第三話
アルバ君、女性を艦長室へお招きする。
74門搭載二層艦 RUN Terrible号の勅任艦長室。とはいえども、所詮は戦列艦というスペースが有限の船に無理やり設けられている一室だ。
衣服入れの箱の上にバレッタ伯爵家の遊戯室からアルバが略奪してきたクッションを置くことで座れる部分を設け、テーブルの上に薄く彩色された麻布をしくことで室内に色を入れようにもくつろぐ空間とはおおよそいい難い。
第一、狭いのだ。副長のハロルドに、名も名乗らぬ二人の令嬢、そして部屋の主であるアルバが入れば既に手狭となる。
そんな狭い室内で、整えられた髪というのは存外やっかいらしい。
共に揃って手入れされていると思しきご令嬢方の波打つブロンド。
今となっては、引っ掛けないでくれればとアルバが頭を抱えるほどだ。
そして、アルバの微妙な表情で言わんとするところは漏れなく相手方にも伝わっていた。
だからこそ、威を決したようにアンバー色の瞳がアルバをじっと凝視しながら口火を開く。
「外地貴族らしく、単刀直入に参りましょう。アボット子爵家長女、アメリアです」
「初めまして、アルバ閣下。マルタ・ハルツ・イェルネと申します。同じく、外地貴族のイェルネ子爵家を代表してまいりました」
アンバー色の意思が強そうなのが、アメリア。
ブルー色の思慮が深そうなのが、マルタ。
名前を貰ったところで、しかし、アルバにしてみれば……話が進むわけでもない。
「ミス・アボット、ミス・イェルネ、アルバ・バレッタです。それで? 本題に入っていただきたい」
「人払いをねがえませんか」
ちらり、とマルタが視線を向ける先にいるのは沈黙を保ち陪席しているハロルド。
確かに彼女らにしてみれば、内々に話したいという希望があるのだろう。
だが、とアルバはやや気分を害した思いで変えす。
「ミス・イェルネ。ミスター・ポートマンは本艦の副長だ。さらにいえば、バレッタ伯爵家の家宰でもあり私にとってとって股肱の臣である」
そもそも、勝手に押しかけた挙句にそちらの都合を押し通そうという姿勢が気に入らない。
いや、それ以上に。
「彼が信じられないならば、それはそれで結構。ただ、そのような仕儀で我々の対話が有意義となるとも思えませんな。その場合、即刻お帰り願いたい」
アルバにしてみれば、自分が部下を知りもしないかのように対応されることもまた我慢ならない。
信じている部下を誹謗され、黙って甘受する性格と思われるわけにはいかないのだ。
「……わかりました」
「マルタ!?」
「アメリア、私達は信じるしかないもの」
「失礼ながら、信じていただけることを喜ぶべきですかな?」
マルタの言葉に込められる言外の意味。
「お互い様でしょう。密室をお嫌いになられるあたり、特に」
「ミス・イェルネ、では率直にお伺いしたい。一体、何がお望みなのですか」
「マルタ、とおよびください」
「では、私もアルバと。それで? 親密になった証に名前を交換できましたし、お帰りいただけますかな?」
暗に、親しみをこめた個人と個人の関係で対話しようと試みるマルタに対し、アルバは釘を一本刺そうと牽制を試みる。
「ミスター!」
「アメリア、のせられないで?」
だが、以外に短気そうなアメリアと異なるらしい。マルタと名乗った方は性根がよほど……厄介だな、とアルバは溜息を漏らす。
ちらり、とハロルドに視線を向ければ同じように難しい表情をマルタへと向けていた。
ああ、とそこでアルバは頷く。ハロルドを押し切ったのは、多分、このマルタのしゃあしゃあとした口舌だろう。
「伯爵閣下、お戯れがすぎますよ」
「では、本題に」
「ええ、本題に入りましょう。伯爵閣下、二つ、ご提案が」
「拝聴いたしましょう」
文字通り、身構えた上での一言。
アルバにしてみれば、それほどまでに気を緩めることなく発した言葉だった。
だからこそ、何が飛び出しても対応できる心構えだったのだ……その一言を、聞くまでは。
「求婚させていただいても?」
「はぁ、求婚……は?」
きゅ、求婚、と一瞬凍りつくアルバの頭脳。
「結婚ですよ、結婚。マルタと私、どっちでもいいですが」
「付け加えるならば、形式だけでも結構です。私か、アメリアか、どちらか頂いてくれませんか?」
嫌々、といった口調のアメリア。
その様子で、漸く再起動し始めるアルバだが、意味を確認する前に機先をマルタに制される。
気が付けば、アルバは受身になって会話を強いられている自分を発見していた。
「し、失礼。一応、もう一つの提案とやらを聞かせていただいても?」
「私どもに、枠をお売りいただけませんか?」
「枠?」
「士官枠ですよ」
まるで、オウムのように問い返すアルバは厄介なと主導権を失ったことに唖然としつつ打開の糸口を求めて話題を変えるべくあがく。
「失礼、ミス・アボット。貴女も同意見で?」
「私もアメリアとお呼びください。その上で、私もマルタと同意、と考え頂いて構わないです」
が、黙りこくっているアメリアへ話題をふるも二人の間で事前に取り決めが出来ていたのだろう。
あっさりと、話がマルタに戻されることで嫌々ながら厄介そうな方にアルバは問わざるを得なくなる。
「はぁ……。ご提案の理由をお伺いしても?」
「伯爵閣下は、私共の家をご存知でしょうか?」
「アボット・イェルネ両子爵家については、伺っていますな。共に外地貴族の中では歴史も長い。ですが、我がバレッタ伯爵家との縁でいえばここ数代はこれと言った交際もないはずですが」
暗に、誼もない人間を巻き込まないで欲しいな、と示すアルバの言葉。
「事情も知らずに、追い返そうとされたわけだ」
「ミス・アメリア、私は知らない事情を持ち込まれているわけですが?」
「アメリアの無礼はお詫びいたします。ですが、私共には恥かしながらあまり後がありません」
あっさりと頭を下げられれば、追求もしにくい。
取り戻しかけた話題の主導権も、結局のところ、アルバでは上手くつかみきれない。
「先の白海海戦、私共の家もそれぞれが軍役を担っておりました。残念なことに、私共の家には武運がなかったのでしょう」
さぞ、同情を集めるであろう哀しげなマルタの語り口。
かすかに涙さえ目元に浮かべてみせる仕草は、見事なものだ。
……そう、見事なものだ。
アルバは知っている。
「我がイェルナ子爵家のRUN アマゾン号は海戦後の悪天で行方不明に」
涙ぐみつつも、こうまでも明瞭な口調で語れる人間が貴族にはいるのだ、と。
「私の家は、RUN ダームリング号が擱座、オマケに父上は波にさらわれたままだ」
「ご無事をお祈りすれば宜しいですかな?」
だからこそ、憮然とした表情でアメリアが続けたところでアルバは吐き捨てる。
家族を失ったばかりの人間に対して、あまりにも無礼だと承知の上での暴言。
どんな反応があるか、と見計らっての直球。
「問題となるのは、次の軍役です。ローラン連合諸島王国の大憲章によれば、従軍できない家は軍役免除税の負担義務が課せられますが……」
「理解できました。お二方にご兄弟は?」
だからこそ、平然とマルタが続けたところでアルバは言葉を遮り相手の言わんとするところをあてて見せる。
「下に妹がいるだけですよ。私達、どちらも第一継承権保持者です」
当主が従軍できない場合の、代理従軍。
出来ないならば、軍役免除税。
そして、外地貴族の軍役義務からして子爵ならばフリゲート艦だ。フレームも組みあがっていなければ、数ヶ月で用意できるものでもない。
「ああ、ならば、簡単だ。払うほかありますまい」
「ええ、払えるならば」
「そこまで、苦しいのですか?」
その一言に関していうならば、挑発的な一言であるつもりは、アルバにはなかった。
「苦しい? はっ、伯爵家はご余裕がおありですな! 外地貴族でも伯爵以下がどれほど締め上げられているかご存知ないと?」
だからこそ、アメリアが吐き捨てることにアルバは唖然とする。
「お互い、立場が違えば違うなりの苦労があるのではありませんかな」
想像以上に激昂しやすい性格なのか、とやや辟易した表情でハロルドにつまみ出せ……と指示しかけたところで、アルバはまた機会を逃す。
「お言葉の通りでしょう。閣下、だからこそお願いがあり参りました。我々に従軍をお認めいただけませんか?」
「確認になるのですが、マイ・レディ。お二方は、第一継承権保持者、と仰られましたな」
「ええ、お気づきに?」
理解は、した。
「失礼ながら、お二方のお父上が法的な死亡を宣告されるまで、ご両所は『軍役義務』を『代行』するお立場だ。大憲章の規定によれば、通常は……当主が従軍し得ない状況になり後継当主が業務を代行することを念頭に置いた制度です」
「お詳しいのですね」
「それこそ、お互い様でしょう。うちも余裕があるわけではない」
だからこそ、暗にアルバは応じるのだ。
理解した、と。
だが、アルバとて余裕があるわけではないのだ。
「ならば、私達が何を言いたいかも察しが付くと思いますがね」
「ええ、ミス・アメリア。基本的には、当主が病臥したりして軍役に応じられない想定です。なので、軍役免除税は満額求められますが、逆説的にいえば後継当主が従軍している場合は、個人の従軍でも軍役義務を負担していると見做す規定ですな?」
「ある種の人質、なんでしょうけどね?」
苦笑しつつ、言葉を続けるマルタの言い分。
「どちらにしても、私たちにとって見れば従軍以外の選択肢はありえません」
それは、彼女達は家を守る為にならば戦列艦にでも乗るという覚悟。
だが、自己犠牲から発した精神だろうとも……はっきり言ってアルバには良い迷惑だ。
「それで、戦列艦の士官に? 失礼ながら、私はあなた方の思いつきに賛成できませんな」
戦列艦の士官として、貴族の子女を採用?
ローラン連合諸島王国海軍中から、笑われるだけであればマシだろう。
だが、実害があるとすれば深刻度はまったく別だ。
『軍役に対する真摯さ』という一点で、相当に王政府ともめることすら覚悟しなければならない。
「これでも、ですか?」
「……これは?」
「目録です。従軍をお認め頂ければ、軍役免除税の四分の一をスクード金貨でお支払いいたします」
だからこそ、マルタが懐から取り出した書状にさっと目を通したアルバは呻くように苦吟する。
「……お二人合計で、4216スクード?」
4216スクードだ。それも、金貨で、即金で。
それだけあれば、長距離航海に必要な物品を調達する際に大きな助けとなるだろう。
「それとは別に、イェルナ子爵家特産の帆船用の木綿帆布を三等戦列艦規定分、一式ご提供できます。加工の費用は、こちらが負担で」
さらに、と差し出されるのは無視するには大きすぎる飴。
帆ともなれば、それだけで、700スクード近い節約になることだろう。特に、幾ら頑丈とはいえ戦列艦ともなれば予備の帆ぐらいは常備しておかねば海上で立ち往生する羽目になる。
「家からは、余剰の航海用具。RUN ダームリング号から回収した備品も、だ。少数だが、乗組員も出せる」
そして、ちらりと視線を向ければアメリアはアメリアでまた魅惑的な提案を寄越してくる。
フリゲート艦と戦列艦ではサイズが違うとはいえ、航海用具や備品に関していう限りは基本的に相当数が流用できるだろうし……なにより、フリゲート艦で白海海戦に参加した水兵は喉から手が出るほどに欲しい。
ハロルドが連れてきてくれた熟練水夫連中に、フリゲート艦上がりの熟練水夫が加わるとなれば魂さえ売ってしまいそうな提案だ。
だが、アルバにとってそれは幾ら魅力的でも、魅力的であるからこそ飲み干すわけにはいかない毒薬でもある。
「素晴らしいご提案に感謝を。ですが、やはりどちらも無理でしょう」
「理由は?」
「婚姻については、我々の間に基本的な家門の交流がない時点で論外でしょう。未来のお家騒動を抱え込む余裕はありません」
というか、婚姻というカードを潰すのはよほどのアホだ。
「後者のご提案、魅力的ではあります。実際、受け入れられればどれ程よいかと悩む自分がいるのも事実です」
そして、本題となっているであろう『枠』の提供も本質的な部分で問題があるのだ。
「では、どのようなところに問題が?」
「本艦は、軍艦ですよ。お忘れですか? 失礼ながら、私にはテリブル号の勅任艦長として命令を下す義務があり、部下の士官諸君には『服従』を期待しなければなりません」
「従いますよ。もっとも、そう申し上げても……信じてはいただけませんね?」
「失礼ながら、その通りです」
そう、何処までいっても軍人であれば、上官の命令にも従おう。
紳士諸君なれば、義務と権利の関係で命令が合法的である限り忠誠は期待できる。
その能力はともかく、紳士たるもの、義務には逆らわない。
この点で、紳士たらんとする所謂富裕層の師弟は貴族以上に名誉へ拘泥する。
だからこそ、アルバは売官という暴挙に踏み切っても一定の質を部下の海尉に期待できた。
海尉という名誉と栄光への挑戦。
だが、それが貴族のご令嬢となれば話は別。
当人らの資質以前に、『本当に、命令を順守してくれるのだろうか』という疑念がどうしても付きまとう。
社交の場ではないのだ。
前代未聞に近い任用なのだからこそ、アルバは躊躇せざるを得ない。
「軍務の命じるところであれば、如何なる命令も順守しましょう」
「では、簡単だ。そのお綺麗な御髪をさっぱり切っていただきたい。ここは、国王陛下の軍艦だ。社交場であはりません」
だから、その一言を吐き出した時、アルバにしてみれば不可能を命じたつもりだった。
「あら、そんなことでよろしくて?」
「は?」
「失礼、お借りしますわよ」
そういうなり、あっさりと壁に吊るされているカットラスに手を伸ばすとマルタは隣のアメリアに頷く。そうして、彼女達は相互に豊かな髪を叩ききり、ふさり、という擬音と共にテーブルの上に差し出していた。
唖然、としたハロルドとアルバ。
だが、自分達の目の前に差し出されたのは良く手入れがされていた……髪。
「では、確かに。……いかがでして?」
「……よ、ようこそ、戦列艦テリブル号へ」
アルバ君、女性の髪をばっさり切らせた上に、ヒモになる。