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Starry Pandemonium  作者: 焼肉の歯車
第一編 灰色の胎動
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第三章 眷属 2.教会の裏側

 午後の授業もホームルームも終わり帰りの支度をしていると白奈がやって来て一緒に帰らないかと提案されたが、またも脛を攻撃された修人は用事があると言って断った。


「そうですか。ではまたの機会に。さようなら、先輩。また明日」

「うん、じゃあ。明日も来れたら来るよ」

「学校は普通来るものです」


 白奈のジト目を適当に流して誤魔化すと、彼女は少し怒ったように頬を膨らませて帰って行った。

 しばらくしてから修人も帰り支度を終わらせると、自転車に乗って行きに来た道を引き返していく。

 道中他愛もない話をしていると気が付けばマンションの前に着いていた。

 部屋に戻ってカバンを置くと、財布と鍵を持って再び玄関へと向かった。


「どうした? 買い物か?」

「まあな。パンが切れたからコンビニまで行ってくる」

「そうか。もう夕方だから寄り道せずにまっすぐ帰って来るんだぞ。ランプが消える前にな。……また面倒に巻き込まれたら私が殺すからな。覚悟しろ」

「お、おお……」


 修人は冷や汗を流しながら「行ってきます」と言って玄関を出た。


☆ ☆ ☆


 コンビニへ行くには、修人の家から出て南へ行けば歩いて五分もせずにつく。彼は一度そちらを眺めると、ひとつ深呼吸をして体の向きを変え、反対方向へと向かった。

 北――即ち教会へと。


 結局、修人はクリスの言いつけを守る気はなかった。

 雪はまだやんでおらず、ランプの光は天気に合わせてその光量を抑えている。時刻は四時半だが、既に夜の足音が背後から迫ってきていた。

 薄暗い街には人ひとり歩いていない。一連の事件もあり、夕方以降に外を出歩かないようにしているのだろう。電気も点いている宅とそうでない宅で(まば)らであり、声すら潜めているのか、音一つ耳に届いてこない。


 これではまるでゴーストタウンだ。街が死んだように静まり返っており、吸血事件が確かに人々の生活と心を圧迫していることが分かる。

 一歩一歩足を動かすごとに街は暗くなっていく。音一つ存在しない世界の中、風鳴修人の足音だけがコツコツと響き渡っていた。反響して、遠くにいるあの吸血鬼にまで届かないか不安で仕方がない。


「――――……っ」


 一滴の冷たい汗が首筋から肩甲骨を伝って腰へと落ちる。

 一歩、一歩と……教会へ近づくたびに心臓の鼓動が速くなっていき、無意識に呼吸が浅くなっていった。

 坂道の街灯は昨日と同じく――否、もはや光を失ったものが増えていた。闇はより一層濃く深くなっており、一寸先も見通せない。

 もはや疑似日光を放つランプは機能していない。道路や壁や電柱に埋め込まれたもの、ふよふよと宙を浮くもの……その全てが死んだように光を失い、黙っている。

 あるいは、わざわざ教会へと向かう修人を、ばれないようにヒソヒソと嘲笑っているようにも見えた。


(学校ではああ言ったけど……)


 歩く速度が、目的地に近付くにつれて少しずつ、少しずつ遅くなっていく。


(教会の近くで事件が起きていたことは変わらないんだ……。それに……)


 コツ、コツ、コツ。

 坂を進んで行き、とうとう交差点に着いた。が、彼は右へ曲がらず真っ直ぐ進む。

 そうして少し歩くと、ある場所で止まった。


 ――――昨夜、修人が吸血の現場を目撃した場所だ。


 そして、そこには。

 何も、無かった。


「――――っ」


 鋭く息を吸い、しかし声を上げることだけは避ける。


(な、い……血痕も、肉片も、骨の欠片も、なにも……でも……)


 修人は鼻を抑え、恐怖と嫌悪が一緒くたになった表情で現場を見下ろした。


(臭い……血の臭いは、消えてない……昨日のあれは、夢じゃ、)



 ざし。



「――――ッ!?」


 何か、地面を擦るような音が修人の耳に届いた。

 心臓が裏返るような驚愕と共に反射的に振り返ると――


(いな、い……)


 あるのは、濃密な闇だけ。

 ただ、その闇の奥から何者かが見ているような気がする。

 まるで餌を見定めるような視線を向けられている気がする。

 今すぐにでも闇の向こうから牙を持った鬼が襲い掛かりそうな気がする。

 気がする、気がする、気がする、気がする。気がする。気がする気がする気がする気がする気がする気がする気がする気がする気がする気がする気がする気がする気がする気がする。


(ううぅ……っ!)


 ドクドクと早鐘を心臓の音で頭が埋め尽くされているような錯覚に陥っていく。吐き気が込み上げ、今すぐにでも帰りたい衝動に駆られる。

 だがその恐怖を押し殺して、修人は足を教会へと向けた。


 ――俺がやらなきゃ、一体誰がやるんだ。

 ――今こうして街は恐怖で包まれている。だったら俺がみんなを守らないと。

 ――それに、この命は最初から、そのために使わなければならない『物』なのだから。


 交差点を左に曲がり、教会へ続く急な傾斜をゆっくりと上っていく。正面に見える聖堂が少しずつ大きくなっていき、やがて扉の前に辿り着いた。

 扉の隙間から光が漏れている気配もないため、神父が留守の可能性もある。ただその場合この聖堂も鍵がかかっている可能性があるが……

 しかし、扉を押すとあっけなく開いてしまった。


(……よし)


 小さく気合を入れ、中へ踏み込む。

 予想通り電気は点いておらず、指導の中は真っ暗だ。上方の窓から差し込む月明りだけが光源であり、ここもまた先の道と同じく一寸先は闇である。

 数多く並ぶ長椅子に手を当てて頼りない足取りで通路を進んで行く。祭壇の直前まで来ると、十字架を見上げて静かに息を呑む。壁に打ち付けられた巨大な十字架は、本来ならば信仰を集める光の象徴であるはずだが、今は不気味で(おぞ)ましい処刑道具にしか思えない。


 纏わりつく怖気を振り払うようにさっと視線を切ると、祭壇に沿って左へ向かう。

 祭壇の左端、その近くに扉があった。

 司祭や助祭がミサ前に準備をする空間であり、先日修人が通された個室以外にも、教会に必要な道具などを置いている物置なども存在する。

 ゆっくりと扉を開け、中に入る。


(電気が……)


 ただ、祭壇とは異なり、こちらの裏部屋の灯りはついたままだった。

 ここに、フェルミン神父がいるのかもしれない。

 そう思い、恐る恐る、足音を立てないように一歩を踏み出した。

 右手には昨日修人が紅茶を飲んだあの個室がある。正面には道具が雑多に収められている物置が存在する。これら二つの部屋にはドアがなく、中の様子がある程度把握できた。


 ただし左手にある部屋にだけは、扉があった。

 それも自然に取り付けられた感じはしない。むしろつい最近になって急造された感じがある。

 ゆっくりと扉へと近付き、耳を当てる。中から音は聞こえない。誰かがいる気配もない。罠があるような雰囲気もないし、誰かが息を潜めている空気も感じない。


 ――大丈夫だ。誰も、いない……


 もう既にこんな場所にまで入ってきている時点で、人の気配を探ることに意味はない。が、極限の状況にある修人の頭はその考えに至ることも出来ない。


「はぁ……っ、……ぁ、はぁ……っ。は、ぁ……」


 浅い息が漏れていることにすら気付いていない。

 ドアノブに視線を集中させる。どうやら鍵はついていないようで手首を捻ると簡単に開いた。

 そして、そこにあったものは――――


「なん、だ……こ、れ……………………………………………………………………………………」



 大量の、



 クリスの、



 写真、だっ、た。



「は?」


 壁、床、天井――その全てが金髪の幼女の写真で埋め尽くされていた。足の踏み場がないどころの話ではない。

 壁も床も天井も、全てが全て、隙間が全くないほどに大量の幼女の写真が貼られていた。それも、何重にも何重にも何重にも何重にも。

 一面を埋め尽くす顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔――――――――――――――


 冷淡な笑みを浮かべるクリスティア=アイアンメイデン。辛そうな顔で人を殺すクリスティア=アイアンメイデン。倒れた子供に食べ物を分け与えるクリスティア=アイアンメイデン。食べ物を買うクリス修人を殴るクリス殺されるクリス無の表情のクリス歩くクリス魔術を使うクリス捕らえられるクリス潰れた頭部を再生するクリス右腕を折られたクリス指を千切られるクリス逃げるクリスクリスクリスクリスクリスクリス。


「な、あ、あ……?」


 理解の範疇を超えていた。

 なんだこれは?

 何を見ている?

 そこにあるのは、修人と出会う以前のクリスの写真が大半であった。だが、こんなものどうやって、いや、そもそもなぜフェルミン神父はこんなモノをいやそもそもあのフェルミン神父は修人が知っているフェルミン神父なのかいいやその前やることがある逃げなければ逃げなければ逃げなければ――――!

 だが、足が動かない。そうしている内に。



 コツ、コツ、コツ、コツ。



 扉の向こう――即ち背後の祭壇から、何者かが歩んでくる気配があった。


(まずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずい――!)


 もう証拠など掴む必要なはない。黒だ。間違いない、物証も状況証拠も揃っていないが、ここまでの異常者が今回の事件に関わっていないなどありえない。

 だからもういい。逃げろ、ニゲロ逃ゲロ逃ゲろ。


「足が……っ」


 微動だにしなかった。必死に太ももを殴ってもびくともしない。まるで床に縫い付けられてしまったかのようだった。


「く、そ……」


 見つかれば死ぬ。殺される。

 いいや、そもそも見つかる見つからない以前の問題だ。既に修人がここにいることはばれているはず。ならば身を顰めることに意味はない。

 今すぐに、壁を破壊してでも逃げるべきだ。もうなりふり構っている場合ではない。一刻も早く、一秒でも早く、早く、早く早く早く――!


「あああああああああああああああああああああ! クソッ! 何で動かないッ!?」


 そして、動揺と恐怖と混乱に負け、最も愚かな行動を取ってしまった。


「しまっ……」


 もはや遅い。足音は既にその速度を速めている。走っているのだ。

 足は動かない。気配は近付いて来る。

逃げ場はない。扉が開かれた。

 そして――



「何をしているんだ、風鳴修人」



 そこに立っていたのは、赤髪の少年であった。


☆ ☆ ☆


「なんだこれは……?」


 修人の姿を認め鋭く睨んだオルガ=ディソルバートだったが、すぐにその異常な部屋を見つけて声を失った。


「所詮は街の噂だと馬鹿にしていたのだが――」

「お前、何で……」


 声を掛けられたオルガは、呆然と己を見つめる修人を一瞥すると、ふぅと一つ息を吐いて、


「その前に何だその様は。この程度の異常で脚が動かなくなるだと? それでどうやってクリスティアを守ると言うんだ」

「――ッ!」

「図星を突かれて反論も出来ないか。ならもう君には期待しないよ。僕は憂いを持って彼女を完膚なきまでに殺そう」

「テメエ……ッ!」


 瞬間、これまでの恐怖の全てを忘れるほどの熱が頭蓋の奥でスパークし、気付けば鬼の形相で聖槍の複製者の胸ぐらを掴んでいた。


「黙れよお前。それ以上下らない事をガタガタぬかすな。俺は大丈夫だ。お前みたいな馬鹿から、絶対にクリスを守り切ってみせる」

「さっきまでの無様な姿を見た僕が、その言葉を信じると思うのか?」

「だったら今ここで決着を付けるか? 別にここでお前を殴り倒してもいいんだぞ」

「やめた方がいい。君が死ぬだけだ」

「それはどうかな。俺は魔術も使えない一般人だけど、槍を使うだけのお坊ちゃまに負けるほど弱くはないぞ。素手だけで、お前が染色とかいうのを使う暇もなくボコボコにしてやる」


 気の弱い者ならば気絶しかねないほどの視線を、オルガの瞳へと刺した。


「はあ……冷静になれ。この状況に恐怖していた自分への怒りを僕にぶつけるな。不快だよ」

「……くそッ」


 どうやら図星だったようで、修人は恥じるように手を放した。


「悪かったな。……質問に戻る。何でここに」

「おおかた君と同じだと思うよ。僕も街でこの教会がきな臭いという噂を聞いてね。さすがに聖職者が疑われているという事実は避けたかったから探りを入れてみようと思ったんだが……」


 そう言って、オルガはクリスの写真で埋め尽くされた部屋を見る。


「黒と見て良いだろうね。――風鳴修人、僕はこの部屋で少し調べ物をする。君は別の部屋を」

「……ああ、分かった」

「少し不満そうだね」

「お前が俺に指図するな、って言いたいけど、今はそれどころじゃないからな」

「理性は残っているようで良かった。さすがに頭の中までフラペチーノのように砂糖塗れなら目も当てられない」

「別にうまくないしスベってるからな」


 吐き捨てて、修人は物置部屋へと向かった。大量の者が置かれたそこは、クリスの写真で埋め尽くされたあの部屋ほどではないにしろ、あまり足の踏み場がなかった。

 何よりも、つんと鼻の奥を刺激する嫌な臭いがしている。

 調べ物と言っても何があるのだろうか――そう思い、近くにあったクローゼットを開けた。



 中から、全身の皮を剥がれた死体が飛び出してきた。



「な、ぁあああっ!?」


 顔も髪も肌も何もない、ただの肉の塊のような男性の死体だ。元の人相など全く分からない。だが、修人はこの人物が誰なのか、何となく予想がついていた。


「これ……まさか……」


 フェルミン神父、だろう。

 右手の薬指にはめられた指輪がその証拠だ。これまでずっと指輪を付けていないのは、家庭の事情か何かだと考えていたが、ここに来てようやく点と点が繋がり始めた。


「でも、何でこんなに惨いことを……」


 死因は絞殺だったようで首に痣がある。血を吸わなかった理由は不明だが、皮を剥いだ理由は明白だろう。

 つまり、何者かがフェルミン神父に成り代わりこの街で暗躍していた。吸血事件を始めとした数々の悪行を重ねていたわけだ。


 クローゼットの奥を調べると、さらにもう一つ死体が出てきた。こちらも見覚えがある。

 干からびたミイラの姿になっているが。先日謎の吸血鬼に血を吸われていた誰かだ。全ての血を抜かれたためだろう、眼球は萎んで何も映していない。


「オルガ=ディソルバート……皮を剥がれた本物の神父様がいた。たぶん今のフェルミン神父は偽物だ。赤の他人が皮を着て成りすましているんだと思う」

「……そうか。……外観を真似る変装魔術や擬態魔術というのは基本的にそこまで皮膚を必要としないものなんだけどね……。特に姿かたちを真似るだけならば。例えばアステカ神話にはかつて、春になるとトラカシペワリストリと呼ばれる人の皮を剥ぐ祭典が開催されていた。これは穀物の神に生贄を捧げる儀式で、犠牲者はピラミッドの上で皮を剥がれ殺されるというものなんだけれど、司祭はこれをその後二十日間に渡って着るらしい」


 この伝承を応用すれば、殺さずとも少ない皮膚で変装することも可能だ。というのも、魔術という概念は、表層意識の具現化であるため、自らの意志によって想像や妄想の力を高め魔力を流し込むコツさえ掴めば誰にでも扱えるからだ。

 重要なのは『使える』と思い込むこと。


「でもこれ、全身を剥いでるぞ」

「つまり完全に擬態する必要があったんだろう。あの男はキャソックを着ていた。教会の中で自由に動く必要があったし、ミサでは神の子の肉と血を口に含まなければならない。となれば、人間のふりをした吸血鬼ではなく、限りなく人間に近付かなければならなかったはずだ」


 吸血鬼の身体のままそのような行為をすれば体にどんな悪影響が出るか分かったものではない。それどころか死の危険すらある。

 故に、より強固に自らの身体をフェルミン神父の体へと変異させる必要があった。自らのイメージを、妄想を、表層意識を極限にまで歪め、神父その人の体へと。

 そのために必要だった皮膚の量が、全身だったというわけだ。


「そんな……だからって、こんな惨いことを……」

「同感だが今はそれを言っている場合ではない。奴が帰ってくる前にその目的を掴み、出来るならば奇襲の準備もしたい」


 修人とオルガはクリスの写真で埋め尽くされた部屋の物色を再開し始めた。とはいえ、唯一手掛かりが残っていそうなクローゼットの中は何もない。

 本当にただのストーカーなのだろうか……?

 もしも目的がクリスの体や心だったのならば、わざわざ神父に変装して命の危険のある教会に身を隠す必要もなかったはず。変装しているとはいえ、神父に成りすました何者かも吸血鬼なのだから、神具に触るような余計なリスクは負わないに限る。

 そう思い、何気なくクリスの写真の一枚を手に取り、裏返した。


「これは……?」


 そこにあったのは、地動説を説明する際に良く用いられる絵であった。

 さらに。


「これ……」


 外した写真の下には、壁でもさらなる写真でもなく、謎の乱雑な紋様や文字が描かれた裏紙が壁に貼り付けられていた。


「おい、オルガ=ディソルバート。これを見てくれ。俺にはさっぱりだ」


 オルガに写真と紙を渡す。彼は数秒唸ったあと、地動説が描かれた写真と謎の裏紙を見比べ、


「まさか……これは――っ」


 瞬間、オルガの顔が真っ青に染まった。ここに書かれていることの意味を理解し、戦慄する。


「戻るぞ……今すぐ、クリスティアの元へ……」

「な……」

「走りながら話す。今すぐに戻るぞ! クリスティアが危ない」


 その一言だけで充分であった。

 二人は紙も写真も放り捨て、全速力で修人の家へと向かった。


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