寄り添う雨音~結局、家族になっていた。
瞬くと、眠そうに瞼を擦る息子たちの姿があった。
もうすぐ日付が変わる。
先月に倒れたまま意識の戻らない義父の峠が今夜だと伝えられ、家族で病院からの連絡を待っていた。
四年生になる長男のユイトは、事態の重さを理解して神妙な面持ちを崩していない。
「カナトはまだ小さいから、眠っていていいよ」
義母の提案にも次男は意地を張ってその場を動こうとしない。
新入学生は先ほどから下がろうとする瞼に必死で抗っている。
「おばあちゃん。カナトも家族だから」
祖母に訴えるような視線を向ける長男に、母である私も思わず、ハッとさせられる。
当然としている彼の背中の大きさを確かめるように手を添えた。
「眠るのは車でも病院でもできます。ユイトもこう言っていることですから」
私の切願に義母は何も言い返さなかった。
不自然な沈黙が、どうしようもない日常の中の非日常性を際立たせていた。
寄り添う雨音。
木製椅子の軋み。
テーブルクロスの模様。
古びた蛍光灯の、微かで断続的な明滅。
普段は気にしない色や音が五感に障る。
※※※※
病院から連絡が入ったのは、日付が変わる直前だった。
「もう、なんでこんな時にばかり」
通りのない道で信号に捕まり、ハンドルを握る夫が思わずそう零す。
無理に急いても仕方ないのはわかっている。
だが、この時ばかりはどうしようもない無力感が顔を出してしまったのだろう。
私は子供たちを抱く手を強めた。
「おじいちゃんはどうなるの?」
病室でカナトは祖父の顔を不思議そうに覗き込む。
白いベッドに横たわる義父は、一見、昨日の様子と変わりないように思われた。
医師は家族が着いたことを確認すると、簡易的な状況説明に夫を連れ出した。
「じいちゃんは死んじゃうんだ」
ユイトは弟にそう伝えた後、答え合わせの確認をするように私を見上げた。
片方の手はベッドのシーツを、もう片方は私の袖を、どちらもきつく握っている。
———答えを示してやる前に、医師が看護師を引き連れて病室に戻ってきた。
夫は義母と私に視線を向け、そして伏せて見せた。
「ねえ、しんじゃうってどういうこと?」
場違いなカナトの声に、私はドキリとしてしまう。
「おじいちゃんにはもう、会えなくなるのよ」
医師の処置を見守りながら、私は自分に言い聞かせるようにそう告げる。
延命装置が取り除かれると、義父の命は静かに止んだ。
「お別れしてあげて」
医師が去ると、怖気づいている息子たちの背中を押して祖父の顔を拝ませた。
カナトは遠慮がちにその頬に触れ、涙を流し始めた。
まだ十分に死を認められなくとも、会えなくなる寂しさが彼の頬を濡らしたのだろう。
弟の涙に、兄の我慢も決壊した。
彼は祖父に駆け寄り、堪えられない涙をしゃくり上げる。
義母も夫も、静かに泣いた。
頬を伝う雫に、私は自分を疑った———。
※※※※
私と義父の関係は、今日に至るまで必ずしも良好と言えるものではなかった。
昔堅気の義父は私を小間使いのように扱い、意見を許さない。
ぞんざいな態度で叱りつけられることもしばしばだった。
その都度、戦ってくれる夫や味方してくれる義母の気遣いのおかげで何とか耐えてきた。
私は正直、義父の余命が幾許もないことを知り、どこかで安堵していたのだ。
息を引き取る時がきても涙は流さないだろう。
そう予想を立てていたから、思わず零れたそれに少なからず困惑したのだった。
「おじいちゃんは幸せね」
夫と義母が医師に呼ばれている間、私は残って息子たちの頭を撫でていた。
ソファに腰かけ遠巻きに祖父を見守りながら、涙の止まない二人は身を預けてくる。
「どうして? おじいちゃんは死んじゃったんだよ?」
兄の質問に、弟もこちらを見上げる。
私は微笑み、また遠いところに視線を向け、孫を見る時の義父の顔を思い出した。
彼は孫たちには甘かった。
頼んでもいないお菓子を買い与え、気を引こうとした。
私に対する態度は最後まで崩さなかったが、孫たちには愛を持って接してくれていたのだった。
「だって、家族全員に見送ってもらえたでしょう」
私たちは結局、家族になっていた。
それが不測の涙の原因。
そう思うと、どこか腑に落ちた気がした。
夫と義母が病室に戻るころには、私は平静を取り戻していた。
ひどく静かな時間が家族を包む。
「カナト。おじいちゃんは天国に行ったのよ」
私はそんな言葉を自然と零した。
ほとんど無意識に。
「テンゴク?」
次男が私を見上げてくる。
「そう、天国」
「いいところ?」
「ええ。いいところ」
応えた拍子に、カナトは満面の笑みを咲かせた。
「じゃあ、おじいちゃん、よかったね」
その屈託のない笑顔が家族の表情を和らげる様を私は見守った。
間も無く、安心したように息子たちは寝息を立て始めた。
静まり返った病室。
私はどこか不思議な感覚でその人の横顔を見ていた。
見るのも嫌だったのに。
その時は不思議と何とも感じなかった。
何とも、だ。
私は息子たちを抱きながら、病室の片隅でその横顔を目に焼き付けたのだった。