第二章 吸血事件 1.人と偽神
人を助ける、とはどんな気持ちで行えば良いのだろうか。
ただの善意だけで、心の底から「助けたい」という思いだけで人を助ける。それが最も高潔で美しくて正しい精神なのだろう。
だけど、この世界にそんな聖人君子は存在しない。
人は己を愛し、己に酔う生き物だ。
だからきっと、人を助ける時に、心の底から相手だけを想っている人間などいないのだろう。
『人を助けている自分は尊い存在だ』
『困っている人に手を貸している私は正しい人間だ』
『この後予定があるけれど、迷っている人に道を教えて上げる僕は優しい奴だ』
人を助ける時。
誰かに手を差し伸べる時。
こんな風に自分に酔ったことが一度もないという人間が、果たしてこの世界に何人いるのだろうか。
人助けは、ある種の娯楽だ。自らの心を満たすためのエゴだ。
彼もまたその一人だった。
いいや――きっと、彼はもっと醜くて浅ましくて卑しい存在だ。
風鳴修人は自分が嫌いだ。嫌いで嫌いで仕方なくて、殺したいほど憎んでいる。
ならばなぜ、彼はまだ生きているのだろうか。
クリスティア=アイアンメイデンという罪人がその真実を知る日は、近いのかもしれない。
☆ ☆ ☆
「血を吸わせろ」
「お断りします」
二人仲良く布団を並べて眠った明くる朝、クリスは眠そうな目で修人にそう脅迫した。
「黙れ黙れ黙れ! 血を吸わせろ、早く! 欲している、私は血を欲している……ッ!」
「知るか! ていうか昨日お前『まあ私レベルになると血を吸わなくても生きていけるんだが』とか言ってドヤ顔してたじゃないか! あれは何だったんだ!」
「アレは…………見栄を張った!」
「下らない見栄だな! そんなもん千年の時と一緒に捨てて来いよ!」
「昨日から言いたかったんだが、その千年ジョークみたいなのやめろっ!」
ぎゃーぎゃーと喧しく騒ぎながら、クリスにマウントを取られる修人。
「クソッ、何だこの状況。ていうかさすがは真祖……まともな力じゃねえよこれ」
「はあ……はあ……ちぃ、血だぁ……ん……んぁ」
頬を上気させ、熱っぽいと息を吐きながらゆっくりと修人の首筋へ口を寄せる。ぺろりと表面の汗を舐めとると、
「ぁあ、あ。ぁああ、はぁああああああ……っ」
ぶるりと体を震わせて牙を血管へと突き立てた。芳醇な血の香りが鼻腔を刺激し、どろりと濃厚な生きた血潮が口内を蹂躙する。その甘さは脳すら溶かす麻薬のような刺激を生み出し、クリスの身体はさらに熱くなっていく。
「お、まえ……おい、変な声出したり、息……ッ、く、クソッ、俺は男なのに……!」
修人が何か言っているがクリスの耳には入っていない。
「あ、んあ、あ……んふ、ふぁああ、あ。んぐ……ん。ん、ん……はぁああ……おいひい」
赤ちゃんのように首をしゃぶり、犬猫のように自らの体を修人の全身へと擦り付けた。両手が服の中に入り、修人の筋肉質な体を直に強く抱き締める。
「こんなに濃いの初めて……すご、い、すごい……っ」
「いい加減にしろ! お前ちょっと発情してるだろッ、この淫乱ババアが!」
「ぬわあッ!」
腹を思い切り蹴り上げてクリスを空高く打ち上げた。一メートルくらい打ち上げられたクリスは、間抜けな格好のまま放物線を描いて床に体を打ち付けられた。
「ぐえっ!」
「おいこの野郎! 人の血をばかすか吸い過ぎだっ! ドリンクバーじゃないんだぞ!」
「そ、そんな殺生なことがあるか? い、いくらだ? 飲み放題プランはいくら払えばいいッ?」
「意味分からねえよ! 千年生きた吸血鬼の真祖が飲み放題とかフランクな言葉使うな!」
「うるさいぞ! 私は血が好きなんだ! くれ! 毎秒飲ませろ!」
「だから嫌だって!」
「な、何でだ? ぬ、脱げばいいのか? 脱げばその熱いのを口いっぱいに飲ませてくれるか?」
「脱ぐな! あと変な言い方やめろ!」
淫乱吸血鬼ことクリスティア=アイアンメイデンが本格的に衣服に手を掛け始めたのでぶん殴って止めた。
閑話休題。
クリスはソファの前で正座させられていた。
「ごめんなさい」
「よろしい」
我に返ったクリスは、己の数々の恥ずかしい言動を思い出して顔を羞恥に赤くしている。
謝罪もほどほどに、修人は今回の件も含めて幾らか疑問や質問を投げることにした。吸血鬼のことや事件のこと、そして出来れば魔術についても知ることが出来ればと考えていた。
とはいえ、クリスのことだ。煙に巻いて適当に済まされてしまうかもしれない。そうならないよう何を言われても引き下がらない意志を持って、質問をさせてほしいとクリスに伝えた。
「むむむ……確かにこのまま何も伝えずに家に置かれるのも不義理か……いや、まあ別に私はいつでも出て言っていいのだが、しかし先ほどの醜態の手前だ……うむ、仕方あるまい。答えられる範囲でなら答えてやろう」
「そ、そうか……」
しばらくの間一人で何やら葛藤していたが、どうやら話を聞いてくれるようで、胸をそっと撫でおろした。
「まあ、とは言っても、たかが十数年しか生きておらぬしゅうとに会話の主導権を握られるのも癪なのでな、私から簡単に説明してやろう。そうだな、最初はやはり私自身のこと――つまり吸血鬼と、そして魔術について触れてやるとするか」
吸血鬼とは魔族あるいは亜人における種族の一つで、『悠久種』と呼ばれるカテゴリの中にある。悠久種とはその名の通り、不老不死、不死身、永遠の時を生きることの出来る生物のことであり、吸血鬼を除けば――すでに魔術的には実在するとされている――悪魔や天使、精霊、神の眷属、あるいは生物に寄生する『概念』に近い魔虫などがあげられる。神はどうなのだ、という疑問も生まれるが、そもそも神は形而上の存在であり存在を証明することが不可能なため、生物として数えられていない(というよりも、いるかどうかですら定かではない)。
そしてここまで言えば分かる通り、悠久種の特徴として、そのほとんどが自我を持たない力の塊であったり、エネルギー体、あるいは人間には干渉不可能な存在であったりする。
ここまで説明したクリスは、修人が焼いてやった目玉焼きに醤油を掛けながら、もう片方の手の人差し指をピンと伸ばして「ただし」と付け加えた。
「吸血鬼はその例外の種族だ。分かるよな? 私たち吸血鬼はれっきとした悠久種に数えられていながら、お前たち人間や下等な虫にだって触れられてしまう」
「下等とか言うなよ。虫だって必死に生きてるんだぞ」
「吸血鬼の血を美味いだ何だと言って勝手に吸って行きやがる蚊を始めとした昆虫は全て私の敵だ! いつか根絶やしにしてやるッッ! ……っと、話が逸れたな。まあいい、次だ。――吸血鬼が悠久種でありながら人間や他の亜人や魔族に触れられるのはなんでだと思う?」
「え……吸血鬼だから?」
「アホか。答えは、もともと人間だったから、だ」
「はあ……人間だったから」
「そう。私たち吸血鬼は、元は人間だった。それが、神の悪戯だか罰だか知らんが、こんな体にさせられたというわけだ。まあもっとも、そこに関してはまだはっきりとしておらん。古い吸血鬼である私だって、もう千年より前のことは何も覚えておらぬし、他の『起源』に関わっているであろう同胞たちもそれは同じはず」
「記憶、か……」
「ん? どうした、何かおかしなことがあったか?」
「いや、何でもないよ。続けてくれ。吸血鬼の話がそれで終わりなら、次は魔術についてか?」
「まあそうだな」
クリスは半熟の黄身を潰すとトロトロとした中身を白身に掛けて、器用に箸で切り、口へ運んだ。
「もっとも、魔術の話に入る前に、先に『染色』と『彩喰』について話しておくべきか。魔術とはつまるところ、これら二つの概念の出来損ないに過ぎぬのだから」
「せん、……さい……何だって?」
「『染色』と『彩喰』だ。どちらも根っこは同じ……というよりも彩喰は染色の種類というか、亜種というか、まあ類語みたいなものだ。ほれ、お前も高校生ならスウガクでシュウゴウとやらを習っただろう? あれの考え方だよ。彩喰は染色というカテゴリに含まれる」
「あー、まあ何となく分かった。で、その染色と彩喰って何なんだよ」
「まあそう慌てるな。すぐに説明しやる」
パクパクと、箸で切っては次から次へと目玉焼きをご飯と共に口の中へ入れていくクリス。
「染色とは心象世界・深層心理を具現化する力のことだ。まあ、この世界で最も強く悍ましく悪辣な概念だな。なんせ、この力は一定空間内において、世界の法則を一時的に己の心の在り方に沿ったルールへと変えてしまうのだから」
「……つまり、最悪のワガママってことか」
「おおっ、良い例えだな。そういうことだ。しゅうとは教育番組で講師を務める才能があるな」
「適当なこと言ってんな」
染色とは深層心理――即ち真なる心の在り方だ。常人ならば無意識として自分で理解すらしていないような考え、価値観、願い、恐怖、諦観……そうした物を具現化させる力。
「染色を発現する者というのは、その深層心理を完璧に理解し、なおかつそれが世界にとって絶対のルールでなければならないと強く強く想い込んでいる者。まあつまりは、『俺は正しい』『俺は間違っていない』『世界が俺に従わなければならない』『この心の在り方こそが世界のルールでなければならない』……そんな風に自分を絶対的な存在として見ている狂人だけだ」
「たちが悪いな……あまり知り合いたくない種類の人間だ」
「同感だが、この世に存在する以上はいつか関わり合うことになるだろうな。……話が逸れたな、戻すぞ。次に彩喰についてだが……これは、吸血鬼が扱う染色のことを言う。基本的な原理や概念は同じで、深層心理の発露であることに変わりはない。ただ、発現の方式と動力源が異なる。まずは発現の方式から説明してやろう」
クリスは箸を器用に使って飯の入った茶碗に目玉焼きを乗せると、黄身のとろみがご飯を侵食する様を見て満足そうにうなずいた。
「染色には固有度と侵食度というものがある。固有度とは染色によってどれだけ自己が変容されるかを、侵食度とは染色によってどれだけ世界を変容させるかを示す尺度だ。個人差はあるが、人間――あるいはエルフや竜人といった亜人が染色を発現させると、大概は侵食度が高く固有度はそこまで、といった感じなのだが……吸血鬼の場合は特別でな」
「固有度が振り切って、侵食度はゼロ……って感じか?」
「物分かりが良くて助かる。あとで膝枕をしてやろう」
「……それは」
「ちょっと迷うな変態」
半眼で修人を睨んだ。いたたまれなくなった修人は視線を逸らし、続きを促す。
クリスは半眼をそのままにして、説明を続けた。
「吸血鬼は無限の時間を生きるからな。世界が自分の望んだ世界にならないことを悟っている」
「社会の厳しさを知って電車の中で死んだ目をするサラリーマンと同じ感じか」
「ハハハッ、吸血鬼をリーマンに例えた男は多分この世界でお前だけだよ」
「真祖がリーマン言うな」
「ククク、まあいい。分かりやすく言えばそういうことだ。吸血鬼はこの世界がクソッタレだということを知っている。願いや己の世界を発現させたところで世界には毛ほどもダメージを与えられないと知っている。だが……染色――ああいや、吸血鬼だから彩喰か。彩喰を発現させるほどに自己の在り方を正しいと信じ込んでいる狂人が、世界が変わらないというだけの下らない理由で止まるわけもない。故にその方向性は世界ではなく己へ向く。『世界は変わらない。ならば俺が世界を変えられるほどに強くなればいい』となっ」
イタズラっぽくウィンクをするクリスは、そんな吸血鬼を馬鹿にしているようだった。
「そして次に動力源だな。染色における動力源……つまりはガソリンのような物だな。これは通常、霊界に存在する死者の魂だ」
「幽霊か」
「そう。この世界――地球上に存在する、という意味ではないぞ? この大いなる宇宙全体を示す『世界』の同座標別位相に存在する上位世界、霊界、アストラル界、天国、地獄……エトセトラ。いわゆる死後の世界に存在する、人間や亜人、魔族の魂の残滓……つまり幽霊を消費して染色は発動される。魔術が人の寿命を前借りして使用されるのとか、車がガソリンを燃やして動くのと一緒だ。あ、おかわり。ふりかけも頼む。無いなら修人の血をかけても良いぞ」
目玉焼きも白飯も平らげると、金髪の幼女の姿をした吸血鬼は図々しくも茶碗を修人へと差し出しお代わりを要求した。修人は何とも微妙な表情でそれを受け取ってしまう。修人がご飯をよそっている間にも、クリスは楽しそうに説明を続けた。
「対して吸血鬼は己の血を媒介に彩喰を発動する。吸血鬼の血は無限の生命力や魔力を持っているから、人では身に余るため死者の力を借りなければならない力でも、己一人の力で使えるんだよ。まあ私は、UKVのクソ吸血鬼共の陰謀に嵌められて、彩喰どころか魔術も使えなくなったんだがな。昔は最強だったんだが、今ではこの通り――ちょっと体術が使えるだけのか弱い幼女だよ」
吸血鬼の血液は特殊だ。無尽蔵の魔力や生命力を持ち、仮に一瞬でそれを枯渇させるほど魔術を乱発しようとも、数時間後には綺麗さっぱり元通り。無限の魔力を使用して瞬時に体を再生することも可能である。
「あともう一つの特徴として、彩喰を発動した状態の吸血鬼であれば、他者の霊装や聖遺物、兵器や武装を己の血で侵食することで自らの心象法則を纏った武器とすることができる。それも、もとの効果は残したまま、な」
例として、火の彩喰を発動している吸血鬼が水の剣を手に取れば、火と水の両方の属性を持つ新たな剣が生まれるというわけだ。
「まあ染色と彩喰についてはこんなものだ。千年を生きる私でも、なぜこんな力、こんな法則が存在しているのかは知らんのだが……まあ、あるものはあるのだから仕方がない」
「魔術が染色の出来損ないって言うのは……?」
「ああー、それはあれだ。魔術は染色を模して造られたものだからな。聖書や神話にある数々の偉業というのは、全て染色によるものだ。そして、昔々にそんな偉人の伝説を目撃した凡人が、少しでもそこへ近づくために作り出した知恵と心血を注いで作られた出来そこないの異能が魔術。誰でも使えるものだし、特別凄いものでも何でもない。自らの寿命を代償に、己の表層心理……すなわち妄想を具現化させる。なるほど確かに音だけは凄いように聞こえるが、コツさえ掴めば誰にでも使えそうなものだろ?」
「確かに……」
魔術という異能は既に世界で広く認識されている。歴史によれば、二百年前に夜が明けなくなったことにより、当時の科学力だけでは人類が存続できないと魔術師たちが判断し、表に出ることになった。
かつての魔術師たちの目的は染色に至り、神に近付くことだった。それはモーセの海割り、かの聖人の復活、半神たちの戦争や、数多いる英傑たちの武勇を再現し、超えるというもの。神の領域へと片足を踏み入れることを目的としていた。
しかし『永遠の夜』が展開されてからはもっぱら空に太陽を掲げることを目的とされ、その存在意義は大きく様変わりしている。今の魔術師はかつての魔術師と違うのだ。
「魔術についてはよく分かったか? そんなに大したものでもないだろう? 描画師……ああこれは染色を発現した者のことだ。描画師はまあ、神の領域に片足を踏み込んだ一種の偽神と言えるからそれなりにヤバいが、魔術師はお前でもぶっ倒せるぞ。ああ、ちなみに言っとくと、オルガは染色を発現してる」
「はぁあッ?」
「だからしゅうとは凄いんだぞ実は。偽物とは言え神様をぶん殴ったんだからな」
「……っ」
自らの拳を眺めて顔を青くする修人。クリスはフリーズした修人からご飯を奪うと、ふりかけを受け取って上機嫌に振った。
「魔術に関してはこれくらいでいいかの? じゃあ次は吸血鬼について説明してやろう。良かったな、吸血鬼のことを知れる機会なぞ、しゅうとのようなただの人間ならば輪廻転生を百回繰り返してもなかっただろうな」
魔術は現在世界で広く知られているため、大きな図書館や魔術学校にいけばある程度学べる環境にあるのだが、吸血鬼に関する文献は少ないため、これからクリスが話す内容は貴重なものとなるだろう。
吸血鬼に関する文献が少ない理由は単純で、そもそも吸血鬼が死なないため、解剖するための死体が圧倒的に足りない。また死体が見つかったところで、その多くが臓器も脳髄も原形を留めないほどに損壊している。極めつけに、たとえ人間と吸血鬼の双方同意の上での解剖実験を行おうとしても、メスを入れて腹を切開しようとしたところで超速再生により傷が塞がれてしまうのだ。
「もっとも、私だって知っていることは少ない。が、魔術的に証明された部分や、私の憶測でなら話はできる。それでいいか?」
「あ、ああ……何でクリスが血を飲む時に変態になったのか知りたいしな」
「……う、うるさいっ。とにかく説明するぞ。――さっきも言った通り、吸血鬼の起源は誰にも分からないというのが通説だ。この辺は科学的に調査できない故だな。ただ、私の考えでは神の呪いとか、あるいは人類にとっての敵が必要だったからとか、そんな感じだと考えている」
「神が作ったっていう説と……人の意識が作り出したって説か?」
「そうだ。そして、そんな吸血鬼だが、私たちの特徴は大きく三つだな。一つは永遠の命と無尽蔵の魔力を持っている。二つ目は日光に弱かった。三つ目は眷属を作れる」
「吸血鬼が不老不死なのはそういう生き物だから、じゃないのか?」
「ああ。きちんと理由がある。吸血鬼の血には無尽蔵の魔力が内包されていてな、この魔力を用いて体が勝手に延命の措置を取っている。細胞分解や免疫力の維持などだな」
「あれ、でも魔術って寿命を魔力に変換するんじゃないのか? だったら延命措置をしたらその分魔力が減って……うん?」
「そこが他の種との大きな違いだ。吸血鬼の血は特別製。莫大な魔力を内包しているし、その魔力も次の日には全快する。そして細胞分解のような、普段意識していない体の働きに関しては、体そのものが覚えている。よって、魔力不足の心配も、延命のためのイメージの固定化も不要となる」
また、吸血鬼の超速再生はこの応用とのことであった。
己の体の形を細かに理解した彼らは、たとえ四肢が欠損しようとも、その莫大な魔力でもって己の体を元に戻すという規格外の魔術を扱える。
一つ目の話がひと段落し、修人は二つ目の話題に食いつく。
「吸血鬼が太陽に弱かったっていうのは? 今はもう弱くないのか?」
「そうだ。ええといつだったか……七十年か八十年前か。エジソンやニコラ・テスラが電気を発明したことで、ランプが消える夜でも明るい世界になっただろう? それによって人々の太陽への信仰がどんどん薄まっていき、それにより太陽の神性も落ちた。太陽が昇らなくなった二百年前から、電気が発明されるまでの百年間は、あのランプの微細な光だけで死ぬ思いをしたものだが……ああ、良い世の中になったものだ」
古来より、太陽とは信仰の対象にあった。それは古今東西あらゆる神話で散見されるものである。が、科学の発展によってその進行は徐々に薄れていき、次第に吸血鬼が一日中街を我が物顔で歩ける社会になった。
「あとは眷属だな。……とは言っても、私は眷属を作ったことがないからあまり詳しいことは知らんのだがな。一応知識として知っているのは、人間を眷属にするには親たる吸血鬼が相手の血を吸い、かつ自らの血を相手の身体へ注ぎこむことで契約が始まる、とのことだ」
「契約?」
「ああ。八百年前に知り合った淫乱クソアマ吸血ババアが言うには、契約というのは互いの記憶をそれぞれなぞったのち、その人間を生涯のパートナーとして認めるかどうか、というものらしい」
「よく分からないけど、過去を見た上で、その人を人格的に認められるかどうかを問われるってことか」
「そうだな。そして、双方が同意すればその時点で契約は完了。人間は吸血鬼として新生し、第二の生を永遠に生きることになる」
「成立しなかった場合は?」
「そうだな、親が子の記憶を見てそいつを眷属として認めないと手のひらを返したり、あるいはその逆の場合……永遠に生きることを人間側が拒めば、契約は不成立となり、人間は周囲を襲うだけの醜悪なグールとなってしまう」
「最悪だな……」
「ああ、屑な主人に当たった人間には私でも同情する」
ちなみに、と付け足して、人間以外の種族は眷属にできないということも伝えた。
これは吸血鬼を始めとして、人間以外の種族――即ちエルフや獣人、ドワーフなどの長命種や、竜種や竜人、魔物などの幻獣種の魔力は癖が強いため、吸血鬼の魔力の塊である血を注げば拒否反応を起こしてしまうためである。――ただし、獣人の中でも人狼と呼ばれる種族は例外らしく、古来より人狼を眷属にする吸血鬼も少なくなかったようである。
「じゃあ、吸血鬼が血を吸うのは仲間を作るため? じゃあさっきのは何なんだ」
「ああー……まあ何だ。下位の吸血鬼が血を吸うのは、魔力操作が下手だから血を吸って無理やり延命に使う魔力を充填するためなのだが、私みたいな上位の吸血鬼が血を吸うのはそれだけが理由じゃなくて、何と言うか……まあ、お菓子みたいな感じだな」
「おかし?」
「ああ。人間の血は甘くて美味い上に、飲むと頭がふわふわして気持ちが良くなるんだ。飲まないと死ぬわけじゃないが、飲むと幸せな気分になれるというか……例えるならアレだ」
そこで彼女は一旦言葉を切ると、
「麻薬みたいなもんだ!」
「ダメに決まってるだろッッッ! お前もう一生血を吸わせないからな!」
「な、なぜだ!? 飲むとハッピーになれるのに!」
「そんなもん人をダメにする! たとえ体に毒じゃなくても、血を吸うことしか考えられない駄目人間……じゃなくて駄目吸血鬼になったらどうするんだ!?」
「は、ハローワークに通うから! ちゃんとするからぁ!」
「意味分からないこと言うな!」
うえーん、と子供みたいに喚いて修人の服にしがみつくその様は、まさしく子供のようだが、実際の中身は千歳のババアである。
「う、う……うう……ほんとのこと言わなければ良かった……」
その後もぎゃーぎゃーと喚いて騒いでいるうちに、クリスは疲れたのか、ソファの上に身体を投げ出して眠ってしまった。
修人は散らかった部屋を適当に掃除すると、身支度を整えて外に出た。