1 お城の舞踏会
ある所にとても愛らしい女の子が優しい両親と幸せに暮らしておりました。
けれども悲しいことが起きました。
お母さんが病気で亡くなってしまったのです。
やがてお父さんは娘のために新しいお母さんを迎えましたが、お義母さんとお義母さんが連れて来た二人の娘はとても意地悪でした。
そしてついにはお父さんまでも病に倒れ亡くなってしまうと、三人は女の子をまるで召使いのようにこき使い、女の子はいつもカマドの灰にまみれていたので『シンデレラ』と呼ばれるようになったのです。
それは継母と姉に虐待される少女が、ガラスの靴が縁で王子様と結婚して幸運を得る物語。
そして、ここに当世のシンデレラと言われる美しい娘がいた。
その娘はセレジェイラ・アークライト伯爵令嬢。
「王子様ってやっぱり童話の中の存在なのね」
月の輝く夜、夜会の活況から離れた庭の噴水の縁に座り、セレジェイラは溜息混じりに呟いた。
黄金を糸にしたような金の髪に、人を惹きつける深みのある大きな青い瞳。可愛いらしく整った容姿に、肢体は華奢でありながらも全体的にふわふわとした印象で、誰もが振り返るような美少女だ。もうじき十六歳になる彼女はどちらかと言えば可愛いと形容されるが、数年後には美しいと評されるようになることは明白だった。
「はぁ……もう帰ろうかな……」
「セレジェイラ様、殿下がお待ちですよ」
もう一度独り言ちた所で、ひとつの足音が近付いて、現れた姿にセレジェイラは心で眉を寄せた。
王太子の側近、執務補佐官の侯爵子息コナー・オーウェンズだ。
「殿下とは夜会開始一番に二度も踊りましたけれど」
「はい。それほどお気に召したようです。お戻りを」
「……では、もう一曲お相手したら帰ります」
「殿下次第です」
「帰ります」
セレジェイラはにっこりと笑みを浮かべながらもきっぱりと言い放ち立ち上がった。
高い丸天井に何百本という蝋燭をつけた豪華なシャンデリアの広間。沢山の大きな窓と大きな鏡。荘厳な絵画、大理石の柱には金メッキブロンズの柱頭の装飾が施されている。この国の繁栄を物語っているかのような部屋。
セレジェイラがそこに戻れば、ざわりと人々がさざめいた。彼女は素知らぬ素振りでこのきらびやかな会場で一際眩い輝きを放つ人物の元へ脚を向けた。
「セレジェイラ。何処に行っていた?」
その人物、王太子リアムはセレジェイラに手を差し出し眩しいばかりの笑みを向けた。
この国の王太子リアム。明るいライトブラウンの髪に澄んだ青緑の瞳。女性受けのする整った甘い顔。端麗な容姿、明澄な頭脳、秀でた武芸、全てにおいて完璧と言われる王子。
セレジェイラは彼ににっこりと微笑み返し、その手をとった。
「殿下のいらっしゃらない処にいました」
「ははっ! なるほどな。私の花嫁選びの会場で姿を消した女性は初めてだぞ」
「二年間も明白に花嫁を選ばずにいれば、こういうこともございます」
「二年間選ばずにいたから君に出逢えた」
「まあ、流石に女性へかける言葉に慣れていらっしゃいます」
二人は音楽に合わせ優雅に躍りながら微笑みあって、端から見れば睦まじく会話をしている。
リアムが十六になってからの二年間、夜会は常に彼の妃選びを兼ねたものだった。
現在十八の彼は二十歳になるまでに結婚しなければならない決まりがあった。
月に一度の定例夜会に、その月に十六となる貴族令嬢が招かれる。所謂公式な見合いのようなものだ。
彼の花嫁になりたいと国中の貴族令嬢がその日を待ちわび出席しているが、そんな事を二年間も続けていながらリアムは未だに婚約者を定めていなかった。
今夜も夜会の最初、玉座の前に当月十六となる令嬢達が並べられた。
その中の一人であるセレジェイラは早々にリアムに目を付けられ、夜会開始のダンスの相手に選ばれた。
セレジェイラも正直なところ、王子の花嫁になりたいと夢見る一人だった。
だが、ダンスをしながら言われた言葉にセレジェイラは一気に冷めた。
「セレジェイラ・アークライト。朝露を受け花開いたばかりのピンクのバラと聞いていたが、噂以上に美しい」
「随分と瀟洒な褒め言葉ですね。けれど、ありがとうございます。殿下も思っていた以上に素敵な方です」
ここまでは良かったのだ。
「夜会が開きとなったら私の部屋においで」
にっこりとそれはそれは魅力的な笑みで周りには聞こえないようにそう言われたのだ。
完璧と言われる王子には一つ難点があり、それは色好みということだった。その噂は本当だったのだと肩を落とした。しかもここまで見境が無いとは思わなかった。出会ったばかりの女性をこんなふうに閨に誘うなど男として最低だ。夜の街でそういった目的で出会ったのならともかく、王城に招かれた貴族令嬢に言う事か。
それともアークライトの娘だから軽視しているのか。
「ふざけんな!!」
と怒鳴るのは簡単だが王子相手に許されるわけもなく、胸にしまい。
「お戯れはお止めください」
が精一杯の拒否だろうからそれを静かに口にした。
「戯れではないが、そも戯れが許されるのが王族だ」
「ご冗談を……」
「君は婚約者でもいるのか」
「い…」
「王族に対する虚偽は許されないぞ。調べればわかる」
「い、ません……」
「だよな。私の花嫁選びの夜会にその気の無い女性は来ないはずだ。ならば問題はないだろう」
何の問題がないと言うのか。王子の周りにはそんなに身持ちの軽い女性しかいないのだろうか。
「曲が終わりました。お離し下さい」
「話が終わっていない」
両者とも外面を繕うのか巧いのか、互いしか見えないというような雰囲気で二曲めも踊り出した。
「殿下、申し上げにくいのですが……私には想う方が……(そのうちできるはずです)」
「誰だ?」
「殿下の存じない方です(私も知りませんし)」
「ならば何故黙って此処に来た?」
「決まりですので……それにまさかお目に止まるだなんて……」
十六になる貴族令嬢が夜会に出席するのは半ば義務だ。婚約者がいる者や何か見初められては困る理由のある者は事前にその旨を報告しなければならない。だが、婚約者がいる者でも王太子の妃に選ばれる可能性があるならばと殆どの者が申告をしないで出席しているのが現実だ。セレジェイラには婚約者もなく、その気もあったので申告など必要なかっただけだ。
それにしても憧れの王子様がまさかこうまでとは思っていなかった。勝手に憧れていた自分が馬鹿だと思い知った。
「想う相手というのは君の片恋か」
「はい」
「面白い女だな。はっきりと王子を袖にするか。しかもこんな会話をその表情を崩さずにするとは……見た目と大分違う」
「思い違いだとお分かりいただけましたか?」
セレジェイラを表面しかしらない人はよくそう言う。見た目だけなら従順で大人しそうだと。
「いや、気に入った」
「はい……?」
「昼も夜も一緒にいれば、そんな男のことなんか忘れるさ。私のものになれ」
「慎んでお断り致します」
顔は華笑みを浮かべ、はっきりと断ったところで曲が終わった。セレジェイラは「ありがとうございました」というように片足を斜め後ろの内側に引き、もう片方の足の膝を軽く曲げ、背筋は伸ばしたまま挨拶した。こうすればもう一曲などと誘うことはできないだろう。
王子の元を離れれば、すぐに多くの令息にダンスを申し込まれ数人と踊り、漸く解放され庭へと逃れ冒頭に戻る。
そしてまた会場へと戻され今現在、王子と三曲目のダンスを踊る羽目になったのだ。
「俺の部屋に来る決心はついたか?」
一人称が“俺”に変わった。セレジェイラの前では面倒と思ったのだろうか。
「お断りしました」
「何が気に入らない?」
その傲慢さが気に入らない。
生まれた時から全てを持っていた男は、何もかも自分の思い通りになると思っている。
「私にはそんなこと……畏れ多くて……」
「ははっ! 本心を言っていいぞ。俺の態度が砕けたことにも気付いただろう。面倒だと思ったのではない。君にはその必要がないと思っただけだ」
恥じらって言ってみれば笑われた。セレジェイラがネコを被っていることも訝しんだことも気付いているようだ。端々にあった険のある言い方に感付かれていたか。
もうこの王子の気に入られる必要もなくなったし、ならば素でいいかとセレジェイラは表情だけは令嬢として微笑んだまま、言葉は自分の思うように返した。
「私の家が没落した家と蔑んでの事ですか? 感じの悪い方ですね」
その物言いにリアムはくすりと笑った。
「君は素直な女だな。蔑んでなどいないぞ。セレジェイラの事を気に入っただけだ」
「ものは言い様ですね。けれど一国の王太子がなさることではないのでは」
「一国の王太子だからするんだろう」
「では言い方を代えます。人として婚約者のいらっしゃる方がすることではありません」
「それはダイアナのことか? そもそも彼女は婚約者候補の筆頭者で婚約者ではない」
「ですが、ダイアナ様でほぼ決まりだと囁かれております。あれほどの女性ですもの、大事になさった方がよろしいのでは?」
リアムの婚約者の筆頭者とされる公爵令嬢ダイアナ。
黒髪に黒い瞳の気高く凛とした美女。一年前の夜会でリアムに気に入られ、その時も二曲立て続けにダンスを踊ったとか。それ以後、身分的にも彼女は婚約者の筆頭者とされていた。リアムが二年間で夜会に出席する令嬢に二曲以上相手をさせたのはそのダイアナと今夜のセレジェイラだけだ。だからこそセレジェイラにも注目が集まっている。
「彼女はよくできた女性でな、彼女なら『英雄 色を好むといいます』と言うだけだろう」
「貴方は英雄ではなくただの好色王子です!」
ついに一瞬だが表情が崩れた。我慢できずに睨め付けてしまった。リアムはそれを見て楽しそうに瞳を細めた。
「ようやく顔にも本性が出たな。不敬罪だぞ」
「本心を言っていいと言われました! どちらにしろ私を不快にお思いでしょう。先程の言葉は戯れ言だったと聞かないことにします」
「その必要はない。好色王子だと言われて引けるものか。その言葉に恥じない行いをしよう」
にやり。綺麗な顔が意地悪く笑ったと思ったらぐいっと腰を引かれた。
虚を突かれたセレジェイラの頬に唇が軽く触れた。
「アストルムのシンデレラ。君の為にガラスの靴を用意しよう」
どよめく会場で殊更にこやかにリアムは笑った。
セレジェイラはあまりことに流石に頬を染め恥ずかしそうに顔を逸らした。
「頬に口付けたくらいで可愛いな」
その顔を覗き込むリアムにセレジェイラは彼にだけ見えるようにキッと睨み返し小声で言った。
「ガラスの靴では嫌です! セクハラの賠償に金の靴と銀の靴にして下さい!!」
それがシンデレラと言われる娘と王子の出会いだった。