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2.魔法のこと

トリスタン本人は与り知らぬことだが、()の王太子は姫王子と影で呼ばれている。

口さがない者が「地味」と評する顔だちも、病気がちゆえに華奢な体も、トリスタンはどこか女性的な匂いをただよわせていた。

トリスタンはその噂を耳にしたことはあったが、「メトロセクシュアル」という言葉が存在しないからそう言っているだけなのだろう、としか思っていなかった。

メトロセクシュアルとは、都会の男性が女性的に見える、とかそういうアレだ。

この世界は、トリスタンがかつて大学生として生きていた土地より、はるかに原始的だった。前世の知識に照らし合わせると、この世界は中世ヨーロッパあたりに似ているような気がする。

トリスタンが、この世界を、過去ではなく、異世界と認識したのは、「魔法」の存在のせいである。

実は、トリスタンは、この世界が「魔法というものの存在が信じられていた時代のヨーロッパ」という可能性もある、と考えていたのである。

実際に、魔法や、魔法生物というものを目の当たりにするまでは。

ルネから教えてもらうまでは。



トリスタンは影で「女騎士」と評されている従者・ルネを伴い、今日も庭に来ていた。

椅子に座り、小さな、しかし隅々まで丁寧に世話をされた庭を眺めるだけではあるが、じきに夏になるという青い空気がなんとも心地よい。

初めてこの庭に降りたときは、半刻(はんとき)(30分)ほど花壇の周りを歩いただけで、熱を出してしまった。ルネは叱責され、トリスタンは申し訳ない気持ちになったものだ。

しかし、それからもルネは、トリスタンの意をくみ、庭に降りさせてくれている。

初めの一回目以来、この小さな散歩には椅子が必須となってしまったが、自分の体の弱さに辟易(へきえき)しながらも、客観的に病弱さを理解しているトリスタンは甘んじて受け入れている。

そういったトリスタンを、「わがままを言わない健気な病弱王太子」とささやく声があるが、トリスタン本人としては、ひたすら身を縮ませるほかない。自分がもし本当に子供だったら、庭を歩きたい、とわがままを言わない自信がないからだ。

椅子に座ったトリスタンのそばに、ひたすら立って控え続けるルネに、退屈ではないか、と問うたこともあるが、ルネは言葉少なにそれを否定するばかりだった。

たしかに、従者の立場じゃ、何も言えないよなあ、と思ったトリスタンは、早いところ体を丈夫にして、一緒に木登りを楽しめるようにならなくては、と思うのであった。

ルネが、無表情の奥で、ひたすらこの姫のような王太子の身を案じ、愛で、木登りなどもっての他、と思っていることにはつゆ気付かぬトリスタンであった。


ルネは、トリスタンが飽きないよう、毎回椅子を置く位置を変えてくれている。

この日、ルネが椅子を置いたのは、オレンジや黄色系統の薔薇ばかりを集めた花壇の前だった。

前世において、薔薇に対し、なんだか気障(きざ)で派手な花というイメージしか持っていなかったトリスタンだが、こうして見ると、花は小さく、香りはつつましやかで、とてもかわいらしい。

品種改良が進んでいないのだろうか、と思い、ルネにそのように尋ねると、ルネは、私も詳しくは知りませんが、と前置きしたうえでこう答えてくれた。

「花には、一種につき、一人の妖精が面倒を見ていると言います。例えば、薔薇の女王、紅薔薇ですが、この種は同じく薔薇の女王、ローゼ・ルージュが面倒を見ています。妖精同士が結婚をし、妖精の子を産むと、その子とともに、新たな種類の薔薇が産まれる、というように言われていますね」

「ふうん、初めて聞いたな」

「ビュシェルベルジェール国では、妖精や、魔法を嫌うものが多いですから」


その点については、トリスタンにも察するものがあった。

トリスタンは病弱とはいえ、未来の王である。そのため、寝込んでさえいなければ、家庭教師から、さまざまな知識・作法をならう身だ。

魔法や、それに類するものについて語るとき、家庭教師は言葉少なで、魔法というものを忌み嫌っているような口調だった。

その理由は、魔法はエクルストン国やアルブレヒツベルガー国のような、野蛮な国でのみ使われる野蛮な術だ、とビュシェルベルジェール国で信じられているからだ。

エクルストン国は海、アルブレヒツベルガー国は河を挟んでビュシェルベルジェール国の隣に位置している。

要するに、隣国を嫌う政治的・感情的な嫌悪の先に、魔法というものが置かれているのだろうな、と情報化社会で生きていたトリスタンは冷めた目で見ていた。

ゆえに、この従者が妖精について、詳しそうな様子を見せたことを、トリスタンは意外に思った。あの母が、トリスタンの従者に、思想的な審査をしていないはずはない、と思っていたからだ。

魔法なんていうものは、前世では見られなかったものだ。

実はトリスタンは、魔法というものにとても興味を持っていた。

「ルネ、怒ろうとか、そういうので言うのではないから、正直に答えてくれ。……ルネは、魔法とか、妖精とか、そういったものについて詳しいのか?」

トリスタンがそう口にした途端、ルネは顔を強ばらせた。

そんな従者に気付き、トリスタンは慌てて言い募る。

「いや、ほんとうに、そういうのじゃないんだ。実は、その、魔法に、少し、興味があって……」

いけないことだと分かってはいるんだが、とあわてて付け足すことも忘れない。トリスタンの従者とはいえ、ルネは母妃・レオノールの命で動いているのだ。トリスタンが魔法に興味を持つのは、王太子として有り得べかざることであった。

ルネは、しばし、躊躇(ちゅうちょ)していたようだったが、重い口を開き、トリスタンの問いに答えた。

「……植物や、薬学、そういったものに関してならば、多少は知っております。わたくしには、一人の幼なじみがおりまして。彼女が植採師(プラントハンター)の家系なのです。その影響で、多少のことならば」

「そうか……。よく教えてくれた」

ルネがトリスタンの問いに答えることに躊躇したのは、自分の身ではなく、幼なじみと、その家族に関わることだったからだ。

そう思うと、トリスタンは、ルネがほかならぬトリスタンの問いに答えてくれた、その信頼に答えたくなった。

「ありがとう、ルネ。薔薇の他にも、こうして庭で二人きりのときに、いろいろ話をきかせてくれ。妖精や、植採師(プラントハンター)や、その幼なじみのことも」

二人だけの内緒だ、と小指を差し出す。

戸惑ったふうなルネに、そうだ、この世界では指切り自体がないのだ、と気付いたトリスタンだったが、強引にルネの小指と自身の小指をからめ、

「このことは二人だけの内緒だ」

と微笑んだ。

「はい、けして口外しないと誓います。しかし、トリスタン様、この指は……?」

いつもは白い頬をほんの少し赤らめ、ルネが問う。

「俺が考えたまじないだ。魔法のことについて約束するのだ、まじないを使った誓いをするほうがふさわしかろう」

でっちあげた言い訳に、ルネは殊の外感激したようだった。

「トリスタン様の手をとり、このように誓わせていただけたことは、この身に余る光栄でございます」

「はは、ルネは大げさだな」

微笑んだトリスタンの笑顔が、ルネにとってどれほど大切なものか、トリスタンだけが気付いていなかった。


ルネしか女の子出せていない……。

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