第三章 眷属 3.太陽の奴隷
雪を孕んだ冬の夜風がクリスの頬を撫でた。
ここから見える夜景は特別綺麗なわけではなかったが、それでも数多の人の無意識が作り出す芸術は、ある種の感慨を胸に残す。
「こそこそと隠れていないで、出てきたらどうだ? 若造」
その冬の風よりもなお鋭く冷たい声が、背後の闇へと放たれた。敵意と殺意に塗れた声。
対して、闇の奥から現れた金髪の神父は皮肉気に口の端を歪めて笑った。
「ばれていたか。久しぶりだな、クリスティア=アイアンメイデン」
「六ヶ月前に死んでいたかと思っていたがな、アザゼルの使い手、ヴィロス・アスカスィバル」
「ふふ、私のことを覚えていたか」
「お前のような執念深いストーカーは珍しいからな。悠久種であろうと長命種であろうと人間であろうと、凡人ならば私の有用性に気付いたところで、敵わないと理解すれば離れていく」
「だろうな。私ほど君に執着した者はいない。私の秘蔵の部屋を見るか?」
「見た瞬間に吐き気で頭がおかしくなる予感しかしないし、遠慮しておこう」
静かで、それでいて深い亀裂が両者を包む空間に刻まれていく。
「――今の世界を地動説が支配していると仮定した上で、私を動力源にした太陽を作る……それがお前の目的だったかな? 『太陽の奴隷』さん」
太陽の奴隷――いわゆる太陽信仰の狂信者のことである。
太陽信仰とは、かつてあの空にあった太陽の輝きを忘れられぬ長命種や、あるいは吸血鬼、そして太陽を知らずとも文献などで太陽を知り強く憧れた者達が作り出した、太陽を信奉する宗教だ。百年前に生まれ、徐々にその勢力を拡大している彼らだが、一般的には害のない宗教と認知されている。
だが、『太陽の奴隷』と呼ばれる者達は、その異常なまでの太陽への信仰の深さ故に、過激な方法で太陽を空に戻そうとする。どの宗教にも存在する過激派と呼ばれるものだと言えば分かりやすいだろうか。
「良い案だ、若造。たった三百年で悪魔使役を使いこなすだけはある。頭は良いらしい。まあ、私を使わない方法は思いつかなかったらしいし、そうだな、八十点だ」
「ほう、なかなかに良い評価だ」
「それはそうさ。こうまで見事にしゅうとやオルガを騙しおおせたのだから。学校に行けと言ったのはあいつを教会へと向かわせるためだろう? あのタイミングで学校に情報が入って来るのは都合が良すぎる。あらかじめ流しておいた本当の情報を『噂』として流し、その注意を教会へと向けたのは素直に上手いと褒めておこう。そして、おおかた、オルガに関しても同じ手法を取ったのだろう?」
「ああ。しかしまさか真祖に褒められるとは、この身に余る光栄だ」
「加えて、私がしゅうとを教会へ向かわせ、今のような一対一の状況を生むことも計算に入れていたわけだ。お前の狙いが分かっていても、操られざるを得なかったのは本当に忌々しかったよ」
「君は少しあの少年に肩入れしていたようだからな。彼のためならば辛酸をなめることも辞さないと信じていた」
「そうか。ただまあ、私も解せないがな。お前ほどの吸血鬼が、どうしてただの人間であるしゅうとを恐れる?」
「知れたこと。ただの身で〝十一尖兵〟の顔に拳を叩き込める人間を恐れずしてどうする。そうした異常者は、往々にして私のような悪を駆逐する」
神父は不敵に笑うと、右手を顔の辺りに持っていき、まるでベールか何かを脱ぐように動かした。
瞬間、金髪の神父はその容姿を変えていた。藍色の長髪と高身長。緑色の瞳と、口から伸びる長く鋭い牙。整った容姿もまた吸血鬼らしい。ただし、その瞳の奥にある輝きだけは吸血鬼のそれではなく、むしろ英雄やヒーロー、主人公のそれのようにも見えた。
「やはり六ヶ月前のあの炎の街で私を追いかけていたストーカー野郎か」
「ああ、そうだ。もう一度名乗っておこう。ヴィロス・アスカスィバル、というのが私の名だ。二つ名などは何もない、ただの太陽の奴隷だ。あの日から六ヶ月――否、君の存在を知った日から数十年、執念深くここまで追いかけてきたぞ。下位吸血鬼の真似事をし、わざわざ教会の神父にまで成りすまし……」
そして今、『事件』を使って〝十一尖兵〟と『異常者』をクリスから引き離し、千載一遇の機会を得た。
「その無限の魔力、使わせてもらう。第二種永久機関を応用した人工太陽の外枠の理論は魔術のみで成り立つ。が、動力源にはどうしても君の無限の魔力が……その血が必要でね。悪いが捕らえさせてもらおう!」
「――やってみろ」
瞬間、爆発するようにクリスの殺気が膨れ上がった。
そしてそれに呼応するようにして、藍色の吸血鬼もまた邪悪に笑う。
「悪魔と私の経路を繋げ――――接続、〝アザゼル〟」
ヴィロスのカキャソックの上に、さらにぶかぶかのコートが空気から融けるように被せられた。
それまでの聖職者としての面影はどこにもない。フェルミン神父に化けていた吸血鬼は、その皮を破り捨て『太陽の奴隷』ヴィロス・アスカスィバルとしてここに立つ。
「祀り上げさせてもらうぞ、真祖」
悪魔使役――それは吸血鬼だけが使用できる彼ら固有の魔術体系である。
近代西洋儀式魔術に代表されるように、魔術において悪魔との契約や天使との会話、神との交信は特別な意味を持つと同時に、古くから存在する基本中の基本の概念である。
例えば前旧教における祈りは神へ自らの救済を求める交信の一つであるし、日本神道における神楽は『舞』によって神を社へと降臨させる意味を持つ。ファウスト博士は悪魔メフィストフェレスと契約しているし、反前旧教主義で知られるクロウリーの著作『法の書』も聖守護天使アイワスの声によって伝えられたとされている。その他、受胎告知やイタコの神懸かり、あるいは古今東西の英雄譚に登場する神から与えられる神具や聖遺物、神器宝剣宝具など――上位存在との関わりは基本かつ重要な概念だ。
ただ、吸血鬼におけるそれは人類や長命種が扱うそれとは一線を画す。
例えば現代の魔術師は霊界に存在する精霊と契約することでその力を借り、四元素や五行には存在しない属性の魔術を扱うことがある。ただこれにしても、扱えるのは精霊の持つ属性だけで、その力の全てまでは扱えない。
それはどの種族も同じであり、無理に扱おうとすれば、彼ら上位存在の意志や個我によって自我を塗り潰され、ただ力を振るうだけの化け物になってしまう。
だが、吸血鬼と悪魔とは概念的に近い存在だ。共に悠久種であり、神の敵として作られた存在。故に吸血鬼は悪魔との親和性が高く、交信も容易だ。例として、雷属性の魔術を発動する時、彼らは雷の精霊ではなく悪魔から概念を抽出することが多い。
さらに繰り返すが、吸血鬼の血液は無尽蔵の魔力を持っており、それ故に封印の媒体として非常に優秀である。神霊や幻獣、天使を取り込めば死に至ることもあるが、存在的に近い悪魔ならば話は別だ。
身体が拒否反応を起こさないというだけではない。悪魔は強力な個我を持つ膨大な力の塊――即ちスピリット――であるが、しかしてその邪性は吸血鬼と非常によく似ている。血を啜り生きる吸血鬼と、人の心の悪を吸って私腹を肥やす悪魔。吸血鬼はそんな悪魔と契約した後、心の中でその悪魔と決闘をし、勝つことで悪魔の力を自由自在に扱えるのだ。
これは悪魔と吸血鬼の存在の在り方が似ているという理由の他にも、吸血鬼が持つ固有の概念――つまり、『吸血』『吸収』『搾取』『強奪』という特性を使用して悪魔の力を無理やり引き出しているわけだ。
「ちっ……暗器使い。相変わらずウザったい力だな……ッ」
そして、ヴィロス・アスカスィバルという男が扱う悪魔とはアザゼル。
アザゼルは元々、大天使と呼ばれる強大な力を持った天使であったが、人々に剣や盾などの武具を与え、人間の女と交わったことで堕天した大悪魔である。
ヴィロスは人に武具を与えたというその逸話を応用し、自らの血を無数の暗器にする魔術を扱う吸血鬼だ。
ぶかぶかの服の奥――濃密な闇のさらに奥にあるヴィロスの腕から無数の血色の刀剣が溢れ出してくる。
対するクリスは飛び道具の可能性も考え、距離を取らず常に自らの拳の間合い――つまりヴィロスの懐――にその身を置き、拳を振るう。
右方から迫るボレーキックを、アメンボが如く地を這うようにして大袈裟に躱す。直後、ヴィロスの太ももから脛に掛かる場所から血色の刀剣が溢れ出す。髪が数本裂かれて宙を舞ったが、脚との距離を十分空けた回避ゆえに大事には至らない。
姿勢が低くバランスの悪い態勢のクリスだが、右足で力の限り床を蹴りつけ破壊し足を埋めることで無理やり制動を掛け――静止。拳を力の限り握ると、腰を大きくひねってアッパーカットを繰り出した。
だが、そのアッパーを受けるつもりは藍色の吸血鬼にはない。ぶかぶかのコートを着た男の左手が真っ直ぐクリスを向いている。
直後、暗器が爆発するように溢れ出す。
左半身がズタズタに引き裂かれ、蜂の巣になった腕が宙を舞う。だが――
「ははッ、良い判断だな。私でなければ動きが止まっていただろうよ」
吸血鬼は不死身である。そしてクリスほどに痛みに慣れた個体ならば、腕が飛んだ程度で攻撃の手を休めるような愚は犯さない。
幼女の容姿からは想像できないほどの膂力でもってヴィロス・アスカスィバルの顎を打ち据えた。
藍色の吸血鬼は派手に宙を舞い、数秒してから地面に落ちる。
「はんッ。確かにその歳で悪魔使役を自在に使うその技量や才能、そして努力は褒めてやろう。だが相手が悪かったな。お前程度の上位吸血鬼ならば飽きるほど殺してきた」
「ふ、ふふ……三百年生きてなお若輩扱いされるとは……やはり吸血鬼とは謎だよ」
クリスの左肩の切断面の辺りで血と肉が渦を巻き、その身体が二秒と経たず再生した。
「まったく……君は本当に化け物だな」
「よく言われる」
クリスの再生がほんの一瞬で終わった事実に対して、ヴィロスの再生は遅い。顎を殴られた衝撃は未だ残っており、口から垂れる血が止まる気配はない。
これは、吸血鬼の格の違いから起こる現象だ。
シンソと呼ばれる四柱の吸血鬼の一撃は、格下の数多の吸血鬼にとっては神具や聖の属性を帯びた聖遺物の一撃と変わらず、その再生力を阻害する力を持つ。
とはいえ、後者が属性や神性に依存した再生阻害であるのに対し、前者は吸血鬼の細胞やDNAに刻み込まれた種としての本能や機能のような部分に依存している。
真祖たる少女はその優位性をふんだんに発揮し、倒れ伏すヴィロスの前まで来ると、その左肩を踏み潰した。比喩ではない。トマトのように血と肉が飛び散り、返り血がクリスにかかる。
「ぎ……ッ、ぃ、ガ……ぅっ!」
「すまんな。別にいたぶる趣味があるわけじゃない。が、こうでもせんとまた戦闘が始まってしまう。その前にお前の話が聞きたかった」
「なん、だと……」
「先の人工太陽の話だ。お前は外枠に関しては魔術の域で何とかなると言ったな。そこで一つ聞きたい。その外枠……材料は何だ?」
「まさか協力してくれるのか……? 己がただの動力源となると分かっていながら?」
「答え如何によっては」
「そう、か……だが、まあ、それは叶わないだろう」
「どうしてだ?」
「知れたこと。外枠の材料は、人間の肉だからだ。最悪でも十万人……これほどの犠牲を、君が許容するはずもあるまい」
「そうだな。さすがにそれほどの犠牲は見過ごせん。お前には悪いが、ここで死んでもらおう。悪を成して、そうして……その末に守れる人がいるならな……」
最後に付け足した言葉は、おそらくヴィロスではなく己に向けた言葉だったのだろう。
クリスは泣きそうな瞳をぐっとこらえ、そして右腕を掲げた。鍵爪のように指を折り曲げ、その狙いを脳に定める。
そして、腕を振り下ろし絶命させようとしたその直前。
こんな言葉を聞いた。
「だがな……だからと言って、私があの輝きを諦める理由にはならない! 私はあの輝きを、恩恵を、恵みを、この世界の人々に届けなければならないのだッッッ!」
それまでの落ち着いた態度を壊して、男は自らの心を叫び上げた。
「――『彩・喰』――」
それは、吸血鬼の最終奥義を告げる祝詞であった。
自らの心象世界・深層心理の発露。
自らの体を、心に存在するその絶対法則によって『彩り喰う』概念。
ここに、太陽を信奉した狂信者が――
「――――『陽光よ、夜の大地へ差し給え』――――」
否、否、否である。
ここに新生するは『太陽の奴隷』などという衆愚にあらず。
其は導き手。
太陽の光を、輝きを、恵みを、豊穣を、美を、感動を。
彼の概念のあらゆる恩恵を知る者の、唯一無二、絶対無比の慈悲である。
この世の全ての人間に太陽の恵みを与えよう。あの身を包むようなぬくもりを教えよう。この澱み濁った夜の世界を駆逐し、黄金の輝きに包まれたあの世界をもう一度作り直してみせよう。太陽が隠れてしまったのならば作ればいい。私がその導き手だ。伝道師だ。今ここにあるような、偽りの日光など不要。あのような紛い物、唾棄すべき邪悪であるが故。
光を、光を、光を。
陽よ、陽よ、陽よ。
太陽の恵みをどうか、今ここで生きる哀れな子羊たちにもお与えください。太陽の愛を知らぬ、今ここで生きる子供たちを、その輝きとぬくもりで包んでくださいませ。
永遠の夜(この世界)はとても冷たく、寒く寂しく息苦しい。偽りの光で街を照らそうと、空はいつだって黒いまま。
あの澄み渡るような青い空を。
夏の日に見た白く大きな雲を。
天から降り注ぐ金色の日光を。
もう一度、この世界にお恵みください。
この身は――ヴィロス・アスカスィバルというこの存在は、そのためだけの機械。
太陽の輝きを導くための奴隷なり。
故にそう――私が発現するは太陽の恩恵。
「――まだ、だ……。諦めない。私は諦めない! 何があろうと諦めない! 悪と罵られようと、十万人を犠牲にしようと、たとえこの身が擦り切れ粉になろうと、数多の挫折に心を拉げられようと! 私は! 永遠に! その彼らにこそ、光あれと叫び続けようッッ! 太陽の輝きは不滅なり! ここにヴィロス・アスカスィバルある限り、陽は沈まないッッッ!」
全身の至る所から、黄金の炎が立ち昇る。
「お前……まさかその域にまで……ッ!?」
ゆらりと立ち昇った黄金炎は、次の瞬間、爆発した。
「――――ッ!?」
声にならぬ絶叫があった。しかしそれすらも、太陽フレアの爆音に掻き消された。
小さな真祖の身体は一気に数百メートルも吹っ飛ばされる。
「今こそ世界に教えよう! 暗く冷えた世界をこそ、太陽は照らすべきである! ぬくもりを知らぬ彼らにこそ、慈悲と救いと感動が与えられるべきであると! さあ来るが良い真祖よッッ! お前が私の最後の試練だ! 私の本気、全身全霊を懸けた魂の炎を暗器に込めて、今こそ下剋上を成そうッッッ! 此れは英雄譚にあらずッッ! 我が願いを叶えるため、自儘に悪を振り翳さんッッッ!」
「クソが……ッ! これだから|描画師(変態)どもは……ッ。突然ハイになりやがって……ッッ!」
数百メートル吹き飛ばされ戦線を離脱したかに見えたクリスだが――彼女にとってはこの程度の距離、目と鼻の先だ。
膝を折り曲げ足に力を込める。鋭く呼気を吐くと、大気を蹴り抜いてロケットのようにヴィロスへと突進した。
(奴は太陽の輝きがどうとか言っていた。しかもただの太陽の炎ではない。あの狂信者の信仰を一身に受けた神性の高い炎……私たち吸血鬼を殺すに足る最悪の兵器だッ!)
クリスは風を切って爆進しながら、冷静に戦況を把握する。
ヴィロスを中心に起こった爆発は既に収まっており、今は身体の節々にまとわりつくにとどまっている。ただし、その炎は吸血鬼である彼自身をも焼いていた。しかしそれすら彼にとっては祝福なのだろう。身を焦がす黄金の炎に、太陽の伝道師は酔いしれる。
彩喰は吸血鬼の血を媒体に深層心理を具現化する力であるため、外界に及ぼす影響というのは非常に小さい。先の爆発はおそらく発動による反動のようなものであり、例外と考えて良いだろう。
ならば問題は殴る箇所があるかどうかだが――
(あるに決まっている! 奴は吸血鬼、全身を炎で覆い、自身の彩喰で死ぬという間抜けはあの狂信者でも起こさないはず。ならば接近戦で隙を作って殴り殺す!)
魔術を使えずとも、真祖故の凄まじい膂力と千年の経験によって培われた戦闘勘は十分な武器となる。
クリスは数百メートルの距離を音速を超えて一気に詰めると、ヴィロスの懐に着弾した。
「死ね、太陽の奴隷ッ!」
全体重を乗せた左ストレートをヴィロス・アスカスィバルの鳩尾へと叩き込む。
爆撃のような轟音が鳴り響き――しかし。
「ガァ、ァぁ、ァアァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!?」
苦悶の絶叫を上げたのはクリスであった。金髪の幼女は黒く炭化した左手を右手で抑えてたたらを踏むと、キッと金色の吸血鬼を睨んだ。
「きさ、ま……ァッ」
見れば、クリスが殴りつけたヴィロスの水月――そこに、黄金の腹当てが装着されていた。
これは防具ではない。太陽の炎で造られた装備を付けたところで、自らの身を痛めるだけ。故にこれは一撃限りのカウンターだ。わざとがら空きにした腹へと拳を誘い込む。そこへ陽炎の盾を置くことでクリスの拳を焼いた――今の一連の流れは、全てヴィロスによって仕組まれた策の上だった。
「私も全力だ。なりふり構えないのだよ! さあ、これで終わりだぁアッ!」
「ぐ……ッ!」
激痛故に動けなくなったクリスへ、太陽の炎を纏った無数の刀剣を差し向ける。
ヴィロス・アスカスィバルの彩喰『陽光よ、夜の大地を差し給え(ソリース・ア・ステルラ・イネランス)』とは、自らの血液を恩恵と慈悲と熱と輝きと神性で構成された太陽の黄金炎へと変えてしまう破格の彩喰だ。
故に。
自らの血を刀剣へと変えていたアザゼルの力を用いた悪魔使役の暗器術もまた、その様相を大きく変えた。
暗器は、太陽の炎そのもので造られている。
故に、たとえ真祖たるクリスであろうと、この刀剣の雨を浴びれば致命傷は避けられない。
(死、ぬ……ッ)
死を覚悟したその瞬間。
「クリスッッ!」
そんな誰かの声を聞いて、そして。
血と焦げた肉が、クリスの顔にかかった。
「ぁ……」
「は、はは……間に、あ、った…………っ」
全身を黄金の暗器で貫かれた風鳴修人が、悲しそうに笑っていた。
☆ ☆ ☆
修人とオルガが教会を出てマンションの前まで辿り着いた時、その屋上で凄まじい光が爆発したのを目撃した。
クリスを狙う吸血鬼の目的をオルガから簡単に伝えられた修人は、その光がクリスを狙うものだと直感的に理解すると、オルガの静止も聞かずに屋上へとひた走った。
そして。
屋上に出て、激痛に蹲る少女の姿を見た。
そこから先は何も覚えていない。
「何してんだテメエッッッ!」
そんな自分の声を他人ごとのように聞いて、気付けばクリスを庇うように無数の黄金の刀剣の前に自らの体を差し出していた。
無数の黄金の陽剣が体を貫き、激痛がスパークした。やがて激痛は許容限界を超え、身体から感覚が消える。
ただ、ぼやけた視界の中に呆然と目を見開くクリスの顔が見えて、
「は、はは……間に、あ、った…………っ」
何とか守ることが出来たという安心感と、
これで人生が終わるという寂寥感で、悲しげな笑いが漏れた。
「間に合ったか……」
「しゅうとッッっ!」
背後の吸血鬼の感嘆の声を、泣きそうな声が掻き消した。地面に倒れそうになった体を直前で抱き止められる。
「な、なぜだ……なぜ、こんなこと……こんな、こんな下らない事をした!」
「……おこ、ってるの、か……?」
「怒っている! ああ、怒っている……! 下らない事をしおって! 何故だ、なぜ……私などの命よりも、お前の人生の方が大切に決まっているのに、どうしてこんなことを……ッ」
「分から、ないよ……体が、勝手に動いたんだ……」
ぽとり、ぽとりと修人の頬に何か冷たい物が当たる感触があった。それが、クリスが流す涙だと、修人は気付くことが出来ない。
「……でも、ごめん……ここで、俺は終わりだ……これ以上は、守れない……だから、クリス、にげて、く。れ……」
「ぁ……やめろ。死ぬな、死ぬな死ぬな、死ぬなぁあ!」
クリスの懇願は修人には届かない。ゆっくりと体温は低下していき、息も浅くなっていく。
喋らなくなった修人を見下ろして。クリスはぽつりと漏らした。
「みと、めない……」
それは、何百年ぶりのわがままだったのだろう。
「しゅうとが、死ぬことなんて、認めたくない……!」
そのセリフは、自然と口から漏れていた。
無意識の内に、この運命を拒絶していた。
だから。
少女は、鋭く尖った吸血鬼の牙で修人の首筋を噛んだ。
修人の血を吸い、そして自らの血を与える。
記憶と記憶を、交換する。
それは、吸血鬼の眷属を生み出す契約の始まりだった。
☆ ☆ ☆
「この場で眷属の契約か……愚かだな」
眷属の契約の際、主人と従者は相手の記憶の夢を見る。故に、当然、両者は眠った状態となり、無防備を晒すこととなる。
「それを忘れるほど取り乱すとは。それほどまでにこの少年が大切だったか……」
ヴィロスは一本の黄金炎の剣を生み出すと、その切っ先を修人とクリスへ向けた。
「だが、悪いな。ここで終わらせてもらう。私は光を世界に届けなければならない。さようなら、勇敢な少年と優しき少女よ」
そうして、剣を振り下ろした。
その、直後だった。
「――聖槍複製」
五本の聖槍が多方向からヴィロスを奇襲した。
陽炎を発する吸血鬼は背後から迫る聖槍を無数の暗器で燃やし潰し、そのまま後方へ逃れる。
「どこを見ている、こっちだぞ!」
「――――ッ」
背後から聞こえた声に即座に反応。腕を大きく回して暗器を叩き付けた。
だが――
その全てが、たった二本の槍によっていなされた。
暗器の嵐の中心に、しかして無傷のまま〝十一尖兵〟は立つ。
「久しぶりだな、ヴィロス・アスカスィバル。あの頃と変わらずストーカーはそのままか」
「オルガ=ディソルバートか。懐かしい」
「君たちにとってはたかが六ヶ月だろう? 僕に合わせる必要はない」
至近から睨み合い、無数に存在する黄金の刀剣越しに至近から睨み合う吸血鬼と尖兵。
互いに殺気をぶつけ合いながら数秒様子を窺っていると、オルガは不意に口を開いた。
「総聖堂〝十一尖兵〟が序列第五位、『聖槍の尖兵』の名を持つオルガ=ディソルバートだ。彼女たちを殺させはしない。契約が完了するまで君には黙っていてもらうよ、『太陽の奴隷』」
「ふん、ではまず君からだ、聖槍の尖兵よ。君を倒して、そして今度こそ太陽を手に入れてみせよう。君は私の悪の前に砕けるがいい!」
暗器と聖槍が弾かれ合い、二人の距離が開いて行く。
少女も少年も知らないまま、ここに新たな戦端が開かれた。




