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Starry Pandemonium  作者: 焼肉の歯車
第一編 灰色の胎動
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第二章 吸血事件 3.雪降る夜を主従は歩く

 オルガが去った五分後には、修人も店を後にしていた。というのも、事件の犯人がクリスを狙っているかもしれないと分かった以上、あまり彼女を一人にしておくのも危険だと判断したためだ。

 鍵をかけているため寝込みを襲われるということはないだろうが、相手は吸血鬼だ。何が起こるか分からない。すぐに帰った方がいいだろう。


 時刻は既に六時となっており、疑似日光を発するランプは既に輝きを失い、入れ替わるように人工の街灯が青色の光を発していた。自宅へと続く坂道は人通りが少なく、物寂しい印象を与えてくる。住宅街にも商業圏にも含まれていない中途半端な場所にあるため建物そのものが少なく、空き地などが散見するので暗い場所となっている。


 加えて、今日は街灯の調子が悪いようで、カチ、カチチッ、と青い光が瞬いていた。

 星々の頼りない灯りでは当然地上を照らすことも叶わず、普段通る道は今や一種の異界のような不気味な様相を呈している。

 じゅるり、じゅるりと水が小さな穴へ流れるような不気味な音も鳴っている。

 とは言え、通い慣れた道ではある。特に足を竦ませるわけでもなく、少し顔を嫌そうに歪めただけで足を止めることもなかった。


 早く帰ってクリスの安全を確保しなければならない。

 そんな時のことだった。


「ぬわッ!」


 道路が闇に包まれていたためだろう、何か大きな物が落ちていたにもかかわらずそれに気付かず足を引っかけ、盛大に転んでしまった。


「つつ……こんなとこに物なんか置くなよな……」


 修人は腰をさすりながら立ち上がり、目を凝らしてそれを見た。


「は……?」


 そして、そんな間の抜けた言葉が喉から漏れた。

 死体、だった。

 人が、死んでいた。


「うっ……!」


 瞬間、『あの時』の記憶が瞬時に脳裏を過ぎ去っていき、猛烈な吐き気が彼を襲った。

 それを必死に押し留めて、そしてようやく気付いた。

 ミイラのように干からびたその腕、苦悶に満ちた空虚な瞳、痩せこけしわだらけの頬。

 見間違いようもない、先ほどオルガと話していた吸血事件の被害者だった。


「クソッ、もう次の被害者が!」


 苛立ち紛れにそう叫んだその瞬間のことだった。



「どうした?」



「――――――――」


 この世のものとは思えぬしわがれた声を聞いた。

 声は、死体のすぐ近くから。

 首の、近く、から……

 ゆっくりと、目を、向けて見れば、そこに――――



「被害者が、どうかしたか?」



 血走ったもう一つのミイラの目があった。


「ははっ、今日は運がいい……。一日で二度食事がとれるとは」


 鋭く尖った牙にはよだれが掛かっており、血走った眼球は餌を求めて貪欲に修人を睨んでいる。


「ふははは。ははっ、運が悪かったようだな……美味しくいただこう」

「く、あ、あ……」

「ははっ、立ち止まっていれば死ぬぞぉ!」

「――――ッ」


 走った。とにかく走った。


「ハハッ! いいぞ、いいぞいいぞ! そうやって走り続ければ血も温まり上手くなる! 逃げろ逃げろ逃げろお!」


 追い立てられるように逃げる修人。


「クソ、クソクソクソクソクソッ!」


 まさか事件を追う側だったはずが第六の被害者になろうとしている。何と間抜けな事だろうか。こんな姿をあの赤髪の少年に見られてしまえばとんだ赤恥だ。


「はあっ、はあっ、はあっ、はあっ……!」


 真っ直ぐ逃げていても追いつかれる。ならば、と修人は次の交差点で右に曲がり、さらに急になった坂道を一瞬で駆け抜けた。

 その先にあるのは、教会。

 浅はかだが、教会へと行けば吸血鬼から逃げられるかもしれないと判断したのだ。

 敷地に入ると、正面に聖堂が見える。次いで後ろを振り返ると、そこにはまだ吸血鬼の姿があった。


 ――このまま教会に入ってくるか?


 修人はその可能性を考え、あえて建物の中には入らなかった。

 聖堂を通り過ぎると、建物の壁に沿って全力で走る。木造の脆そうな裏口を見つけると、思い切り体当たりをして扉を壊した。


「――――ぐっ」


 右肩に痛みを感じるも、それを押して立ち上がる。修人は中には入らず足音を殺してその近くの物陰へと身を顰めた。


「…………っ」


 息を潜めて待つ。

 この状況だけを見れば吸血鬼は修人が聖堂の中に入ったと考えるだろう。修人の思惑通りに吸血鬼が騙され、そのまま中へと入ってくれれば僥倖だ。あとは足音を殺して敷地から出て家に帰ればいい。さすがに家の中に入り鍵を閉めてしまえば吸血鬼も襲ってこないだろう。

 とはいえ、顔を見られた以上行動しにくくなったことは確実だ。

 そんなことを考えていると、規則的な足音が聞こえてきた。


 ざっ、ざっ。ざっ。


 ただし――


(うそ、だろ……? 反対方向かッッ?)


 足音は、修人の背後から聞こえていた。

 吸血鬼は、修人とは反対の方向から聖堂を迂回してこの裏手へ来たのだ。

 焦燥のあまり判断を誤った。今の彼は、裏口からは死角であるが、その逆――即ち吸血鬼が歩いてきている方向から見れば、無防備に背中を晒している状態になっているのだ。


 ――どうすれば、いい?


 全身から嫌な汗を掻く修人。だが、焦れば焦るほどいい案は思い浮かばない。ただただ焦燥だけが募っていく。

 そうして、吸血鬼が角を曲がり、修人を視界に収めた。



「何をしている、風鳴修人。もしやかくれんぼ中だったかな?」



「は?」

「む? どうした? 私の顔に何かついているのかね?」


 そこには、珍物でも見るかのような瞳で修人に話しかける、金髪の神父――フェルミン神父の姿があった。


☆ ☆ ☆


「で、何をしていたのかね、風鳴くん」


 正面玄関へと回り聖堂に入った修人は、そのまま大広間の奥にある小さな個室に通された。天井に取り付けられた電球に照らされ、フェルミン神父が淹れた紅茶をすすりながら、申し訳なさそうに先の騒動を語り、最後に裏口の扉を破壊したことを謝罪した。


「なるほど。吸血事件か。だが、私が聞いた話では我々前旧教の総本山『総聖堂』からエージェントが派遣されているという話だったはずだが?」

「神父さん、知ってるんですか?」

「ふむ。その口ぶりでは君の方が詳しそうだが……まあいい。あまり追求しないでおこう」


 フェルミン神父は少し皮肉げに笑い、すぐに表情を元に戻した。


「先日総聖堂に連絡を入れたところ、既に一人派遣しているとの話を聞いたのだよ」


 なるほど、と修人は納得する。今の時代、魔族による犯罪など――地域にもよるが――珍しくない。ならば、その解決のために近くの教会に努める神父が何かしらの策を講じるのは筋の通った話だ。


「ただ、やはりというか、何というか……君も関わっていたか。これまであまり言ってこなかったがね、君は自分の身を危険に晒し過ぎだ。今回の件に関してもそう……その道のプロがいるのだから、君はもう手を引くんだな」

「……お断りします」

「そうか」


 神父の忠告を無視する修人に、しかし当の本人は何とも感じていないようであった。先ほどの忠告も、社交辞令のようなものでしかないのだろう。

 フェルミン神父と特段深く長い繋がりがあるわけではない。しかしそれでも、この神父は修人に何を言っても聞かないと理解している。

 彼はふっと小さく笑うと、さらにこんなことを言った。


「神職者として、あまり過去に縛られ過ぎることも良くないとだけ言っておこう。君の人助けに対する姿勢は素晴らしいものだと私は考えるが、それは前を向いていなければ意味がない。後ろ向きの信念ほど失礼なものはないのだよ」


 何に対して――とまで言わなかったことは、彼なりの気遣いなのかもしれない。

 それでも修人は見透かされたような気分になり、拗ねたように唇を尖らせてそっぽを向いた。


「じゃあ神父さんはどうなんですか。何か信念とか持っているんですか?」

「――当然だ。この世の何よりも重い信念を持っているとも」

「へえ……」

「そうだな。暗くなったならば明るい話を読むといい。時間がある時、太陽に関する本などを読んではどうかね? あれは良い。悩みや迷いが晴らされていくようだよ」

「そうですか……なら今度、図書館で探してみます」


 熱のこもったその声に圧倒され、修人はそんな当たり障りのない言葉しか吐けなかった。


「時に少年、学校にはきちんとは行っているかね?」

「は? いや、何で急に?」

「急ということもあるまい。今日はまだ水曜日だ。昨日は退院日だからこそ休みが許されていたが、今日はそうはいくまい。学生の本分は勉強。人助けや探偵ごっこも良いが、大切なことを見失わぬようにな」

「それは、そうですけど……」

「君が学校が苦手だということは理解している。その上で言っているのだ」

「…………っ、はい」


 今回は素直にうなずいた。修人も、学校に行かなければならないことは分かっているのだ。

 ただ、あの場所は修人がいるべき場所ではない。あそこにいると、勘違いしてしまいそうになる。それでいて、ふとした瞬間に自分が彼らとは違う人間だと分からされて絶望する。

 彼にとって学校とは、そんな風に天国と地獄が流転する場所なのだ。


「――ふむ、どうやら迎えが来たようだ」


 フェルミン神父が聖堂の表へと歩いて行ったので、修人も紅茶を飲み干して付いて行った。

 扉を開けると、広い空間が修人を出迎えた。そして、視界の先――正面扉のすぐ前に、彼女は立っていた。


「おい、家主が居候を放って外に出るなよ。晩飯はどうすれば良い」

「クリス……」

「そんな子犬みたいに私の名前を呼んでも許さないからな。行くぞ、飯の時間だ。私は腹が減った」

「ごめん」

「謝るくらいなら血を寄越せ」

「それはだめだ。吸血、ダメ。ゼッタイ」

「麻薬のポスターみたいに言うな……はあ、行くぞ」


 そう言うと、クリスは修人の前までずかずかと怒ったように歩み寄り、その手を握った。


「おい陰険神父。しゅうとにいらんことをしておらんだろうな?」

「しておらんとも。なぜそこまで私を敵視する?」

「吸血鬼が神父を好むはずもなかろう。それに加えてお前はキモイ」

「酷い言われようだ」


 それに返事を返すこともなく、クリスは修人の手を引いて歩き出す。


「ちょ、ちょっ、クリス?」

「うるさい、早く帰るぞ」

「ああもう……、神父さん助けてくれてありがとうございます。本当に助かりました!」

「ああ、礼には及ばん。ただ、明日は学校に行くようにな」

「……はい…………」


 手を引かれながらも振り返って律儀に礼を告げる修人に、フェルミン神父は人を見透かしたような微笑で返した。

 やがて扉を出て急な坂道を下り、交差点に差し掛かる。

 そこを右に曲がって、家へと向かった。街灯が点滅し、深夜のように暗い午後八時。

 クリスは前だけを見てこんなことを言った。


「心配した」

「は?」

「だから、心配したと言っている! こんな時期に私も連れずに外に出て何を考えているのだ? アホなのか? 夜に外を歩けば犯人である吸血鬼に襲われる可能性は高い。少し考えれば分かるだろうが」

「いや、まあそうだけど……心配って……」

「あのなあ、私の血は確かに汚れているかもしれんが、だからと言って氷のように心が冷めているわけではないぞ。何時間も帰ってこない家主を心配することだってある。それにな――」


 そう言うと、クリスは立ち止まって、赤くなった顔で修人を振り返り、


「お前の飯は、うまい……」


 それだけ言って、ぷいと前を向いてしまった。


「それだけだ。まったく、起きてみれば家主が家にはいないわ、外に出れば血の臭いをアホみたいに発した奴が暴れ回ってるわで心配して来てみれば、まさか本当に襲われていたとは……」

「何で分かったんだよ」

「吸血鬼は鼻が良い。現場に行けばお前の臭いくらい分かる」

「そうか……」

「そうかじゃないわ。まったく……知らぬ間に神父なんぞと乳繰り合いよって」

「繰り合ってないわ」

「今日何があったか全部今すぐ話してもらうからな」

「何でそんなに心配なんだよ」

「知らん。私にも分からんがな、お前の危険は少し癪だ。あの飯が食えんのはいただけない」

「なるほどな。分かったよ、じゃあ――」


 そう言って、彼はオルガと会ったこと、事件について話したこと――クリスの話題についてはあえて伏せた――、そのあと吸血鬼に襲われて神父の世話になったこと。

 その全ての内容でいちいち面白いリアクションをしていた。


「まったく……」

「何でそんなに怒ってるんだよ」

「知らんわ。お前がアホだからだろうが。いいか、アホは見ているとイライラするんだ。アホ」

「最後言いたかっただけだろ」


 ふんっ、怒ったように視線を切って前を見た。

 住宅街が近付いてきたことによって街灯の光が徐々に見えてきたことにより、道に積もっていた雪が淡く照らされていった。


「なんか冷たいと思ってたら、雪か……」

「そうだな。寒いな」


 しんしんと降り積もる雪は、修人とクリスの二人が共に歩く小さな空間を、周囲の世界から隔離しているようだった。

 周囲に誰もいないことも相まって、まるでこの世界に二人だけしかいないような感覚に包まれる。


「傘、持ってこなかったのか」

「急いでいたからな。聖職者にお前が寝取られたかと思うと居ても立ってもいられなくなった」

「なんか変な言い方やめろよ」


 しばらく、無言の時間が続いた。ただ、その沈黙は嫌なものではない。不思議と二人とも、そう感じていた。

 やがて、クリスがこんなことを言う。


「無理、素手は無理だ。おいしゅうと、私の手を握れ。温めろ」

「分かったよ」


 差し出された左手を、修人が右手で包み込んだ。

 暗く閉じた夜も、しんしんと降り積もる寂しい雪も、凍った地面も、それだけであまり辛くないように思えた。


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