8 花嫁選び
セレジェイラには王太子の秘書として王城に専用の部屋が用意されている。
泊まったことはないけれど、秘書用としては豪華と言えるその部屋には生活用品は勿論、ドレスもアクセサリーも幾つあるのだというくらいに衣装部屋に入っていて、貴賓などの接待時は身に付けるよう言われていた。
そしてそれは定例夜会でも同様だった。
今夜身に付けるよう言われたのは、淡いブルーグリーンのフレアーラインドレス。
胸元には繊細なレース刺繍。何層もあるチュールスカートにも流れるように同種の刺繍が施された手間隙のかけられた極上品。ウエストにはピンクの薔薇のコサージュが良く映えている。
「とても素敵です。お似合いでございます」
「ありがとうございます」
支度を手伝ってくれた侍女は溜め息混じりに言った。鏡に映る姿を見れば、自分でも似合っていると思うし好みにも合っている。
「これも殿下が選ばれたのでしょうか?」
「はい。セレジェイラ様の為に用意されたドレスは全て殿下の目に敵ったものです。アクセサリーはこちらをとのことです」
差し出されたのはドレスと同じ淡いブルーグリーンのネックレスとイヤリング。小さな宝石を連ねドレスのレース刺繍のようなデザインをしていた。嫌味にならない可憐さと輝きだ。
ヘアアクセはウエストのコサージュと同じピンクの薔薇。
どうやら(秘書官の制服は別として)王子は趣味もいいようだ。
鏡に映るのはどう見ても身分の高い貴族令嬢。ドレスの色はリアムの瞳の色。この姿で彼の隣にいれば人々はどう思うのか。
ふぅっと重い溜息が漏れる。
そろそろ潮時だと思う。
いつまでもリアムの秘書を続けていては結婚が遠のくような気がしてきた。
リアムは女性癖すら悪くなければ理想的な王子。
整った容姿、怜悧で武芸にも秀でていて、社交性もある。そんな男性の傍にいては自分の理想のタイプがどんどん鰻登りになってしまいそうだ。
隠すつもりはないがセレジェイラは顔の綺麗な男性が好みだ。
あれ以上に整った顔にこの先出会える可能性があるとは思えない。早く離れなければ取り返しのつかないことになってしまうのではないだろうか。
「コナー様がお迎えにこられました」と侍女が告げる。部屋に入ってきたコナーも正装で、リアム程ではないがやはりとても素敵に見えた。
「セレジェイラ様、準備は出来ましたか? 殿下の元に参りましょう」
「……コナー様、その前に抱きしめては貰えません?」
「無理を仰らないでください。殿下に知られたらどんな咎めを受けるか。それとも私を強請る気ですか?」
「男らしくない方ですね。別に私はコナー様に特別な感情はありませんし、貴方に婚約者がいらっしゃることも知っています。殿下にもその方にも話さなければバレないでしょう」
「殿下には無理です」
「では、そのまま。私が抱き着きます」
リアムと背丈はそれほど変わらないが、少しコナーの方が筋肉質だろうか。厚みがある。でも、知りたいのはそんなことでは無くて。
コナーの胸に手をついてセレジェイラは身体を離した。
「……はぁ……ありがとうございました」
「……落胆を含んだ溜息を吐くなんて失礼じゃないですか?」
「抱いてくれと言ったのに拒否するほうが失礼ですよ」
「“抱いてくれ”ではなく“抱きしめてくれ”でしょう。語弊がありますよ」
「もういいです。参りましょう」
コナーに連れられ王子の控室に入る。セレジェイラの姿を見止めてリアムは澄んだ青緑の瞳を細めた。
「ああ、美しいな」
美しいのはどちらだと言いたい。アストルム王国が誇る美男美女の王と王妃から生まれた美貌の王子。生まれた時から王子としての全てを叩き込まれた身のこなし。
歩み寄られ、頬から耳を撫でられる。この人はこんなことを本当に自然にできてしまうのだ。
「ありがとうございます。では会場で」
「エスコートはさせてもらえないのか?」
「ご冗談を。用意していただいたドレス姿を見せに来ただけです。新たな妃候補が会場でお待ちですよ」
花嫁選びを兼ねた夜会にエスコートされて出ていけば、『婚約者』として表明するようなものだ。全くいつまでこんな戯れを続けるのか。
セレジェイラは一人、先に会場に入った。
夜会の会場へ二人の男性が歩いていく。
「……お前、セレジェイラの香りがするぞ」
「転びそうになったのを助けました」
「王族に対する虚偽はお前に限り断罪だ」
「……見ていたんですか?」
「何を?」
「…………」
そんな会話をしながら。
豪華絢爛という会場でセレジェイラは壮年の男性に声をかけられた。
「久しぶりだな。元気だったか?」
優しい微笑みで声をかけてきたのは継母ジルの兄プライム伯爵。この伯父もとても人が良くて、父が亡くなってから随分と一家で世話になった。セレジェイラは膝を折って淑女の礼をとる。
「はい。この通りです」
「そうか。ジルも城でのお前を心配していたが大切にされているようで安心した」
「お母様の家系はお人好しばかりですねぇ」
大切にされているとはこの姿のことだろうか。セレジェイラの身の回りのものは王子リアムが全てそろえていると有名だ。秘書官として必要なものとして用意されているが、秘書官に贈るというレベルのものでないことは誰が見てもわかる。ましてやそれは王子の私財で購入されている。男性から女性に物が贈られるのは当然の世の中であるし、セレジェイラも必要経費として受け取っていたが、そろそろ遠慮したほうがいいと自分でも思う。
「……伯父様。私、お見合いをしようと思うのですけれど、紹介していただけません?」
「……殿下とは!?」
伯父は驚いてセレジェイラに訊ねる。
「ただの秘書官です」
「だが、そのドレスは殿下から贈られたものだろう?」
「私が靡かないから執着しているようですね。でも、すぐに次が見つかりますよ」
あと何回この夜会が行われると次のお気に入りが見つかるのだろうか。
自分はそれまで花嫁選びをこうして見続けるのだろうか。
「殿下とは何もありません。秘書官として顔も名も売れたでしょう。良いお相手をお願いします」
「セレジェイラ。後ろ楯には私がいるぞ」
セレジェイラは伯父の言葉に静かに微笑みを返した。
王子妃になるのならば後ろ盾は勿論大きい方がいい。例えばいくら愛されていても没落貴族の身寄りのない者では周囲から侮られ軽視されることもある。伯父はそういった事を懸念する必要はないと言いたいのだ。
継母の生家は伯爵家だが伯父の代で事業が成功し財力が大幅に伸びた。金があればそれに伴い権力も大きくなるのが道理。しかも伯父はその人柄故人脈も豊富だ。後ろ楯としては申し分ない。
妃となればその恩恵に肖って少しは親切にしてくれる伯父に貢献できることもあるだろう。それだけでも妃になる価値があるだろうか。
……でも頷けない。
セレジェイラは「お心遣いにはいつも感謝しています」と深く頭を下げた。
「セレジェイラ様」
「ダイアナ様!」
伯父と別れれば今度声をかけてきてくれたのはダイアナだ。グレーとラベンダーの中間色のような光沢のある生地に金の刺繍が入ったシンプルなドレスを身に着けて、とても大人っぽく見える。
「綺麗。とても素敵です」
「まあ、ありがとうございます。セレジェイラ様こそよくお似合いで可愛らしいわ」
「ダイアナ」
そんな遣り取りをしていれば、上品で多少厳しい威厳すら醸す男性がダイアナに声をかけた。
「お父様、こちらがお話ししたセレジェイラ・アークライト伯爵令嬢です。セレジェイラ様、こちらはわたくしの父、ランドルフ公爵です」
「初めまして、セレジェイラ嬢」
「お初にお目にかかります。以後お見知りおきを」
周りにいた人々は冷や汗をかいていることだろう。愛娘の地位、王子の婚約者筆頭の座を奪いかねない娘(ダイアナは隣国の王子の求婚を受けたが、それはまだ公にされていない)との対面だ。
セレジェイラ自身も嫌味の一つくらいは覚悟していた。
「臆さないか。さすがはジルの娘だ」
「ジル……継母の……?」
「ああ、幼馴染なんだよ。彼女も気位の高い女性だ」
厳しい顔に笑みがさし、セレジェイラの肩にぽんと手が置かれた。そのまま「少し昔話でもしようか」とダイアナと三人で会場の隅の席に移動した。
「君の実の母君のことは知らないが、その美しさは父譲りだろうか。アークライト伯爵は本当に美男だったよ。陛下と双璧をなしていた」
「はあ」
「そしてジルに惚れ込んでいたんだ」
「は?」
「ジルに焼きもちを焼いてほしくて浮気していたんだよ」
「……………」
「ただジルはああいう女性だろう? 黙認するだけで嫉妬は表立ってしてくれなくて報われない、の繰り返しだ。……ダイアナもそういうところを気を付けないさい」
「ええ。その点はセレジェイラ様に釘を刺されましたわ」
ダイアナは父に話を振られ、口元を緩めて返事をする。公爵は「そうか」と言って再びセレジェイラに向かって話し始めた。
「散財にしても遊ぶ金もあったがそれ以上に孤児院などから寄付を頼まれると断れなくてね」
「父は……馬鹿なんですか?」
「……申し分けないが否定出来ないな」
いつ嫌味を言われるのかと思っていれば話す内容は本当に穏やかな昔話。しかも何故か若干父を庇うような内容だ。
「なぜ、そんな話をしてくださるのですか?」
「君がどうやら父のことでトラウマを持っているようだと聞いたのでな。こんなことでも話さないよりは増しかと思った」
確かに分かった事は父が馬鹿だということが大半で、改めてダイアナが優しい人だということ。そしてこの公爵様も顔に似合わず……。
ただ、父が継母を本当に愛していたのだと分かれば少しだけ心が上向いたのは確かだ。でもやはり家が傾くほど寄付するなど馬鹿でしかない。
「あの……ランドルフ公爵様……私、罵倒される覚悟はあるのですが……」
「罵倒? 何故?」
「お父様、殿下の婚約者のことですわよ」
「ああ、それか。まあ、残念だが、仕方がない。一年以上筆頭者のままであったのだからある程度私は諦めていたよ。君は知っているので言うがノールの王子妃になることは決定したのだし、結果いいだろう。両国の王子妃が友人ならば国同士の関係も良好になる」
「王子妃が友人?」
「ダイアナと君だ」
「私は王子妃にはなりませんよ!?」
「セレジェイラ。君の後ろ楯にはプライム伯がいる。その後ろには私が付くよ」
「そういった心配ではないのですが……どうしてそんなことをしてくださるのですか?」
「これは妻には内緒だが……ダイアナも言うなよ……ジルは幼馴染みで初恋の相手なんだ」
ランドルフ公爵がこっそりと言うそれにセレジェイラは驚き、ダイアナは小さく笑った。
自分は何処までも継母に守られている。
会場がざわついて王族の来会が知らされた。三人は迎えるために立ち上がった。
今月、十六なる令嬢は六名。その中からリアムがダンスの相手に選んだのは、やはりその中で一番目を引く娘だった。彼女が次のお気に入りになるのかと思えば違ったらしい。ダンスを終えるとリアムはすぐにセレジェイラとダイアナの元にやって来た。
どちらを誘うのかと会場がさわさわとする。
ダイアナは微笑み一歩下がった。リアムはそれに頷いてセレジェイラに手を差し出した。
重ねた大きくて綺麗な手、長い指……でも所々に小さな傷や肉刺があるのを知っている。それは見かけだけの王子ではないと語っているようだ。
襟から覗く頸の感じとか身体の均整とか外からは分からない逞しさとか、長い脚とか優雅な身のこなしとか、微笑む整った甘い顔とか。
なんか本当に嫌だ。
「男爵令嬢はお気に召しませんか?」
「金の髪がセレジェイラに似ているかと思ったが、近くでみたら違うな。お前の方が淡く柔らかい金だ」
「比べないで下さい」
セレジェイラが素っ気なく言えばリアムは忍び笑いを漏らす。
曲が終わるがリアムは手を離さずに微笑みを向ける。
「もう一曲」
「足が痛いので休憩します。他のご令嬢とどうぞ」
「靴が合わないのか?」
「そのようです。では」
今夜の靴は銀の靴。
基本素材のビロードに銀を振りまぶして作ったものらしい。繊細極まる手仕事でセレジェイラの足に合わせて作ったものが痛いわけがない。
ただ重いのだ。
セレジェイラはリアムの手をするりと離し会場を出て行った。