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五月の出来事B面  作者: 池田 和美
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五月の出来事B面・②



「あ~、目がチカチカする」

 自分のベッドに体を伸ばしたアキラは、両目を押さえていた右腕をどかすと、天井の照明を見上げて何度も目を瞬かせた。

 あれからずーっと、それこそ下校時間を知らせるチャイムが鳴るまで、明実に押し付けられた書類を、ノートパソコンにインストールされていた表計算ソフトで整理していたのである。

 そしてアキラは一つ分かったことがあった。

「オレぜって~、事務職は無理だわ」

 役立たずのアキラの代わりに、ヒカルがまるで役所のキャリアウーマンのような手際の良さを見せ、書類をデータ化することは、だいぶ進んだ。

 明日以降も続きをやらなければならないだろうが、そんなに量は残っていない。それだけの有能さを見せつけられた後では、ヒカルが望んだ、例の怪しいUSBのウイルスチェックを断ることはできなかった。

 ヒカルの指がキーボードを演奏するように叩くと、ファイルを開くことなく内部をサーチし、ヒカル曰く「ヤバめの物」は避けることができたようだ。

 もちろん高校に進学するまでに、一番触った電子機器は携帯ゲーム機という、普通の生活をしていたアキラにはチンプンカンプンである。

「全然違うんだもんな」

 いつものガラッパチな表情とは一八〇度違って、今まで見たこと無い真剣なヒカルの横顔を思い出した。

(ホント、どんなコトをしてきたんだろ)

 ポスンと音を立てて体を回転させ腹ばいになると、枕元の目覚まし時計を睨みつけた。

(やっぱり恋人とかいたのかな?)

 ヒカルには、かつて明実との仲を聞かれたことがあった。その時の口調から、自分を『再構築』した『創造主』と、男女の関係であったことが想像できた。

 ただの用心棒をやっている「女の子のような物」のはずなのに、なんかモヤモヤとした感情が胸元から持ち上がって来た。

「む~」

 なんか喉元につかえる物があって、意識せずに声が出た。

 と、隣の扉が開く音が廊下から聞こえてきた。

「?」

 夕食にはちょっと早いような時間である。根拠のない不安が湧いてきたアキラは、ベッドから慌てて身を起こして、廊下に飛び出た。

 そこに黒いジャケットに袖を通したヒカルが立っていた。

「どうした? 怖い顔して?」

 不思議そうに聞き返してきてから、ヒカルの右手が後ろ腰に回った。

「なんかあったか?」

「いや、そういうわけでなく」

 どうやら敵もしくはそれに準ずる者が現れたと誤解したようで、半ばホルスターから黒色の銃を抜きかけていた。

「なんだよ、脅かすなよ」

 慌てて両手を振って否定するアキラに、不貞腐れながらも安心した顔という、とても微妙な表情をしてみせたヒカルは、ホルスターの位置を直しつつ銃を収めた。

「って、どこか行くのか?」

 黒のカーペンターパンツに、黒のジャケット、その下は最近よく着るようになった白黒のボーダーというスタイルである。

 アキラの指摘に、しまったという顔になった。

「ま、まあ、買い物」

 とても詰まった声でジャケットのポケットからいつものキャンディを取り出すと、目の前で包み紙を解き始めた。

「どこまでだよ、そんな恰好で」

「ま、まあな」

 ゴミをポケットに戻したヒカルは、曖昧な答えで行こうとした。

「ちょ、まてよ」

「!」

 アキラは自分でも知らずに、ヒカルの腕を取っていた。

「どっか行っちゃうんじゃないだろうな」

「なんだよ、その顔は」

 ヒカルの顔に苦笑のような物が浮かんでいた。

 無言でいると、困ったような笑顔を見せた。

「おまえらを守るって約束だろ。どこにも行きゃしねえよ。それにアキザネに許可は取った」

 そう言って空いている方の手でスマートフォンを取り出して振って見せた。

 しかしヒカルが帰ってきそうもない気がしたアキラは、そのまま腕を掴み続けた。いつものヒカルなら振り払ったりするのだろうが、ただ困った顔をしているだけである。

「わかったよ」

 降参とばかりにヒカルは手を小さく上げた。

「一緒に来るか?」

「ああ。支度するまで待ってろ」

 アキラの命令に、大げさに肩を使って溜息をついてみせた。

「わかったから、はやくしろ」

 アキラは恐る恐るヒカルを離すと、彼女がその場を動かないことを見て取り、慌てて自室に戻った。

 部屋では楽なように着ていたジャージをベッドへ脱ぎ捨て、慌てて自分のクローゼットからジーンズとスプリングジャケットを取り出した。

 どちらも男だった頃に着ていた愛用品だったため、いまの小柄な体にはサイズが大きすぎて、袖や裾を大きく捲る羽目になった。が、香苗が用意してくれた女子向けの外出着を使うつもりはなかった。フリフリスカートではついて行けないようなところに、連れて行かれるような予感がしたからだ。

 それから慌てて小遣いや身分証が入れっぱなしになっているサイフを、ジーンズのポケットにねじ込んだ。

 廊下に戻ると、ヒカルはそこで待っていた。

 ざっとアキラのファッションをチェックすると「わかってんじゃねえか」と言いたげな顔をして見せた。

 小柄な背中を追い駆けるように階段を降りている時に、匂いで気が付いた。

(あ、いつもと違うと思ったら、コレか)

 階段を降り切ったところで確認してみれば、とても薄くだがヒカルは化粧をしていることが確認できた。

 ダイニングキッチンでは、香苗が食卓の上に調理前の野菜を並べて眺めていた。二人の気配に気が付いたのか、難しい顔を緩めると振り返った。

「あら? 二人してお出かけ?」

「ああ」と素っ気ないのはヒカル「ちょっと出てくるね」と何らかの言い訳をしようとしたのがアキラである。

「お夕飯までには戻るんですよ」

「あ~」

 なるべく無視して通り抜けようとしたヒカルの足が止まった。

「ちょっとメシには間に合わないかもな」

「え」

 どこに行くか聞かされていないアキラが不安そうな顔になった。それを見て取った香苗が、柔らかい表情を浮かべた。

「午前様にはならないように帰ってくるんですよ」

「まあ、そのくらいには」

 ふいっと歩き出すヒカルに続くアキラの背中に、香苗の言葉が追いかけてきた。

「ちゃんと二人で食べるんですよ」

「わかったよ、かあさん」

 玄関でヒカルが選んだ靴は、登校時に使うパンプスではなく、出会った時に履いていたごついブーツであった。アキラもそれに合わせてスニーカを選んだ。

 海城家から買い物に出かけるというと、まず近所のスーパーに自転車で行くことを意味する。もちろん家事に手を出さないヒカルがそちらに向かうわけもなく、JRの駅まで行く路線バスの停留場がある方へ足を向けた。

「なに買うんだよ」

「必要なもんだ」

 歩きながら聞いてもこんな返事しか返ってこない。

 さきに調べてあったのか、そんなに待たずにバスがやってくる。清隆学園に向かうのとは真反対のバスだ。

 通学で使用しているICカード式乗車カードで乗車し、三割がた埋まっている車内の一番後ろの席に、並んで着いた。

 すぐにヒカルは窓枠に頬杖をついて外を向いてしまった。その横顔を盗み見ても、なにを考えているのかまったくわからない。ただ口元のキャンディの柄がピコピコ上下しているだけである。

「…」

 とても気まずい時間がやってきた。

 ガラスに映るヒカルの表情は、とても物憂げで、変な話題を振ってその沈黙を破ってはいけない雰囲気がした。

 と、チラチラと向けられる視線がうるさかったのか、ヒカルはアキラを振り返った。

「なんだよ」

「いや、べつに…」

「だったら静かに前見て乗ってろ」

「ま、まあ、そうなんだけどさ」

 ふと思いついて訊いてみることにした。

「今日は、何を買いに行くんだ?」

「ま、色んなモンだ」

 また似たようなことを言って、再びヒカルの視線は外へ向いてしまった。

 駅にバスが着くと、ヒカルは人ごみとは反対の方向へ歩き出した。

「どっちに行くんだよ」

 このまま電車に乗るものだと思っていたアキラが、ヒカルの思わぬ行動にたたらを踏んだ。

 この駅には東京の大動脈である中央線の特別快速が停車するが、商店街はあまり買い物に向いていると思えない町であった。普段使いの服などならいいが、ちょっと珍しい物ならば、電車に乗って都心か立川のどちらかに出た方がよいのが、この近くに住む者の常識だ。

「電車はあっちだぞ」

「いいんだ、こっちで」

 ヒカルの足取りは迷いが無かった。高台にある駅前ロータリーから下る坂道を進んでいく。他に坂を下るのは、そちらの方にある大学の学生ばかりである。その肩身の狭い人ごみに流されていると、坂道の途中にある雑居ビルの前で、ヒカルの足が止まった。

「?」

 見ると店などは存在しておらず、目立つのは一階にあるレンタカーの事務所だ。

「まさか…」

 アキラが躊躇していると、ヒカルは堂々とその自動ドアをくぐって行った。

「っさいませー」

 まるでコンビニの大学生バイトのような砕けた口調で挨拶が飛んできた。

「予約をしていたカミミヤだけど」

 カウンターに手をついて、ヒカルはスマートフォンを取り出した。簡単な操作で目的の画面を呼び出すと、それを店員の男へ提示する。

「はい、カミミヤ様ですね」

 袖を捲ったワイシャツにネクタイという、ガテン系サラリーマン典型の姿をした店員が、揉み手をするばかりに出迎えた。

 店員はポチポチとカウンターに置いてある端末のマウスを走らせて確認すると、営業スマイルを作り直した。

「軽自動車を今日、明日ですね。ご用意できてます」

 そう言っている間に、店員の背後にあるプリンターが書類の印刷を開始した。その合間を縫って、男がヒカルとアキラを見比べるような視線をよこした。

「?」

 アキラが首を捻っていると、ヒカルが不愛想ながらも明るい声を出した。

「今日は妹の家具を見に行くんです」

「ああ」

 それで納得したのか、店員は後ろを見ずに手を伸ばすと、慣れた調子でプリンターから書類を取り上げ、ヒカルの前に滑らせるように置いた。

「それでは免許証の確認を」

 レンタカーでは当たり前の要求に、ヒカルは平然とポケットからカードケースを取り出した。そこから確かに運転免許証と思われるカードを取り出した。

「それでは手続きですので、こちらをこちらでコピーさせていただくことになりますが、よろしいでしょうか?」

 口調は柔らかいが拒否させない圧力のような物をこめて店員が言う。それに対しヒカルは面倒臭そうにうなずきつつ了承した。

 店員がカウンターに置かれた免許証を手にコピー機の方へ移動した隙を見計らって、アキラはヒカルの背後に近づいた。

「あの免許はどうしたんだよ」

「あたしが前から使ってるヤツだよ。なんかモンクあるか?」

 つい自分が「女の子のような物」になってからポッと出会った存在なので、アキラにはヒカルがこれまで暮らしてきた年月という物が把握できていなかった。気に入らないことがあれば銃を振り回す姿しか知らないが、アキラや明実と出くわす前には、ヒカルにはヒカルの生活があったはずである。

「はい、ありがとうございました」

 店員が免許証をカウンターに置いた。それを取り上げようとするヒカルを制するように、書類がその横に並べられた。

「それではこちらの方に、ご記入を」

 どうやら車を借りるに際しての契約やら保険やらの確認事項があるようだ。ヒカルは何の気も無しにカードケースと免許証をアキラに渡した。

「戻しておいてくれ」

「おうよ」

 ヒカルがカウンターのペン立てからボールペンを借りて書類を記入している間に、アキラは受け取ったカードケースを開くと、適当なポケットに免許証を差し入れようとした。

 手にした免許証には、ちゃんとヒカルが真正面を向くバストショットが写っていた。名前の項目へ目を走らせると「上宮(かみみや)みかん」と聞いたことのない名前が書かれていた。

(へ~)

 ひたすら感心して、アキラは自分の知らない頃のヒカルの顔をマジマジと見た。

 いつもの不愛想とはまた違う無表情のヒカルは、出会った時に着ていた黒いジャケット姿であった。

「それでは現車を確認していただきます」

 アキラが感心している間に契約は完了したようだ。店員は先ほどの書類をファイルボードに挟むと、カウンターから出てきて、先に自動ドアを作動させた。

「これ、本物かよ」

 カードケースをヒカルに返しながら訊いてみる。ヒカルはちょっと苛立ったような視線をチラリと寄越すと、短く「そうだ」とこたえた。

 店員と三人で、駅から下って来た坂道と直交する脇道に出る。そこに日本中どこでも走っているような白い自家用の軽自動車が止まっていた。

「いちおうキズの確認をしますね」

 三人で軽自動車の周りを一周する。しっかりと清掃までされていて、これならば買い物などの街乗りに最適であろうと思われる一般的な車であった。

「問題がなければ、サインを」

 その他、細かいことを店員がさらに説明したようだが、アキラは聞いちゃいなかった。そんなことより大人の顔を見せるヒカルの背中を見ていたのである。

「それでは、これがキーとなります」

「ありがと」

 短く礼を言ってヒカルがキーを受け取る。会社の教育の成果か、ヒカルがドアに手をかける前に、店員が軽自動車のドアを開いた。

「行くぞ」

 ヒカルに声をかけられて、アキラは反対側から助手席に着いた。今ではタクシーぐらいでしか見なくなった安物のビニールシートである。

 ドアを開けっぱなしのままヒカルがシートの調整をし、座り心地が悪かったのか、ウエストポーチ(風のホルスター)を外すと、先にシートベルトを締めたアキラに渡してきた。

「持っていてくれ」

「お、おう」

 まさかヒカルが自分から銃を手放すとは思っていなかったアキラが、喉元まで上がって来た驚きの声を飲み込んだ。

 車のキーはカーラジオの下の小物入れに放り込みドアを閉める。始動ボタンを押し込むとオモチャのような起動音でエンジンがかかった。

「それでは、いってらっしゃい」

 書類を小脇に抱えた店員が頭を下げた。

 それを見てレンタカー初体験のアキラは「おもてなしの国ニッポン」という単語を連想した。

「さて」

 両手をハンドルに置いたヒカルが真剣な声を出した。

「問題が一つあるのを忘れてた」

「?」

「久しぶりなんだ、運転」

 さあーっとアキラの顔から血の気が引いた。

「だ、だいじょうぶなんだろうな」

「そんな平仮名みたいに言うな。大丈夫だ。…きっと」

「うわーい」

 両手と同時に悲鳴が上がった。

「大丈夫だって。…たぶん」

「きょえー」

 頭のテッペンから奇妙な声が出た。

 ヒカルも久しぶりの運転という自覚があったためだろう、この軽自動車はオートマチック車であった。免許証の特記欄に何も書いていなかったので、限定解除はしているらしい。ちなみに海城家では父親の剛がそうであり、母親の香苗はオートマチック限定である。

 ギヤをドライブに入れて足をペダルに置いた。

 ガッと飛び出したのを、ギュとブレーキが止めた。

 シートベルトが胸元に食い込んだアキラは息が詰まった。

「ケホケホ。大丈夫なんだよな?」

「走り出せば、すぐに思い出すから」

 目の前で客がやらかした急発進急ブレーキにも、店員は筋ほども顔を動かさなかった。見上げたプロ根性である。

「で? ドコ行くんだ?」

「ちょっと黙ってろ」

 信号が変わって軽自動車は坂道へ踊り出した。見送りで再び頭を下げた店員がミラーから消えた頃、やっと質問に対する返事があった。

「まずは電器屋だ」

 坂を下った交差点で赤信号にひっかかったのを幸いに、ヒカルがいつもの表情をアキラに向けた。

「電器屋ったって…」

「どこだっていいや。アテはあるか?」

 海城家では大きな電化製品を買うときは、家族そろって国道沿いの大型量販店に行くことが多かった。アテと言われても、経験からそこしか思いつかなかった。

「じゃあ、このまま国分寺街道を右…」



 目の前をカモメが飛んでいた。

 いや、カモメだと思ったらやけに茶色い色をしている。よく見たらトンビであった。

「はあ」

 砂浜に体育座りをしたアキラは、夕闇が迫った相模湾を眺めて、とっても気のない溜息をついた。

 夕陽は残念ながら右手に見える岬の突端で隠されていて、アキラが見ているのは紫色に染まった薄雲が幾筋かだけであったが。その風景に、打ち寄せる波と戯れる美女が一人。と思ったら「女の子のような物」であるヒカルであった。

「女の歳は分からないと聞いたけど…」

 しみじみと呟いた。

「ホントのことなんだなあ」

 その頭蓋骨前頭葉へ、何かが直撃した。

 胸元に落ちてくる前に掴むと、正体不明の貝殻であった。けっこうでかい。

 投げつけた本人がトトトと走り寄って来て、アキラの前で屈むと、めったに見せない笑顔を浮かべた。

 何度も投げつけられては堪らないので、文句を言っておくことにした。

「いてえなあ」

「ナニぶつくさ言ってたんだよ」

「いや、独り言」

 ヒカルは「ふーん」と信じていない目を向けた。

「悪口言ってたろ」

「そんなことないよ」

 アキラの否定に、ヒカルは足で砂をかけることで答えた。

「わっ! ぺっぺっ」

 慌てて立ち上がり、体についた砂を叩き落とした。

「口の中に入ったじゃねえか」

「オシオキだ」

 人差し指を向けられて、アキラは何も言えなくなった。

 その表情を面白そうに眺めていたヒカルは、いつものちょっと怖い表情を取り戻すと、ポケットからスマートフォンを取り出した。

「さてと」

 一動作で時刻を確認し、別のポケットからレンタカーのキーを取り出した。

「行こうか」

「行こうかって、どこにだよ」

 すっかり日暮れという心細さに、アキラの声にいつもの張りが無かった。

「予約していた時間なんだ」

 世界時計表示のスマートフォンを振りながらポケットに戻したヒカルが、後を見ずに歩き出した。慌ててアキラもその背中を追った。

 海水浴シーズンには市民でごった返すコンクリート造りの階段で、国道一三四号線の幅だけはやけに広い歩道に上がる。

「夏だと地下駐車場が使えて便利なんだがなあ」

 国道の向かいにある公園を眺めてヒカルがボヤくように言った。

「今は使えないのか?」

「夏以外は六時に閉まっちゃうんだ」

「へえ」

 そんな雑談をしつつヒカルの足が向いているのは、先程レンタカーを停めたコインパーキングのようだ。

 先に立って国道とは直交する道に入って行く。アキラはヒカルについて行くだけだ。

 会話が途切れてしまった。

 その沈黙が嫌で、アキラは何か話しかけようとヒカルの背中を見つめた。

 今の自分と同じような体格の、どちらかと言えば小柄な女の子に見える。赤の他人だったら、春に見せられた大型拳銃を振り回す姿など想像がつかないだろう。

「ん?」

 その背中がキラリと光った気がして、アキラはヒカルとの距離を詰めた。

「おい」

「なんだ?」

「背中にゴミがついてるぞ」

「え?」

 慌ててヒカルが自分の背中に振り返った。

「どこだよ」

「ここ」

「どこだってんだよ。取ってくれよ」

「これこれ」

 アキラがキラキラ光るソレを摘まみ上げると、銀色の糸と見間違うほどの髪の毛であった。

白髪(しらが)?」

 思わず呟いたアキラを、強烈なビンタが襲った。

「失礼な事言うな」

「あいてー」

 アキラの指の隙間から、その一本の髪の毛を回収すると、柄つきキャンディと入れ替えでポケットにねじ込んだ。

「おめえも長生きしたかったら、言葉使いに気をつけろよな」

 包み紙を解いたキャンディで、頬を押さえて痛がっているアキラを差した。

「じゃあ、なんて言えばよかったんだよ」

 アキラの質問に、一瞬だけ思案顔になったヒカルは、キャンディを口に放り込みながら答えた。

「『ヒカルさん、糸くずが背中に』だ。なんだ、その開いた口が閉まらないってマヌケ面は」

 ヒカルの指摘に、アキラは口を一回閉じてから言った。

「ひかるさんいとくずがせなかに」

「かーっ、ムカつく」

 今度は遠慮したのか、軽く拳でアキラの肩のあたりを叩きながらヒカルは地団駄を踏んだ。

「ちゃんと言ったじゃないか」

「その平仮名丸出しの言い方が腹立つ!」

 しばらく力の入っていない拳でポコポコと殴ってから、プイッと前を向いて、先程までより速いペースで歩き出す。

「遊んでられねえんだった」

 どうやら予約というヤツが気になっているようだ。

「予約って? 飯でも食うのか?」

 知らない町を歩く心細さから訊いてみた。

「いや…」首を一回だけ横に振り、半分だけ振り返ってニヤリと頬を歪ませてみせた。

「いい店だ」

「不安だ」

 アキラの素直な感想に、意外そうな声で返答があった。

「あたしが『いい店』って言ったら、良い店に決まってんだろ」

「だってさあ」

 丁度、停めたレンタカーのところに着いたので、窓越しに後部座席を覗きながらアキラはぼやくように言った。

「あんな買い物、初めてだったぜ」

 ここに来るまでに、ヒカルはアキラが案内した家電量販店に寄っていた。

 そこで買ったのは、長いドライブになりそうだったので飲み物が何点かと、ノートパソコン一式だったのである。

 それも即断即決といった感じの買い方であった。店員がスペックやら外見やらの説明をする暇すらなかった。選んだ理由は、店内で一番安いというだけのようだ。

「パソコンだったら、とおさんのヤツがあるのに」

「いや、これはただ使うんじゃないんだ」

 海城家にあるパソコンは、父親の剛が在宅ワークで使うデスクトップ形の物である。いちおうネットワークに繋がっているが、親に検索履歴を調べられるのが怖くて、あまりアキラは使うことが無かった。

 最近じゃ地方へ出張が多い剛の代わりに、香苗が家計簿をつけるのに使用するのみである。

 コンピューターのことはあまり詳しくないアキラは、自信たっぷりのヒカルの前で、ただ首を捻るばかりである。

「時間に遅れるから、行くぞ」

 自動精算機で支払いを済ませてから、レンタカーのボンネットを一回撫でたヒカルは、イモビライザーを作動させてドアを解錠した。置いて行かれてはたまらないので、アキラも慌てて乗り込んだ。

 やっぱり運転に邪魔なのか、腰に巻いたウエストポーチ風のホルスターを助手席に座ったアキラへ投げてくる。

 ヒカルはハンドルに両手を添えた。運転の方は、だいぶカンを取り戻したようで、ここへ来るまでに乗り継いだ高速道路でも、同乗者であるアキラになんの不安を感じさせなかった。

 パーキングを出て、国道とは反対方向へ舵を切る。道は分かっているのか、一切の迷いが無かった。

 突き当りを左に県道方向へ。

 と、思ったらすぐに住宅街の細い道へ入って行く。普通車ではちょっと難儀しそうな幅の道をグネグネと走り始めた。夕暮れの住宅地ということで、速度は抑え気味であった。

「???」

 あまりにも複雑に進むので、アキラの方向感覚が狂って来た。いまさっき休憩した砂浜の方向を尋ねられても、正確に示す自信が無くなった。

 段々と町の風景が変わっていった。今までは現代調の建売住宅だったものが、歴史を感じさせる和風建築が多くなってきた。敷地と道路との境目も、今までは小洒落た生垣だった物が、板塀になってきている。

 歩行者だって、今までは買い物へ行く途中の主婦だとか、名所への近道に失敗して迷い込んだらしい観光客だのが居たのに、いつの間にか誰も居なくなっていた。

 そんな住宅地のド真ん中で、ヒカルが操る軽自動車は停まった。

「?」

 そのまま右手の屋敷にある駐車スペースに、尻から車体を突っ込んだ。

「ここだ」

 ルームミラーで前髪のチェックをした後、アキラの膝の上から取り戻したホルスターから一本の口紅を取り出し、慣れた調子で使い始めた。

「はえ~」

 その見慣れない様子に、アキラの口からマヌケな声が漏れた。それを聞きつけたヒカルは、目だけで振り返った。

「なんだ? おまえも使ってみたいのか?」

「いやいや」

 慌てて頭と手を振った。外見は「女の子のような物」だが、中身は男の子なのだ。一緒にいる女性が化粧をするのには興味が湧くが、自分がしたいなんていう欲求は無かった。

「ま、おまえがやっても、オバQみたいになるだけだろうな」

 ヒカルの断言に、アキラは眉を顰めた。

「オバQってなんだ?」

「…」

 呆れたような顔をして見せるヒカル。たっぷりと三分間はそうしていた。

「行くぞ」

「お、おう」

 車を降りて敷地へと入った。見た目は広めの屋敷である。訪問の仕方も普通の家庭と同じで、玄関脇にある呼び鈴のボタンを押して来訪を告げるだけであった。

 ただ軒先の垂木に隠すように設置された防犯カメラが普通の家とは違った。

「はいよ」

 ヒカルの言う予約というやつのおかげか、間髪入れずに返事があり、ガラガラと引き戸の玄関が開けられた。

 そこに腰の曲がった老人が立っていた。

 着ている物は紺色の作務衣であった。

 少し寂しくなった白い頭に、少々長めの白い髭。顔は笑顔が作られることが多いのか、その形の通りに皺が刻まれていた。細い目は笑顔のせいで一層線のようになっており、天狗のような鷲鼻が顔の中心で存在感を主張している。そんな老人であった。

「ほい、久しぶりじゃのう」

「お久しぶりです」

 馴れ馴れしく声をかけてくる老人に、ヒカルはとても礼儀正しく頭を下げた。

「連れがいるとは聞いていなかったが?」

 チラリとアキラの方へ視線をよこした。その時の目だけが笑っていなかったが、すぐに好々爺という雰囲気に戻った。

「いや、いまの仕事の…」ちょっと言い惑ってから「お目付け役ということで、どうしても離れられなくって」

 ヒカルの困ったような弁明に、老人は呵々と笑った。

「まあ、いいじゃろ。お嬢さんとは長い付き合いじゃからの」

 そして老人は顔から笑みを消した。

「まあそのぉ。シロクニさんは残念じゃったな。お悔やみ申し上げる」

「ありがとうございます。マスターもご老人にそう言われたら、喜んでいると思います」

「長く生きておると見送るばかりで、寂しくなるばかりじゃ」

「そんなこと言わずに、大事にして下さいよ」

 二人の間にしんみりとした空気が流れた。しかし一分ほどで老人は笑顔を取り戻した。

「で? 今日は茶を飲みに来たわけではあるまい?」

「ええ」

 ヒカルも、同じ目の高さにある老人の顔に向けて、愛想笑いのような表情を作った。

「ちょっとばかり欲しい物があって」

「まあ、そうじゃろうな。お入り」

 老人が体をずらして招き入れてくれた。扉をくぐったところは広めの土間となっており、左手に立派な松でできた上がり框があり、右手はそのまま奥へ土間が続いていた。

「さあさあ」

 口ではそう言いながらも決して急がせる雰囲気でなく、自ら閉めた玄関から老人が二人を追い越して先に立った。

 日本間を左手に見ながら土間を進み、家の造りに似合った一枚物の木戸が行く先に待っていた。

 確認するように一度だけ振り返った老人は、引き戸を開けて次の間に入って行った。

「?」

 その背中が不自然に消えた気がして、アキラは首を伸ばして先を見た。

 扉の向こうには下り階段があった。どうやら地下室へ繋がっているらしい。明るさは壁面と天井にある照明のおかげで不安を感じさせる物ではない。

 ヒカルに続いてアキラもその階段を降りると、すぐに平らな床に着いた。どうやら地下室というより、地下通路であるらしい。

「はえ」

 アキラの口から感心したような声が漏れた。壁から天井までを観察したが、コンクリート造りのしっかりした通路に、物をぶつけても大丈夫なように保護柵がついた照明が取り付けられていた。それは公共の地下道と言ってもおかしくないほどのしっかりとした造りであった。

 老人を先頭に、三人はしばらくその地下通路を進んだ。幅は三人が並んでも充分余裕がある物であったが、先導する老人、堂々と歩くヒカルに遠慮して、アキラは最後尾を着いて行く形になった。

 地下通路の先には、降りた時と同じような上り階段があった。

 この階段からは照明が設置されていなく、見上げても真っ暗で何も見えなかった。

 上りきると目の前に壁。行き止まりでは無くて、転落防止の手すり以外に何もない空間に出た。

 いや、目が慣れてくると色々な物が置かれているのが分かった。

 地下通路が明るすぎたのだ。この空間には、夕暮れと同じぐらいに、物が見える程度の明るさが、保たれていた。

 広さは小さな体育館程か? 縦長の空間には高い天井があり、突き当りにはごつい鉄製の大扉が設置されていた。上に走っているレールからすると、工場なんかにあるように、全体が横に引けるようだ。

 その付近には木箱や鉄製やプラスチック製らしい箱が散らかされており、大扉を開放したとしても、素直に入って来られるとは思えなかった。

 そこからちょっと空間を置いて、宝石店や時計店で見るようなガラスのショーケースが床面を埋めるように並べられていた。壁面にも、同じ意匠のガラスケースが、見上げるような高さまで設置されていた。

 迷路のように並べられたショーケースのところどころに、植木のような高さの物も立っている。よく見ると商品を四方に吊るした自立式のハンガーであるようだ。

「うへえ」

 アキラの口から変な声が出た。

 そのたくさんあるショーケースの中には、大小さまざまな棒状の物が並べられていたのだ。

 壁面に飾ってあるのは自動小銃(アサルトライフル)から始まって、ポンプ式の散弾銃(ショットガン)短機関銃(サブマシンガン)から冗談のような大きさの連射式榴弾発射器(グレネードランチャー)まであった。

 腰の高さのショーケースは、右手が回転式(リボルバー)、左手には自動式(オートマチック)の拳銃が立てて並べてあった。

 ショーケースの間で樹木のように立つハンガーにかけられているのも、迷彩色をした服だったり、ベルトだったり、そういった物に関係する服飾のようだ。

 どこも綺麗に掃除されているようで、埃っぽさは全然ない。それがかえって整備されている銃特有の臭いを感じさせた。

 階段の近くで呆けているアキラを置いて、二人は慣れた調子で右手の方へ行ってしまった。慌ててその背中を追いかけて、ヒカルのジャケットの裾を摘まむように引っ張った。

「おい」

 一回無視されたようなので、もう一回繰り返した。

「なんだよ」

 老人に対する態度とは真逆の顔が振り返った。

「なんだよは、こっちのセリフだよ。ここは、なんだよ」

「見て分からないのか?」

 馬鹿にするようにヒカルの右眉が額の方へ上がった。

「分からないから訊いてんだろ」

「言ってあったろ、いい店に行くって」

「どこが、いい店なんだよ」

「いい『銃砲』店だ」

「銃砲店って…」

 言われて再度見回してみれば、隅っこの方にあるガラスケースをどかして作ったようなスペースに、二輪に防盾まで揃った対戦車砲まで鎮座していた。銃「砲」店に間違いはないようだ。

「ぜってー、ココは合法的なトコじゃないだろ」

 老人に聞こえないように、ひそめた声に力が入った。

「んー」と、ちょっとだけ思案顔になったヒカルは、イタズラ気な笑顔を作ってからウインクした。

「たしかに。どちらかと言えばナイショのお店だな」

「はあ」

 アキラの両肩がガックリと落ちた。

「さてと」

 一人ショーケースの向こう側に回り込んだ老人が、笑顔を作り直した。

「お嬢さんは、何がご所望かな?」

 問いかけられて、ヒカルは老人が待つところまで行って注文を開始した。

「まず、いつもの三点セット…」

「ブレットと、パウダー、プライマーでいいのかの?」

 老人は屈むと、ショーケースの下から手の中に納まるようなボール箱と、ピルケースよりは長い二種類のプラスティックケースを取り出した。それら三点はショーケースの上に敷かれていたゴムマットの上に並べられた。

「あとケース用にウェンチェスターマグナム」

「まだ残っておるんじゃないのか?」

 いぶかしむ声に、ちょっと不貞腐れたように腰へ手に当てたヒカルは答えた。

「荷物を丸ごと失うことになりまして」

「ああ。お嬢さんが巻き込まれたトンネル事故の事は聞いとるよ」

 それで納得いったのか、老人はガラスケースに振り返ると、中に飾ってある狩猟銃を見上げた。

 どうやらそれが目印になっているらしく、銃を見ながら横に移動して行った。目当ての場所まで来ると、ガラスケースの下段にある木扉を開けて、新しいボール箱を取り出した。

元の位置に戻ってきて今まで並べた商品に並べる。今までの物とは明らかに箱の大きさが一段違っていた。

「それと一〇ミリAUTO弾のフルメタルをワンカートン…」

「ほ? 宗旨替えかの? お嬢さんはリボルバー至上主義じゃなかったかの?」

 老人は目を丸くしてみせた。よほどの驚きだったのだろう。確かに、いまヒカルが使っている黒い自動拳銃は、明実が用意したもので、それまではもう一挺持っている銀色の回転式拳銃だけでやってきたようだ。

日本ココじゃ不便ですから。あとガス式オートマのクリーニングセット…」

「そいつらは向こうの棚だな。他は?」

「そうだなあ」

 顎に手を当ててヒカルは暗めの照明しか灯されていない天井を見上げた。どうやら何も思いつかなかったようで、様々なホルスターが吊るしてある商品ハンガーを恐る恐る眺めていたアキラを振り返った。

「おまえもなんか買っとくか?」

「え?」

 丸まっていた背中を伸ばしたアキラから素っ頓狂な声が出た。

「いや、オレは…」

「これなんか手ごろじゃろ」

 老人がショーケースの中から手の中に納まるような銀色をした回転式拳銃を取り出した。

「これならベルトのバックルにも隠せられるぞい」

「いやいや」

 慌てて頭と両手を横に振った。

「おや? いつもお嬢さんが連れてくるタイプとは違うようじゃの」

「まあ、ちょっと」

 ヒカルが苦笑のような物を浮かべた。

「なんだったらレイピアでも買っておくか?」

「れいぴあ?」

 テレビゲームに出てくる名前を出されて、それなら扱えるかもとアキラの目が室内を泳いだ。だがガラスの向こうに飾られている中には刀剣類は一切なかった。かろうじてコンバットナイフと思われる物が数点だけ並べられているだけである。

「そんな所には収まりきれないの」

 アキラの視線を追ったのか、ほっほーと笑った老人は、小型拳銃をショーケースにしまいながら言った。

「対空ミサイルは別館じゃ」

「はい?」

 聞き返したアキラに、とても楽しそうに老人がこたえた。

「フォークランドの余りがウチに回って来ておっての。まあ買い手がつかないので、不良在庫じゃ」

 そしてまた愉快そうに「ほっほっほ」と笑ってみせる。ただ手の方は、どこからか取り出した紙袋に、ゴムマットへ並べた商品を詰め込むのに忙しく動いていた。

「自衛隊以外で、日本のドコにそれの需要があんだよ」

 直接老人を問い詰めるのではなく、目の前の「女の子のような物」に訊いてみる。すると、しれっとヒカルは答えた。

「だいぶ前に国立駅前で使った話は聞いてるけど?」

「あの時はミサイルの出物は無かったの。迫撃砲ぐらいじゃったか?」

 真贋を見極める目をしていたアキラの横から、老人が紙袋で包んだ商品をヒカルに渡しながら言った。

「それとMe一六三(コメート)じゃった。あれも不良在庫じゃのう」

 と困ったように髭をしごきながら、今度は左手のショーケースの向こう側へ入って行った。

 先ほどまで目当ての物をすぐに取り出していた老人だったが、今度はしばらく時間がかかった。

 短機関銃が飾られているガラスケースに設けられた木製の引き出しを複数開けて、中を確認してまわっていた。

「どこにやったかのう」

「ちょっと…」

 紙袋をアキラに押し付けたヒカルが、ショーケース越しに老人に詰め寄った。

「錆び弾はごめんですよ」

「大丈夫じゃ。ただ拳銃弾と言えば、だいたい九ミリが多いからの。お嬢さんは注文が多いのう」

 老人はぼやくように言いつつも、忙しく動かしていた手を止めた。

「おお、あったあった」

 トンと、こちらのショーケースの上にも敷かれていたゴムマットの上に、ボール箱が置かれた。

 細かい英字がプリントされた封を切ると、中から金色をした銃弾を一発取り出した。

「間違いないの」

 これまで見せなかったほど眉を顰めて、銃弾の底に刻まれている刻印を読み取っている。その言葉はヒカルに確認させるというより、自分で確認するような口調であった。そのまま老人は、手にした銃弾を近くの照明にかざした。

 ただでさえ細い目が鋭くなり、一瞬だけ消えた笑顔がすぐに戻って来た。

「ウチの管理は完璧じゃ」

「大丈夫かなあ」

 ヒカルの口から半信半疑の声が出た。ヒカルも箱から一発抜き取ると、同じように光にかざして目を細めた。

「しかし、一〇ミリAUTOなんぞ、なぜ選んだ?」

「ま、まあ。支給品で」

 銃弾を箱に戻しながらヒカルは弁明するように言った。

「はあ? デルタエリートでも渡されたんか? ありゃ結構危ない銃じゃぞ」

「いや…」ヒカルは腰から黒い銃を取り出した。「こいつなんですよ」

「ほ?」

 ゴムマットの上に置かれた自動拳銃を見て、老人は眉を顰めた。

「CP一? いや『アサルト』か。こりゃ珍品じゃのう」

 銃を確認してから、老人はショーケースの下をまさぐり始めた。今度はそんなに探さずとも目的の物が見つかったのか、小さな眼鏡ケースのような物を取り出した。

「こいつで充分面倒はみれるの」

 蓋を開けると、小さなドライバーに始まり、組み立て式のクリーニングロッドやら、アキラには何に使うか分からない楕円形をしたメダルのような金属の工具など、数えるほどの工具がまとめられたセットであるようだ。

「ええ。これで充分です」

 銃把ではなく遊底スライドの方を取り、ヒカルは黒い銃をホルスターに収めた。

 再び紙袋を取り出した老人は、二つの商品を納めながら訊いた。

「支払いは、いつもの方法かの?」

「ええ。それが確実でしょう」

「そうじゃ」

 紙袋の口を丁寧に折っていた老人は、何かを思いついたのか壁面のガラスケースに振り返った。

「それならば、こいつはどうじゃ?」

 懐から取り出した鍵で背後のガラスケースを開けると、そこから一挺の銃を取り出した。

 アキラは銃と言われると「丁」形をした物を連想するが、いまゴムマットに置かれた銃はそんな形をしていなかった。

 簡単に言うと、中の抜けた菱形である。それに折りたたんだ銃床(ストック)がついていた。

 菱形の中に引き金がある。珍しいことに銃口は引き金の位置より低い位置に設けられていた。

「クリス・ベクターじゃないか」

 ヒカルも珍しそうな声を上げた。ゴムマットから短機関銃を取り上げた老人は、銃床を展開させると、横向きに構えて見せた。

「まだ新品じゃぞ。どうじゃ? 安くしておくぞ」

「でも…」

 なにか言い淀むヒカルに、笑顔を作り直した老人は言った。

「こいつもベクターK一〇を注文したつもりで、間違えて取っちまった不良在庫でな。九ミリなら需要があるが、お嬢さんの銃と同じ一〇ミリAUTOのバージョンじゃ」

「弾は同じか」

 感心したように呟いたヒカルが手を差し出すと、老人は気軽な調子で構えていた短機関銃を渡した。

「マガジンは一五発じゃが、グロックの物と共通でな。それなら三〇発の物が用意できるが」

「うーん」

 扉の方に向けて構えてみたり、銃床に何度も頬付けして具合を確認していたヒカルは、銃上部に備えられた折り畳み式の照門をパタパタさせながら短機関銃をおろした。

「噂だと反動が無いって言いますけど、本当ですか?」

「そりゃ誇大広告じゃよ」

 老人は、ほっほーと笑ってみせた。

「じゃが銃口が跳ね上がるというより、全体が後ろに押されるような感じで、体の小さいお嬢さん向きの銃かもしれんの」

「うーん」

 決心がつかないようにヒカルは勧められた商品を、ゴムマットの上に戻した。

 そのいまいち踏み切れないという顔に、老人は一度うなずいてみせた。

「じゃ、一五発マガジンならオマケに一つつけよう」

「元からあるのと合わせて三〇発ですか?」

 それなら弾数の多い方をくれと言わんばかりのヒカルに、老人は涼しい顔でこたえた。

「逆にグロックを買うお客さんは、みんな三〇発マガジンを選んで、付属品の方は置いて行くから、一五発マガジンの方が余っておっての」

「不良在庫のオマケがさらに不良在庫ですか?」

「忘れるでない」

 老人が笑顔を消して真面目な顔で言った。

「弾も不良在庫すれすれじゃ」

「~っ」

 なにか言いたそうになったヒカルは、それでも無言でゴムマットに寝かした短機関銃を見おろした。

「このアイアンサイトじゃ狙いにくいんで、ドットサイトにスリング、それと持ち運びやすいようにガンケースもあります?」

「よし」

 老人の顔に笑みが戻った。

「そいつらも安くしておこう」



 アキラは鎌倉彫の盆に乗せられた食器を見おろしていた。

 益子焼らしい深めの皿に、冷やし中華と同じ意匠で幅広の麺が、数々の具と共に盛られていた。

 甘そうな褐色のツユに半分だけ浸かったウドンは、のど越しが良さそうな白さで店内の照明を反射していた。

「どうした? 食わないのか?」

 同じものを頼んだヒカルが、テーブルの向こうから訊いてきた。

 あの怪しげな「銃砲店」を出て、ヒカルは軽自動車を山の方へ走らせた。帰るのに近道でもあるのかと思ったら、暗くなった山中に建つ、この古民家のようなウドン屋に寄ったのだ。

「ここのウドンは、うまいぞ」

 自信たっぷりに紹介されたが、お品書きを開く前に勝手に注文されてしまった。

「オレは月見そばの方が好きなんだが…」

 海の近くらしく海鮮が麺に覆いかぶさっている冷やしウドンに、エンジ色の塗り箸を入れる。

「ソバは腹持ちしねえじゃねえか。飯になんないだろ」

「そうかな? うまい…」

 何か言い返そうとしながら口に入れただけで、素直な感想が出た。

「そうだろ、そうだろ」

 まるで自分の作った物のようにヒカルの目が細められた。

 キシメン程では無いが幅広の麺に、鰹節から取った出汁がよくあっていた。上に乗せられている生シラスを始めとする海鮮が、味の邪魔をすることも無かった。

「こういう店も知ってるんだな」

 先ほどまでいた鉄と油の臭いがする場所とは一八〇度違う気がして、アキラは目の前で同じようにウドンをすすっているヒカルを見た。

「そうか?」

 髪の毛の端を気にしながら麺に向かっていたヒカルは、顔を上げた。

「まあ、銃を撃っている印象が強いから」

「どーせ」

 むっと眉を顰めるヒカル。慌ててフォローするようにアキラは早口で言った。

「ほら。かあさんの作る物にも文句ひとつ言わないしさ。食べる物には無頓着なのかと」

「いや。カナエの作ってくれるメシはうまいさ。時々味が濃いけどな」

 これも鎌倉彫らしい小さなオタマでツユを掬い取り、一口含んで見せる。

「このぐらいがちょうどいいのさ」

「なんかさあ」

 思いつくままに頬杖をついてアキラは言った。

「戦闘用のレーションだの、栄養補給用のタブレットだの、そういったイメージしか無かったからさ。見直した」

「ば、ばか」

 頬を赤くしたヒカルが、皿の残りをかきこみ始めた。味わうというより、時間優先の食べ方である。

「料理ぐらいできるに決まってんだろ」

「今度、作ってみてくれよ」

 アキラの言葉に、キョトンとした顔を向けるヒカル。

「あ、でも。かあさんが嫌がるかな?」

 海城家のダイニングキッチンは香苗の支配下にある。たまに手伝うのならいいが、勝手に使うと怒られるような気がした。

「お菓子ぐらいなら大丈夫じゃないか?」

 アキラと同じことを思ったらしいヒカルが、物は試しと提案してきた。

「そうだな。今度頼むよ」

「高くつくぜ」

「えー」

 その時、入り口の引き戸がガラガラと開かれ、肉体労働者らしいグループが、玉石を埋め込んだ三和土の店内に入って来た。

 何事か軽口を店員に叩きながら、やっぱり冷やし海鮮ウドンを注文している。

 それに釣られるように、アキラも残りのウドンをすすりながら話題を変えることにした。

「清隆に来るまで、ドコにいたんだ? あんな店からこんな店まで知ってるしさ」

ご想像(イメージ)におまかせ」

 シラスの一匹まで逃がさないとばかりに、ツユの中にオタマを泳がせながらヒカルは言った。

「外国?」

「?」

 ヒカルは顔を上げた。意外そうな顔をしていた。

「そんな風に見えるか?」

「うん」

 素直に認めるアキラ。元々ヒカルは外国の血が混ざったようなエキゾチックな外見をしていた。本人の説明によると、七〇パーセントが日本人で、残り三〇パーセントが外人らしい。

「砂漠、北極、南の島…」

 写真でしか知らない場所に、ヒカルを思いつくまま当てはめてみた。砂漠ではシェラザートの様に肌も顕わな服装で、北極ではエスキモーの様に防寒具に包まれた姿で、南の島ではもちろん水着だ。それぞれの場所で、いつもの背筋の伸びた姿勢の良い立ち姿で連想できた。

 すると、ウドンを平らげたヒカルがイタズラ気に微笑んだ。

「月なんてどうだ?」

「えっ」

 途端にアキラの脳裏に、白いセーラーカラーがついたフリルレオタードを身に纏い、ハイサイでヒールの高いブーツを履いた姿で、星の力を宿している魔法のステッキを差し上げているヒカルという映像が浮かんだ。

 背姿を見せていたところから、上半身だけを捩じって振り返って、決まり文句はもちろん…。

「なに想像してんだよ」

 まるで頭の中を覗いたように、ヒカルは軽蔑する目でアキラを睨んでいた。

「いや、なんにも」

 慌ててアキラはウドンの残りをかきこんだ。



「ついたぞ」

「んあ?」

 声をかけられて、落ちていた首を起こした。どうやらアキラは自分でも意識しない内に寝ていたようだ。慌ててフロントウインドから風景を確認する。

 高速道路を走っていたはずなのに、見慣れた町並みに戻っていた。

 周囲をもう一度確認すれば、家の近くのコインパーキングだということが分かった。

 先にドアを開けて降りてヒカルは、アキラの膝の上から攫うように回収したホルスターを、腰に巻いていた。

「そっちの荷物、任せていいか?」

「お、おう」

 まだはっきりしない頭で後部座席を振り返る。そこに寝かされていた布製のガンケースに入れた鋼鉄製の物を取り上げようとした。

 けっこうな重さに、背中と腕の筋肉が驚いて痛みを訴えた。

「お、おうっ」

 呻き声のような物を上げながら荷物を引きずり出し、軽自動車から降りながらガンケースに設けられたベルトで、たすき掛けに背負うことにした。

「よし」

 車内をもう一度確認したヒカルは、イモビライザーを作動させて施錠し、手でドアノブを引いて再確認した。

 彼女が手にしているのは家電量販店の袋である。

「いま何時だぁ?」

 半分アクビ混じりの声で訊ねると、ヒカルはポケットから取り出したスマートフォンに、一動作で世界時計を呼び出した。

「安心しろ。カナエとの約束は破っていない」

「かあさんとの約束?」

 聞き返してから、午前様にならないようにと、出かけるときに言われたことを思い出した。

 ヒカルが軽自動車を停めたのは、海城家の近くにあるコインパーキングであった。元は立派な庭のあるお屋敷が建っていたのだが、相続税の節約だか何だかで駐車場になった土地だ。いつも通学で使っているバス停の目と鼻の先である。

「で?」

 肩にかかる重みを感じながらアキラはヒカルに訊いた。

「こんな物買うなんて、なんかヤバい事が起きそうなのか?」

「いや、それはこれからだ」

「は?」

 何を言っているのか分からなくて、アキラの顔が豆鉄砲を食らったようになった。

「どっちにしろ、調整がまだだからな」

 視線だけでアキラの背負う荷物を指さしたヒカルは、ちょっと困ったような口調で言った。

「買って来たサイトをポッと付けしただけだろ。それじゃあ役に立たねえんだ。ゼロインしないとな」

「???」

 銃器に無知なアキラになんとか説明しようとしてくれたようだが、まったくチンプンカンプンであった。

 その顔を見てヒカルは忌々しそうに舌打ちをすると、もう一度説明しようとしてくれた。

「上に照準器乗せただろ」アキラが頷くのを確認して言葉を繋げる。「乗せたからって、狙った場所に弾は飛んで行かねえんだ。調整しないとな」

 分かったような分からないような顔をしていると、もう諦めたのかプイッと前を向いてしまった。

 そのまま会話が成立しないまま家に着いてしまった。

「ただいまー」

 アキラが先に入ると、ダイニングキッチンのテーブルに着いていた香苗が、立ち上がって出迎えた。

「おかえりなさい」

「うん」

 その横を挨拶するでなし、ヒカルが通過して先に二階へ上がってしまった。

「なに? そのお荷物」

「これ?」

 いちおう香苗が訊いている物が背中の荷物だと確認するように傾けてから、ヒカルが登って行った階段を顎で差した。

「ヒカルのオモチャ」

 一番無難と思われる答えを返しておいた。

「お風呂、入っちゃいなさいねー」

「はーい」

 入浴するにも着替えを取りに行かなければならないし、背中の荷物もある。アキラは二階に上がったところにある扉をノックした。

「ん? なんだあ?」

 扉越しにも分かる程の気のない返事であった。

「入るぞー」

 遠慮なく背中から荷物を降ろしながらヒカルの部屋に入った。

「わ」

 入った途端に声が出た。

 ヒカルは買って来たばかりのノートパソコンをテーブルの上に出して、さっそくセットアップを開始していたからだ。

 床にパッケージの段ボールを散らかしたままだ。

「これ、どこに置くよ」

「うん、そこらに」と振り返らずに言われ、とりあえずベッドの端面に寄りかけるように置いた。

「どうすんだよ、それ」

「使いやすいようにしようと思ってな」

 半ばアキラを無視したまま、ヒカルは席を立ってクローゼットへ行った。そこに吊るした紺色のブレザーのポケットに手を突っ込んだ。

 それはヒカルの制服である。ポケットからは昼間に明美からひったくっていたUSBをパウチしたビニール袋が出てきた。

 昼間に学校でウイルスチェックしたままポケットに放り込んだままだったのだ。

 ヒカルはセットアップが終わって待機状態になったノートパソコンに、ビニールから取り出したUSBを差すと、厚みの部分からドライバーを引き出して、同封されていた光学ディスクを投入した。

 しばらくかかるようで、カリカリと音をさせるノートパソコンを放っておいて、ヒカルが立ち上がった。

 画面に視線を固定したままジャケットから腕を抜いた。

 下からごつい銀色の銃が逆さに吊るされたホルスターが顔を覗かせた。それを背中に固定していたベルクロを剥がすと、汗の染みたTシャツに下着のラインが浮いているのが見て取れた。

 アキラは慌てて声を上げた。

「ば、ばか」

「?」

 不思議そうな顔をしてアキラを振り返ってから、相手の正体に気が付いたのか、手にしていたジャケットで、ヒカルは慌てて胸元を隠した。

「着替えるから出て行ってくれないか?」

「わ、わりい」

 どう考えても無頓着に着替えを始めたヒカルの方が悪いと思うが、アキラは口で謝ると慌てて部屋を出て行った。

 廊下で閉めたドアに寄りかかって溜息をついた。

「風呂に入るか」

 香苗に言われたことを思い出し、自分の着替えを取りに部屋へ戻った。



 風呂上がりに二階に戻ると、今度は何やらガチャガチャとメカメカしい音が、ヒカルの部屋から聞こえていた。

「?」

 前回の拳銃の練習と同じで、また何をやっているのか、まったく想像がつかなかった。

(風呂が空いたのを伝えなきゃいけないしな)などと自分への言い訳のような事を思いながら、再度ドアをノックした。

「なんだあ?」

 再び室内から聞こえてくるのは気のない返事。アキラは慣れたとばかりにドアを開いた。

「入るぞー、うわっ」

 なんか入る度に驚いているような気もするが、アキラは室内の様子に廊下へ飛びすさった。

「散らかしてんな」

「ん、ああ」

 自分の手元に集中しているらしいヒカルは、アキラの指摘に顔を上げすらしなかった。

 床にシートを広げ、そこに黒い鋼鉄で出来た部品が並べていた。

 それらを頭の中で組み立てて完成品を想像すると、どうやらあの銃砲店で購入した短機関銃であるようだ。

 上下に分離して、さらに銃床を取り外してあるだけでなく、この短機関銃の特徴である斜めに動く尺取虫のような内部機構まで取り出してあった。

 ヒカルはそれらを磨いていたようで、油で汚れたウエスを片手に、今は筒状の部品の内部を覗き込んでいた。

「なんだあ?」

 筒を天井の照明に向けて中を熱心に観察しながら、声だけで来訪の理由を聞いてくる。

「風呂あいたぞ」

「そっか」

 手にしていた部品をシートに寝かせたヒカルは、ノートパソコンを走らせたままのテーブルに振り返った。床に座っているヒカルからは、高さの関係でノートパソコンがどうなっているかまでは分からないはずである。

 ヒカルは構わずに、椅子の上に散らかしたキャンディを取ると、わしゃわしゃと音を立てて包み紙を解いた。

「どうなってる?」

 立って自分を見おろしているアキラに、キャンディでテーブルの上を差したヒカルが訊いてきた。どうやら何かの処理をやらせているのだろう。小さなウインドが開いた画面には、処理の進行具合を示すバーが、中ほどまで進んでいた。

「あと半分だって」

 廊下から画面を覗き込む仕草をしながら伝えてやると、満足そうにキャンディを口の中へ放り込んだ。

「じゃあ、組み立てたら風呂入っちまうか」

 組み立てと言ったって、特殊な工具が必要な、難しいことは一つもない。ガチャガチャと立体パズルのように組み合わせて、ピンを横から差していくだけで元の形に戻っていく。最後に、追加で購入した単眼鏡みたいな照準装置を銃の上部レールに付ける時だけ、六角レンチが必要だったぐらいだ。

 組みあがった短機関銃をグッと脇に構えてみせる。右側に折りたたまれている作動棹(コッキングレバー)を引いて遊底を後退させると、親指一本だけで安全装置を解除、カチリと窓の方を向けたまま引き金を引いて遊底を解放した。どうやら組み立てに問題は無いようだ。

 両手で短機関銃を構えた、いかにも勇ましい格好のヒカルであるが、着ている物はワンピース程もあるオーバーサイズのTシャツ一枚である。

 黒地に白く、大きな毛筆で書かれたような字体で「無様」と書いてあるのは、意味が分かって着ているのだろうか。そして銃の組立分解でシートを前に床へ胡坐で座っていたために、太ももが悩まし気に開いているのが目に入る。見えたり見えなかったりした。

「どうした?」

 目のやりどころに困って天井へ視線をやったアキラに、ヒカルが不思議そうに訊いた。

「いや、まあ…」

 煮え切らない態度を理解できなかったヒカルは、分からないなりに放っておくことにしたようだ。どっこいしょと立ち上がり、一緒に買った布製のガンケースへ短機関銃を滑らせるように入れた。

「さすがに時間かかるなあ」

 ケースをベッドに寄りかけると、全然進んでいないように見える画面を覗き込んだ。

「なんか、手伝おうか?」

「そうか?」

 アキラの提案に、ヒカルが振り返った。が、明るい表情がすぐに曇った。

「でも、おまえマヌケだからなあ」

「ひでえな」

 アキラがムッとした顔になる。と、いつもの不機嫌そうな顔のままキャンディの柄をピコピコ上下させたヒカルは、ポンとアキラの肩を軽く叩いた。

「じゃ、処理が無事に終わるか見ていてくれないか?」

 肩越しに親指でノートパソコンを差した。

「いいけど…。途中で止まっても、どうしていいかわからないぞ」

「変な警告とかが出たら、呼びに来てくれりゃいい」

 散らかしてあったキャンディを椅子からどけて場所を作ってくれた。それからクローゼットに向かうと、下段の引き出しをごそごそとやり始めた。どうやら着替えを取り出しているようだ。

「分かったけど、オレのせいにすんなよ」

「いや、する」と指差して断言したヒカルは、イタズラ気な笑顔を作ると、テーブルの端に置いてあったホルスターと、手の中へ納めた布地を持って、部屋を出て行った。

「ひでぇ」

 文句は返したが、それがヒカルらしい態度だったので、一旦自室へマンガを取りに行ってから、頼まれた留守番をすることにした。

 紙面を半分、画面を半分気にしているようでは、内容はちっとも入ってこない。途中で諦めて、アキラはヒカルの部屋をボーっと観察する作業に移った。

 前回も感じたことだが、生活に最低限必要な物以外は、何も無い部屋である。

 変わったところは、テーブルの上にあるノートパソコンと、アキラが見たことも無いような小さな機械。黒くて握り拳大のソレは初めて見る機械であったが、アキラにはどんなものがすぐに分かった。

 表面にWi-Fiという文字と、モバイルルーターとカタカナが書いてあったからだ。

 どうやらこの小さな機械で、ノートパソコンの方へ無線通信を使用して、データをダウンロードしているようだ。

 その黒い機械の正体を知ってしまうと、やることが無くなってしまった。

 愛用のジャージ姿で椅子の上で胡坐を組んでいても、ここまでやることが無いと苦痛すら感じてくる。幸か不幸かノートパソコンの方はカリカリという音をさせて順調にバー表示を伸ばしているだけであった。

 狭い床には、短機関銃を分解するために防水性らしいシートが広げられたままである。

「片付けぐらいはしてやるか」

シートに残っていた折り癖の通りにしていけば問題なかろうと、端っこを持ち上げてみた。

「?」

 そこに黒く四角い物体が落ちていた。

 何気なく拾い上げると、それはレンタカーを借りる時に、ヒカルが免許証を取り出したカード入れであった。

「なんでこんなところに…」

 小首を傾げて想像してみた。そういえば先程ジャケットで胸元を隠していた位置がここらへんである。その時にでもポケットから落ちたのであろう。

「そういやあ」

 アキラは、自分の知らないヒカルが見られるかもと、カード入れを開いてみた。免許証を入れたのはアキラ自身なので、どのポケットかは分かっているつもりだった。

 記憶と同じポケットに複数のカードが入っていて、免許証の写真は見えなかった。

 女性の持ち物を覗き見るのは、少々エチケット違反な事は分かっているが、暇だったこともあったし、取り出してみることにした。

 が、差し込むときはあんなにスムーズに入ったのに、まるで反対側から引っ張っているようなきつさで、指先で摘まんだ免許証はなかなか出てこなかった。

「わっ」

 勢いあまって、同じポケットに入っていた複数のカード類を床にばらまいてしまった。

「やべ」

 部屋に戻って来るまでに元通りにしておけばいいという目論見は崩れそうだ。なにせ一ダースほどの物が足元に散らかっているのだ。

 慌てて拾い集めて、手の中を確認する。中華系のクレジットカードに、なぜか秋葉原のメイドカフェの登録証、それにアキラが聞いた事も無い作業機械系の免許証まであった。

「まずい」

 手の中には肝心の自動車の免許証が無かった。とりあえず拾い集めた物をカード入れに収めてテーブルの上に置くと、自分が立っていた場所を中心に探そうと、床に這いつくばった。

 すぐに、テーブルの奥の方に、それらしき物が飛んでいたことを発見できた。

 テーブルにもぐりこんで手を伸ばすと、指先に挟むようなギリギリさで届くことができた。

 床から起き上がって、いちおう指に挟んだ物を確認する。幸いそれはレンタカー店で手にしたものと同じであった。

 本名の欄にはやはり「上宮みかん」という知らない名前、そしてふと目に入った住所欄には兵庫県の文字が印字されていた。

「神戸?」

 それを見て、岸壁に立つヒカルという姿が連想できた。

 海風に髪を流して背筋を伸ばして立つヒカル。らしいといえばそうらしいイメージであった。

 もちろん手には銀色の銃が抜き身で握られている。という余計なところまで想像した自分に眩暈を感じて、バレない内に戻しておこうとカード入れを開いた。

「?」

 しまおうとした瞬間、免許証が二枚になった。いや、それは錯覚だった。同じ大きさの何かが、免許証の裏に貼り付いていたようだ。

 そちらの紙片は免許証までの固さが無いようで、ぎっしり入ったカード類の間へ分け入って行かない。折らずに戻せる自信が無くなって、とりあえず左手でそちらの物を剥がしてみた。

「オレ?」

 そこに自分を発見したアキラは、目を点にした。

「いや? 別人か?」

 免許証に貼り付いていたのは一葉の写真であった。年代物らしく色が大分褪せた写真で、しかも大判の物を持ち運びしやすく千切ったようで、ちゃんとした形ではなかった。

 たしかヒカルに求められてアキラは、自分が海城彰だった頃の写真を渡したことがあった。しかしあれはフェンスに座った自分を前の方から撮った物だった。いま見ている様なレンガの壁を背景にした物ではない。

 それに、あの写真は去年撮影した物だから、こんなに年季を感じさせるような色褪せを起こしているのもおかしいと思えた。

 大体アキラには、こんな写真を撮った記憶すらなかった。

 歪んだ四角の中で、その人物は黒いシャツの上に白衣という服装で、少し屈むように隣に立つ人を見つめていた。

 隣に立っているのは、見たことも無い少女だった。特徴的なのは髪の毛が、床に引き摺るのではないかと思われる程長いことだ。その口元から、最近よく見るようになったキャンディの柄が飛び出ていた。

 男性は苦笑いのような物を浮かべており、少女はなにか眩しい物を見るような顔であった。

 もう一度、男性の顔を見つめる。よく見れば目の下に、自分には無かったホクロがあるし、顎の形も自分よりしっかりしているようだ。周囲の物と比較すると、身長は二メートルに届くかもしれない。日本人として平均的な育ち方をしていた彰は、もちろんそんなに高い身長では無かった。

 間違いなくコレはアキラが海城彰だった頃の写真ではない。

「だれだ?」

 ボーッと、身長差から隣に立つ男性を見上げている少女を眺めていたら、階段を誰かが登って来る気配があった。

 慌てたアキラは、クレジットカードを引き出すと、免許証とそいつの間に写真を挟んで、カード入れに押し込んだ。

 テーブルに置いたカード入れから手が離れるのと、この部屋の主が帰って来たのは、ほぼ同時だった。

「どうだ?」

 アキラの挙動不審には気がつかなかったようで、手に持ってきたマグカップをテーブルの上に置きながら入って来た。面倒くさそうに画面を確認すると、もう少しで処理が終わりそうである。

「おー、順調順調」

 出て行った時と同じ服装に見えるヒカルは、一回クローゼットの方へ寄り道してから、自分の椅子に戻って来た。

 何か言いたげに突っ立っているだけのアキラを、ヒカルは下から覗き込むと、一瞬険しい顔になった。

「おまえ、あたしの下着とか漁ってないだろうな」

「するか!」

 脊髄反射で答えてしまった。

「自分ので充分だ」

「ほーっ」

「いや、そうじゃなく。見るとか手に取るとか、ほら、もう女の下着には免疫ができたっていう意味で!」

 ヒカルのジト目に気が付いたアキラは、慌てて手を振り回して言い訳を口にした。

「あぶねえな」

 オーロラが見られる北極圏のような声質であった。

「ちげーって!」

 声を張り上げながらも、アキラは内心ホッとしていた。過去の写真を見ていましたよりも、こちらの方が、傷口が浅いと感じたからだ。

 ヒカルは、まだアキラを疑う目で見ていた。だが、ノートパソコンが上げたチャイム音が救世主となった。

 アキラに対する疑惑よりも、ノートパソコンで行っているダウンロードが重要だったのだろう。ヒカルはココアらしい液体をマグカップから一口含むと、画面に向き合った。

 画面中央のウインドには「読み込みが完了しました」という一文が踊っていた。その下にあるのは「開始」「保留」の漢字で書かれた選択肢があった。

 ヒカルは気軽な調子でタッチパッドを操作し「開始」を選択した。

「ぶっ」

 アキラが口元を押さえた。

 ノートパソコンの画面に映し出されたのは、ブロンドの女性モデル(ネエチャン)であった。見事なプロポーションを覆っているのは、下着以下の布地面積しかないド派手な衣装だけである。

 メイクまで派手な女は、悩まし気なポーズで、世の男どもを画面越しに挑発していた。

「よりによってエロサイトかよ!」

 まさかヒカルが、男性用のこんな物をダウンロードしていると思ってもみなかったアキラは、照れ隠しもあって怒りの声を上げた。

「ん? いいサイトだろ」

 一方のヒカルは平然としていた。

(まさか、こいつ男よりも女に興味があるタイプでは無いだろうな…)

 アキラは一歩下がってしまった。中身は男であるが、外側は「女の子のような物」なのだから、身の危険を感じても仕方のないことだ。しかも腕っぷしでは、今はヒカルの方が上のような気がした。

 ヒカルはモデルの肢体を堪能する事もなく、タッチパッドを操作して、画面を切り替えた。

 どうやら英語のニュースサイトに飛んだらしく、燃え上がるタンカーらしき物体を背景に、褐色の肌をした真面目そうな外国人男性が、手にしたペーパーを読んでいる様だった。

 内容が気になったが音声は出ていなかった。流れて行った英字の字幕で、どうやら大西洋のどこかで起きた船舶火災のニュースだと見当がついた。

 そこから情報を取るのだろうかと思ったら、またエロサイトへ画面を戻した。先ほどと同じ女が、今度はトップレスになってこちらを睨みつけていた。

「わ、ばか」

 慌てて自分の目に手を当ててしまうが、しっかりと指の間は開いていた。

 そこは元男の子。『再構築』とやらから性欲が薄くなった自覚があっても、好奇心は残されていたのだった。

「? どうした?」

 それを不思議そうに振り返ったヒカルは、また画面を切り替えてニュースサイトに戻す。船舶火災のニュースは終わり、アキラも見たことのある世界一有名な白い家の画像となった。その家を取り囲む緑の芝生を、日本のニュースでもよく見る有名人が歩いている。

 どうやら海の向こうの政治家が起こしたニュースらしいが、あまり成績の良くないアキラにはSCANDAL以上を字幕から情報を読み取ることができなかった。

「おまえ、こんなのも見慣れてないのか?」

 と言いつつヒカルは、またエロサイトに切り替えた。画面の女の痴態は進み、一糸纏わぬ姿で、足を大きく広げていた。

「うわあ」

「なにが『うわあ』だ」

 つまらなそうな声を漏らしたヒカルは、また画面を戻した。が、今度はニュースサイトには切り替わらず、画面は全面灰色になってしまった。

「?」

 ちょっと間をおいて、小さなウインドが表示される。どうやらパスワードを求めているようだ。

 ヒカルは席を立つと、テーブルの端へ追いやっていたUSBの入っていたビニールパウチへ手を伸ばした。

 中から残されていたカードと英字の印刷物を取り出すと、乱暴にカードをへし折った。

「?」

 二つに割れたカードを見ると、その薄い断面に一本のリボンが入っていたのが分かった。左右にカードのなれの果てを引っ張ると、まるで橋渡しするように、そのリボンが露わになった。

「んー」

 ヒカルがそのリボンに書かれている文字を読み取ろうとした。

「言ってくれれば打ち込むが?」

 アキラが右手をノートパソコンに伸ばすと、ヒカルは不機嫌そうにチラリと見た。

「じゃあ、お願いするか」

 アルファベットと数字を組み合わせた七文字を、ヒカルの言われたままに入力する。大文字と小文字の違いもあって、結局両手で打ち込むことになった。

 パスワードが認証されると、また別のウインドが待っていた。どうやら今度は四桁の数字を入れなければならないらしい。

 ヒカルは充電状態だったスマートフォンを手にすると、なにやら操作して情報を呼び出した。

 両手をキーボードの上に構えていたアキラに告げず、横からテンキーを使って四桁の数字を入力した。

「わ」

 画面が切り替わると、液晶モニターは英字に埋め尽くされた。

「なんだこれ?」

「業界の交流場、みたいなモンだな」

 ヒカルはアキラをつついてどかすと、椅子に戻った。

 ザーッと画面をスクロールさせてみせる。行けども行けども英字しか並んでいない。

「どことどこが抗争中だとか、どこでヤバい取引があるとか、有名なアイツが死んだとか生きてたとか。ま、噂から都市伝説まで混じっちゃいるが、世の中を渡っていくのに必要な情報が詰まってるのさ」

 チラリと、開いた口が塞がらない様子のアキラを見た。

「業界って…。ぜってー、まともな話しじゃないだろ」

「まあな」

 あっさりと認めて片方の肩だけすくめた。

「二万ドルで、毎年モデルチェンジする暗号解読ユニットを買わないとお断りされる…、会員制掲示板ってトコだな」

「二万!」

 ビックリして目が丸くなる。さらに単位がドルだったことに気が付いた。

「えーと」

 眉を顰めて最近のドル円相場を思い出そうとして諦めた。

「さてと」

 アキラを放っておいて、ヒカルは画面の前で手を擦り合わせた。

「簡単にできるバイトは無いかなっと」

 タグで纏められているらしい項目へ飛ぶが、やはり英字が並んでいるので、アキラにはさっぱり分からなかった。

 楽しそうに英文を読み始めたヒカルを、アキラは不安そうに見おろした。

「バイトはいいけどさ」

 鼻の辺りを掻いて言った。

「おれたちのガードも忘れないでくれよ」

「だいじょーぶだって」

 全然アキラに気を向けないでヒカルがこたえた。

 振り返らないヒカルに、口を空振りさせるアキラ。妙な静かさに気が付いたヒカルが、やっと振り返った。

「なんだよ、そんな顔して」

 アキラの浮かない顔を見て苦笑して見せた。

「どこも行きゃあしねーよ。『生命の水』が無いと、おっちんじまうんだからな」

 そう保証されても、アキラの顔は晴れなかった。それを見たヒカルは、溜息を一回だけつくと、立ち上がってアキラの髪の毛をグシャグシャと掻きまわした。

「なんだよ、そんな顔して。あたしがどっかに行くと思ってんのか?」

「いや、そうじゃないけどよ」

「わかったわかった」

 自分の両腰に手を当てて胸を張ったヒカルは、苦笑のような物を浮かべた。

「じゃあ、あたしのバイトに、おまえも着いてくるっていうのはどうだ?」

「バイトに?」

 不思議そうな顔をするアキラに、ヒカルがこたえた。

「どうせ二人を守らなきゃいけない約束だし。アキザネはしばらく一人で大丈夫だって言ってるし。一人ぐらい面倒見てやるよ」

「でも…」

 不安を口にする前に、ヒカルの人差し指がアキラの唇を押さえた。

「任せておけって。簡単な仕事を見つけておくから」

 そうしてヒカルは嬉々として席に戻って画面のスクロールを再開した。



「こらあっ」

 清隆学園高等部一年一組の天井を突き抜けるような大声が響き渡った。

「逃げようとするなぁ! 真鹿児ぉ!」

 終業の学活が終わるのと同時に、今日もそっと教室から抜け出そうとしていた真鹿児孝之が、首をすくめた。

 その格好で硬直している彼に、真正面から藤原由美子が突撃した。

「くぉのぉ!」

「GYA」

 孝之が短い悲鳴を上げて、由美子にヘッドロックで捕らえられた。

「まただよ…」

 自席で学活中はうつぶせに寝ていたアキラは、面倒くさそうに顔を上げて振り返った。

 捕らえられたまま、孝之はやる気のない声で喚き始めた。

「いや、後生だ。月の裏側の観測があるから、早く用意をしないと…」

「そんなウソが通じると思ってンの?」

 キリキリと自分の眉と、孝之のコメカミを締め上げる由美子。

「月の裏側が見えないなんて、常識でしょ」

「それが、そうでもないんだよなあ」

 スルリと由美子の腕の中から抜け出た孝之は、自慢げな顔で腕組みをしてみせた。

「おひょ」

「月の自転と公転がわずかにずれているから、ちょっとだけ覗くことができるんだなあ」

 孝之に抜け出されてしまった脇を確認していた由美子は、助けを求めるようにアキラの方を向いた。

「確かにそうだな」

 アキラの席までやってきていた明実が、感心したように頷きながら解説してくれた。

秤動(ひょうどう)と言って、裏側の一割ほどが視界に入ることがある。とても珍しい現象だな」

「マジで?」

 由美子の問いに、再度頷きながら明実は言った。

「正確に言うと、月が回転対象体でないための自転速度の変動、月の公転軸と自転軸のずれ、公転軌道が楕円であるための角運動量の変化、あと観測者が地球の中心ではなく地表にいるために起こる視差などの条件によって、月はまるで首を振るように動いているのだ」

「へー」

 感心して目を丸くしている由美子に、明実は先生のような微笑みと共に教えた。

「ま、一か月間ずっと撮影し続けるとかじゃないと、はっきり分からないけどな」

「まかごぉ!」

 慌てて叫び声を上げて振り返っても、もう手遅れであった。彼の姿は教室にすでに無かった。

「あンちくしょお!」

 ズカズカという形容が似合うような足取りで、由美子は教室を出て行った。

「毎日、飽きないもんだねえ」

 半ば感心した声を漏らしていると、耳障りの悪いワシャワシャという音が聞こえた。音の方向を見ると、キャンディの包みを開きながら呆れた顔を隠そうともしないヒカルであった。

「騒がしいだけだな。あたしは静かな方が好きなんだが…。なんだよ、その顔は」

 ヒカルに指摘されて、慌てて無表情を装うアキラ。

「まあ、天体観測も毎日続けることに意味が出てくる。なんでもそうだな」

 明実が教師然とした態度を崩さずに言った。

「勉強でも?」とのアキラの質問に、苦笑のような物を浮かべた明実は「部活も」と続けた。

「あー今日は、科学部とやらのほうはサボらせて欲しいんだが」

 ヒカルがキャンディを口に放り込みながら、申し訳なさそうに告げた。それに対して全然不思議そうな顔を見せずに明実は振り返った。

「レンタカーの返却か?」

「まあ、そんなトコだ」

 昨夜コインパーキングに停めたレンタカーは、今朝の登校にも使用していた。

 それには、運転するヒカル、助手席にアキラ、そしてついでとばかりに後部座席に明実が乗って来たのだ。

 バイク登校禁止なんていう校則の斜め上をぶっちぎる行為である。ただ直接高等部に乗り付けたら大騒ぎになることは予想できたので、今は国道の方にある清隆学園の研究所に付属する駐車場に置いてあった。

「本当は、いつかのシューティングレンジを借りたかったんだが…」

 スカートの上から左のホルスターを撫でながらヒカルが残念そうに言った。春に明実から黒い拳銃を支給されたときに、大学にある射撃部用の屋内射撃場を使用したことがあった。

「なんだ? 練習か?」

 明実が不思議そうに訊いた。彼は、ヒカルが昨晩出かけた理由を知らなかった。

「まあ、そんなトコだ」

 同じ返事を繰り返したヒカルを身長差で見おろした明実は、ちょっとだけ肩を竦めた。

「まあ、いいだろう。こちらもヒカルに試してもらいたい物があるんだ」

「なんだ? あたしが試す?」

「銃に関してはプロだろ?」

 信頼している声で明実が訊くと、そっぽを向いたヒカルが、腕組みをして上ずった声を上げた。

「ま、まあな」

「物理部が中心になって、オリジナルのエアーソフトガンを作ったのだ。これにオイラの爆縮機関を取り付けて、威力を上げる話しが進んでいての」

「なんだそりゃ」

 とても不安そうに二人が見上げると、なぜかVサインを出した明実は、にこやかに言った。

「そのためにもシューティングレンジは必要だろ。そのうち手配しておく」

「わかった。じゃあ、行くぞ」

 ヒカルに急かされて、アキラは自分の荷物を持って立ち上がった。

「なんだ? サボりって、オマイたちも旅行か?」

「女は、なにかと支度があんだよ」

 いつもと違って、アキラもヒカルも通学用バッグの他に、もう一つ大きめのバッグを持ってきていた。

「そうだ、研究所の更衣室を貸せよ」

「まあ、いいが」

 いぶかしげな顔をしながらも安請け合いをしてくれる明実。それに対して、今度はヒカルが、いぶかしげな顔になった。

「いま『も』って言ったか?」

「言ったが? それが何か?」

「どこか行くのか?」

 ヒカルの質問に、何でもないように明実はこたえた。

「これから種子島まで行かなければならないのだ」

「たねがしま?」

 キョトンとアキラは首を捻った。幼馴染と鹿児島県にある島と結びつかなかったからだ。

「ゴールデンウィークも終わったのに?」

「招待されてな」

 得意そうに白衣を翻し、明実は背中を向けた。

「しょうたい?」

「ロケットの打ち上げか」

 まだ話を理解できていないアキラに代わって、ヒカルが反応した。

「オイラが関わった科学実験衛星が、週末に打ち上げとなるのだ。もうオイラがやることは何もないのだが、衛星開発に関わったご褒美として、打ち上げを見においでと誘われてな」

「はえ~」

 今更ながらではあるが、幼馴染の常人離れした話に、アキラは目を丸くするばかりである。

「じゃあ、その間の護衛は?」

 ヒカルの目が鋭くなった。

「警視庁の身辺護衛がつくことになっておる。なにせVIPというヤツだからな。VIP! JAXAが借り切ったチャーター機に、特別なキャビンクルーがつくらしい。さすがVIP」

 得意そうな笑顔で胸を張ってみせた。

「科学部は?」

 こちらはアキラの心配げな声。

「まあ、大丈夫だ」

 ふふんと鼻を高くしたまま振り返った明実は、癪に障る程の優雅な仕草で両手を広げてみせた。

「来週の頭までに、二人であの書類をデータ化しておいてくれ。後はオイラがやる」

 明実の自信たっぷりな物言いに、二人は顔を見合わせた。

 そんな呆れた二人の態度を何か誤解したのか、明実はこれ見よがしに腕時計を確認してから言った。

「あ、もうこんな時間か。VIPに迎えが来る時間だな。じゃあ行ってくる」

「行ってくるって、学校は?」

 アキラの悲鳴のような問いかけに、さようならと手を振りながら明実はこたえた。

「公休だ。あ、更衣室の件は、研究所には連絡しておくからな」

 明実の背姿を呆然と見送った二人は、再び顔を見合わせた。

「行くか」

「ああ」

 二人して並んで廊下へと出る。

「荷物は、返すまでの車に入れっぱなしにしよう」

「そうだな」

 制服のままレンタカーを返却に行けるわけもなく、荷物の大部分は私服である。こんな荷物を持ったまま町をうろつきたくはなかった。

「って。他に寄るとこあんのかよ」

 うんざりした顔でアキラが聞き返すと、ヒカルは何でもない様子でこたえた。

「まあ、ちょっとしたヤボ用が残っててな」

「ふ~ん」

「なんだよ、文句でもあるのか?」

「いや、そういうわけで…」

「きゃっ」

 二人で会話していたのがいけなかったのか、アキラは前方不注意になってしまっていたようだ。東階段へ向かう途中で、アキラは誰かの背中に追突してしまった。

 B棟三階の廊下に、色々な物がぶちまけられた。

「あ、ごめん」

 両手両膝をついてしまった相手へ手を差し出すと、ブ厚い眼鏡が見上げてきた。

「あ~、えーと。新井さんだっけ」

 特徴的なオカッパ頭と、その枠まで厚い眼鏡には見覚えがあった。一年三組の新井(あらい)尚美(なおみ)である。二人が清隆学園高等部に通うようになってから知り合った同級生である。

「大荷物だな」

 自分の事を棚に上げてヒカルが感心した声を漏らした。尚美は両手で、布地ばかりが溢れる程入った段ボール箱を持って歩いていたようだ。

 残念ながら段ボール箱は手から落ちてひっくり返り、廊下の端まで転がっていた。もちろん中に入っていた物は、ほぼ全部が廊下へぶちまけられていた。

「ごめんな」

 アキラは自分の荷物を邪魔にならない所へと置くと、慌てて段ボール箱を起こしてから、散らばった布地を拾い集めようとした。

「は?」

 手にした物が、水着のような際どいボディスーツだったことで、目が点になって全身が硬直してしまった。

「あっ」

 尚美が、アキラの手の中から、着たら肌分が多くなりそうな衣装を、ひったくるように回収した。

「アライよ」

 ヒカルが反対側で呆れた声を出した。

「言いたくはないが、自分を大切にしろ。金を稼ぐにしても、もっと実入りの良い仕事はいっぱいあるぞ」

 ヒカルが拾い上げた物は、どう見てもウサ耳と呼ばれる装飾品であった。先ほどアキラが手にした衣装と合わせると、政治家の秘書という服装ではなく、絶対にバニーガールと世間じゃ呼ばれる格好になること間違いなしだ。

 まさかと思って床に散らばった物を見ると、他にもチャイナドレスやらメイド服、小悪魔風のボンテージから他校のセーラー服まであった。いや、それだけではない。清隆学園高等部では採用されていない古き良き日本(ブルマ)とか、スクール水着まであるではないか。

 二人の想像の翼が「いけない店」にまで広がったところで、赤くなった尚美が手をパタパタ振りながら説明を開始した。

「こ、これは、部活で…」

「ぶかつ?」

 アキラとヒカルは異口同音に聞き返してしまった。四月に出会った時は、部活を満喫するような娘に見えなかったからである。あの頃は余裕が一切ない顔をしていた。

「アライは何の部活に入ったのよ?」

「被服部…」

 そう弱々しく告げると、手にした黒色の布地の向こうへと隠れてしまった。

 初対面の時はだいぶ自己主張の強い娘であったが、今はとても弱気な態度であった。これも余裕ができて、素の自分が表面に出てきた結果だろうか。

「短い休み時間でも縫ってきてって先輩に言われて…」

「それで、こんなに教室に持ち込んでいたわけだ」

「そうか、被服部か」

 アキラは取り敢えず他の布地を段ボール箱へ入れながらこたえた。

「よかったよ。ミステリー研とかじゃなくて」

 アキラが尚美のことで知っているのは、同級生の一人を殺したいほど憎んでいるという情報だけだった。へたにミステリー研究部なんかに入部して完全犯罪を企むより、被服部の方がよっぽど健全と言えそうだ。

「で?」

 面白くなさそうにヒカルも拾うのを手伝いながら訊いた。

「いいように先輩に、こき使われてるわけだ」

「んんん」

 慌てたように首を横に振る尚美。

「確かに、これは被服部のノルマなんだけど。部活の時間は、別の物縫っているから」

「別のもん?」

「うん」

 そう言って尚美は顔を真っ赤にした。訳が分からない二人は、ただ顔を見合わせるばかりである。

「文化祭で発表予定のウエディングドレス」

「へえー」

 彼女には悪いが、上から下までジロジロと見てしまう。文化祭で発表と聞いて、どんなドレスかは分からないが、それを着る尚美を想像してしまった。

 平均的な身長に、平均的な肉付きの彼女である。あと必要なのは度胸だろうか。

 その視線の意味するところを悟ったのだろう。尚美は慌てて付け加えた。

「サトミにね。殺すかわりにモデルになってって言ったら、結構ノリ気で」

「あ~」

 サトミというのは、明実が見つけてきた二人の協力者である。忙しいからという理由で科学部には所属していないが、一組が体育などの授業で、ヒカルが持ち歩いている色々と物騒な物を隠さなければならない時に、そういった物を預かってくれたりする。

 本人は一年三組に籍を置いているというが、本当かどうか正体は不明であった。

 そして、これは重要な事なのだが、尚美が殺すと公言していた相手なのだ。

「あいつ、こういうの好きそうだもんな」

 ヒカルがビローンと広げたチャイナドレスは、まるでミニスカートのように裾が上げてあった。

「実物大の着せ替え人形ってところか」

 アキラの感想に、ヒカルが肩をすくめた。

「本人が進んでやるのは、人形とは言えないんじゃないか?」

 あらかた荷物を放り込んだアキラは、段ボール箱を持ち上げて、尚美に差し出した。

「まあ。殺すだの殺されるだの言いあっているよりも、よっぽど健全だと思うぞ」

「ありがとう」

 手にしていたバニーガールの衣装を入れてから尚美は荷物を受け取った。

「ま、階段に気を付けてな」

 ヒカルも手にしたチャイナドレスを段ボール箱に放り込んだ。

「うん。新命さんもありがとう」

 どっこいしょと段ボール箱を持ち直している間に、二人は自分たちの荷物を回収した。

「じゃあ、まあ、ほどほどにな」

「ええ、ほどほどに」

 アキラの呼びかけに、尚美のはにかんだような笑顔が返って来た。

 ちなみにサトミというのは男子であるのだが…。

 そこのところに触れるのはやめようと、二人は視線を交わすのであった。


 つづく



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