10 魔女の戯れ
次の朝、登城するかを疑われたのかリアム本人に迎えに来られた。
継母に「気持ちの良い朝だったので散歩がてらです。お気になさらず」とにこやかに挨拶するので、不審がられても困ると大人しく馬車に乗った。きっと拒否すれば「求婚した」と継母に言ってますます後に引けなくするつもりだ。継母はセレジェイラの気持ちを尊重してくれる人だが、それ以上にセレジェイラの奥にある気持ちに気付いてしまう人。そうなれば面倒なことになるのは明らかだった。
馬車の中で「俺を諦めさせる言葉が見つかったか」と意地悪く言われた。ムッとして「嫌いです」と言ってみても「ではお前に好きな男が出来るまで口説くとしよう」と笑う。「言っていることが違うではないですか!」と言えば「なんとでも言え。俺はお前を妃にする。諦めて受け入れればそれでいい」と静かに言った。
「それからな」
「何ですか!」
まだあるのかと喧嘩腰に言えば、リアムは穏やかに言った。
「お前は俺の秘書官だ。仕事も信頼できる。求婚した事は別として仕事はしに来い。ラピスも待っている」
「……わかりました」
本当に卑怯だ。仕事が信頼できると認め、セレジェイラがどれだけラピスを可愛がっているか知っていて盾にとる。
「よし。では、今日は登城したら先ずは王と王妃に謁見だ」
「はい?」
「求婚したことを話した。お二人がお前に会いたいと言っている」
「……反対されるんですよね?」
「なんだその質問は? 俺の妃は俺に一任されていると言ったはずだ。息子の妻となる女性を紹介しろと言うのは当然だ」
「私は承諾していないのですが?」
「俺はすると決めた。その為に出来ることをしているだけだ」
「卑怯者!」
セレジェイラの逃げ道をどんどん無くしていくつもりか。
「卑怯で結構だ。お前を逃がす気はない」
堂々と言うリアムをセレジェイラは睨み付ける。「怒った顔も可愛い」と笑われたので、もう無表情を貫くことにした。
そうなったら少し冷静になれた。いくら妃を誰にするか一任されているにしろ、セレジェイラ相手では反対するのが普通だと。
「セレジェイラ・アークライト。リアムの妃となってくれるな?」
「……はい?」
普通だと思っていたことがそういかず、間抜けな声が出た。
謁見と言っても人払いのされた部屋で、お茶の用意されたあまり堅苦しい印象を与えられない会談のようなものだった。それでも王と王妃の醸す雰囲気は厳威がうかがえて恐縮してしまう。
そしてその威厳ある王からの確認ともとれる質問にセレジェイラは呆気に取られた。
「リアムのことは全て聞いたのだろう? 息子に少しでも好意があるのならば受けて欲しいのだ」
ちょっと待ってほしい。王と王妃はセレジェイラの素性を知らないのだろうか。
リアムをちらりと見れば悠々と茶を飲んでいる。
普通、こういう場は愛し合う王子と身分違いの女性が王夫妻に「こんな女は認めない」ときつく言われ、王子が女性を庇う、そして女性は王子の立場を思い身を引く、というものではないのか。
それか反対をものともせずに想いを貫きいずれ王と王妃にも認められるというもの。
リアムと出会う前、セレジェイラは後述のものを夢見て王子妃になれないかと思っていたが、今となっては望みは前述のものだった。
だというのに何もかもがちぐはぐでどうしたらいいのか掴めない。
「あの……恐れ多いことなのですが、その……わたくしは凋落した伯爵家の、しかも妾婦の娘ですので妃としては不相応と……」
「リアムから聞いて知っている。アークライトの実子として籍に入っていることは確認した。問題はない」
まさかと思って王妃様を見れば、王妃も肯定的な様子でセレジェイラに微笑みお茶を手に取る。
二人は家柄的にも個人の身分的にも不相応だとは思わないのだろうか。いくら本人の意思を尊重すると言っても次期王の結婚相手、少しでも国益となる女性をと思うものだ。セレジェイラでは全く利となるものが無い。
「いえ、あの、無礼は承知で言わせて頂きますが大切な事ですからよく考えた方がよろしいかと存じます」
「よく考えた結果だ。リアムの望んだ相手が貴族ならばそれでもう文句はない。庶民であれば少し面倒であったが、そなたは身分もありプライム伯爵とランドルフ公爵が後見になると言う。何の問題があろうか」
「でも、ですけれど……諸侯が納得するとは思えません」
「貴女の姿と姿勢を見て納得しない諸侯など黙らせればいいわ」
王妃は静かだけれど威圧的な声音で言う。美しく強い女性が自分を認めてくれるのは嬉しい。でも今に限っては出来ない女と思われた方が良かった。
「そこまでして王子妃にするような娘ではありません」
「謙遜するのはお止めなさい。それとも自分を卑下してまで話を無しにしたい……リアムの事を一緒にいるのを嫌悪するくらい嫌っているということかしら」
「そんな事は!」
「ありません」という言葉尻は口の中に消えていく。リアムの母であると雄弁に語る美貌のこの女性は何て言うことをさらりと訊くのか。
隣でリアムが声を殺して笑う雰囲気が伝わってきた。少しは手助けする気はないのか。あればこの場に自分はいないと心の中でひとりで突っ込みを入れてしまう。ああ、もうどうしたらいいのか。
「では呪いを解く手助けをしてくれ。国王としてこんなことで国を危機に晒すわけにはいかんのだ」
「……すみませんが口答えをお許し願えますか?」
「ああ、気にしなくていい。言いたいことを言ってくれ」
「国の為どんな小石も避けたいのはわかります。でも、こんなことって何ですか? 私にとって婚姻は人生を左右する大事なことです」
男にとっては通過点の一つに過ぎなくとも、女にとってはその後の人生を決めるようなものだ。まして王子妃など覚悟無くて頷けるものではない。リアムと出会う前、王子妃を夢見ていた頃は名ばかりの王妃として、風評にも耐える覚悟はあった。でも、今はそんな覚悟は持てない。
「セレジェイラ。父は人としてより王として物事を考える癖がついているんだ。俺が代わりに謝る。申し訳ない」
謝罪したのはリアムだ。一個人の事情より国を熟慮する。王としてはそれが当然だ。当然だけれど。
「すみません……。国と女一人の人生を天秤にかけるまでもないことは頭では分かるのです。けれど私の気持ちはどうなるのですか……」
「いや。言ってくれて助かった。そうだな、そなたの意思を無視しすぎていたか。だが、リアム自身に不満はないだろう」
国王も親バカだったらしい。本人が『断られることは頭になかった』というように親もそう思っているようだ。普通に考えてもそうだとは思う。容姿端麗、文武両道な王子の求婚、王と王妃も認めているものを貴族令嬢が受けないわけがない。セレジェイラだって最初はそうなることを僅かにではあるが望んでいたのだから。
でも、目の当たりにして夢と現実は違うと悟った。
「……そもそも殿下にかけられた呪いは本当に呪いなのですか? それが擬物であれば私がお断りしても何も問題はありません」
「嘘か真かは分からん。だが、あの女性ダリア・パレットにはそういうことが出来そうな妖しい雰囲気があったのだ」
王の口から出た女性の名にセレジェイラは驚き瞳を大きく見開くと両手で顔を覆い俯いた。
「どうした!」
リアムの狼狽した声が聞こえ、立ち上がる気配がする。セレジェイラの肩に手を置くと心配気に「気分でも悪いのか」と訊いてきた。気分が悪くもなるだろう。それでもセレジェイラは頭を弱く振り自分を落ち着けるよう息を小さく吐いた。
「母です」
「なに?」
深呼吸して言ったのに声が震える。リアムの問いかけに今度はなるべく声を強くした。
「ダリア・パレットは私の産みの母です」
リアムだけでなく王と王妃も衝撃を受けたような気配が伝わってくる。だが、誰よりも打ちのめされたのはセレジェイラ本人だ。まさか母がこんなところでもどうしようもない迷惑をかけていたとは。本当に魔女のような女だ。
「母のかけた呪いを娘が解くか。まさに因果応報だな」
暫くしてリアムが笑い交じりに言った。セレジェイラは勢いよく顔を上げてリアムを睨みつけた。
「笑い事ではないでしょう! 私に解けるわけがありません!」
「何故?」
「そんな呪いをかけた女の娘が王子の妻になるなんて何処の親が認めるんですか!?」
「認めますよ」
投げつけるようにセレジェイラが言えば穏やかな声が肯定した。
「王妃様!?」
「可愛い息子の選んだ嫁ですもの。例え憎い女の娘でも生涯たっぷりと義母として可愛がってあげましょう」
三人の子供がいるとは思えないほどの美女が殊更美しく笑う。美しいが故に戦慄を覚えてセレジェイラは席を立った。
「こんなに美しい人からの嫁いびりなんて耐えられません! 益々無理です!」
「大丈夫だ、セレジェイラ。母上」
リアムに背後から肩を抑えられた。リアムは揶揄うのはやめてくれと母を見た。
「冗談よ。貴女はダリアではなくジルの娘。彼女の娘をいたぶれるわけがないわ」
王妃はくすりと笑うとお茶を口にする。セレジェイラはリアムに肩を押されもう一度席に座らされた。
王妃はセレジェイラの継母を知っているような口ぶりだが。
「王妃様は継母と?」
「友人よ。分からないの? 貴女の淹れてくれるお茶は王宮の者が淹れるよりも美味しいわ。淹れ直して欲しいくらい」
「……あ、ああ! もしかしてマクダネル夫人!?」
王妃はリアムと同じライトブラウンの髪をしていて面差しもよく似たとても美しい女性だ。マクダネル夫人は赤毛に眼鏡をしていてやはり美しいのだが、今の王妃ほどのオーラも冴えた輝きもない。けれどよく見れば聡明そうな瞳の美しさは一緒だ。
「そうよ。ここまで気付かれないなんて私の変装もなかなかね。出かけるときは迷惑にならない程度に従妹の名を借りているの。貴女の生い立ちはジルから聞いていたけれど、母の名までは聞いていなかったわ。驚いたけれど、仕方がないわ。本当に全てが因果応報。後はセレジェイラ、貴女の気持ち次第ね」
「待って下さい。私の母は普通の女性でした。呪いをかけられるような、そんな能力があったとは思えません!」
「だが、出来ないと確証も出来ないのだろう?」
王の言葉に返答につまる。確かに記憶にも覚束ない母の事、出来ないと証明できるものなど何もない。
「ダリア・パレットは陛下が私との婚姻前に城下で出会って関係を持ったのですって」
王妃はセレジェイラの母と王との関係を話し始めた。
簡単に言ってしまえば、王が若かりし頃、城下に忍びで遊びに行き酒場でダリアに出会った。ダリアの方は王に一目惚れ、強い酒を飲ませ泥酔させたうえで関係を持ったらしい。王は正気に戻ると愛人でいいと募る彼女を一夜の過ちだと突き放した。すると彼女はこう言ったそうだ。
『ふぅん。そうなの……じゃあ、呪いをかけさせてもらうわ。私知っているのよ。貴方、王子様よね? 貴方に息子が生まれたら、その子が二十歳になるまでに本当に愛する相手と結婚できなければこの国は滅びるわ。そうね、それに愛の言葉を使えるのは一度にしましょうか。一世一代の告白よ。一度振られれば貴方の息子は報われることはもうなくなるの。そしてこの国はおしまい! ふふ。素敵ね! じゃあ、お幸せに!!』
セレジェイラは再び顔を覆う。なんなのだろうか自分の実母は。
それにしても双璧をなしていたという陛下とアークライト伯爵の二人と関係を持つとは。実母はかなりの器量好みらしく、それをしっかり自分も受け継いでいる。こんなところで母娘だと証明されてしまうのか。
自分に嫌気がさしつつあるところに、ぽんとセレジェイラの肩に大きく温かな手が置かれた。
「お前の所為じゃないだろう」
「……」
返事を返さないセレジェイラの肩を優しく撫でながら、リアムは王に顔を向けた。
「それよりも父上、確認しますが、俺とセレジェイラは兄妹ではありませんよね?」
「違う!! 私はその一度以降彼女には会っていない!」
間髪入れずに王は否定した。リアムの訊ねた声は冷ややかであったが、今度は「ではいいです」と穏やかな声で返した。
「セレジェイラ。お前が俺の妻になれば全て丸くおさまる。それでいい」
「馬鹿な女の世迷言です。真に受けないでください」
「好きな女と結婚できるようにしてくれた。幸せな呪いだと俺は思う」
「顔を上げろ」と優しい声がする。セレジェイラはそれでも顔を上げずに答えた。
「……母に本当に呪いをかける能力があるならば……私には王子と結婚する呪いがかけられています……」
再び沈黙が流れた。
好きな女と結ばれなければ国が亡びると呪いをかけられた王子と
王子と結婚すると呪いをかけられた魔女の娘
なんという魔女の戯れだ。
「はは! 成程それで“魔女の呪いに負ける”か! 結果的に俺は魔女の娘に惚れる呪いをかけられていたという事なのか? お前の母は凄いな、セレジェイラ! 呪術師というより先見力があるのではないのか?」
沈黙はリアムの楽しそうな笑い声で破られた。
「だから笑い事ではないのです!」
「お前の母がかけてくれたのは呪いではない。皆が幸せになれる呪いだ」
「何であろうと! 私は私の意思で殿下の妃になりたくありません」
「大丈夫だ。そのうちその気になる」
「どうしてそこまで前向きなんです!」
「前向きでなければ王子などやってられるか。お前は俺の妃になる」
「なりません……」
“馬鹿な女の世迷言”そうは思っても縛られて踊らされてしまうのか。それも嫌だ。
「……陛下、王妃様……お二方が反対されればそれで終わりです……」
「反対する理由がない。息子がここまで望む相手、呪いなどなくとも叶って欲しいと思うのが親だ」
「……王妃様……息子が可愛くないのですか……」
「可愛いわ。だから貴女に妻になって欲しいと思うわ。セレジェイラこそ母に反発しているだけならばお止めなさい」
見透かしたような物言いに心でギクリとしたが、でも頷かないのはそんな理由だけではない。
「そんなことだけではないのです………私、王子妃になる教育など受けていません……」
「いいえ。ジルが貴女に全て与えているわ。夜会での貴女の姿を見ればわかる。貴女は大丈夫。これから先のことはわたくしがいくらでも教えましょう。貴女も王子妃になりたかったのでしょう?」
「そうなのか!?」
王妃の確認に驚きの声を上げたのはリアムだ。
「“理想の王子様”の、です! 私、殿下では駄目です。私の理想の結婚には程遠い」
「リアムは貴女の理想の王子様になれると思うけれど?」
「いいえ……殿下、助けて……」
「ああ、王子妃になりたかったとは驚いた。生涯助け合っていこう」
「違います!」
否定すればくつくつ笑うリアムがいる。
貴方では駄目だと言っているのにどうしてこんなに余裕でいられるのだろうか。
「殿下では駄目だと言っているんです」
「まだ納得できる理由を聞いていない。一緒にいるのを嫌悪するくらい嫌っているのではないなら引く理由はない」
「王を嵌めた女に屈するのですか?」
「こんなことなら踊らされるのも悪くない。父上も母上もそうは思いませんか?」
王と王妃は笑って同意した。国王一家が割と能天気なことは初めて知った。本当にそれでいいと思っているのだろうか。
結局セレジェイラは「前向きに検討するように」そう言われて部屋を出ることになった。