幕間 赤い影
カビ臭い部屋だなと男は思った。
部屋内は薄暗く、湿気を帯びている。たまに天井から水の滴り落ちる音が聞こえ、それが床に小さな水溜りを作り出していた。その部屋の匂いに、黒い皮のコートを着た男は、眉を不機嫌そうにしかめた。
室内には湿気の他に熱気も篭っており、その熱気が男の肌を舐めるように纏わりついてくる。室内には窓らしい窓もなく、中央の天井に裸電球が一つあるだけだ。陰気くさい部屋だなと男は思った。
これだから悪の組織は……と男は鼻でため息をつく。どうせ人様に顔向けできない事でもやっているのだろう。こそこそと逃げ回り、地面を這い蹲るように生きている虫のような連中にはお似合いの場所だ。
だが、自分は違う。こんな所にいるべき人間ではない。だから、さっさと終わらせてこの場を立ち去ろう。
男はそう考え、右手の皮手袋を履きなおした。
キュッと、皮と肌が擦れ合う音がする。その音は男には心地よいものだった。
男は歩を進める。部屋の奥の扉から人の話し声が聞こえてくる。
近づくごとにボリュームが増し、それは複数の男達が言い争う声のようだった。事前の情報通り、今日のターゲットがここにいるようだ。
声の主達はかなり焦っているようだった。怒号が飛び交い、悲鳴のような声も混ざっている。
そうだ、それでいい。彼は口元を半月上に歪めると、ぺろりと唇を舐める。気持ちが高ぶった際に行う、彼の癖だった。
扉の前まで来ると、彼は一度立ち止まり、両腕を勢いよく広げた。コートの前がめくれ上がり、腰の部分から鈍い金属の光が覗く。
「着装……」
低く、重い、男の声。
その声に、腰のベルトが反応する。
まばゆい光を放ち、男の体を包み込んだ。
さぁ、時間は来た。パーティーの始まりだ。
数刻後、室内は炎に包まれていた。
燃え盛る炎の中に、二つの動く影が見える。
一つは体の線がはっきり浮き出た影で、頭は丸く、ヘルメットのようなものをしているようだった。
もう一つは鎧のようなものを纏った影で、先ほどの影の男に吊り上げられているようだ。しかも、片手で。
「弱い、弱いなぁ」
ヘルメットの影がそう呟く。
対して鎧の影は声にならないうめき声をあげるだけだ。
「なぜ……お前が……っ!?」
「うるせぇよ」
鎧の影の問いかけに、ヘルメットの影が不機嫌そうに答える。
そのまま吊り上げている腕に力を込め、ギリギリと鎧の影の首を締め上げる。鎧の影の、声にならない声が室内に響き渡った。
ヘルメットの影は特徴的な格好をしていた。
ダイバースーツのように体の線が浮き出る服に、円錐状のヘルメットを被っている。腰には銀色のバックルがはめられたベルトをしていて、その両端には銃と警棒のような物がぶら下がっている。
肉体はしっかりと鍛えているのであろう、筋肉質な体型のようで、服装のせいか、筋肉の起伏がはっきりと見て取れた。
彼の腕に巻かれたブレスレットが、甲高い金属音を鳴らす。
それに気付いた彼は、鎧の男の腹に拳を叩き込み、相手を気絶させると、ゴミでも捨てるかのように、炎の中に投げ捨てた。
「……こちら焔。……あぁ、今、終わったところだ」
ブレスレットは携帯電話のような通信機のようだった。
彼は気だるそうに、状況の説明をしている。
「あぁ……三分もしないうちに片がついた。あっけなさすぎて、物足りないぐらいだ」
不満げにそう説明する。
「あぁ……あぁ……分かっている。こっちは金さえ貰えれば何も言う事はない。……了解した。後は勝手にやってくれ」
それで通信が終わる。
彼は一度室内を見回すと、炎に背を向け、歩き出した。
今日のターゲットはスコルピオンという悪の組織だった。上方エリアでも屈指の凶悪さを誇る悪の組織と聞いていたが、彼の力の前では、無力だった。
人数も多いと聞いていたが、この部屋にいる幹部や上の部屋にいた戦闘員達は、全て彼の手により倒されてしまっていた。一対多数でも、彼にとっては、大人と子供喧嘩ほどの差でしかなかった。それ程に、彼の戦闘力は高かったのだ。
「次の連中は、楽しませてくれるといいんだがな」
彼は次のターゲットに思いを馳せる。
最近は外ればかりで少々物足りなさを感じていた。だが、次のターゲットは、この世界では有名なあの男だ。復活したばかりという話ではあるが、その力はそれなりに確かなものだろう。今日よりはマシな戦闘ができるに違いない。そう思うと愉快な気持ちになってくる。
彼はヘルメットの中で、口の端を曲げ、ニタリと笑った。
炎の灯りが、彼の姿をはっきりと映し出す。
彼の格好、それはヒーローと呼ばれる者達が着用する、バトルスーツだった。