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プロローグ

万里の波濤を乗り越えてその威名を世界に轟かすはローラン連合諸島王国海軍。


かの誉れ高き海軍の一員として、また国王陛下の信任厚き誉れ高い貴族の一員として、バレッタ伯爵家もまた外地貴族の義務として代々海軍に奉職して久しい。


そのバレッタ伯爵家の旗を高らかに掲げて出航を今か、今か、と待ち望んでいる二層戦列艦を見れば海の人間ならば誰しも驚くことだろう。


七十門艦が一般となる中での、七十四門艦という火力。それでいながら、航洋性能を勘案したスリムで無理のない船型は造船技術がオーク材を活用してなしうる最高の芸術的な設計に他ならない。


そして、熟達した見張り員ならばテリブルのガンデッキに並んだ大砲の大きさに戸惑うだろう。なんなれば、それは、彼らが知っている二層戦列艦にはありえない代物なのだ。


就役すればローラン連合諸島王国海軍所属に属する三等戦列艦の中では最新鋭となる七十四門搭載二層艦テリブル号。


そして、新造艦を預かるのは今代のバレッタ伯爵、アルバ・バレッタ艦長は海軍名簿において、実に17年のキャリアを持つベテランの海軍軍人であり、今回が初の艦長として新造艦を指揮するという誉を楽しんでいる。


そう、偉大な先達らと同様にローラン連合諸島王国の外地貴族の義務を果たすべく、アルバ艦長もまた剣を王国に捧げるべく艦の指揮するのだ。


全て外地貴族のバレッタ伯爵家が紡いできた王国との神聖な契約に寄ったもの。彼の行く先には、洋々たる前途というべき大海原が広がっていると評しうる。










だからこそ偉大にして誉れ高き先達らと同様にアルバ艦長もまた……コーターデッキで平然を装いつつも心中では頭を抱えていた。


悩みを一言で言えば、『金』。


齢十七にして、栗毛に白髪が混じるのじゃないかと心配しなければいけないほど、バレッタ伯爵家当主は金の亡者と化さざるを得ない財布事情に頭を抱えている。


若い貴公子として社交界にデビューし、夢や希望に心を躍らせるべき17歳だぞとぼやき、アルバ艦長は友人達が寄宿舎から送って寄越す能天気な手紙を放り投げつつ帳簿に向き合う己の運命を嘆かざるをえない。


夢想主義など欠片も許されない悲しい現実、それが、金。彼は、テリブルの艤装に投じた金額ならば端数まではっきりと覚えているほどだ。


投じた金額、既に12643スクード14ドナルド3カッパード。


12643スクード14ドナルド3カッパードである。僅か、ここ三ヶ月でこれだけの出費!


マトモな領主貴族だって、卒倒する金額間違いなし。外地貴族の中でも割合に財布事情に余裕があったバレッタ伯爵家だって搾り出すのに苦労するアホのような金額である。


それだって、オーク材で出来た船体は奇跡のような流れから、殆どタダで船体に加えて船大工付き(17歳のぺーぺだが)で手に入れられたからこそ12643スクード14ドナルド3カッパードに収まっているのだが……この金額の前にはさしたる慰めにもならない。


まして、本来ならば『代々の戦列艦』を引き継ぐべき伯爵家の当主が急遽『新造の戦列艦を必要とする事情』と来れば、やりくりが火の車になるのは必然なのである。


公庫から1万スクード以上をひねり出せたのは奇跡だった。生まれてからこの方、万が一のときに備えて17年間ひたすら我慢して溜めてきたへそくり2234スクードまで一瞬で溶けた。


で、これで就役できるかといえばまだまだ道は遠いのだ。


それでいて、このお嬢様、テリブル号はミス・クララの自信満々の言葉とは裏腹に今尚動き出す気配すらない。乗組員だって、かき集めて平時の定数に100も足りない400人。


その400人にしたって、水兵と呼びうるのは執事のハロルドがかき集めてくれた50人程度。残りは、本当に海上勤務が初めてで停泊中の船でさえ船酔いに苦しむような男さえ混じっている始末。何とか使い物にしようと懸命にハロルドが訓練を施してはくれているが……ちらりと視線を上げてみれば頭が痛くなるばかり。


フォア・トップとミズン・トップへ昇り降りしている即席水兵らの足取りは停泊中にも拘らず恐る恐るという代物。


金はない。水兵はそもそも水兵と呼びうるか頗る怪しい。そして、指揮官は17歳の自分。海軍経験なんぞ、書類上の17年でしかないのだ。伯爵様だからといって、艦長として戦えると思うなよとぶちまけたいことこの上ない。


だが、そうしてしまえば外地貴族は此れ幸いと王政府に締め上げられるだけ。


畜生、と心で零すとアルバは困ったときの爺や頼みに走る。さり気なく訓練を講評しているかのような態度を保ちつつ、メガホンを振り上げて陸もの連中を何とか水兵に仕上げようと叱咤激励するハロルドに問いかける。


「なぁ、ハロルド。うちの金庫はもう空っぽかい?」


「大変失礼ですが、艦長。ここは、艦上です。軍務にある間、規律にご配慮頂ければ幸いです」


融通の利かないハロルドの言い分だが、少なくとも面倒を避けるためにならば言い争いを避けることの賢明さを学ぶ程度にはアルバも慣れている。


このハロルド、祖父の代から軍艦に乗り、半ば引退という形でバレッタ伯爵家に残っていた古強者なのだ。多分、現状ではこのハロルドがいなければそもそもこのテリブル号を動かすことさえままならないだろう。


だからこそ、アルバは聞き分けのよい生徒としてはっきりとかつての先生に譲歩する。


「すまん、すまん。では、ミスター・ポートマン。バレッタ伯爵家の財務を司るミスターにお伺いしたいのだが、我がバレッタ伯爵家の金庫にはまだスクード金貨の一枚でも残っているかね?」


「恐れながら、バレッタ伯爵家の金庫にならば多少のドナルド銀貨が。ですが、伯爵閣下の公庫は払底しており各種証券代わりに金貸しからの請求書を保管している始末でありますが」


「ミスター・ポートマン、ありがとう」


「いえ、艦長」


そして、そのままメガホンに手を伸ばしかけたハロルドに思わずアルバは苦言を投げていた。


「……ハロルド、金がなくては、航海にすら出れない。そうなれば、我々の遅参を理由に王政府に我々の首が締め上げられるだけだぞ」


言外に、金が必要なのだぞと零すアルバ。

百も承知なことを繰り返してしまう愚。

理解していても、しかし、言いたくなるのだ。


「クソッタレの王政府に隙を見せるわけにもいかん。奴らめ、」


「お声を潜めください。封土の領民らばかりとはいえ、彼らの前であしざまに王政府を罵ることは……」


溜息交じりのハロルドの指摘も尤もだが、しかし、この王政府と外地貴族の関係性に関する限り、両者が一般論としてでも険悪というのはそもそも公然の秘密。


「ミスター・ポートマン。失礼ながら、王政府が外地貴族を疎ましがっているなど周知の事実では在りませんか」


だから、横合いから会話に口を挟んでくる童顔の士官候補生に気付いたとき、アルバはだろうなと心中で頷いていた。


クララならば、ばっさりと切り捨てるだろうという予想通りの言葉。

案外、分かりやすい性格なのだろう。

アルバとしては付き合いやすい性格であることに安堵できるほどだ。


「ミス......タ・サネ。言葉を慎みたまえ」


ぎょっとした表情で窘めるハロルドにしたところで、言葉そのものを否定しないところが王政府に対する外地貴族らと領民らの嘘偽りなき本音なのではあるが。


もっとも、だとしても、それを堂々と指摘できる人間はやはり人物がちょっと特殊だ。


だからこそ珍しく咄嗟にミスといいかけて、タを慌てて付け足すハロルドに、慣れてくれねば困るぞと釘を刺すようにちらりと目線を飛ばし、アルバは溜息を零しつつ話題を切り替えるべく口を開く。


「いや、構わん。ところで、だ。折角なので聞きたいのだが、ミスター・サネ、君にはこの我々のしょうもない状況を改善する手立てがあるのかな」


「はい、艦長。テリブルは大砲を含むほぼ全ての艤装を整えています。足りないのは、航海に出る為の食料や基本的な消耗品などです」


実際、ある意味ではテリブルの母でもある少女の言い分は正しい。まあ、乗艦させるには差し障りが多すぎるので男装したクララならぬクラーク候補生として遇しているのだが。


ついでに言えば、男装した軍服の方が似合っているぞ、とアルバとしては言いたいところだ。無論、思うだけで心の底に仕舞っておくことの大切さは紳士的なたしなみである。


「ミスター・サネが口にしないことをを付け加えるならば、帆の予備に始まり全ての備品が最低限の水準であるということをお忘れなく、艦長」


「ですので、ないならばあるところから貰ってくれば良いではありませんか」


ある意味で、自分の艦という認識であるだけにクララにハロルドの小言は今一届かないらしい。


さらり、とハロルドの苦言を聞き流し言葉を続けるクララの姿。ハロルドに言いにくい事はクララに言わせればよいな、とアルバは一つ心にとどめておく。


多分、ハロルドの奴は男を蹴飛ばすのは得意でも、女性に蹴りを入れるのは条件反射的に躊躇する類の人間だ。これは、


「クラーク、君の意見は天才的だな。実現困難だ、と言う点を除けばな」


「艦長、何が問題なのですか」


「いいか、クラーク。 我々には金がないんだ。こんなことを力説すると虚しくなるが、保存食を買う金もないんだぞ」


物怖じしない性格と言うか、領民達とはちょっと毛並みが違う意見をいってくれるクララだが……たまに突拍子もないことを言うだけにアルバとしては天然なのか、良案なのか時々迷う。


「もちろん、理解していますよ、艦長。ですが、考えても見てください。別に、我々が買う必要もないでしょう」


「自領で略奪しろとでも言うのか? アホか、貴様」


「どうして、そこで略奪という思考に行くんですか? むしろ、その思考のほうが物騒ですよ……。どんだけ、すさんだ幼少期だったんですか?」


さらりとこちらをけなしつつ、理解できないという視線を向けてくるクララの方がアルバにしてみれば理解しがたいのだが……何故か、腹を抱えて口元を痙攣させているハロルドの様子は無視するに限るだろう。


「私の提案は、別に奪えというわけじゃありません。分けてもらおうという提案です」


「分けてもらう? 誰から?」


「ここだって、港湾市じゃないですか。誰かしら、分けてくれますよ」


「誰かしらってな……」


心当たりでもあるならば、早く教えてくれないか。


アルバとしては素直に降参するので教えてもらいたい問いかけに対するクララの答えは、しかしあっさりとしたものだ。


「いや、だって私はそんなに知りませんよ。地元なんですから……艦長が自分で考えてください」


そういい残すなり、さっさと自分の持ち場に駆けていくクララにアルバはなんともいえない釈然としないものを感じつつ、ハロルドに話を戻そうと促す。


「はぁ……ああ、ミスター・ポートマン。確か、本艦の配属先はカタルナ軍港だったよな」


「はい、艦長。王政府からはそのように」


「だったら、荷物でも届けてみるか? どうせ、船倉はガラガラだしカタルナ軍港までいけば補給も受けられるだろう?」


白海貿易航路の主要な中継地点であるカタルナ軍港への輸送。


バラスト代わりになるだろうし、一つ格安運賃で軍艦輸送便でも始めようじゃないかとアルバがひねり出した提案。


「本艦は軍艦なのですぞ。それに……言いたくありませんが、本艦はまだ就役していません。ビルジウォーターの具合もはっきりとしていないのに、商品の汚損に対する訴訟には巻き込まれたくありませんな」


「じゃあ、商船の護衛はどうだ。一隻ならばともかく、港に入港している船団を護衛すればそれなりだろう」


「艦長、失礼ながら本艦は戦列艦です。しかも、水兵の訓練もろくにできておりません」


「ミスター・ポートマン、だから、どうしたんだ」


「艦長。船団護衛というのは、快速のフリゲート艦が担うべき任務です。加えて信号一つにしたって、ミスター・サネ以外はろくに読めない連中です。それ以上に、本艦のような戦列艦では小回りが利かずに船団を纏めるにはとても……」


「つまり、私のアイディアは没か。じゃあ、どうすればいいんだ」


すげなくあっさりと否定してくるあたり、おそらくハロルドも全部考えるには考えたのだろう。


そして、ベテランの船乗りでもあるハロルドがリスクが高すぎると棄却しているプランを強攻するだけの理由はアルバにもない。


「閣下、おふざけになるのは、そろそろおやめいただけませんか」


そして、教育係にしてみれば分かりきった愚痴で延々と水兵らの訓練を邪魔されるのも勘弁して欲しいらしい。


いやはや、アルバにしてみれば誰も彼もが仕事に懸命であることを喜ぶべきなのだろう。


「まあ、そうだね。だが一方で実際、クラークの言い分は正しい。どこかで調達しないといけない以上、誰かから分けてもらう必要がある。そして、なるべくならば代価は非常に安い事が望ましい」


「心当たりが?」


「それを考えるが、私の仕事だよ。さて、その間にボートこぎの演習でも水兵らにやらせてくれないか。彼らを見ていると、高いところよりもまずは船に馴らすことから始めたほうが良さそうだぞ」


「了解です、艦長」


だから、見事な敬礼を残しメガホンを振り上げるハロルドに背を向けるなりアルバは溜息を押し殺しながらゆっくりと歩き出す。


総員、ボート用意! などと叫ぶハロルドと、候補生として駆けずり回るクララを背に一人コーターデッキを降り、艦長私室に引き下がったアルバ。


彼はそこで帽子を投げ出し腰を椅子に下ろすなり、溜息を一つ零すと机の上に広げられたままの書類と新聞に目を向ける。


「やれやれ、父上、お恨みしますぞ。まったく、あと20年は脛を齧るつもりだったのに」


第14代バレッタ伯爵のクッチャーネ・バレッタ艦長、指揮の七十門戦列艦『トライアンフ』、白海海戦にて顕著な武勲をあげるも、海戦直後の悪天にて損傷した僚艦の曳航作業中に衝突され、不運にも僚艦もろとも沈没という海軍公報。


海洋公報紙が父の戦績と武勲を讃え、哀悼の意を表明してくれるのが僅かな慰めだろうか?


とはいえ、バレッタ伯爵家にしてみれば災難でしかない。


父にしたってまだ40代という艦長としては中堅どころ。伯爵家の継承も軍役の引継ぎも、これから、追々勉強していけばと考えていた矢先の訃報。それとて、単なる戦死ならばいざ知らず三等戦列艦一隻を悪天で喪失ときている。


最低でも数年は父や知己の艦で海軍経験を積めるだろうという甘い見通しはもはや夢だ。


「はぁ、ほんと……殺しても死なないような海男だったというのに。全く、『世の中において唯一、確実なことは、確実なことなど何一つない』か。だとしても、これはあんまりでしょう、父上」


加えて、バレッタ伯爵家の500人以上の練達した水兵と士官らが一瞬で海の底に消え、拿捕賞金の権利もろとも全てが水漬く屍。


意味するところは家領に由来する500人の働き手を失うということでもある。悲嘆にくれる家族への慰労や一時金をひねり出すだけでバレッタ伯爵家の借金は想像を絶する酷さだ。


かといって、当主に付き従った一族郎党を切り捨てようモノならば誰がテリブル号に乗り込むものだろうか? ない袖をふってでも、見栄を張らねばならない貴族の辛さとはいったものだ。


ここに、バレッタ伯爵家の軍役義務を今年も果たさねばならないとなれば悲嘆にくれる間もなく金、金、金、だ。


「さて、どこから金をひねり出したものか」


とりあえず、プロットから生まれたプロローグらしきものを……(。・ω・)ゞ


さぁ、いざゆけ、テリブル号。いや、まだ就役さえしてないけど。

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