日は高く登っているので、昼一番の仕事と言うべきか。
体を伸ばしたあとは泉から水汲み…
水を汲もうと泉に近づいて、
「……ん?」
ふと、のっぺらぼうは首をかしげた。
何時も水を汲む場所に何かがある。
膝下ほどまでの大きさで、モサモサとした何か。のっぺらぼうは膝をつき暗闇の中、モサモサに手を伸ばした。
モサモサは意外にもフワフワしていて、感触が手を伝わる。同時にフワフワはビクリと動いた。どうやら生き物らしい。しかし、どう触っても森の生き物ではない。
のっぺらぼうは正体を確かめようとフワフワをかき分けて、中にいるものに触れる。
それは小さくて、柔らかくて、すべすべしていた。
両手で包み込めるほどの小さく丸い形をしたものに、柔らかな感触が2つ、その上には小さな出っ張りが1つ。
さらにその上には大きな目が2つ。形の良い眉毛も2つ。
「…ふふふ」
フワフワの何かは、愛らしい声を上げた。
「──あ、女の子だ。」
森の奥の泉の辺。
フワフワな髪の毛に包まれて、座り込む幼い少女はのっぺらぼうに頬っぺを触られて擽ったそうに笑っていた。
──────。
「しかし、困ったなぁ」
おんぼろ小屋の中、のっぺらぼうは顎をしゃくりながら首をかしげ悩んでいた。
原因は勿論、泉で見つけた少女である。
いや、のっぺらぼうには正直な所、少女かも分からない。長い髪の毛と鈴を転がすような愛らしい笑い声で判断したまでだ。
年齢はおそらく6、7歳ほど、身長で判断した。
のっぺらぼうは少女に質問する。
「お嬢さんは、お嬢さんでいいですか?」
至極おかしな質問であるが、"少女"は大きな声で返事をした。
「はい!」
良かった。少女らしい。
「おいくつですか?」
のっぺらぼうは次の質問をする。
またまた、少女は大きな声で返事をした。
「…5歳…です!」
思ったより幼かった。
しかし、それなら尚更ナゾだ。何故幼い女の子がここにいるのだろうか。
迷子だろうか。もしかして捨て子だろうか。
迷子なら森から1番近い町まで連れて行ってあげられるが、捨て子なら困ったものだ。
のっぺらぼうは再び顎をしゃくった。
「お嬢さん。お父さんは何処ですか?」
のっぺらぼうの言葉に少女はやはり元気よく答えた。
「あっちです!」
"あっち"と言われても、姿も見えないのっぺらぼうからすれば分からない。
「では、お母さんは何処ですか?」
のっぺらぼうの言葉に少女はやはりやはり元気よく答えた。
「そっちです!」
"そっち"と言われてもやはり分からない。
ううむ。と彼が悩んでいると、少女は寂しそうに答えた。
「ママとはぐれちゃ…いました…」
嗚呼、良かった。ただの迷子のようだ。
それならば問題は何も無い。
のっぺらぼうは、少女の目線まで膝をつく。勿論、彼には少女の姿は見えないため"大体"の高さであるが
恐る恐ると手を伸ばし少女のフワフワな頭を優しく撫でて。優しく言葉を掛けた。
「それは困りましたね。でも大丈夫。」
──のっぺらぼうは少女に約束をする。
「私がママの所まで連れて行ってあげましょう。」
「本当ですか?」
「ええ、本当ですとも。必ず送り届けてあげますよ。」
のっぺらぼうは顔のない顔に笑顔を浮かべ、のっぺらぼうには見えなかったが少女も安堵した満面の笑みを浮かべた。
────。
「それでは、準備はよろしいですか?」
「はい!」
片腕に少女を抱いて、仮面を顔にのっぺらぼうは歩き出す。約束した手前、町まで行って親元まで送り届けるつもりだ。
そうなれば、顔無いのっぺらぼうには顔の代わりが必要。森で少女を探す親に出会う可能性だってある。ばったり出会って驚かれたら大変だ。
少女を抱くのは迷子防止。真っ暗闇の中で過ごすのっぺらぼう、側から離れられたら大変だ。
それに、この森には危険が多い。狼、熊に、毒蜘蛛に、のっぺらぼう以外の化け物だって沢山いる。
はぐれて襲われたら大変だ。
森の中を少女を片腕にのっぺらぼうは進む。
大きな蜘蛛の巣くぐり、狼の縄張り抜けて、くまの親子の前をこっそり通る。化け物達の住処はあえて遠回り。
けれども町は、まだまだ遠い。
暫くして、腕の中の少女が足をブラブラ動かしているのが伝わった。
「お嬢さん。退屈してませんか?」
「…して……ません!」
退屈しているようだ。
しかし、それも仕方がない。もう2時間も歩きっぱなしだ。幼い子供は飽きが早い。
のっぺらぼうは考えた。子供が楽しめる事とはないか。思い付いたのは1つだった。
「お嬢さんに御伽話をしてあげましょう。」
「おとぎ話?…はい!ききたい…です!」
のっぺらぼうに少女の表情は見えないが、キラキラした瞳でこちらを見ているのは分かる。
のっぺらぼうは、こほんと咳払いをひとつ、物語もひとつ語り出す。
── リスのマルくんと小鳥のララちゃん。
── ある所に、リスのマルくんおりました。リスのマルくん一人ぼっち、いつもお家で一人クルミをかじっています。
けれどもリスのマルくん寂しくありません。
ある日、リスのマルくんケガした小鳥を見つけました。リスのマルくん驚いたけども、お家に連れて帰り看病します。
リスのマルくん、いっしょうけんめい頑張りました。
小鳥ピヨピヨ、おかげで元気になります。
リスのマルくん大喜び、小鳥の名前はララちゃん。
リスのマルくん、小鳥のララちゃんはいつも一緒。
一緒にクルミをかじって、遊んで、ねんねして。
リスのマルくん……おや? ──
お話は途中で止まる。同時に歩みも止まる。
のっぺらぼうが気がつくと少女は腕の中で、スヤスヤと寝息を立てていた。
つまらなかったのか、ゆらゆらの腕の中で心地よくなったのか、何にせよのっぺらぼうは内心ほっとする。
適当にお話を作ったものの、どう締めくくれば良いのか分からなかったからだ。
のっぺらぼうは再び町を目指し歩き出す。歩く速度を少し落として。
町まであと2時間程、のっぺらぼうは少女が落ちないよう、両腕でしっかりと少女を抱き上げた。
「──────ん?」
異変に気づいたのは、まさにその時だった。
フワフワした少女の後ろ髪。
その髪の下に別の何やらフワフワしたものが手に当たる。ちょうど背中辺りだろうか。
のっぺらぼうは少女を起こさないように、彼女の髪の毛を掻き分けて、その正体を手で探り、そして固まった。
少女の小さな背中には、明らかに人間には無いものが2つ。
──小さな小さな羽が2つ。
「……お嬢さん。お嬢さん。」
「ん…ふぇ?」
可哀想だと思いつつも、のっぺらぼうは少女を揺さぶり起こした。
きっと寝ぼけ眼なのだろうが、今はそれよりもどうしても聞かなくてはならない事がある。
のっぺらぼうは意を決して、少女に聞いた。
「──お嬢さん。お嬢さんのお家は何処ですか?」
のっぺらぼうのその問いに、眠たそうな少女は答えた。
のっぺらぼうは見えないが細い小さな人差し指を"上"に指して。
「──お空…です…!てんごく、から落っこちちゃいました…」
のっぺらぼうは天を仰いだ。
嗚呼、なんてことだ。
最初からこう聞けば良かった。
── どうやら、この少女は"人間"ではないらしい。
こんな森に小さな少女が一人置き去りにされていた理由が分かった。
なんて事ない、落っこちたのだ。空の上から。
少女のお家は空の上。
パパもママも空の上。
ならば町に言った所で、この少女の両親は絶対に見つからないだろう。
──なぜならそう、少女は"天使"なのだから。
「…天国は…さすがに私も行けません。」
のっぺらぼうは項垂れるしかなかった。
空の上など行けやしない。行けるはずがない。だってのっぺらぼうには顔が無いように、翼なんて絶対に無いのだから。
そんな項垂れるのっぺらぼうの裾を掴む小さな手──
真っ暗闇の中で、微かに震えている小さな手。
「……お家に帰れないですか…?」
不安気な震える声がのっぺらぼうに聞いてきた。
そんな小さな手を取って、優しい声色で言葉を紡ぐ
「────大丈夫。」
少女と交わした約束を思い出して、
「私がママの所へ送り届けますよ。約束、したでしょう?」
のっぺらぼうは、やはり顔のない顔に笑顔を浮かべた。
"座り込む"を付け足しました。
大人の膝下ほどの身長は小さすぎます。