名無しの話
真白さんが失恋した次の日の朝、私達は予定通り民宿を出てそれぞれの帰路についていた。
天日様は朝まで真白さんに付き合っていたらしいが、疲れた様子は一切ない。
「結局どうするんですかね、真白さん」
「さぁ…落ち着いたら場所は変えると言っておったがのう」
場所を変えるとは…もともと放浪でもしていたのだろうか。
ティロリロリーン
真紀からのチャットメッセージだ。さっき別れたばかりなのに。
「ごめん、操の下着間違えて持って帰ってた返したいから、ここにきて」
どうやったら人の下着を間違えて自分のかばんに詰め込むのか。まぁ…やったものは仕方ないか。
「誰からじゃ?」
「真紀からです。私の下着、間違えて持って行ったみたいで」
「そそっかしいのう」
一緒に貼られた地図の画像は、駅から少しだけ離れた路地裏を指していた。
喫茶店で渡すものでもないし、妥当か。
「先に帰っても良いですよ?」
「…別に構わんよ。一緒に行く」
「そうですか」
大した距離でもないので天日様も着いてきてくれることになった。
集合場所は駅周辺のよくある架線下で不良のたまり場みたいな雰囲気のところだ。
現実には誰もいないことのほうが多い。
「もう着きますよ」
ティロリロリーン
真紀だ。
「人がいてちょっとダメそう、急きょこっちに変更。だそうです」
「どこになったんじゃ?」
元の集合場所からちょっと離れた場所だ。歩いて行けるが入り組んでいる。
さすがに地元の私もこんな細かい場所は地図無しではわからない。
「あれ、真紀の家って逆方面じゃ…」
真紀と私は同じ地域に住んでいる。
駅を挟んで学区が異なるため小学校は別で、真紀はお受験したので中学も別。
高校が一緒にならなかったら見知らぬ近隣住民の一人になってただろう。
「慌てとったんじゃろ」
「そうですね」
わずかに違和感を感じたが、真紀なら十分にあり得る。
送られた地図の画像を頼りに目的地へ向かう。
地図に従って歩いていくとまだ昼だというのに妙に暗い。
じめっとしていて住宅の隙間を通っているのに人の気配がない。
「…面倒なことに巻き込まれたのう」
「ごめんなさい、天日様。ここまで面倒になるとは」
「いや、ミサオは気にせんで良い。それより道はあっとるのか?」
「送られた地図だと、もうすぐですね。次の十字路を右です」
見慣れない地形だが、地図を読める人間で助かった。
「GPSを使え」
「ネットですか?えーっと、圏外?ええ…」
このご時世で圏外とは。
そこまでド田舎村では無いと思っていたのだが…スマホの調子が悪いのだろうか。
「はぁー、そうくるかぁー?古い手じゃのう。じゃが喧嘩を売る相手を間違えたな。
ミサオはここで待っとれ。…あと下着はミサオのカバンの中にちゃんと入っとるはずじゃよ」
「え?」
慌ててかばんを漁ると、確かに準備していた着替え分の下着がかばんには入っていた。
「どういうことですか?あれ?天日様?」
天日様はすでに十字路を右に曲がり終えているところだった。
「誰だ貴様は、人間じゃない」
「そうじゃよ」
見えないところで誰かと話している。低い男性の声。間違いなく真紀ではない。
「どういうことだ、狙った獲物はどこだ、横取りか」
「結論から言うと、お前は適切な場所で適切な管理下に置かれる」
「は?」
天日様のいる道が強い光を放つ。眩しかったが少し長めのフラッシュ程度ですぐに収まった。
それと同時に天日様が戻ってきた。
「何が起きたんです?」
「名無しが出よった。あー、その新種の妖怪みたいなもんじゃ」
名無し?新種の妖怪?
「生まれたばかりで、ルールも知らない若造じゃよ。チャットで人間をだますとは何ともまぁ」
「え?このメッセージ真紀から…あれ?」
真紀からのメッセージの履歴に先ほどのやり取りが残っていない。
ティロリロリーン
ティロリロリーン
「民宿に下着わすれた、ショック!」
「あれ?届いてない?」
真紀から新しいメッセージが届く。電波が正常になったようだ。
時間がちょっと古い。
ティロリロリーン
「届いたか」
さらに真紀からのメッセージ、現在時刻のものだ。
「真紀の奴は無事か、やれやれ…帰るぞミサオ」
「えっと、ごめんなさい。説明してもらえます?」
「変な妖怪に何かされる前に終わった」
妖怪?何かされるって…さらっと大事なことを言ってません?
「神隠しに遭いかけたってことですか?」
「神隠し?んー、そういうことじゃな。何もなくて良かった、本当に、未然に防げてな」
「あ、ありがとうございます」
たぶん私一人だったら酷い目にあっていた。流石は天日様だ、頼もしい。
「その、名無し?はどうしたんです?」
「…秘密じゃよ」
「秘密って」
「知らなくて良いこともあるんじゃよ。ほれ帰るぞ」
ちょっと不機嫌な感じ。神様にも事情が色々あるのだろう。
天日様は振り返らずに先を行く。
私を守ってくれたことに変わりはない。あまり詮索するべき事ではないだろう。
「あ、天日様」
「だから言わんて」
「帰り道逆です。GPS的に」




