初めての征服活動
「……で、ここはどこだ?」
アリスに導かれるまま、山を降り、電車に乗り、バスに乗り、たどり着いた先はどこにでもありそうな、普通の町だった。
自分で言うのもなんだが、こんな不審者の域を通り越したみょうちくりんな格好である。そんな格好をした男が金髪の少女を連れ、電車やバスに揺られる姿はさぞかし異常に見えたであろう。実際、乗り合わせた乗客や、町ですれ違った人々の目に、私達はどう映ったのであろうか。正直、考えたくない。
連れて来られた場所は、4階建ての大型の建物の前で、屋上から「納税はお早めに」と書かれた巨大な弾幕が垂れ下がっている。周囲に大型の駐車場がある事や、建物の雰囲気からして、どうやらここは役所か何かのようだ。
ここに向かう途中分かった事なのだが、この周辺は綺麗に区画整備された地域のようで、建物の前の道路はどこまでも直線で先が見えず、ほぼ均等の間隔で他の道路が交差していた。たぶん、碁盤の目のようになっているのだろう。道路沿いには、個人商店と思われる小さな店が何件も並んでおり、歩道は赤レンガのようなものが綺麗に敷き詰められ、街路樹が規則正しく植えられていた。行き交う人々の顔には笑顔があふれ、遠くから子供達の声も聞こえてくる。
うむ、客観的に見ても良い町だ。
「ここはアジトから少し離れた所にある塩頭市玉之江町です。人口6529人、特産品は高原野菜で、長野県では平均的な規模の町です。アジトから近いですし、交通の便も……まぁ、悪くは無いので、制圧エリアのベースとしては十分だと判断しました。ちなみにあちらに見えるのが町役場で、今回のターゲットとなります」
先ほど見た地図だけでは分からなかったが、どうやらここは長野県らしい。日本のど真ん中だな。
しかし、征服と言っても、何をすればよいのやらだ。役所まで来たという事は、役所の職員と交渉か何かをするのだろうか。
「アリスよ、征服とはどういう風に行うものなのだ?」
まずはアリスに聞いてみる。ここに連れてきたという事は、何かしらの考えがあっての事だろう。
「簡単な事です」
アリスはそう言うと、自らのスカートの中に手をつっこみ、ごそごそと動かし始めた。いかんいかん、年頃の少女がそんな事をしては! みっともないぞ!?
「……ありました。よいしょっと。」
ずるりとそれはアリスのスカートの中から出てきた。
何が出てきたか。黒くて太くて長くて堅い、凶暴なもの。
そう、ロケットランチャーだ。
「な、なんでそこからそんなものが出てくるんだっ!?」
「マスターの神をも超える技術のおかげです」
「昔の私は何を考えて、少女のスカートの中にロケットランチャーをしこんだんだっ!?」
いやいや、そもそも、そんな巨大なものがスカートの中に収まるわけがない。どう見たって、アリスよりも大きいぞ!
「まぁ、どう収まっていたかは後ほどご説明するとして」
軽々とロケットランチャーを持ち上げ、肩に担ぎ、慣れた手つきで発射準備をするアリス。
「お前、まさか、それを!?」
「ロケットランチャー発射」
炸裂音が響き渡り、閃光がゆったりとした曲線を描きながら、町役場の敷地内へ吸い込まれていった。瞬間、正面から猛烈な炎と衝撃が殺到し、私達の視線を真っ赤に染め上げる。衝撃で吹き飛んだと思われる乗用車が二回、三回と跳ね回り、砕けたアスファルトが天から降ってくる。ロケット弾を打ち込まれた町役場には大きな穴が開き、どす黒い煙が上がっている。しかもガス管か何かに誘爆したらしく、続けて二度、三度と爆発が起き、建物はあっという間に炎に包まれた。大惨事だ。
ロケットランチャーからは虚空に向けて白い煙が立ち上っており、それを無造作に地面へ放り投げると、彼女は表情を変えずにこう言った。
「まぁ、セオリーどおり、こんな感じで武力行使すればよいかと」
心なしか満足しているようにも見える。いや、そうじゃなくて。
「な、な、なにをやっておるのだ、お前はっ!!」
あまりの予想外の出来事に、思わず声が荒立ってしまう。
「ですから、征服活動を」
何を言っているんですかといった感じで、アリスが説明しようとする。事の重大さが分かっていないらしい。
「もっと穏便な方法があるだろう、穏便なのがっ! ほら、もっとこう、情報戦とか交渉とか! そういう血なまぐさくない奴がっ!!」
「ですが、こちらは復活したとはいえ、人員は私とマスターの二人だけですし。それならば先手必勝で、圧倒的火力で相手の戦力を根こそぎ刈り取ったほうが成功率が高いと思うのですが」
「しかし、だからといって……これではただの虐殺ではないかっ!?」
そう、これは虐殺、破壊、テロだっ! なんていう事をしてしまったのだ、私達はっ!
「いやいや、こんな問答をしている場合ではない! こういう場合は、えっと、その、警察か!?」
「破壊活動をした本人が通報するというのは、いささか間抜けではありませんか?」
「冷静な顔をしてつっこんでいる場合か! 現状を見て分からんのか! 虐殺だぞ、虐殺! 町役場が大ピンチだぞ!?」
アリスに詰め寄ろうとした瞬間、燃え盛る炎の中から、歓声があがった。
いや、これは歓声ではない。これは、そう、あれだ。未開の地の原住民が獲物を追い詰める時にあげるような、そんな雄たけびだ。
「なんじゃ、なんじゃーっ!?」
「敵襲かーっ!?」
炎の中から町民達が現れる。その姿は一言で言うなら異常だ。
「な、なんで一般町民が銃やらバズーカやらを持っているのだ!? っていうか、なんで皆、無事なんだーっ!?」
あの状態、あの爆発の中で、なぜ彼らは五体満足で、しかも軍隊張りの重武装で身を固めているのだ!?
「あぁ、それはですね。過去、様々な悪の組織が悪の名に恥じない破壊活動を行った結果、国単位ではなく市町村単位での武力保持を認められるようになっておりまして。子供でもライフルの一丁ぐらいは持っているのが普通なのです」
さらりととんでもない情報を教えてくれるアリス。え、子供がライフル持ってるのが普通って、どういう事!?
「お前らか、こんなはた迷惑な事をしでかしたのはーっ!?」
両腕にライフル、体には防弾ベストやレッグアーマーらしきものを装着し、日の丸の描かれたはちまきを締めた姿の老人が雄たけびをあげた。全身から怒りのオーラを迸らせ、目は血走り、肩をいからせ、ものすごい形相で睨みをきかせている。見た目70歳ぐらいの老人には見えるのだが、格好と剣幕のせいで、とても怖い。ちょっとしたホラーだ。
「そんな訳で、最近では、ちょっとやそっとの攻撃では、制圧できなくなってしまっているのです。まぁ、つまりは、こんな感じで」
炎の中から、他の町民達がぞろぞろと出てくる。おじさん、おばさん、おじいちゃんにおばあちゃん、スーツ姿の若者もいるようで、皆一様に特殊部隊ですと言われてもまったく違和感がないぐらいの重武装だ。老若男女問わないその集団は、目をぎらつかせ、ズンズンズンと足音を立てながらこちらへ迫ってくる。まさにデスマーチだ。
「玉さんこいつらかっ!?」
「あぁ、こいつらじゃ、ほんにはた迷惑な事をしおってからにっ! どげんしたろうか……ほげっ!」
使い捨てロケットランチャーを片手に、老人が叫び、その入れ歯が宙を舞った。
「あんな攻撃をされて、怪我一つしてないって……ありえないだろう」
「だから圧倒的戦力で根こそぎ刈り取ったほうがよいと申し上げたのです」
アリスはそれだけ言うと、私の後ろに隠れる。
「私は対人戦闘、特に近接戦闘には向かない構造となっておりますので、後はマスターにおまかせします」
さらりとそんな事を言う。え、なに、場を混乱させるだけ混乱させて、後は押し付けなのか!?
「信州人、なめたらあかんずらーっ! 全員突撃ずらーっ!!」
老人の掛け声に合わせて、町民が群れをなしてこちらに突撃してくる。これはかなり恐ろしい光景だぞ!
「よかったですね、待望の出番ですよ、マスター。復活の第一線、盛大にやっちゃいましょう。さ、遠慮なさらずに、どうぞ」
「どうぞじゃなーいっ!」
アリスに背中を押され、前に押し出される。やめてくれ、悪いのは私達だが、それでもこんな連中の相手など、出来る訳がないっ!
「往生するずらーっ!! 一斉射ーっ!」
町民達がこちらへ向けてロケットランチャーを一斉射。放たれた無数の閃光が私達に殺到する。この距離からでは避けられない。やばい、これは、死んだ。
閃光が目の前まで迫る。
その閃光が私の体に……触れない。目を疑う出来事が起こる。
私の体に当たるであろう弾頭が、全て空中で弾け飛ぶ。火花を散らして粉々に。まるで目の前に壁でもあるかのように、遮られる。
少し遅れて体に爆風が叩きつけられ、顔を両手でガードし、なんとかその場に踏みとどまった。
「生きて……る?」
煙が晴れ、視界が確保される。町民達の足は止まり、皆一様に、信じられないものを見るような目で私を見ていた。
彼らの驚きはもっともだが、私自身はもっと驚いている。なんだこれは?
「こほっこほっ……さすがマスターですね」
私の背中に隠れていたアリスが、煙に咳き込みながら出てきた。
「い、今のは一体、なんだ? 目の前でミサイルが全て爆発してしまったように見えたが?」
「マスターの体は絶対の防御を誇っており、悪意ある攻撃を全て遮断する障壁を発生させる力があります。あのぐらいの攻撃であれば、マスターの体に届く事はありません。その事もお忘れですか?」
なんだそのチート能力。私の常識が崩壊しそうだ。
「もし、戦闘の方法もお忘れのようであれば、多少ではありますが、レクチャーいたしますが」
「私の能力を知っているのか?」
「全てではありませんが、私の方で補助をすれば、何も知らない状態よりは少しは良くなるかと」
「で、では、現状を打開できる方法はなにかないか?」
それではと言うと、アリスは私にある一つの方法を教えてくれた。
町民達は攻撃の手を止め、「ありえない!」「そんなばかな!」と叫んでいる。確かに驚きもするだろう。ロケット弾をぶつけられた相手が無傷でいたなんて事態に出くわせば。
「不発か!?」
「いや確かに当たっていたはずずら!」
「もう一発かませばわかるわいっ!」
どうやら気を取り直したようで、ロケットランチャーを再度こちらへ構え直す。アリスの話が本当であれば、次の攻撃もたぶん問題はない。だが、大丈夫だと分かっていても、二発も三発もあんな物を喰らいたくはない。寿命が縮む。
だから攻撃だ。
足を半歩前に出し、腰を落としてから、こぶしを上段に構え、力を込める。どう力を込めたらよいのかは分からないので、とりあえず思いっきり握り込む。手を覆っている甲冑同士が擦れ合い、金属同士が擦れ合う鈍い音がする。
アリスに教えてもらった、現状を打開する攻撃方法。
「どぉぉりゃぁぁぁぁぁっ!」
単純明快、相手に向かってその場でこぶしを振り落とすっ!
振り落としたこぶしの先の周囲の景色がぐにゃりと歪む。木や草やアスファルトや石や土が、強風を受けたようにはじけ飛ぶ。一直線に、町民達へ向けて、その見えない衝撃が疾走する。瞬く間にそれは町民達へ到達し、瞬間、大地が爆ぜた。
「うぉっ……!」
爆風にあおられ、思わずのけぞってしまう。今の攻撃はなんと言えばいいのだろうか。そう、つまりは、衝撃波だ。しかも特大の威力を持った。
「お見事です。さすがマスター」
アリスが、ぱちぱちと手を叩き、無表情で賞賛を送ってくれる。賞賛は嬉しいが、喜んでいい状況ではない。あの爆発だ。町民達も無事ではあるまい。
やばい、そう考えると私はとんでもない事をしてしまったのではないだろうか? 訳の分からないまま殺人者になるなんてたまったものではないぞ。
「ご心配なく。あの程度では死にはしません。せいぜい気絶させるぐらいでしょう」
アリスの言うとおり、着弾地点にいた町民達は全員がひっくり返って気絶はしているものの、死んでいる人間はいないようだった。
地面が吹っ飛ぶような爆発だぞ? なんで無事なんだ?
「今の攻撃は、マスターの闘気をぶつけただけの、いわばショックウェーブのようなものです。本来は神業的な闘気の調整が必要なのですが、今のマスターには難しいと考え、私の方で調整させていただきました。この技は、見た目は派手ですが、殺傷能力は低く、怪我をしたとしても、爆風によるかすり傷程度です。マスターのおっしゃった事から推測したのですが、どうやらマスターは町民を殺傷する事に抵抗があるように思えました。その為、殺傷能力の低い、この攻撃をレクチャーさせていただきました」
自分の手を見つめてみる。鎧を纏ってはいるが、普通の手だ。なのに、あんな事ができてしまうなんて……。
この状況に、この力。アリスの言っていた事の信憑性がどんどん高まっていく。あぁ、どんどん現状を否定する材料が無くなっていくぞ。どうしたものか。
「……まぁ、よかった」
ため息を吐く。それでも、ひとまず場は落ち着いてくれたようだ。
相変わらず、目の前で燃え盛る市役所から目を逸らせば、だが。
「彼らは本当にただの町民なのか? 重火器の扱いも手馴れているようだったし」
「町内活動の一環として戦闘訓練を行っている所も多いそうですから」
「んな、あほな」
「でもよかったですね、マスター。 活躍の場がしっかりとありましたし」
「いや、別に私は活躍したいとか、そういうつもりはなくてだな……」
本当に、この状況、どうしたものか。警察が大勢押しかけてきて、なすすべなく取り押さえられる自分の姿が目に浮かぶ。いや、先ほどのような攻撃が出来るのであれば、逃げる事ぐらいはできるかもしれないが、法の権化である警察官と大立ち回りをするのは嫌だ。うぅ~む……。
「おや、音感センサーに感あり。大型車両が複数台、こちらへ向かってきているようです」」
腕を組んでうんうん唸っていると、アリスが何かに気付いたらしく、町役場の奥の方へ視線を移す。
炎の中から数台のトラックが爆音を鳴らしながら飛び出したかと思うと、私達から少し離れた所で急停車する。その荷台からは先ほどの町民達と同じような武装に身を包んだ兵隊達が、ぞろぞろと降りてきて、私達をあっという間に包囲してしまった。彼らはライフルやロケットランチャー等の武器を持っていて、その全ての銃口が私達に向けられている。ロケットランチャーが効かない不可思議な力があるらしいのだが、無数の銃を突きつけられているこの状態は、ハッキリ言って恐ろしい。
やがて兵隊達を掻き分けて、一人の男が前に出てきた。格好こそ他の兵隊達と同じだが、体はどの兵隊よりもガッシリとしており、細長く鋭い目から放たれる眼光は、この人物が他の兵隊と違う人間だと私に教えてくれる。両腕にライフルを装備し、背中からは謎のアームが伸びていて、その先端には4連装のロケットランチャーがついている。防弾ベストには手榴弾らしきものがぶら下がっているし、腰には警棒のようなものが付いているのが見えた。なんというか、彼から浴びる殺意はハンパない。その視線だけで人が殺せるんじゃないだろうか。
「これは好都合。町長さんが現れました。この人を倒せばこの地域は貰ったも同然ですね」
「え、あれ、町長なのか!? なんで町長が全身重火器のフル装備なのだっ!?」
「町長さんならこのぐらい常識です。それに取り巻きの兵隊達は、たぶん役所の職員でしょう。さぁ、撃退してください」
「そんな簡単に言うなっ!」
町長と言われた男の目がギラリと光る。その顔は、ヤクザと言われても信じてしまいそうだ。
「ひさしぶりに襲撃を受けたと思ったら、キグルミを来たバカと幼女が首謀者とはな。これは予想外だ」
左手に持ったライフルを私とアリスに向け、町長が問いかけてくる。
「一応、聞かなければならない。お前達はなんだ?」
「えっと……私達は……」
なんて答えればよいのだろうか。悪の組織ですと答えれば理解してもらえるのだろうか? いや、その前に謝罪とかした方が……。
「私達は悪の秘密結社です。塩頭町長さん、この町を制圧させてもらいます」
私が迷っている間に、アリスが代弁してくれた。
「ほぅ、悪の組織か。ひさしぶりだな」
フンッと鼻を鳴らして、面白くなさそうに町長が言う。その言い方で通じるのか、信じられん。何も言えない私を抜きにして、アリスと町長のやり取りは続く。
「手っ取り早く降伏してもらえると非常に助かります。こちらにはそちらが束になって攻撃をしてきても壊滅させるだけの戦力があります。抵抗するだけ無駄と考えてください」
戦力って、私とアリスだけだろ。私は重武装の兵隊を何十人も相手にはしたくないぞ。というか、そもそも私は争いなんてしたくない。
町長は辺りの惨状を見回しながら、「なるほどなるほど。確かに劣勢なのは我々のようだがな」と、肩をすくめ、そのまま左手を腰に伸ばし何かを掴んだ。よく見てみると彼の腰には操縦桿みたいなものがぶら下がっている。あれはなんだ?
「だが、私は町長。どんな組織が来ようと、武力には武力で抗うのが、私の仕事だ」
彼の腰が落ちる。何かする気だ!
「死ねっ!」
町長の左手が操縦桿みたいなものを強く引き込むのが見えた。次の瞬間、彼の肩に背負われたロケットランチャーから閃光が迸る。あれは、ロケットのトリガーだったのだ。一つ二つ……四つの閃光が正確に私を捉え、あっという間に目の前までやってくる。だが、閃光は届かない。目の前で勝手に爆発し、熱と爆風だけが私の体に到達する。さきほどアリスが説明してくれた謎能力の防御が効いているようだ。
攻撃が効いていないのに気付いたのか、町長は眉間に皺を寄せ、口元を吊り上げる。開いた口元からは犬歯が覗き、ニタリと笑うその表情は、私なんかよりもよっぽど悪人面だ。
「ちぃ、化け物めっ! 撃て、撃て、撃ちこめっ!」
包囲していた兵隊達の銃口が一斉に火を吹き、無数の銃弾が私達に向けて発射される。しかし、それも私達には届かない。銃弾は私達の近くまでくると小さな閃光を起こし、勝手に爆発してしまう。私を中心に半円形のバリアーみたいなものがあるようだ。
「さすがマスター、お察しの通りです。マスターを中心に悪意ある攻撃を遮断する防御壁が展開されており、あの程度の攻撃では貫通する事はありません」
私の想像が当たったらしい。しかし、絶対に大丈夫だとはいえ、360度銃弾を浴びせられ続けるのは、恐怖だ。特にこの飛び交う銃弾の羽音のような音が最高に怖い。なんとか、この場を収めなければいけないのだろうが、どうしたらいい?
「では、今度は先ほどと同じ要領で、地面にこぶしを叩きつけて下さい。細かい調整はこちらで行います」
「わ、分かった」
アリスの指示に従い、こぶしを上段に構え、再度力を込める。
「どっせいっ!」
掛け声一発、地面へこぶしを突き立てる。地面はえぐれ、こぶしはめり込み、こぶしを中心にに円形の波紋が広がる。波紋は大気を歪め、大地を引き裂き、衝撃波が巻き起こる。衝撃波は、急速に拡大、疾走。取り囲んだ兵隊達をことごとく吹き飛ばし、その先の更にその先の風景を砕いていく。瞬間、私を中心に閃光が巻き起こり、大地が爆ぜた。
爆発の後、私を中心とした半径1m程度を除き、周囲10m程が巨大なクレータに飲み込まれていた。これを、私が、やったのか!?
「な、なんだこれは?」
「先ほどの応用です。直線ではなく円形状に衝撃波を飛ばし、周囲一帯を吹き飛ばしました。先ほどの技が線であるならば、こちらは面ですね。もちろん、殺傷能力は低く、見た目は派手ですが、命を奪うほどの威力はありません。広範囲に影響を及ぼすスタンガン的なものだと思ってください」
兵隊達は全て吹き飛び、ひっくり返って気絶している者もいれば、うめき声を上げている者もいる。が、確かに死んでいる者はいないようだ。先ほどの町長も衝撃波で吹き飛ばされたのか、地面の上に倒れていた。背中に背負っていたロケットランチャーも、どこかへ吹き飛んでしまったようだ。
「戦闘力を有している方達は、これで一通り倒しましたね」
アリスはそう言うと、うつ伏せに倒れたままの町長の所へ歩いていく。町長はうめき声を上げるが、体が動かないらしく、近づいてきたアリスを倒れた状態で見上げるだけだ。相変わらず眼光だけは鋭く、今にも噛みきそうな表情をしている。
「では、町長さん」
「……ぐ……ぐぬぅっ!」
「この地域は私達、悪の秘密結社の制圧エリアとしますので、あしからず」
「ぬ、ぬかせ、こわっぱっ!」
町長はうつ伏せのまま上半身だけを持ち上げると、右手を天に突き上げ、声高らかに叫ぶ。
「悪の組織が怖くて、町長がやってられるかーっ! リメンバー パールハーバーッ!」
「ちょうちょー!」
「町長かっこいーっ!」
「マジリスペクトーっ!」
気絶から復活した兵隊や町民達が歓声をあげる。拍手する者もいれば、涙を流して叫ぶ者もいた。一応、体の痺れは抜けていないらしく、全員寝たままなのを補足しておく。
「ふむ。戦闘力を削いだのに、この気迫。こうなっては殺すしかありませんね」
アリスはそう言うとまたスカートの中に手をつっこみ、ごそごそ動かした後、拳銃を取り出した。
「お覚悟を」
拳銃を町長の頭に突きつける。
「ぐぅ・・・っ!」
町長は呻くだけで、体が動かない。周囲の兵隊達もやめてくれと声を荒らげるが、アリスの耳には届かない。泣き叫んでアリスに懇願する者もいる。それでもアリスは銃を降ろさない。ゆっくりと指を檄鉄にかける。
やばい、本当に撃つつもりだ。先ほどの攻撃で気絶程度ですむ町長だ。拳銃を撃たれたぐらいでは死んだり……しないのか?
いや、死ぬ。絶対に死ぬ。あんなものを無防備な頭部に喰らって、死なない人間など、いるはずがない。
だめだ、人を殺してならん。アリスに、殺人をさせてはいかん!
「ならんっ!」
私の声が響き渡る。アリスの体が小さく震え、町長に銃を突きつけた姿勢のまま、動きを止めた。騒いでいた兵隊達も口を噤んでしまい、場を静寂が支配する。
アリスは顔だけをゆっくりと私の方へ向けた。
「マスター?」
「アリスよ、人が人の命を奪うという行為は、決してやってはならん事なのだ。誰かを殺し目的を達成するというその考えは、間違っている」
「そうでしょうか?」
「そうだ」
「そうなのでしょうか?」
「そうなのだ!」
アリスの表情は変わらない。自分が何をしようとしたのか、その結果何がもたらされるのかを、分かっていないように見える。まるで当たり前の事をしようとして、それを咎められた、子供のようだ。
それに気付いた時、私はアリスという少女の事が少し分かった気がした。
彼女は善悪の判断がつかない子なのだろう。それは今までの彼女の言動と行為を考えれば、明白だ。
私に作られたという彼女は、たぶん、生まれてから今日まで組織内で生活してきたのだろう。当然、周りは悪の組織の人間達ばかりであり、そんな中では通常の善悪に対する価値観を学ぶ機会は無かったはずだ。そんな場所で育てば、悪い事を悪いと思わない認識の人間が育ったとしても不思議ではない。この子はきっと、人から物を奪うのも、人を殺すのも、世の常識程度に当たり前だと思っているはずだ。だから、彼女は町を破壊したし、町長を殺そうとしたのだ。
なるほど、この子は、そういう子なのだな。良く分かった。
「町長よ」
私はアリスの横に立ち、町長へ向け、声をかける。町長は私を憎らしげに睨んだ。鋭い眼光ではあるが、今は怯んでられない。
「……なんだ、悪の組織」
「すまなかった」
私は町長に向け、ふかぶかと頭を下げた。
「え?」
私の行為を見たアリスが驚きの声をあげる。
「今回の一件の非は私達にある。最初に攻撃をしかけたのは私達であり、貴方達は、ただ単に自衛したに過ぎない。それなのに、そちら気迫に押され、私は二度、三度と暴力を振るってしまった。既に謝罪のしようもないところまで来てしまってはいるが……許して欲しい」
そう、彼らは自己防衛したに過ぎない。悪いのは私達だ。私はそのまま周囲で倒れている兵隊達にも頭を下げ、謝罪をする。町長を含め、頭を下げられた兵隊達はどうリアクションをしていいか困った顔をしていた。
「マスター、このような者達に頭をさげてはなりません。マスターは大首領様なのです」
アリスは私を嗜めようとするが、それを聞き入れてやる訳にはいかない。私は頭を上げ、彼女の目を見つめる。瞳には困惑の色が浮かび、もうやめて下さいと懇願されているような気持ちになる。だが、私は教えなければならない。大事な事を、だ。
「いいか、アリス。大首領だろうとなんだろうと、悪い事をしたら謝罪する。これが世の道理だ」
「しかし、マスターは……」
「この際、私の立場はどうでもいいのだ。お前は幼い頃から悪の組織で暮らしていた為に、こういう価値観がないのだろう。それは責めん。ある意味、私の責任だ」
そう、アリスの言ったとおり、私がこの子を作ったとしたのならば、だ。そういう環境で育て、なおかつ正しい事を教えなかった、私が悪い。
「だから、今、私はお前に教える為に、手本を見せた。お前も、出来るな?」
「……はい」
「やってみろ」
町長に向けられていた拳銃が降りる。そして、アリスは小さく頭を下げた。
「町長さん、すみませんでした」
頭を上げ、アリスは私へと振り返る。己の行為に戸惑いがあるのだろう、瞳が泳いでいる。混乱を隠し切れないようだ。
ならば、言ってあげよう。正しい事ができたのであれば、褒めるものだ。私は右手で、出来る限り優しく、彼女の頭をなでた。
「マスター……?」
「それでよい。良く出来たな、アリス」
彼女は初めこそ驚いた表情をしていたが、やがて、目を細め、嬉しそうに俯いた。ふむ、なで心地の良い頭だ。位置も丁度良い。
そんな私とアリスのやり取りを、町長と兵隊達は黙って見つめていた。
「さて」
アリスの頭から手を離す。彼女は名残惜しそうな顔をしていたが、なに、また撫でてやる機会はあるだろう。今はまず、こちらの方だ。私はアリスを後ろへ下げ、町長に向き直る。
「町長よ、謝罪の意思は伝えた。これ以上の争いは無意味だ。もう、やめよう。そして、アリスよ」
彼女の方を見ずにそのまま続ける。
「私は自らが否と思っている行為によって手に入れた物に、なんの価値も感じない。征服は無しだ、帰るぞ。」
「マスター、よろしいのですか?」
「よろしいもなにもない。こんな方法を私は認めん」
「そうですか。マスターがそうおっしゃるのであれば」
アリスはそれだけ言うと、拳銃をスカートの中にしまい込んだ。私がいらないと言えば、それは必要ないと考えたのだろう。今回の征服活動に固執しないでくれるのは、ありがたい。
次からは事前に彼女からどうやるのかを聞き、穏便に済ます方法であるかどうかを確認してからにしよう。今回は場の空気で流されてしまったが、私はこの子の主人らしい訳だし、その辺の舵取りもきちんとしなければならない。
「……お前達、本当に悪の組織なのか?」
その場を離れようとした時、町長が私達に声をかけてきた。足を止め、町長の方へ振り返る。
ダメージが抜け切っていないのだろう。足に力が入っていないようで、銃を杖代わりにして立っていた。満身創痍という感じに見えるが、眼光だけは相変わらず鋭い。他の兵隊達も、痺れが抜けた者から起き上がっているようであった。
「そのようなのだがな。私自身も、正直、自信がない」
首を傾げ、両手の手のひらを返す。本当に自信はない。なんせ、記憶がないのだからな。
「悪の組織は、人間を人間と思わないものだと思っていたが?」
「悪の組織とて、人間は人間、尊重すべきものだと私は考えている」
それは他の悪の組織の話だ。私は違う。
「悪の組織は、一般人から根こそぎ奪うだけだと思っていたが?」
「悪の組織とて、無意味に他人のモノを奪ってはいかんと私は考えている」
町長は更に問いかける。
「悪の組織は、悪逆非道だと思っていたが?」
「悪の組織とて、守らねばならぬ道理はあると私は考えている。人道を語れるような身分ではないのだろうがな」
町長は顔を俯かせてしまった。その肩が震えている。まずい、怒らせてしまっただろうか?
「……くっくっくっ。あーっはっはっはっはっはっ!」
顔を上に向け、驚くほど大きな声で町長は笑い出した。いきなり笑い出した彼に、驚いてしまう。
「何がおかしい?」
「いやいやいや、参った参った。このような悪の組織は初めてだ」
そのまま、どっかりと地面に胡坐をかいて座ると、杖代わりにしていた銃を投げ捨ててしまった。ヘッドギアも外してしまい、頭を二、三度掻き毟ると、ベストのポケットからタバコを取り出す。そのまま火をつけ、一口吸い、人差し指と中指ではさんだタバコを私達に向け、煙を吐き出しながら、こう言った。
「分かった、この地域の支配はお前達に任せよう」
「へぇ!?」
間抜けな声が出てしまった。この展開は予想しなかった。
「なんだ、変な声を出して」
私達に向けていたタバコを再び口に咥える。
「しかし、我々は悪の組織だぞ?」
「だから、どうした」
「だからって……」
マントが小刻みに引っ張られる。振り返ってみると、アリスが私のマントを引っ張っているようだった。
「何だ、アリス」
「説明が不足していましたので、補足します。えぇっとですね……この国には私達以外にも悪の組織がたくさんありまして、この街は常にどこかしらの組織の制圧エリアだったんです。この街だけではなく、他の街も似たようなものですね。つまり、町長さん的には、私達の制圧エリアになろうが、他の組織の制圧エリアになろうが、特に変わりはないという事になるんです」
「まぁ、そういう事だ。同じ制圧エリアにされるのであれば、穏便な組織のほうが私達も助かる。なんせ、犯罪率が減るからな」
町長はタバコをもみ消しながら、気楽そうな表情でそう言った。先ほどまであった眼光の鋭さはなく、眉毛は垂れ下がり、どこかのんびりした中年男性のような表情になっている。急に態度が軟化したので、気持ち悪い。あの気迫はなんだったのだ、訳が分からん。
「だ、だがしかし……こちらはそちらの建物を破壊してしまっているし」
そうだ。あれだけの破壊活動をした後で、ではお宅の町をいただきます、という訳にはいかんだろう。
「あぁ、それなら気にするな。保険に入っているから、即日、タダで直してもらえる」
「悪の組織被害保険ですね」
アリスが言うには、この国には生命保険や自動車保険と同じように、悪の組織被害保険という名前の保険があるそうで、これは悪の組織から受けた被害は全て即日補償されるという、国発行の保険らしい。悪の組織が常にはびこるこの国には必要不可欠な保険なのだそうだ。
「こいつのおかげで、どの家も定期的に新品でな。お前達が壊した役所も、3年前に保険で直したばかりなのだ。丁度、廊下のワックスも剥げ掛けてきたところだったし、都合がよかったといえば良かったわい、わっはっはっはっ」
「……要は支配され慣れているという事だな。なんて世界だ」
「まぁ、そう言うな。こういう保険のシステムがあるからこそ、我々一般市民は暮らしていけるんだ。もし無かったとしたら、この島国は今頃、もぬけの殻だよ」
「たしかにそうなのだろうが」
ならば、だ。あんな抵抗、しなければいいのに。お前は危うく殺されるところだったのだぞ?
「普段の訓練の効果確認はしておくべきだろ? 有事の際に役に立つかどうかは、定期的に確認しないとな」
「あの戦闘を避難訓練と同レベル扱いするのか」
「この国では日常茶飯事さ」
「では、町長さん。本日付で、ここは私達、悪の秘密結社の制圧エリアとします。申請等の手続きは、役所が再建したらお願いします」
「1週間も掛からずに元通りになるから、その後、好きなタイミングで来るといい。後、住民票が必要だったら、判子もな」
アリスが町長と制圧エリアに関する手続きを口頭で進めていく。話だけ聞いていると、引越しの時に行う住民票の移動手続きと似たようなもののようだ。なんと言うか、私の常識が通用しない世界だ。
「ま、そういう訳だ。これからよろしく頼むぞ、大首領とやら」
話の最後に、町長は悪戯が成功した子供のような、そんな表情で私に言うのだった。
さて、先ほどの町を制圧した後、私達は行きと同じく、バスと電車を乗り継いで、アジトまで戻ってきた。道中アリスから、制圧とはどのような事なのかを、改めて聞いてみた。その結果分かった事は、私の考える価値観とこの国の人々の価値観は違うという事だった。
まず、私の思っている制圧というのは、手段は別として、暴力により住民達を従わせるというイメージだ。テロなんかが分かりやすい例だろうな。建物は破壊され、資源は強奪され、制圧された人達は恐怖に震え、非人道的な扱いを受ける。そういう先の大戦も真っ青の残虐行為というのが、私の持っているこの言葉のイメージだ。当然、制圧された地域の人々は、悪の組織の悪逆非道な振る舞いに恐怖し、奮起したり誰かに助けを求めたりするだろう。
だが、アリスの説明は違う。この国には昔から大なり小なりの悪の組織があったそうだ。彼らの目的は世界征服だったり、自分達の欲望を叶える為だったりと様々であったらしいのだが、皆一様に共通している事は、自分達の力の顕示だったそうだ。彼らは自分達の組織の力を知らしめようと制圧エリアを広げ、いつの間にか都道府県や市町村の区切りと似たような感じで、悪の組織による制圧エリアの線引きがされていったそうだ。この制圧エリアは暴力団の縄張り争いと似たようなもののようで、時には組織同士で奪い合いをしているらしい。
当初、人々も悪の組織に制圧される事に恐怖を感じていて、警察やその先の国に訴えていた。警察だけでは対処できないと判断した国は、JHKという国立のヒーロー組織を設立し、数多の悪の組織の撲滅を図った。初めこそ力も弱く悪の組織に対抗できなかったJHKではあったが、徐々に組織力を増し、パワーアップしたヒーロー達により悪の組織は壊滅していったという。この時に壊滅した一番大きな組織と言うのが私の組織だったらしいのだが、まぁ、それは置いておく。
だが、悪の組織はしぶとかった。一つ潰しては新たな組織が一つ現れるというイタチゴッコになってしまった。このままでは悪の組織からの被害は無くならないし、民衆のストレスも限界を超えてしまう。そこで生まれたのが悪の組織被害保険の制度だ。悪の組織から受けた被害は全て保障するという驚きの制度だ。これにより被害を受けた事に対する一般人のストレスは大幅に減少する結果となった。
時を同じくして悪の組織にも変化が生まれた。一番猛威を振るっていた私達の組織が壊滅した事により、積極的な破壊活動は組織の壊滅に繋がると認識され、その悪行がいくぶんマイルドになったそうだ。もちろん悪さをする事に変わりはないが、むやみやたらに人命を奪うといった行為は避けられるようになった。
それでも悪の組織による被害が無くなった訳ではない。常日頃、この国のどこかで、なんらかのの組織が悪い事をしている。だが、それらは例え被害を受けても、保険で片付いてしまう。
そんな状態が何年も続き、悪の組織が悪さをするこの日常が、人々の生活の中に浸透してしまった。テレビのニュースで通常の事件が流れても、そんなものかと受け止めてしまう程度の感覚にまでなってしまった。
先ほどの町長も同様だ。あの町は先月まで別の組織の制圧エリアだったそうなのだが、その前も、その更に前も、どこかの組織の制圧エリアだった。制圧エリアにある事が日常だったのだ。だから、何も動じなかった。
どのような異常でも、日常になってしまえば恐ろしくはない。これはそういう話のようだった。
ぎしりと椅子が鳴る。
アジトへ帰ってきた後、司令室の椅子に座りながら、教えてもらった事を再度思い返していたのだが、何から何まで信じられない事ばかりで、少々頭痛がしてきて、考えを中断させた。
私の価値観は相変わらず『こんな事ありえない』と言っているのだが、今の現実を自分の目と耳で知ってしまうと、どうにもこうにも認めざるをえない強制力がある。価値観と現実のギャップについては、これからも悩みそうだ。
これも記憶が戻れば解決するのだろうか? 不安は無くならない。
まぁ、まだ今日は初日だし、なんせ、私は永い眠りから目覚めたばかりという話だ。ある意味では病み上がりな訳だし、深く考えすぎてもいかんのだろう。
頭の後ろの方で、空気の抜ける音が聞こえ、ドアがスライドする音がする。どうやら、アリスが帰ってきたようだ。
アリスはアジトへ戻ってくると、設備の状況を直接確認してくると言って、部屋を出ていた。私も手伝おうかと言ったのだが、「疲れているでしょうから、休んでいてください」ときっぱり断られた。実際、疲れているのはアリスの言うとおりではあったし、私はその手の事に関しては素人な訳で、壊れているという判断はできても、それではどうするかの判断はできない。その為、お言葉に甘える形にはなったが、ここで休憩させてもらっていた。
戻ってきたアリスは、おぼんのような物を持っていて、その上には、急須と湯のみが乗っていた。
「ただいま戻りました。よろしければ、お茶でもいかがですか?」
そう言うと、私の前に湯のみを置き、手馴れた手つきで配膳していく。まるで熟練のウェイトレスのようだ。手つきに無駄がない。
アリスは設備の状況確認の後、備蓄資材の確認も行ってきたらしく、ひとまず今日の食事の分だけを取り出してきたそうだ。このお茶もその備蓄資材の一つらしい。
「ありがとう。頂こう」
湯飲みは大き目の作りをしていて、白色の下地の上に春夏春冬と書いてある。ふむ、『秋無し』か。良いセンスだ。
お茶に口をつけ、のどを潤す。よくよく考えてみれば、私は目覚めてから今の今まで何も口にしていなかった。水分がのどを潤し、熱い液体が胃に到達する。暖かさが胃から、体中にじんわりと広がっていくのを感じた。緑茶だろうか。お茶に関しては良く分からないが、今は、この一杯がとてもおいしいと感じる。生き返るとはまさにこの事だな。
「……うまいな」
「ありがとうございます」
アリスは小さくお辞儀すると、お盆を机の端に置いた。
「本日はお疲れ様でした。これで先ほどの町は私達の制圧下に置かれました。今後は、あの町を中心とし、制圧エリアを広げていきたいと思います」
「それでだな、アリスよ。一つ提案があるのだが」
「なんでしょうか?」
帰ってきてから考えていた、私なりの方針を言ってみる。
「私の方針として、善良な一般市民には極力迷惑はかけずにいきたいと考えている。彼らには何の罪もなく、私達の争いに巻き込む訳にはいかないからと考えるからだ。悪の組織同士の縄張り争いがあるのは、お前の説明から理解はした。今後、私達が活動をしていくうえで、他の組織達との争いは避けられないのだろう。だが、悪の組織同士の争いは、悪の組織同士でやればよい。一般人は別だ。だから、今日のように、向こうがどうあれ、暴力で制圧エリアを広げる事を私は望まない。制圧エリアの拡大は、今後は出来る限り、話し合いで済ましたいと考えている。悪の組織としてそれはおかなしな話なのだろうが、これが私の考えだ。どうだろうか?」
少し考える仕草をすると「なるほど、それは確かにそうですね」とアリスは答えた。
「おぉ、分かってくれるか」
よかった。彼女は価値観が違うから、それはおかしいと否定されるかもしれないと思っていたのだが。
「はい。つまりはこうですね。一般市民は征服した後、貴重な労働力や財源となる為、意味もなく消してよいものではない。また制圧エリアも同様で、無意味な破壊は、今後の制圧エリアの発展の阻害になってしまう。で、あるならば、暴力による制圧ではなく、懐柔という名の支配の方が、先を見据えた意味では効率が良い。
さすが、マスター。征服した後の事もしっかりと考えられているとは」
アリスが盛大な勘違いをしてくれる。いやいや、そういう事ではなくてだな。私は一般倫理的な立ち居地で話している訳であって……。
「分かっています。それでは今後、制圧行動を仕掛けるポイントはJHKや敵対勢力、又は一般的に見て悪と呼ばれる者達のみとし、制圧エリアの拡大に関しては各市町村長への通告という形式で進めます」
勘違いしたままではあるが、彼女の価値観の違いは、今日一日で直るものでもないだろう。一般人に対し迷惑を掛けるという事はしないようではあるし、ひとまず、今はこれでいいのかもしれないな。
「いや、まぁ……それで頼む」
そんな訳で、私達『悪の秘密結社』は、復活早々、一つの町を制圧エリアに治めたのだった。