瞬間移動の話
バイトが無い日の放課後は色々寄り道しながら家に帰ると決めている。もちろん、友人と遊ぶことも多いが、あいにく今日はみんな部活だ。ソロにはソロの楽しみ方がある。
学校を出てから行きつけの店のアップルパイが無性に食べたくなった。絶対食べて帰ろう。
食べ終わったら、たぶん出ているだろう漫画の新刊を買おう。まだ売り切れていないだろう。それから
ティロリロリーン
メールか。誰から…天日様からだ。
「いつものお豆腐屋さんで厚揚げを買ってきてください」
なぜか天日様はメールだと標準語になる。アイデンティティの崩壊だ。しかし、厚揚げ…そこまで高くないけど、手持ちが…うん、ダメだアップルパイと新刊分しかない。
「手持ちがないので我慢してください」っと。
送信してから10秒もしないうちに返信が来た。
「まじか」
3文字の中にあらゆる感情や意味が込められている。
「まじ」
この2文字に中身はない。
30秒ほど返信がなく諦めたかと思った時にメールの着信音。
「この画像を表示しておいてください」
添付された画像を開くと五芒星とほとんど読めない漢字が何箇所にも配置された円が表示された。
「なにこれ…うわっ!?」
ボッとフラッシュが焚かれたかのように、視界が白く染まる。
反射的に閉じた目を開くと、そこにはバレーボールぐらいの光の玉が空中で回転していた。
次第に光の玉は色づき始め、形も球体から別のものになっている。
回転が弱まってくるとそれは綺麗な着地を決めて、二本足で立っていた。
「天日…様?」
目の前に先程までメールのやり取りをしていた天日様
がいる。
「んんー、久々にやったのう。まったく、手持ちは余裕をもたせておいたほうが良いぞ?」
「え、はい。いや、そうじゃなくて、近くにいたんですか?」
「いや、家におったが」
ここから家まで徒歩15分。画像を開いてからここまで1分ぐらいだろうか。この神様、もしかして…
「あれって神様…?」
「え、なに?すごくない」
「どうなってるの?手品かしら?」
「ありがたや…ありがたや…」
周囲が騒がしくなってきた。
それもそうだ。人集りの多いところでこんな目立つことをしたら、注目を浴びるのは当然だ。
「場所変えましょうか…とりあえずこっち!」
「のわ!?これ!もっと優しく引っ張らんか!」
天日様の手を引き、逃げるようにその場を離れた。
喫茶くるみは駅から5分ほどの場所にある私の避暑地かつ行きつけのスイーツ店でもある。
ここのお店は何でもおいしいが、特にアップルパイは絶品で、甘さ、酸味、食感、すべてが私の理想のものである。一度焼きたてに生クリームを添えてもらったことがあったが、もう、やばかった。
「どこに連れていかれるかと思えば、喫茶店か」
小さなテーブル席に座り、一息つく。
天日様をここに連れてくるのは初めてだったかな。
そもそも、一緒に出かけたことはまだ無かった気がする。
何か頼みますかと言う前に天日様は置かれていたメニューとにらめっこしていた。
「ここのアップルパイ、おいしいんですよ。暇があったら毎日食べに行きたいぐらい」
「手持ちが無いと言っておったのはこのためか…まぁ良い、折角だし食べていくか…の?」
気づけば私達のテーブルの横には大柄の男性が立っていた。筋肉が服の上からでもわかる程にたくましい。
「いらっしゃいませ。ご注文が決まりましたらお呼び下さい」
低音で優しさのある声の男性は、すっと音もなく私達の前に水を置く。
「吉田さんは…アップルパイのセットですか?」
「あ、そうです。紅茶はホットでお願いします」
「わしも同じのを」
「茶葉はどうされますか?」
「ちゃばぁ?」
そう、このお店の紅茶は一種類じゃない。
天日様は慌ててメニューを開き直してなにを頼めるか確認している。
「あー、じゃあ、ダージリンで、ホット!」
「かしこまりました。では少々お待ちください」
男性はにっこりと微笑むと、カウンターに戻って行った。
「あの人がマスター」
「はー、格闘技の選手かと思ったぞ」
このお店は綺麗だし、雰囲気も良く、食べ物も飲み物もおいしい。ただ、マスターがやや怖い。
話してみると良い人だし、たまにサービスしてくれる。
「それで、天日様。どうやって私の所に来たの?」
「ん?そりゃ、ミサオのスマホに術式を表示させてそこから出てきただけじゃよ」
さらーっと、凄いこと言うなこの神様。
「画像ファイルで良いの、術式…」
「構わん構わん!便利なもんじゃな!昔はファックスでやったりしたのう」
神様は時代に取り残されるどころか、順応していくものなのだと改めてわかった。
「瞬間移動かぁ、人間もいつかできるようになるのかなぁ。あ、その術式って私も使える?」
「使ったら死ぬぞ」
「死ぬ」
考えてみたら人間は光の玉にはなれない。
これが神様と人間の差というやつなのか…
「うーん、使えたら通学楽になるのになぁ」
「今は無理でも未来では出来るようになるかもしれんぞ?わしが使ってるのは離れた点と点をくっつけるような奴じゃが、手段はもっとあるじゃろう。たぶん」
「たぶん、たぶんかぁ…」
「今は想像できんくとも、それが常識になるかもしれん。未来は可能性に満ちておるからのう」
確かにそうなのかもしれない。かつての未来想像図が今では当たり前になっていることが結構ある。諦めずに夢を叶えようとする人たちが、技術や理論を作っていくのだろうか。
「お待たせいたしました。アップルパイのセット、ダージリンのお客様」
マスターがその場で紅茶を注いでくれる。紅茶の香りが目の前のアップルパイの質をより一層高めてくれる気がする。
「吉田さんは、アッサムですね」
アッサムが注がれ、ダージリンと香りだけがブレンドされる。
「ではごゆっくりどうぞ」
ポットにウォーマーをかぶせて、マスターはカウンターに戻っていく。
「どれ、いただくとするかの。ふふふ、わしは味にはうるさいぞ?」
「あー見えますよー、私には未来が見えるー天日様がアップルパイが美味しくておかわりしそうになる未来がー」
予想通り、天日様は一口食べると「うまい!」と言って、アップルパイを一気に食べきってしまった。
私の未来予想と違ったのは、天日様はアップルパイをおかわりし、紅茶と一緒にゆっくり味わった所だった。
あと、くるみでゆっくりしすぎたせいで、天日様は厚揚げを品切れのため買い損ね、私は漫画の新刊を売り切れのため買い損ねた。
未来は神様でも読めないのだ、何が起きるかわからない。