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第一話

前部昇降口から艦首楼甲板に登るなり、あたりにさっと視線を走らせアルバは思わず溜息を漏らす。


視線の先に浮かんでいるのはちっとも真っ直ぐ進んでいない艦載ボートら。


つい先ほど、副長役のハロルドに命じたボート訓練すらテリブルの乗員はままなっていないのだ。


陸者あがりの領民らがよくやってくれているとも思わないでもないが、遅々とした進捗にはアルバとしても頭が痛くなる。


が、そこで嘆こうにも嘆くわけに行かないのが艦長と言う立場だということはアルバも今は亡き父の背中から学んでいる。もっとも、その父が生きていればこんな苦労をしないで済むので感傷交じりに天を仰いだところで許されるだろうが。


そんな僅かなしんみりとした想いも、しかし長続きはしない。なるべく低い声を意識したらしいクララの掛け声によってアルバは辛い現実へ引き戻される。


彼女が、ああ、いや、正しくは艦上では彼と呼ぶべきなのだろうが、ともかくクラーク候補生として作業日課の甲板清掃とちょっとした整備の指揮を取っている姿にさえ憐れなアルバの心臓はすくみ上がるのだ。


あの作業日課だって、タダじゃない。


甲板を磨く為に使われている椰子の実(半分カット仕様)一つとっても、ローラン連合諸島王国では自生していないために殆どが輸入物。


そして単なる椰子の実と侮るなかれ。


南洋海域から、アルビオン王国の私掠船やノーランド共和国、はたまたフレッド商業共同体の商売敵と競いながら何とかかんとかローラン連合諸島王国へ南洋貿易航路を経て到達し、そしてカタルナ軍港あたりを経由してバレッタ島に届くころには単なる椰子の実も立派な運賃と関税の申し子である。


現地で拾えばタダだというが、手元になければ貨幣で支払うしかない。無論、一個一個は安いにしても……塵も積もれば総額12643スクード14ドナルド3カッパードと言うわけだ。


海軍軍人として、何時かは戦場にたつことも覚悟はしていた。アルバにしてみれば、何時かはバレッタ伯爵家を継ぐのはわかりきった運命なのだから。


そして、王政府そのものはともかくとして、外地貴族としての彼はローラン連合諸島王国そのものは嫌っていない。適度に軽薄で、適度に寛容で、適度に融通の利く諸島の連合王国。


貴族の権利と王権で多少もめるにせよ、基本的に宗教や細かな生活上のやり方、人種といったことにはとことん無頓着な文化というのは海洋国家としての強みであり、更にいえば……外地貴族らにローラン連合諸島王国への帰属を決意させる決定的な要素なのだ。


だからこそ、糞真面目な宗教家の余計なお節介からなる『聖なる布教』を目的とした艦隊連中相手に戦うことにも躊躇いはない。


が、現実と言うのは冷たいものだとアルバは一人艦首楼甲板で心中ながら涙する。


子供のころ夢見た勇敢無比な艦長として敵国艦隊と雌雄を決する以前に、テリブル号の艤装と運行の予算で頭を抱え、総額12643スクード14ドナルド3カッパードと頭で繰り返すばかり。


なにしろ、1万2千スクードあれば、最新式の製鉄所の設備投資が賄える。それが、あっという間に消えて消えて、挙句、足りないとなれば敵より先に、金貨や銀貨、銅貨に押し殺される未来の方が先にみえる。


とにかく、テリブル号を就役させて軍役義務を果たせるようにしつつ、ゆっくりと財政を再建する時間を捻出するのが急務なのは間違いない。


が、その就役に必要な金が足りないのだ。


故に、金策しかないのだが……まあ、悲しいことだが現状ではバレッタ伯爵家に担保も無しで融資してくれる気前のよい金貸しはいない。


これとて、本来であればそんなことはありえないのだ。


外地貴族の名門、バレッタ伯爵家ともなれば普通ならば親族や一族郎党という強力なつながりが屋台骨を支えてくれる。


普通ならば、だ。言葉を選ばずに言えば……その手の融通が利きそうな一門郎党が、全部、トライアンフ号と一緒に沈んでさえいなければ問題は小さかっただろう。


だが、働き盛りの男達が軒並み水漬く屍となれば……残された遺児たちや未亡人らの生計に配慮する義務がアルバの肩には重く圧し掛かっている。


17歳にして、多数の家族に責任を持つのか。未婚どころか、そもそも社交界にだってろくに参加していないのだぞとぼやきたいアルバ。この上ない不平不満だが、しかし一門の長として課せられた責務を無視するわけにもいかないのだ。


だからこそ、アルバはしばし黙考し、覚悟を決める。


金がないのが諸悪の根源であり、つまるところ、ちょっと尋常でない方策を選ぶしかないのだ、と。多分、反対されるだろう……いや、ほぼ間違いないとは思うのだが。


しかし、だからこそ話し合う必要がアルバにはあった。


「ミスター・サネ!」


「イエス、サー!」


呼びかける声に対する応答。一見すれば、他者からはきびきびとしたクラーク士官候補生からの模範的とでもいうべき応答だった。


それに気味悪いものを感じてしまうあたり、やはり、クララは苦手である。だが……兎にも角にも彼女は、このテリブル号の母親を自認しているのだ。実際、この艦について運用上、断っておくべきだろうなぁと覚悟を決めてアルバはさり気なさを全力で装いながら口を開く。


「昼食を共にしてくれるとありがたい」


「はい、艦長」


「合わせて申し送りでミスター・ポートマンに同席願いたいと伝えてくれ」


「直ちに」


それで、だいたい言わんとするところを察してくれたのだろう。

あっさりと引き下がってくれるクララに感謝しつつ、アルバはゆっくりと溜息を漏らす。


クララにせよ、ハロルドにせよ、怒るんだろうなぁと思えば昼食時に切り出すのは気が重い。

かといって、艦上で少しでもプライバシーを考えれば……まあ、艦長室での食事だけだろう。


つまるところ、狭い空間で締め上げられるわけで溜息も零れるというものだが……溜息を零してばっかりだな、とそこでアルバは苦笑していた。




「艦長、何か金策の名案が?」


あっさりとした問いかけ。口に出しにくい話題を切り出してくれるあたり、クララは良くも悪くも率直だ。だからこそ、分かりやすい性格ともいえるのだが……さて、どう話を切り出したものかとアルバは少し思案していた。


「その件で、諸君の意見が聞きたい」


一先ず、何と切り出してみようかと迷った末の無難な言葉。


「アルバ艦長、貴方の判断が今から海賊に転職してテリブル号を海賊船にするとかでもない限り、私は反対しないわよ」


「はぁ、ミスター・サネ、少し気をつけてくれたまえ。君は、ミスター・サネで候補生。伯爵閣下は、勅任艦長であらせられるのだが」


「はいはい、ミスター・ポートマンの仰るように」


声高く笑うクララと、頭を抱えて先行きの苦労に頭を悩ませていると思しきハロルドのやり取りは何時も通り。


良くも悪くも、ハロルドは堅物なのだろうし、逆にクララはなんだろうか? ……技術者、という人種なのだろうか。


「本題に戻ろう。率直に言って、借金もできん。未亡人や遺児らから財産を取り上げればお家騒動待ったなしだ。何より、父に付き従ってくれた人々を裏切るわけにもいかん」


「貴方のお父様が、貴方と同じ程度に回りに気を配ってくれれば、私も苦労しなくて済みましたが」


ぴくり、と感情が動いたらしいクララが吐き出す皮肉。

まあ、彼女と……テリブル号の辿ってきた奇妙な運命を思えば一言二言はあるだろうと覚悟もしている。


それでも、今だけは勘弁してくれと兎も角アルバは頭を下げる。


「クララ、父の件はこの際容赦してくれないか。君の祖父が苦労された事は申し訳なく思うが」


「はい、艦長」


頼むよ、と声に懇願の色合いを混ぜたところで、返されるのは硬い声にせよ了解の言葉。


が、ここが学習した幾つかのポイントの一つ。

クララが、『はい、艦長』というときは納得してないけど、理解はしているという証拠。


つまるところ、さっさと話題を変えるに限る。


「結構。さて、本題だ。本艦には現在、モノも人も足りていない。さて、この状況を改善するには金が必要だが……そんなものはない。だから、売れるものを売ることにする」


「か、閣下!? いけません、封土を切り売りなさるのは……」


金策に話題を戻したところで、アルバの言葉を先読みしたのだろう。ハロルドが思わず、といった様相で立ち上がるなり諫言を口に上らせかける。


「家を滅ぼすきっかけ、だろう? 分かっているよ、ハロルド。売るのは家でも領地でもない」


だから、ハロルドの言わんとするところを察しているよと返しながらアルバは……どう切り出したものかなと歯がゆい思いに駆られていた。


上手く如才なく説明できればよいのだが、中々言い出しにくい類の言葉というのはやっぱりあるのだ。


「あら、美術品か何か担保があるのかしら?」


「ないよ、クララ」


だから、ある意味ではクララの言葉はよい契機だった。

あるならば、最初から出せばよいのにとアルバをねめつけてくるクララの嫌味。

彼女にしてみれば、含むところもあるのだろうが……アルバはあっけらかんと答えていた。


「え?」


ぽかん、としたヘーゼル色の瞳が戸惑うようにアルバを見つめ、隣でハロルドが沈黙を守る中、アルバはあっさりと事実を告げる。


「うちにあるのは大体担保に入ったか、うっぱらったかだ。まぁ、そりゃ最低限の形式を取り繕う程度には残っているけど……大した額にもならないよ」


「じゃあ、やっぱり……ミスター・ポートマンの危惧するように土地でも売るしかないんじゃないの?」


「ところがどっこい。そう簡単じゃない。封土の売却には爵位の問題が絡んでくるし、何より売ったら売ったで収入の減収を王政府に申告しないと軍役が『土地を持っている従前のまま』の水準から減らないんだ」


「王政府のお役所仕事が大変、ってことは何となく理解ができるわね」


頷いてくれるあたり、噂だけにせよ誰もが王政府の所謂『国王陛下の忠実な僕』に対してどんなに高い期待を抱いているかを如実に物語るんだろうなぁと思えるものだ。


それに、外地貴族の封土というのは売ろうにも簡単には売れない。……こういっちゃなんだが、今日、明日に金になるかといえば即金では買い叩かれるのがオチなのだ。



「では、閣下。それらを踏まえてお伺いしますが……一体、何をお売りになられるのですか?」


「簡単さ、ハロルド。枠だよ」


「「は?」」


「幸か不幸か、テリブル号の士官は副長と候補生一人を除いて士官の枠がすかっすかだ。ああ、従軍牧師や諸々の役職も余ってるか。准士官も何人分かは売れるかな?」


海尉連中、二等海尉から五等海尉の四人に、従軍牧師と書記官ぐらいならば乗せられるに違いない。


こういっちゃアレだが、海尉への昇進を望んでいる金持ち連中ならば……一人、600~800スクードぐらいはがめられる。


そりゃ、貴族連中にしてみれば海尉なんて買うほどのものでもないのだろう。だが、アルバは寄宿舎生活を通じてちょっとは学んでいる。


成り上がり、と呼ばれる富裕層上がりの新興貴族の師弟ら。彼らが『爵位を買った』と貶されるたびに『名誉』に執着していた光景は……生来の大貴族であるアルバにとって考えるところがあったのだ。


爵位ではなく、栄光への挑戦権とでもいうべきだろうか?


よく言って、王政府のお手軽財源である富くじのような詐欺だ。


だが、戦列艦の正規士官というのは……それでも栄光を手にしうる立場なのだ。ローラン連合諸島王国にあって、海軍の栄光というのは爵位を含みうる。


彼らは、栄光への挑戦権を買うのだ。栄光でも、爵位でもなく、自分の腕で挑む権利。


売り払うのは、権利だ。まぁ、余禄として戦列艦に地位を与えられるわけだが。要は、交換だ。クララの言うように、あるところから分けてもらうしかない。


「ちょ、ちょっとまって」


「ば、売官をなさるおつもりですか!? それも、員外官ではなく……戦列艦の正規士官をですか!?」


「高く売れるだろう?」


珍しく口を揃えて反駁してくるクララとハロルド。


いっそ露悪的とでもいうべきアルバの一言に、彼らは更にいきり立ち始める。


「ふざけないで! テ、テリブル号は、彼女は、軍艦! それも、戦列艦!」


「閣下、これは軍艦です。失礼ですが、戦舟なのです。戦争をする艦なのですぞ!」


こちらの胸倉に手を伸ばしかけるほど激昂したクララ。渋い表情でこちらににじり寄ろうと圧力を発してくるハロルド。


テリブル号の士官は、金で選ばせるわけには行かないと反発にアルバとしては溜息混じりに指摘せざるをえない。


彼らは、『金』で『士官』の地位を売ることにさえ反発している。


さて、『買う』人間が『ジェントルマン』たる『貴族』ではなく、『中流富裕層』だとどう切り出すべきだろうか?


「別に海賊船になるわけじゃないし、それにどの道士官がいなくては戦えないだろう? ノーランドだって、士官は確か出資者を兼ねている場合があると聞いた事があるが」


「だからといって、ですね……我々がノーランドの真似をする必要があるとは」


「それに、割と目処はつけやすい。爵位の売却は手間がかかるが、海尉からの推薦ならば手続きはスムーズだろう? 商人連中には結構売れると思うが。酒造や造船の元締めに厄介者となってる次男、三男だって幾人かは期待できるだろう。……最悪、チーズとラム酒で払ってもらってもよいと思うんだが」


「か、閣下? 商人? 確か、ノーランド人だって……士官には?」


商人、という言葉にぎょっとしたような表情を浮かべるハロルド。彼の表情にあるのは……信じがたい事実を認めたくないと足掻く常識人の戸惑いだろうか?


その隣では、クララが豆鉄砲の直撃を受けた鳩のように愕然としていた。


ああ、まあ、そういう意味ではハロルドの方がまだ余裕はあるのだろうか?


とはいえタフな老戦士と思っていたが、彼もそんな表情をするんだなぁ……と変なところでアルバは驚いていた。白髪交じりで品のよい細身とはいえ、ハロルドというのは何時も如何なる事態にも平然と対応できる男だったはずなのだ。


それが、唖然とした表情を素直に零すのは珍しい。


「二人とも、言いたいことがあればはっきり言ってくれないか」


「し、失礼ながら閣下。バレッタ伯爵家は由緒正しき外地貴族の雄であり、第15代当主であらせられるアルバ閣下の双肩には重大な伝統と歴史の重みが……」


「潰れてしまっては、どうしようもない。なぁ、ハロルド。悪いが、金持ってれば、正義だろ?」


滔々とまくし立てようとしてくるハロルドの機先を制し、アルバとしては分かってくれと続けるしかない。


「……か、金持ってれば、正義?」


「それにしても、金の欲しさよ」


「は?」


「ああ、なんならば乗客を乗せることも少しは出来るな。戦列艦での旅ならば、安全だろう? まあ……住環境は旅客船には劣るだろうけど居住空間に空きは100人分はあるんだ。金持ち連中なら十人ぐらいのせてやってもいいと思うけどな」


金がないのが、悪い。はっきりとアルバは断言してさえのけていた。なにしろローラン諸島連合王国外地貴族の名誉以前に、彼は、一門郎党に責任を負う身なのだ。


「閣下、必要な事情は理解できますが……その、テリブル号は戦列艦であるということを」


「実際、金が必要なんだ。だが、ないならば売れるものを売るしかない。そして、爵位や安全な移動に興味津々の諸君には金があるんだ。彼らには名誉を、我々には金を。幸せな野合じゃないかな?」


「結婚と評さないあたりに、閣下の良識を信じられる気がします」


「おお、分かってくれるか、ハロルド!」


殊更、言いくるめるかのように頷いてみせるアルバだが、ハロルドの表情はげっそりとやつれつつある。


「皮肉ですぞ、閣下」


「クララは海賊以外ならば賛成するといっていただろう? じゃあ、これで本決まりだな!」


「言葉の綾よ……」


「まあ、あれだ。コネを作ると思って、比較的マシなのをえらぼうじゃないか」


だから、反論が出る前にさっさと話を終わらせてしまおうとアルバは畳み掛ける。


「は?」


「いや、だから、皆で選ぼうじゃないか。私、基本的に人を観る目はあるつもりだけど、海軍士官の適正を持ってるかどうかはちょっと流石にわからないし」


「「はぁあああ!?!?」」

業務連絡:本作は、ある意味で『帆船』浪漫と戦列艦主義の布教につとめております(`・ω・´)ゞ


用語、表現については色々と工夫してこう、とっつきやすく? 出来れば幸いです。

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