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Starry Pandemonium  作者: 焼肉の歯車
第一編 灰色の胎動
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第四章 風鳴修人 2.交わる道、二人並んで。

 あの日からの修人の人生は、クリスのそれと似たものだった。


 まるで何もない不毛の土地を歩き続ける日々。どれほどの日常の中にいても、彼自身がその心を皆とは異なる錆びた世界に置いているから、普通の日常も平凡な毎日も当たり前の幸せもやってこない。

 彼は常に一人で、常に他の人とは違っていた。


 本当は彼らと同じ輪の中に入りたいくせに、その中に入ることは許されないからと常に蚊帳の外から悲しそうに見る。

 羨ましがることすら悪だと断じて、少年は自分を殺し続けた。


 その果てが、ここだった。

 一面は砂漠よりもなお酷い不毛の大地。

 水や木がないことは当然。その土一粒とっても、サラサラとした触り心地の良いものではなく、どこか腐ったような死んだ土だった。土が固まってできた岩は触れば崩れ落ちる。空に太陽は当然なく、だからといって美しい星空が広がっているわけでもない。

 灰色。雲が空の色を隠しており、太陽の輝きも月の明りも星の瞬きも何も届かない。されど暗黒に包まれているわけではなく、無限に続く灰色の世界は地平の彼方まで続いている。この世界に終わりはなく、風鳴修人はここの全てを歩き尽くさなければならないのだろう。


 吸血鬼の主従契約は、記憶の交換を経たのち、主たる吸血鬼の意識が従者の心の中へと向かい、その心象風景の中で行われる。

 つまりここは、風鳴修人という独りの少年の心象世界・深層心理そのものというわけだ。


 ただ、人の心とは一般的に俗で雑多でまとまりのないものであり。契約は地面も空もない、色もめちゃくちゃな空間で行われる。入れ替わり入れ替わりで様々な人間が現れ、契約する二人に茶々を入れることもある。人の心には必ず他者の存在があるはずなのだから、その心の中に――主観的とは言え――他人が現れるのは当然のことなのだ。そして、そんな滅茶苦茶な世界の中で、主と従者の二人は向かい合い、契約を結ぶかどうかを主が問い、従者が答えることで契約は完了する。


 だが、風鳴修人の心象世界は、常人のそれとは明らかに異なり、確かな形を持っていた。

 確かな形は持っていたが、しかし何かが存在するわけでもない。

 ここには本当に、何もなかった。なに一つとして存在していない。誰も現れない。あるのはただ、何も(はぐく)まぬ無為なる土のみ。


 不毛の土地。

 原初の殺人を犯したカインが追放されたノドの地とは、きっとこんな風に何もかもが死んだ灰色の世界だったのだろう。

 いいや、きっと死んだという表現すら間違っている。なぜならここには、最初から生きたものがいなかったのだから。何もない場所、何もない土地。誰も生きておらず、何も存在しない。


 風鳴修人は、そんな土地に自ら引きこもった。

 ここが、この世界こそが己がいるべき居場所だと。

 暖かな人のぬくもりも、騒々しい日常の喧騒も、優しい後輩の気遣いも、自分には過ぎたもので、受け取ってはいけないものだと。

 家族を殺した俺は、どんな希望も救いも幸せも存在しない、こんな殺風景こそが自分の居場所だと――そう思っている。


 クリスは何もない世界を歩き続けて、そしてようやくその後ろ姿を見つけた。

 目的地などどこにもないだろうに、ふらふらと幽鬼のように歩く修人。クリスはそんな彼が見ていられなくなって、必死に走って彼の背中に声を掛けた。

 だが、修人は聞こえていないように、ふらふら、ふらふらと不毛の大地を歩き続ける。

 きっと、ここは彼一人で完結していて、声を掛けられることを前提としていない世界なのだ。

 だから、クリスは必死に走って修人の背中に追いついた。


「しゅうと!」


 肩を掴み、振り向かせる。

 その顔を見て、クリスは何も言えなくなった。

 何も映していない空洞な瞳。希望も救いも赦しも幸せも何も、その何もかもを諦めた目だった。けれど、そのくせに目の端からは涙を流していて、灰色を映した涙はやっぱり虚無だ。


「クリスか」


 たったそう一言だけ告げると、修人は背を向けてまた独りで歩き出してしまった。


「待て、待てしゅうと! どこへ行く! まずは契約を……!」

「なんで」

「なんでって……このままではお前、死んでしまうんだぞッ! 私なんかを庇って、そのせいで、お前の人生が……!」

「俺の人生って……っ」


 クリスの必死な言葉を、修人はまるで嘲るかのように笑った。


「人生? 人生がどうしたんだ? 俺の人生が失われて何が困るんだ?」

「何が困るって……」

「クリス、お前は俺の記憶を見たんだろう? 俺が家族にしたことを。俺を救ってくれたユキ姉を見殺しにして、俺が守らなきゃいけない弟と妹の全員を殺した」

「でもそれは、仕方のないことで……」

「関係ないだろ、そんなこと。俺は家族の首をハサミで刺して殺した。殺すことができた」


 修人は疲れたように笑うと、近くにあった岩の上に腰かけた。灰色で不毛な空は黙して動かず、じっと二人を見下ろしている。


「人を殺せる人間と殺せない人間の間には、絶対的な差があると思う。殺せる人間は、生きてちゃだめだ。死んだ方がいい。生きる価値はないし、そんな人間である以上生きることは世界にとって迷惑だ」

「でも、今まで生きてきたじゃないか……」

「そうだな。だって、死んだら逃げだ。自分が犯した罪から逃げているだけだ。死で贖えるほど……俺みたいな塵屑(ごみくず)の命ひとつで釣り合えるほど、あの子たちの命は軽くない……」

「そんなことは、な、い……」

「クリスだって本当は気付いてる。俺が生きる価値のない塵屑だって。今ここでお前が俺を生かしたところで、クリスにとっていいことなんて一つもない。だから、俺は死ぬよ。死ぬことは甘えだけど、生にしがみ付くことは許されない贅沢だからな」

「でも、でも……ッ。お前は、しゅうとは私を助けてくれたじゃないかッ! 自分よりも強いオルガに無謀にも突進するし、死ぬのが怖いクセに逃げろと言ったり、追う必要もない事件を追ったり、何より、身を挺して私を守ってくれただろう! そんなしゅうとが、なぜ生きてはいけない! お前は人のために動ける人間だろッッっ!」

「違うよ。俺はきっとそんなに綺麗な人間じゃない。だって――」


 そうしてようやく、修人はクリスを見た。真正面から、きちんと、見たのだ。


「俺はな、心のどこかで見返りを求めてる。人を救うことで、いつか自分が赦される日が来ることを期待している。俺はな、あれほどのことをしておいて救われたいと思ってる、醜くて気持ちの悪い異常者なんだ。――だから、クリス。こんな意味のない命を早く終わらせてくれ」

「――――――――っッ!」



 ぱしん、と。

 震えた手のひらが空虚な涙を流す風鳴修人の頬を叩いた。



「いい加減にしろ! 黙れ、黙れ黙れ黙れ黙れ! 何が、何が塵屑だ! 何が価値のない命だ! 醜いだと? 気持ち悪いだと? ――ふざけるなッッ!」


 力なく全部を諦めたように笑う修人の胸ぐらを掴んで、地面に叩き付けた。


「いいか、よく聞け風鳴修人!」

「……なに、を……」

「正直に言ってやる! お前は人殺しだ! 人を殺せる人間だ! きっと他の人間とはどこかがずれていて、けれどそれは生まれた時から持っている性質でお前にはもうどうにもできない! 治せない! お前がどれだけそれに苦しめられていても、その在り方は歪められない!」

「……っ」

「そして、実際にお前は人を殺した! 家族を、その手で何人も殺した! 大切な人たちを、その手に掛けた! この事実は揺るがない! 何に甘えようとも変えられない事実だ! そうだ、お前の言う通りだ! 甘い言葉なんか吐かない! 何度でも言う! しゅうとは確かに、紛れもなく人殺しだ!」

「そうだろ」

「ああ! だがな!」


 そこでクリスはぐっと顔を修人に近付けて、そのルビー色の瞳で彼の空虚な瞳を真っ直ぐ見つめた。



「それでも、どんな罪を犯していても! 赦されない人間なんていないんだッッ!」



 そんな言葉を、いつの間にか吐いていた。



「いいか、よく聞けッッ! どれだけの罪を重ねていて、絶対に赦されないような業を背負っていようと、それは人が幸せを求めてはいけない理由にはならない! 救いを求めることは悪なんかじゃない! 良いんだ、良いんだよ! 良いに決まってる! だって、私たちはまだ生きてる! 生きてるんだ! 今こうして、みっともなく足掻いて、馬鹿みたいに泣きながら、それでも生きてる!」



 ――どうしてだろう?



「いいか、諦めることは簡単だ! 赦されない罪を犯したと自分を責めて、責任だ償いだ贖いだと心の中で叫びながら何もない砂漠の上を独りで歩き続けることはな、簡単なんだよッ! そんなの誰にだってできる甘えだっっ!」



 ――私は、しゅうとを救いたいはずなのに。



「だけどな、それは諦めてるだけなんだよ! 罪を償うことを諦めてるだけだ! 死んでも償えない罪なら、生きて生きて生きて生きて生きて……自分を赦せるくらいに走って足掻いてみせろ! 千年でも二千年でも生きて、そして全部の罪を清算して! そして最後の最後に笑えばいいだろうがッッッ!」



 ――なんで私が、こんなに泣いてるの?



「救われない人間なんていない! 赦されない人間なんていない! 幸せを求めることは、罪じゃない! 醜くない! 汚くない! 間違ってなんか、絶対にないっっッッッ!」



 ――ねえ、どうして私の心のもやもやが、こんな風に晴れていくの?



「クリス、違うよ……他の人は、そうでも、でも……俺には、おれ、には……幸せを求める権利なんて、ないんだ……ない、に決まってるんだ……」



 ――あ、そっか。




「ばかっッ! 幸せになるのに、権利なんて必要ないッッッ!」




 ――わたし、やっとわかったんだ。



「いつかしゅうとが言ってくれただろう?」



――たとえ償えないような罪だったとしても。



「しゅうと、私たちは幸せになっていいんだ。私たちだって、普通の幸せを知ってもいいんだよ」



 ――必死に頑張って、その先にある幸せを求めることは、悪いことじゃない。



「だから」



 ――私たちは同じだった。



「――――一緒に、歩こう。

今は何もないこの世界を、優しい陽だまりに変えていこう。

 二人で、幸せになるんだ」



 ――人を殺して、自分を赦せなくて、幸せから逃げていただけの臆病者だ。



「しゅうと、聞かせてくれ」



 ――それは今も変わらない。



「お前はどうしたい?」



 ――私もしゅうとも、幸せに手を伸ばすことは今でも怖い。



「お前は、ずっとこのまま逃げ続けて、そして意味のない人生を過ごすだけで満足なのか? それとも――」



 ――足掻いた先に赦しも救いも幸せも何も無かったらと思うと、怖くて震えてしまう。



「頑張って、踏ん張って……最後に幸せになりたいのか?」



 ――なあ、しゅうとはどう思ってるのか知らないけど。



「答えろ。今ここで、この瞬間、お前の想いを私にぶつけてみろ」



 ――私は怖いよ。



「もしも、もしも幸せになりたいなら――――」



 ――だから。



「二人で旅に出よう。

 長い永い、自分たちを好きになるための旅に。

 最後に、二人で赦されて、二人で救い合って、そして二人で普通の幸せを手に入れる旅に」



 ――しゅうと、私をたすけてくれ。


 ――私も、お前を、たすけるから。






 ――簡単な話だった。



「俺は――――」



 ――今は自分を赦せないのかもしれない。



 けれど――――



「その大嫌いな自分を認めた先で、またみんなと笑い合える日が来るなら」



 普通の日常、平凡な毎日、当たり前の幸せ。

 届かない光だと思っていた。



「こんな自分を、いつか大好きになってみせるよ。好きになろうと頑張ってみる。

 クリス、俺を……生かしてくれ。

 そして俺と一緒に歩いてくれ。

 いつか二人で、みんなの輪の中に入るために」



 ――だから今は、まだ蚊帳の外で、この不毛の大地で抗い続けよう。

 ――いつかここを、光と緑と水でいっぱいの世界にするために。


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