第一章 どS幼女とお節介少年 2.策動開始
『先日未明、別錬市内にある民家にて干からびてミイラの姿となった死体が発見されました。同様の事件はここ一週間で四件起きており、警察は同一犯による犯行と見ています。また、その手口から吸血鬼の犯行という線からも調べていくとの――――』
☆ ☆ ☆
テレビから流れてくるニュースを見て、修人は顔を顰めた。ここ二週間ほど入院していたためこの事件を知らなかったことは仕方ないと言えるだろう。だがまさか、自分が暮らす街で猟奇事件が起きていることすら知らなかったとは、さすがに嫌になる。もしも知っていれば、救えた命もあったかもしれないというのに。
「この街でやることというのはこれだ。お前も察しているだろうが、ニュースで言われている通りこの事件は吸血鬼の仕業だろう。本当はもっと早くこの街を出るつもりだったが、同じ吸血鬼としてさすがに見過ごせん。街を出る前に、こいつを懲らしめる」
「そうか。俺はどうすれば良い?」
修人の問いかけに、クリスは半眼とため息を返した。
「あのなあ、私はお前に『危ないから外に出るな』と忠告したつもりなんだが。何で協力する流れになってるんだ」
「いや、そう聞こえたし」
「違う。というかただの人間が何を出来るんだ。役に立たない駒はいらん。邪魔だから引きこもってろ」
「そうは言ってもな……」
なおも食い下がる修人にクリスは青筋を浮かべて、
「うるさい黙れ! とにかくお前は家に引きこもってろ。邪魔! いらん! 以上!」
冷たく突き放し、ぷいとそっぽを向いてしまった。が、見た目が見た目だけに駄々をこねた子供にしか見えない。
とはいえ修人もここまで拒否されては食い下がれない。自分は自分で勝手に事件を追うことに決めて、大人しく口を閉じた。
ただ、それを抜きにしても修人は外に出なければならない理由があった。
「でも、買い物行かないと飯がないんだけど」
「…………」
「クリスがほとんど食ったせいで」
「……」
「どうしよ」
「買い物に行くぞ」
五秒で外出が決定した。
☆ ☆ ☆
別錬市はどこにでもあるような地方都市である。西にマンションを始めとした住宅街が存在し、その北部にある修人の家から南へ自転車で二十分ほどの場所に彼が通う西條高校が存在し、そこから西に研究機関や工場などが立ち並ぶ工業区が広がっている。自宅から北へ少し歩けば市の端に『前旧教』の教会が建っており、さらに北端中部から東部にかけてデパートや家電量販店、アミューズメント施設などが密集する商業区が存在する。また、西條高校から東は企業の本社やら支社やらが立ち並ぶビジネス街であり、その東の端には風俗街があったりする。
現在修人は、自宅から北へ五分歩いた場所にあるスーパーへと向かっていた。ちなみに隣にはクリスが並んで歩いている。少し犯罪的な臭いのする組み合わせであった。
「それで、晩飯とやらは何にするんだ? できるだけ鉄分の多く含んだもので頼む」
「鉄分か……レバーでも食うか?」
「アレはまずいからいらん」
「好き嫌いするんじゃない。大きくならないぞ」
「もうかれこれ千年以上成長していな……何を言わせるんだお前殺すぞ」
ゲシゲシと修人のすねを蹴るクリス。二人は仲良く並んでスーパーに入る。修人は次々にレバーをカゴに入れていった。
「レバーやめろ」
「牛肉レバーに豚肉レバー……あ、鳥のレバーもある。これも入れてしまおう」
「レバーやめろ」
「パセリ」
「パセリやめろ」
「今日のおかず、パセリのサラダだけでいいか」
「お前はそれでいいのか……?」
次々に鉄分の多そうな食料を入れていくと、次は鮮魚コーナーへと向かった。
「そうだなあ、俺は冬魚のお寿司でも食べるか」
「お前、私にはパセリのサラダしか出さないくせに自分は寿司なのかッ!? 鬼! 悪魔!」
「吸血鬼が鬼って」
「なに笑ってるんだお前」
下らない話をしながらせっせとカゴに食材を詰めていく。その後会計を済ませ帰路に着いた。
帰り道でも、クリスはずっと「パセリ……レバー、パセリ……パセリ……?」とブツブツと呟いていた。
しばらく二人で歩き、曲がり角に差し掛かる。すると、角の向こうから見知った顔の男が現れた。
「む……これはこれは、風鳴君ではないか」
「あ、どうもこんにちは、フェルミン神父」
金髪に緑色の瞳。180センチには届こうかという高い身長のキャソックを着た男が現れた。着衣から分かるように、彼は修人の家の近くの教会に努める神父である。人を見透かしたような言動が玉に瑕ではあるのだが、基本的には人の悩みや懺悔にも真摯に耳を傾ける人格者だ。
修人の家と教会はすぐ近くにあるため街で会うことも多く、気付けばこうして立ち話をするような関係になっていた。
「買い物かね、風鳴君」
「はい、夕食がなくなってしまったので」
「そうか。ところで隣の見目麗しいレディは誰かね? 君に欧米人の妹がいたという話は聞いたことがないが」
「いや、どうやら迷子らしくて……家に荷物を持って帰った後はもう一度両親を探そうと思ってるんです」
「なるほど……そういうことならば私も協力しよう」
「あ、いや……」
「――いらん」
「む?」
神父の言葉を遮って、クリスが冷然と言い放った。見た目からは想像も出来ぬほど冷たい声を発した彼女に神父が疑問の目を向けると、その瞳を強く見返した。
「いらんと言った。あいにく聖職者に協力を乞うほど切羽詰まってもいないからな」
「そうかね。いやいや、それにしてもその歳にしてしっかりしている。……そういうことならば私は何もしないでおこう。――ただね、風鳴君」
「はい」
「この世の中だ。親切心とは言え幼女を連れて歩いていると犯罪者と間違われることもあるかもしれない。気を付けるのだよ」
「あ、ああー……それはそうですね。気を付けます」
「うむ。ならば私はこれで。ああ、それと――」
神父はまだ何か言い忘れていたのか、歩き出す直前にこんな言葉を残した。
「風鳴君――懺悔をしたいのなら、教会はいつでも開いているよ」
そんな言葉を残して歩き去ってしまった。
そんな神父の後ろ姿を眺めながら修人は首をひねっていた。
「うーん……神父さん、あんな感じだったっけ? ていうか、いつも右手の薬指に付けてた指輪はどうしたんだろ。離婚したのか?」
「知らん。神父にまともな奴などおらん。どいつもこいつも薄汚い! 根性の腐った! 変態で! 非情で! キモイッッッ!」
「いや、まあ、神父さんが全員そうとは限らないだろ。でもまあ、うん……色んな人がいるんだろうな」
「色々ッ? 色々だとッッ? 千年間の私の苦労も知らねえでよォ、テメエよォコラ」
「分かった、分かった! 口調が怖いから、もうごめん、俺が悪かったから指を目に向けるな!」
「まあいい。まったく……早く荷物を置くぞ。現場に向かわねばならない」
「ああそうだな。……あれ、ていうか、連れて行ってくれるのか?」
「ああ……本当に不本意だがな。放っておいてもお前、どうせ一人で事件を追うだろうし、それならもう目の届く範囲に置いておいた方がマシだ」
「そうか、恩に着る」
「お前ほんとに頭おかしいだろ」
五分後、帰宅した二人は食材を冷蔵庫に入れ、事件現場のある市内南東部にある風俗街へと向かった。
「ふふふふ……しゅうと、お前いま、幼女を風俗街に連れて行く高校生になっているぞ。立派な犯罪者だな」
「本当に逮捕されかねないよなこれ……大丈夫か?」
「安心しろ。いざとなったらお前をホテルに連れ込んで色んな事をしてやるよ」
「ダメだろ」
事件現場へは電車で向かった。修人の最寄駅から三つ目の駅で降りると、さらに南へ十五分ほど歩く。
風俗街へと近付くにつれ、光源は心細く妖しいものへと変わっていき、夜の雰囲気が増していく。風俗の経営者たちが人工太陽灯の上に布をかぶせたり、ペンキを塗りたくったりしているため、昼も夜も関係なく、二十四時間営業し続けているのだ。
こうした風俗街は世界各地に点在しており、実は問題になっている。――が、こうしたサービスは需要がある。単純にビジネスマンが仕事の合間に軽く寄れるという理由もあるのだが、それ以上に現代のような太陽もない鬱屈した世界では特に需要が高いのだ。
桃色の街灯に客引きの老婆や、建物の中で客を誘惑する風俗嬢。そして好みの女がいないか物色するサラリーマンたち。
そんな中に紛れて、高校生の少年と見た目十歳の幼女がスタスタと歩いて行く。
「つぅーか、人間というのは分からんな。ついこの間ここで猟奇事件が起きたというのに、もうこんなに人が集まっておる。普段通り経営をする店側も、獣みたいに性欲を吐き出そうとする人間も、神経が理解できん。性交とはそんなにも良いものなのか?」
「……? あれ、お前……」
「ん? なんだ、ハトが豆鉄砲食らったみたいな顔しよって。……あ」
そこでクリスは自分の失言に気が付いたようだった。
「ふん。千年もの間処女だったとして何の問題がある。だいたいにして私は真祖だ。脆弱な人間や魔族とまぐわうなど御免被る」
「クリスってモテないんだな」
「うるさいハゲ」
すれ違う人が修人とクリスの二人を振り返るが、自分たちも昼の時間帯からこんな場所にいるという引け目があるのだろう、特に声を掛けてくる者もいなかった。
声を掛けてくる客引きのお婆さんや風俗嬢には目もくれず、真っ直ぐに事件のあった建物へと向かう。辿り着いたそこは、人ひとりいないがらんとした場所であった。
周囲の建物もテープで封鎖されており、すぐ近くが欲と金で賑わっていることを考えれば、ここは一種の異界のようにも思われた。
「さて、じゃあ入るか。邪魔するぞー」
「あ、おい。そんな勝手に入っていいのか? 中に警察の人とかいるかも」
「おらんよ」
「え?」
「おらん。人払いの魔術でも展開されているのだろう。一つだけ気配があるが……この感じ、ただの人間ではないな。魔術師か吸血鬼か……いずれにせよ当たりかもしれんぞ」
唐突にやって来た犯人との邂逅の可能性に。修人の鼓動が速まった。
恐怖、不安、焦燥――そして正義感。
様々な感情が胸の内で暴れ回る。それらを自覚しながら、修人はニヤニヤと笑うクリスの後ろを付いて行った。
☆ ☆ ☆
ぎしり、ぎしりと床が鳴る。まるでまだここに犯人がいるかのような緊迫感が修人を襲う。
いいや、事実として、この建物の中に犯人がいる可能性は高いのだ。クリスの発言から察するに、ここには修人たち二人の他にもう一人存在する。
ぎしり、ぎしり。
ゆっくりと歩いても、多少の音は鳴ってしまう。古い木造建築であるためだ。
「……このまま進んでも大丈夫なのか?」
「ああ、安心しろ。大概の奴ならば撃退できる。まあ、全盛期とは違い魔術が使えないから上位吸血鬼とか尖兵クラスの魔術師が来たらさすがに終わりだがな」
「ヤバいじゃねえかそれ……」
「ま、気にするな。そうヤバい奴は現れない。だいたいそういう奴はみんなUKVで暮らしているものだ」
そうして、二人は死体の見つかった部屋に辿り着いた。ゆっくりとふすまを開け、勢いよく中に入った。部屋の奥には、月光を浴びた少年のシルエットがある。瞬間――
「今すぐ手を上げろ! さもなくば組み伏せて腕と足の骨を折るぞ!」
言うや否や、クリスは全力で床を蹴り抜き月光を浴びる謎の者へと突貫した。手のひらを鍵爪のような形に変え、後方へ思い切り引く。
「ッラァアアッッ!」
大気を裂いて繰り出された一撃は、しかし――
「――――やはり君か、クリスティア」
「な……ッ」
驚愕と動揺によりぶれ、いとも容易く咲けられてしまう。さらに――
「――聖槍複製」
呟きは修人とあまり変わらぬ歳の少年のものだった。
その両手に深紅の聖槍が握られ、背後には五本の槍が浮遊する。
複製魔術――十八世紀後半から十九世紀半ばにかけて起こった産業革命により『大量生産』という概念が人々に浸透したことによって生み出された魔術。グレードダウンしているとはいえ、聖遺物や宝剣、宝具を複数個手にすることが出来るという優れものだ。
「お前……オルガか!」
「やあ、久しぶりだ、クリスティア!」
ぐ……っ、と腰を沈めたことにより、少年を覆っていたシルエットが消え去り、赤髪の端正な顔が修人とクリスの前に晒される。
身長は修人よりも少し高い程度だろうか――腰を沈めているため確かなことは言えないが、無駄な肉のない引き締まった体をしているように見える。
「っていや、今はそんな場合じゃない……ッ!」
我に返り、クリスを守るために全力で駆け出した。
「馬鹿、来るな!」
「うるせえ!」
クリスが何か言っていたが、修人は無視して走る。
対してオルガと呼ばれた赤髪の少年は、右手を掲げて槍を振り下ろそうとしていた。
「ぐ……ッ!」
クリスはとっさに腕をクロスして頭と体を守ったが、その視界の端でもう片方の手に持った槍が水月を目掛けて奔っているのが見えていた。
(ま、ず……ッ!)
横へ跳ぼうにも間に合わない。このままでは聖槍に腹を貫かれて行動不能に陥ってしまう。
「クリスゥッ!」
「ぐげぇ!」
そこへ、真横から修人がタックルをかました。クリスはカエルのような声を発しつつも、真上から落ちる斬撃からも、腹を狙った突きからも逃れた。
修人とクリス、二人仲良く地面へと盛大に転がりもみくちゃになる。埃を被りながらしばらく転がり、やがて停止。修人はいち早く立ち上がり、対峙する少年を睨んだ。
「この野郎……っ!」
クリスを庇うように片手を広げ、少年へと一歩詰め寄る。
「いきなり殺そうとしやがったな」
「君は?」
「風鳴修人。そこの王女様気取りの居候の家主だ」
「そうか。僕はオルガ=ディソルバート。総聖堂〝十一尖兵〟が序列第五位。ロンギヌスの槍の複製魔術を使う不死狩りだ、よろしくね」
「……っ」
しゃりん。
槍を持ち直し、両の刃を擦り合わせると、睨む修人を冷たく見返した。
「ただ一つ弁明しておくと、先に手を出したのはクリスティアの方だよ」
「だからって殺すことはないだろ。いきなり槍を何本も出しやがって」
オルガは槍をひゅんひゅんと回すと、一度それを降ろした。あまり感情の見せない表情でほんの一瞬だけクリスを盗み見ると、すぐに修人へと視線を戻す。
「君は彼女がどんな存在か知っていて味方するのかい?」
「ああ。真祖だか何だか知らないけど、別に今は何もしてないだろ」
「何もしてない、か……」
意味深に呟くも、それ以上その件に触れることはなかった。
「それよりも君だ、風鳴修人くん。今ここで逃げるというのなら、僕は君に手を出さない。君は僕とクリスティアの間にある因縁とは関係のない一般人だ。もしもここで手を引くというのなら、君に危害を加えることは絶対にないと約束しよう」
「却下だ。そのあとクリスを殺すつもりだろうが」
背後にいるクリスを守るため、さらに一歩前へ出る。
強い瞳で睨む修人を、オルガは奇妙なものを見るような瞳で見返した。
「……たった数時間前に会った彼女のためによくそこまでできるね」
「うるさい。逃げたらクリスが殺されるのが分かっているんだ。だったら俺は全力で守る」
決然と言い放つ修人に、オルガは訝しげな視線を送る。その歪な在り方に違和感を覚えているのだろうか。
「おい、待てしゅうと。なに勝手に話を進めているんだ。オルガも神に仕える身で一般人を殺そうとしおって、いい加減にしろ。渦中の私を放ったらかしに――」
「ここは俺が食い止めるから、クリスは逃げろ」
「お前……何を勝手に決めている……。だいたいお前みたいな一般人に何かできるわけもないだろうが」
総聖堂〝十一尖兵〟――修人はそんな組織の名前を今まで聞いたこともないため知る由もないが、この組織は前旧教の総本山であるスペインのバルセロナにある総聖堂が抱え持つ暗部だ。吸血鬼、悪の魔術師、人に危害を及ぼす霊現象を捕縛・討伐することを目的としており、かつて存在した教会法廷の流れを汲んだ組織である。
そんな化け物を相手に、少し喧嘩慣れしている程度の風鳴修人が何かできるわけもない。
だが――
「関係ない。俺はクリスを守る。クリスが何と言おうと知らない」
退かない。頑なに己を守ろうとする修人を、少女はどこか哀愁の漂った瞳で見つめた。
――この男は……
修人の脇腹、そこからどくどくと真っ赤な血が溢れ出していた。クリスを庇った際に槍に付けられた傷だ。刃は深く肉を咲き、激痛で頭に火花が散っていた。
「そんな怪我をしているのにか?」
「ああ。関係ない」
――狂っている。
クリスは、この少年をそう断じた。それはオルガも同様なようで、彼もまた歪な形をした未確認生物でも見るような瞳を向けている。
ただ、それでいてこんな屑みたいな自分を必死で守ろうとしてくれる彼に、感謝のようなものも感じていた。
「君、どうしてそこまで自分を犠牲に出来る?」
「うるさい、俺の勝手だろ」
そう言うと彼は拳を握り――
「とにかく、お前は俺が足止めする」
床を蹴ってオルガへと肉薄した。
相対するオルガは二槍を構えると、修人目掛けて振り下ろす。
「しゅうと! あの馬鹿……ッ」
クリスの声を無視して槍の間合いへと踏み込んでいく。上段から迫る槍を半身にして躱すと、その勢いを利用して回転。円運動による力を上乗せした肘鉄を顔面に叩き込んだ。
だが――、がぃいん! と肘がもう一歩の槍に阻まれた甲高い音が鳴り響く。
修人の動きが止まる。そこへ殺到する浮遊した五本の槍。修人の背後、五つの方向から迫りくる槍に修人は完璧な対応をすることが出来ない。
「――づ……ッ!」
横へ跳ぶことでかろうじて回避するも、床を転がり視界を確保できない。バランスも何もなく、追撃を受ければ七本の槍に串刺しにされて終わりだろう。
迫りくる七本の槍。それらを視界の端に収めながら、しかし何もできない。
そこへ――
「アホが! 言わんこっちゃない!」
クリスが罵倒と共に飛び込んでいき、修人を抱えて離脱。ただ、槍の一本がクリスの肩を裂いてしまう。
「ぐぅぅぅううううううっ!」
本来ならば一秒せずとも再生するようなかすり傷だが、血が止まる気配がなかった。
「聖槍複製……相変わらず厄介だな」
オルガが持つ槍は、聖人の血を浴びたとされる伝説のロンギヌスの槍をモデルにしたものであり、最大級の浄化の力を持つかの槍の複製品のこれもまた、吸血鬼と戦うには最上のものといえよう。
元来吸血鬼とは夜の住人。太陽や十字架といった聖属性や浄化の力を持つ効果に弱い。
ロンギヌスの槍は、周知のとおり聖人の血を吸った真なる聖槍である。善なるモノの象徴の血を滴らせるそれは、当然吸血鬼にも有効な武器だ。
(傷の治りが……アレは本当にまずいな……)
思案するクリスは修人の襟首を左手に握っていることも忘れてここから逃げる算段を立てる。
そして、その一瞬の気のゆるみを、修人は逃さなかった。
「――――ッ!」
獣のように鋭く呼気を吐き、クリスの拘束を振り切ると、地面を這うようにしてオルガへと突進した。
「しま――っ」
クリスはもちろん、オルガすら予想していなかった奇行。修人はその間隙を逃さず、握った拳を打ち上げオルガの顎へと叩き込んだ。
「ァアアッ!」
「しゅうと、まじか……」
オルガが崩れ落ちるのを最後まで見ず、修人は下がってクリスに掴まった。
「頼む!」
「頼むじゃないわ! まったく! 帰ったら説教だぞ!」
「くそッ、待て!」
倒れ込んだオルガが立ち上がるも、遅い。
クリスは背中に蝙蝠の翼を広げると、天井を突き破って上空へと逃れ――そのまま風俗街から飛び去ってしまった。